39.顔を見たくありません
当然と言えば当然だが、夜会はお開きとなった。アルノルドはまだいたが、国王夫妻は既に宮殿に戻っていて、それほどの混乱はなかった。警備兵たちの誘導に従って、招待客たちは帰っていったが、カロリーナ姫は残された。何故かアルノルドも残っていた。
「お姉様、怪我、大丈夫ですか?」
「ん、ああ」
マリーが心配そうに尋ねてくるが、見た目そんなにひどそうなのだろうか。もしかしたら、テンションが上がっているから平気なのかもしれないけど。
フェストランド大公家の客室の一つである。ソファに座っているのは、エドラが捕まえてきたサムエル王子とカロリーナ姫である。ちなみにエーミルもいるが、彼は拘束されて少し離れたところに座っている。
アスガード王国の王族二人に対面しているのは、グレーゲルとその甥アルノルド王太子だ。
エドラたちはその他多勢だが、彼女は自分がいるのは牽制のためだとわかっていた。
「本当は休んでいた方がいいんだが」
ため息をついたのはヘルマンだ。医師である彼は、エドラを休ませたいらしい。妹でありフェストランド大公夫人ラウラが兄の肩をたたいた。
「あきらめることね、お兄様」
「……」
妹と似た整った顔をした兄は呆れた表情で引き下がった。しかし、部屋から出て行くことはしなかった。
「早速ですが、エドラの妹を誘拐したのは何故です? 会場内を混乱させたのもそちらの思惑でしょうか」
グレーゲルが要点を尋ねた。アスガードの王族兄妹は答えようとしない。顔を子供っぽく顔をそむけた。
「……まあ、サムエル王子がエドラを狙った理由はわからないではないですが」
グレーゲルがため息をついた。アルノルドなんかは「何をやらかしたんだこの女は」と言わんばかりの表情でエドラを見たが、本人と目が合うと前に向き直った。
「戦争に負けたのは私のせいではないと思うのですが」
「エドラ、君は黙っていような。茶々は入れなくていいから」
グレーゲルがツッコミを入れた。エドラが口をはさむとややこしくなるのである。もちろんわざとやっているので、やられる方はたまったものではない。
「カロリーナ姫はともかく、サムエル王子は通常の手続きを行っていません。報告義務があるのをご了承ください」
「……」
何も答えないので、グレーゲルがため息をついた。話を変える。
「夜会を混乱させようとしたのはなぜです?」
今度はカロリーナ姫にも尋ねたが、こちらもだんまりだ。ただ、二人ともエドラを睨んだ。それほど恨みを買っていたと言うことか? グレーゲルも言っていたが、サムエル王子がエドラを恨むのはわかるが、カロリーナ姫は何が気にくわないのだろう。まあ、生理的に受け付けない、と言う相手はいないではないが。
結局、これ以上事情を聞くのは無理だと言うことになった。エーミルを含め、サムエル王子とカロリーナ姫はしばらくこの屋敷で軟禁と言うことになる。もしかしたら、宮殿に移送されるかもしれないけど。
「お疲れ様、エドラ」
エドラの怪我をしていない右肩をたたいたのはベアトリスだった。アスガード王国をよく知る者として、同席していたのである。まあ、彼女もエドラと同じでただいただけになってしまったが。
「いや、ビーもありがとう」
「何もしていないさ、私は」
相変わらず男前な口調である。マリーが言った。
「的確な助言をくださいましたわ」
「そうだろうね」
何があっても冷静なベアトリスだ。精神攻撃くらいで彼女がぶれるはずがない。彼女に魔力はないはずなのだが、無駄に強い。
「何となくわかるような気がするけど、こっちでは何があったの?」
何気なく髪に指を通すと髪が絡まっていた。顔をしかめて指を抜いた。
「会場の外から精神攻撃があって、会場内が混乱したので、マリー嬢に沈めてもらった。便利だな、あの能力」
「精神干渉能力は使用者側の道徳心に左右されるからね。使用者に良識がないと恐ろしいことになる」
