38.こちらが預かりますから!
帰りましょう、と言うことでエドラたちが『帰って』来たのはフェストランド大公家だった。つまり、エドラの上官である元帥グレーゲルの屋敷である。現在、この屋敷にすべての主要人物が集まっているのだから仕方がない。サムエル王子を宮殿に入れたくない、と言うのもあるだろうが。
ところで、フェストランド大公夫人ラウラは、クランクヴィスト公爵家の出身で、当然だがその跡取りであるラウラの兄ヘルマンも夜会に参加していた。
「何があったらこんな怪我をするんだ。戦場ではないんだぞ。騎士とはいえ女の身だ。もう少し気を使おうとは思わないのか」
くどくどと説教を受けながら治療を受けるエドラである。左腕は固定され、首から下げた布で吊っていた。
「これ以外は大丈夫そうだな。まったく、人を呼び出しておいて何事かと思ったら……」
呆れたようにヘルマンが言った。彼は当然だが、フェストランド大公家の夜会の参加者で、それに合わせた盛装をしていた。
「……すみません。白兵戦が苦手で」
「いや、そうじゃないだろう。そう言うことではないとわかっているな?」
ヘルマンのツッコミに、エドラは「まあ、わかってますけど」と答える。彼はため息をついた。
「君と話していると疲れる」
「それは失礼しました。それで、あの、妹は?」
「カーリン嬢なら大丈夫だ。怪我も何もない。まあ、寝過ぎのような気もするが……」
と、ヘルマンはベッドですやすや眠っているカーリンを見て言った。ひとまず、まだ幼いと言っていい少女に、サムエルたちもさすがに何もしなかったようだ。
「もう一人の方は、きちんと姉の言いつけを守っているな。むしろ、君が控えるべきだ」
「……すみません」
「……かといって、殊勝だと不気味だな……」
ヘルマン先生、いろいろひどい。
エドラは着ていたコートではなく、騎士服の上着を羽織った。腕を通せないし、やや不自然な格好であるが、正装で屋敷内をうろつくと目立つので仕方がない。
「ベアトリスがドレスも用意していたが、その状態では無理だな」
「無理ですね」
騎士服を着るよりも無残になることはわかりきっている。
「ん?」
不意にエドラは耳鳴りのようなものを覚えた。続いてヘルマンも「なんだ?」と頭を押さえる。
「精神攻撃ですね。弱いですが……」
エドラが冷静に言った。弱いが、感受性の強いものを恐慌に陥れるには十分だろう。
「これくらいなら、マリーにも対応できるかなぁ。先生、私は外を見てくるので、先生は会場を見てきてください」
「いや、外って、その状態で行く気か?」
その状態とは、腕を吊っていることを言っているのだろう。エドラは平然とうなずいた。
「もちろんです。私は魔術師です。片腕が使えなかろうが、基本的に関係ありませんから」
しれっとそう言ってエドラは建物から出た。大貴族の屋敷のつくりと言うのは、どうしても似通ってくるので何となくわかるのである。
エドラは焦らない。焦ったところで、どうにもならないこともある。先ほどの精神攻撃、放った者がいるはずだが、逃げられたのならそれはそれで仕方がないと割り切る。
人が倒れているのを発見し、エドラは駆け寄った。脈を確認すると、生きている。制服からして、フェストランド大公家の警備兵である。先ほどの精神攻撃で昏倒したとも思えないので、おそらく、やはり侵入者がいるのだろう。
「動くな」
立ち上がろうとしたエドラの頭に何かが押し付けられた。このパターンは、銃口か。どうやら期せずして遭遇してしまったらしい。
「お前、ニヴルヘイム王国騎士団か? 悪いが、見られたからには消えてもらう」
と、エドラに銃を向けた人物は引き金を引いた。引こうとした。しかし、引けなかっただろう。
「どうもお疲れ様」
銃を凍りつかせて発射不能にし、さらに足元も凍らせて身動きできなくなった人物を、エドラは蹴倒した。うまく鳩尾に入り、気絶してくれた。そいつを放ってエドラは建物の周囲を回る。彼以外には発見できなかったので、逃げたのかもしれない。中に潜入している可能性もあるが、そちらはグレーゲルたちがあるので心配していない。
