4.破棄させてもらう!
婚約破棄されます。妹が。
エドラが連れて行かれた場所には人だかりができていた。舞踏会はまだ続いているので踊っている人もいるが、それ以外の人はほとんどここに集まっているのではないだろうか。
「はいはい、ちょっとすいませんね」
人ごみをかき分けて、その空間に出る。そこでは、マリーの肩を抱いたソーニャと、マリーの婚約者ビリエルが対峙していた。ビリエルはマリーと同い年くらいの少女を後ろ手にかばうようにしている。
「え、何。どういう状況?」
エドラは首をかしげたが、説明してくれそうな人は側にいなかった。少し離れたところには様子を見ていてくれたらしいグレーゲルの頭が見えるが、距離がある。王弟である彼が介入すると面倒くさいのでそのまま見ていてくれればよい。ラウラとは、人ごみの中ではぐれた。
「マリー! お前との婚約は破棄させてもらう!」
ビリエルの高らかな宣言で、状況はわかった。わかったが、理由が不明である。好きな女性ができたから、とか言ったらブッ飛ばしてやろう。
「悪口を言うだけならまだしも、足を引っかけたり突き飛ばしたり……リータが怪我をしたらどうするんだ! 貴族の娘とは思えない所業だ! はは……そうか、やはり父親が早くに死んだからか?」
気づいたら、エドラは帯剣していた剣の鞘の下部分をホールの床に強く打ちつけていた。その高い音に、ざわめいていた周囲がしんと静まる。
「おっと、失礼」
エドラは剣を腰にくくり直しながら前に出る。マリーとソーニャの前に立った。
「……エドラ」
「大丈夫。怒ってないから」
「……果てしなく不安だわ……」
どうやら、エドラは母に信用されていないようだった。
「お、お前、舞踏会に剣を持ちこむなんて……」
エドラが衝動的に行ったことで、ビリエルが怯えていた。隣の少女、リータが「ビリエル様」と不安げに声をかけている。か弱げなその態度は、確かに庇護欲を誘う。女であるが、騎士としてわかる。だが、女としてみるとその態度は同情をひこうとしているようで正直うざい。
「いや、今日は恩賞が与えられる日だったから、これで合ってるんだよ馬鹿なの」
「ば……っ! 私に向かってなんだその態度は! 私はヘンリクソン伯爵家の後継ぎだぞ! 戦争に行くような女に馬鹿にされるいわれはない!」
「あのさぁ。いい加減にしなよ。確かに君、伯爵家の跡取りだけど、君自身は何の地位も持ってないだろ。偉いのは君のお父様。と言うか、その態度が君の器の小ささを露呈しているよねぇ」
「なんだと!」
「ほらほらぁ、そう言うところ。うちの上官、これくらいで怒ったりしないもん」
吠えるビリエルにエドラはやる気なさそうに言ったが、背後から声が飛んできた。
「いやー、お前はもう少し上官を敬おうな」
「敬っています。敬愛していますよ、元帥」
反射的にグレーゲルに返事をしたが、棒読みだった。あとでからかわれるかもしれない。
とにかく、今この状況だ。
「んで? 君は妹との婚約を破棄したいわけだ?」
「あ、ああ! そんな性悪よりも、私はリータを選ぶ」
「性悪ねぇ」
エドラにはリータの方がよほど性悪に見えるが。
エドラはマリーを振り返った。マリーはエドラを見上げたが、その眼には動揺のかけらもなかった。むしろ……。
「……」
視線をビリエルに戻す。
「いいんじゃない? 君は真実の愛でも追及してなよ」
「ふ、ふん。案外話が分かるな!」
まあ、エドラもこんな阿呆で器の小さい男に可愛い妹をやりたくないからね。
「でも、ここには書類がないからねぇ。取りに行くのも時間がかかるし、ここはノルンの誓いを結んでおこう。あとで『やっぱりなし』と言われても困るしねぇ」
「それはこちらのセリフだ!」
と言うことは、誓いを結ぶことには反対しないのか。ノルンの誓いは魔法契約。破ることは許されない。
「では」
エドラが契約を結ぼうとすると、「待て待て待てっ!」と男性の声が制止した。
「ちょっと待て! 何を勝手に決めている」