その結果が『ニヴルヘイムの氷の魔女』だ。マリーのものよりも弱いが、エドラにも精神干渉魔法が使える。戦場でエドラはその能力をフルに使っていた。現実への干渉力が強いエドラは、ほとんどが氷として出現していたが、それでも戦場で通常の精神状態ではない者たちを混乱させるには十分だった。
マリーのように使えば、称賛される能力だろう。だが、エドラのように使えば恐れられる。そして、エドラのような魔術師がいるから精神干渉魔法の能力者は忌避されるのだ。
「……」
顔半分ほど背が高いエドラを見上げ、ベアトリスが首をかしげた。そして、何を思ったか言った。
「エドラ。ちょっと飲まないか」
「飲む」
「いや、待て待て待て」
何気に酒好きなベアトリスに誘われたので即答したのだが、ヘルマンに止めに入った。
「ベアトリス、怪我人に酒を勧めるんじゃない。と言うか、エドラ、魔力は大丈夫なのか?」
「私?」
話が自分に振られ、エドラは首をかしげた。周囲の視線がエドラに集まる。そう言えば、少しけだるい気はするが。
「別に大丈夫……」
と言った瞬間、エドラの意識は途切れた。
はっと目を開けたエドラは見なれない部屋に寝かされていた。ひょこっと顔をのぞかせたのはマリーだ。
「おはようございます、お姉様。大丈夫ですか?」
「……頭痛い」
「ちょっとお待ちくださいね。ヘルマン先生を呼んできますわ」
既に夜会の翌日の昼だった。ここはまだフェストランド大公家で、エドラの妹たちも泊めてもらったらしい。すでにサムエル王子とカロリーナ姫は宮殿に移送されていた。
「詳しい話は明日、ベアトリス様かレンナルト様から聞いてください、とのことですわ」
簡単な食事をいただきながら、エドラはマリーの話を聞いていた。一応、マリーも狙われた身なので、アルノルドに宮殿に連れて行くことは拒否されたらしい。マリー曰く、お姉様が心配だったからいいんだけど、とのことだった。
ヘルマンはカーリンとエドラの診察をするために残っていたらしい。肩の治癒魔法の定着を確認しながら、ヘルマンが言った。
「少なくとも今日は仕事しようとか思うなよ。本気で体を壊す。ドクターストップだ」
「別に無理に行こうとか思ってません。休めるだけ休みたいです。ちょっと頑張ったので疲れましたし、そもそもあの二人の顔を見たくありません」
「お前もぶれないな……」
呆れたのかヘルマンが苦笑して言った。マリーは穏やかに微笑んでいる。
「最近、勤勉でしたので忘れていましたが、お姉様、結構ものぐさですわよね」
「君は結構いい根性をしているな」
ヘルマンがマリーを見てそんなことを言った。ニコッと笑ったマリーの優しげな顔を見ていると、そんな毒舌を吐くようには見えないのである。
「あと、レンがとても心配していた。面倒くさかったから、適当に追い返したが」
「ええー。それには私、何と答えればいいのでしょう?」
エドラは肩をすくめた。レンナルトはヘルマンと同級生であるので、着やすかったのだとは思うが、エドラはそれにどう反応すればいいと言うのか。
「ぶっちゃけた話、お姉様、フルトクランツ連隊長のことはどう思っていますの?」
ヘルマンが出て行き、帰る準備をしながらマリーが尋ねた。エドラはしばらく手を止めて考える。
「……どうなんだろうね」
「わかりませんの?」
「好きか嫌いかと言われたら好きだと答えるけど」
エドラは社交界に出入りしていた時、婚約者がいたし、三人目の婚約者を亡くした後は、そのまま騎士団に入った。恋をしているとか、愛しているとか、よくわからない。
「難しいですわね。哲学的な問題に足を踏み込んでしまいそうですが、ひとまず、恋愛小説など読んでみませんか」
「……遠慮しておく」
マリーが恋愛小説愛好家であることを忘れていた。エドラも全く読まないわけではないが、さすがに、マリーほどのめりこめないのであった。
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