かすかに歌声が聞こえて、エドラは目を細めた。歌唱力と言う面で評価するのであれば、エドラの方が上だろう。しかし、この歌い手の真価は歌唱力ではなくそれに付随する魔法にあるのだ。
エドラは先ほど捕獲した男を引きずって会場まで行った。会場の警備兵がエドラを見て敬礼する。
「ラーゲルフェルト副長」
「こんばんは。元帥はいる?」
引きずってきた男から手を放し、エドラは尋ねた。警備兵の一人が会場内に入って行く。もう一人は気にするようにちらちらとエドラが引きずってきた男のことを見ていた。まあ、片腕を吊った女性が気を失った成人男性を引きずってきたら、普通、驚く。
待っていると、ホールの中に入って行った警備兵が戻ってきた。グレーゲルの伝言を預かってきたらしい。
「サー・エドラ。このまま中にお入りください、とのことです」
「……」
騎士侯のエドラ、と言うことだろうか。だとしたら、エドラの場合『デイム』が正しいと思われるが、ツッコまないことにした。エドラが男を引きずって入ろうとすると、
「い、いや、さすがにそれは置いていってください! こちらで預かりますから!」
と、警備兵はあわてた。言われたとおり、エドラはその男を預けてホールの中に入った。騎士服なのはともかく、腕は吊っていて中途半端に羽織っているし、髪は下ろしたまま、化粧もしていない。かなり場違いであるが、今更浮くことを気にしないエドラである。
「失礼、通ります」
妙にぼうっとした招待客たちの間を通り、エドラは背の高い上官を見つけた。
「元帥」
「お姉様!」
即座に反応したのは妹のマリーだった。落ち着いた水色のドレスを着た彼女は、相変わらず愛らしい。あまり彼女が着ないようなタイプのドレスなので、もしかしたらアルノルドの趣味かもしれない。
「ご無事で何よりですわ」
マリーは微笑むと、エドラに抱き着いた。
「あの、カーリンは……?」
「大丈夫。無事だよ」
マリーは体の緊張をほどいて、もう一度エドラに抱き着いた。それから離れる。グレーゲルが面白そうに姉妹を見ていた。
「元帥、お招きいただいたのに、このような姿で申し訳ありません」
上官で大公であるグレーゲルの夜会に参加する格好ではない。しかし、主催者であるグレーゲルは鷹揚に笑った。
「いや、お前が無事で何よりだ」
「ありがとうございます」
エドラが軽く頭を下げる。エドラの無事を喜んでくれたことへの礼であり、カーリンを助けるために手を貸してくれたことに対する礼でもあった。
「ところで、ホール内が妙に神妙ですね」
「ああ、まあ、こちらではお前の妹が活躍していたと言うことだ……で」
グレーゲルがにやりと笑った。彼はどちらかと言うと誠実そうな顔立ちをしているのだが、今の表情はどう見ても一物抱えていた。
「お前の方はどうだった? 誰が犯人だった?」
これを言わせたいのだな、とエドラはわかった。せっかく落ち着いている人々を恐慌に陥れてしまうのではないかと言う気もしたが、エドラははっきりと答えた。
「我が国に不法侵入していたアスガードのサムエル王子を捕らえました。さらに、彼に与していた近衛連隊副隊長エーミル・モンソンを拘束しました」
「よし。お疲れ様」
グレーゲルが平然とそう言った。エドラは目を細めた。
「私はそれよりもこのパーティーの状態の方が気になるんですけど……」
おそらく、精神攻撃に対抗してマリーが精神干渉魔法をはなった結果だと思うのだが、慣れなくて加減を間違ったのだろうか。もう夜会にはならないと思うのだが。
「なんで……!」
声が聞こえて一同は振り返った。サムエル王子の妹カロリーナがエドラを指さして叫んだ。
「なんであんたがここにいるのよ!」
腕を吊っていなかったら、腕を組んでいたと思う。基本的に不遜な態度なエドラであった。
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