「これはヘンリクソン伯爵。今頃になっておいでですか」
エドラが嫌味っぽく言ったが、ビリエルの父、つまり、マリーとの婚約を整えた張本人が飛び出してきた。
「考え直せ! ここで婚約を破棄すれば、マリー嬢の評判に傷がつく!」
「いやあ。私が姉な時点でもうだめだと思いますけどね」
「妹の将来が心配ではないのか! いい縁談が見つからなくなるぞ!」
「そう思うならその口を閉じていただけません?」
現在進行形でマリーの評判を下げているのはヘンリクソン伯爵だ。しかし、彼は気づいていないらしい。とにかく婚約破棄を撤回させようと必死だ。
「私と君の父上はこの婚約に利益を見出したのだ! そう簡単に撤回できるか!」
「いや、婚約破棄するって言ってるのはそちらの息子さんですけど。というか、ヘンリクソン伯爵家と縁続きになっても、現状がそれほど変わるとは思えませんし?」
この婚約が整えられたのは一年ほど前だ。当時エドラは既に戦場にいたので詳しいことはわからないが、ヘンリクソン伯爵家の領地は戦場から遠かった。いざと言う時の避難地点として、父はビリエルとの婚約を受け入れたのだろう。どちらかと言うと、この話を持ってきたのはヘンリクソン伯爵家の方だった。
「お前に何がわかると言うのだ、小娘!」
「わぁお! この親にしてこの子あり!」
エドラも大概失礼であるが、ヘンリクソン伯爵家の親子もかなり失礼である。余計なお世話だ。
「だいたい、お前が勝手に言っていることで、マリー嬢の意思はどうなる!」
とのことだったので、エドラはマリーに尋ねた。
「マリー。ビリエルと結婚したい?」
「自分からしたいかと言うことであれば、別に。どうしても必要だと言うのであれば構いませんが」
「じゃあ、今ビリエルがリータ嬢と一緒にいるのを見てどう思う? 嫉妬する?」
「まったく。わたくし、別にビリエル様を愛しているわけではないですし」
がつっと彼女は直球に言った。はかなげに見せて結構いうことがきついマリーである。
「と言うことだそうです」
「……誘導尋問だ!」
「政略結婚は貴族のたしなみですけれど、さすがに自分を愛してくれない人のところに嫁ぐのはちょっと……」
マリーの言葉でとどめを刺された。ヘンリクソン伯爵がうなだれる。エドラは「決まりですね」と契約を結ぶ方に話を持って行った。
「……待て。君はただのラーゲルフェルト伯爵の姉にすぎん。伯爵を連れて来い!」
どうあってもヘンリクソン伯爵は息子とマリーとの婚約を破棄したくないらしい。彼の背後でビリエル自身は何かを訴えているが、まるっと無視されている。
「十四歳の小僧をですか? 弟が爵位を継いだときに、そう言って馬鹿にしたのはあなたですよ、ヘンリクソン伯爵」
「……っく。貴様、騎士団で居場所が無くなるぞ!」
「そうなれば魔導師にでもなりましょうかねぇ。と言うか、軍務省に所属しているからと言って、私に手を出せるとは思えませんけど」
「馬鹿にしているのか!」
「先に馬鹿にしたのはそちらでしょう。因果応報ってやつですよ」
ヘンリクソン伯爵は、そもそもエドラを説得するより先に息子を説得するべきだ。親子関係、うまくいっていないのだろうなぁ。
「……ではせめて、ノルンの誓いはお前じゃない者に立ち会ってもらう」
「あらら。疑われたものですね」
かなり挑発したので仕方がないか。ノルンの誓いは強力な魔法契約。必ず立会人がいるのだが、その立会人がエドラでは、ビリエルに何かするかもしれないと考えたのだろう。そんなせこいことはしないけど。
強力な魔法契約ゆえに、扱える魔導師も限られているが、ラウラができたはずだ。彼女に立ち会ってもらおうと考えていると。
「では、その立会人は僕に任せていただけますか」
そう名乗り出たのは、白い近衛の制服を着た男性だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
基本的に適当な女、エドラさんです。