34.永久凍土に変えて差し上げますが
カロリーナの滞在期限が近づいてきていた。ぐるりと回した肩がごきっと音を立ててエドラは顔をしかめた。最近、寮のベッドで寝ているのだが、体に合わないらしい。戦場ではたとえ地面であっても休めれば御の字だったのに、人間は贅沢を知ると戻れなくなる、と言うのは本当らしかった。
この日は、フェストランド大公グレーゲルの屋敷で夜会が開かれる予定だった。兄である国王をはじめ、ニヴルヘイムの上級貴族が多数参加する。その中に、カロリーナの名前もあった。
「たまにはドレスを着て参加するのもいいんじゃないか」
と、グレーゲルがエドラにも招待状をくれた。彼の妻ラウラはエドラを妹のようなかわいがっており、彼自身も自分の副長に付けるくらいなので、それなりにかわいがってはくれているのだと思う。
「しかし、仕事はどうしますか。カロリーナ姫も参加なさるのですよね」
そこだった。女性騎士が少ないので、後方待機とはいえエドラも戦力の一つだ。一応封を切って中を見ると、やっぱり招待状だった。
「潜入護衛でいいんじゃないか」
「……いいのかもしれませんが」
何度も言うが、エドラの戦闘力は大幅に魔法に偏っているので武装があろうがなかろうが大して変わらないのである。むしろ、自然に溶け込めるぶん騎士服を着ているよりもいいかもしれない。
しかしまあ、世の中と言うのはそううまくいかないものである。エドラの元に、その情報が飛び込んできたのは、近衛連隊と警備計画の相談をしているときだった。この時ばかりは、連隊長のレンナルトも会議に参加していた。
小さな会議室だったのだが、ノックが響き、グレーゲルが「入れ」と短く命じた。扉が開く。
「失礼します!」
若い騎士が敬礼していた。
「ラーゲルフェルト副長はいらっしゃいますか?」
「はーい。どうした?」
手をあげてエドラが尋ねると、彼は側に寄ってきてエドラにささやいた。
「今、副長の妹君がいらっしゃっておりまして。緊急の用があるとおっしゃっているのですが……」
エドラは目をしばたたかせ、上司のグレーゲルを見た。少し目を細めた彼だが、すぐに言った。
「わかった。エドラ、行っておいで」
「すみません。ダン、あとはよろしく」
「了解しました」
エドラは隣にいた騎士にそう声をかけると席を立った。彼女を呼びに来た騎士と共に西塔の事務所に戻ると、本当にエドラの妹……マリーがいた。
「お姉様!」
マリーが真剣な表情でエドラの腕をつかんだ。ただ事ではない雰囲気にエドラはちょっと身を引く。
「え、どうしたの?」
「お姉様、カーリンが、カーリンが……!」
半泣きのマリーに、エドラは奥の団長室に入った。基本的にグレーゲルは不在なので、副団長のエドラが鍵を持っているのである。
「それで、マリー。カーリンがどうした?」
何かやらかしたのだろうか、と思っていると、マリーはエドラの胸元に泣きついた。
「カーリンが、攫われてしまいました……!」
「……は?」
意味が理解できず、エドラは眉をひそめたが、マリーは泣きぬれた顔をあげて言った。
「カーリンが誘拐されてしまったんです! 犯人はわかりません……」
「どこかに出かけていたの?」
「いいえ……人が多いので、危ないと思って外出は控えていて。カーリンは庭で花に水やりをしていたはずなのですが……」
さすがに、マリーは賢明だ。外に出ない方が良いと判断したのだろう。しかし、となると、カーリンは屋敷の中で攫われたことになる。
「一応、侍女が一緒だったのです。彼女が少し目を離したすきに、カーリンがいなくなったようで……屋敷中、探したのですけど」
「いなかった、と」
エドラの言葉にマリーがうなずいた。
「すみません……わたくしがもっと注意していれば」
「いや、マリーのせいではないよ。長期で不在にしていた、私が悪い」
たぶん、エドラがいつも通り屋敷にいれば、こんなことにはならなかっただろう。基本的にやる気のない彼女だが、アスガードでの事例を見た通り抑止力くらいにはなる。
「あの、それと、これが……お姉様宛てだと思うのですけど」
使用人が預かったそうです、とマリーが差し出してきた封筒には『ニヴルヘイムの氷の魔女へ』と書かれていた。一応確認したが、差出人の名前はなかった。
封を破り中身を取り出す。便箋には一行、こんなことが書かれていた。
『私の屈辱を思い知れ』
「……」
エドラに言わせれば自業自得なのだが、彼はそうは思わなかったらしい。そこに、ノックがあった。そして返事を待たずに開く。
「何故自分の執務室に入るのにノックがいるんだろうか」
「それは元帥がめったにいらっしゃらないからです」
反射的にそう返して、エドラは敬礼した。
「お疲れ様です。どうでした?」
「それはお前の話を聞いてからだ」
そう言ってグレーゲルが体を横にずらすと、近衛連隊長のレンナルトと副隊長エーミル、そして何故か外交官のベアトリスと王太子アルノルドがいた。
「……レンとエーミルさんはともかく、何故殿下とビー?」
「マリーが来ていると聞いてな」
「殿下と話し合いをしていたのだが、そう言うことで」
どういうことだ。アルノルドも大概だが、ベアトリスの説明もさっぱり訳が分からなかった。しかし、彼らの登場で少し落ち着いたのは確かだ・
「アル様」
「マリー、どうしたんだ?」
マリーの肩を抱き寄せたアルノルドであるが、さすがにエドラも文句を言う気力はなかった。マリーが言ってもいいのか、判断を仰ぐようにエドラを見上げる。エドラは一度メンツを確認し、それから言った。
「末妹のカーリンが、何者かに誘拐されました」
ええっ、とどよめきが……上がらなかった。声をあげたのはアルノルドだけだ。
「何故そんなに冷静なんだ!?」
「怒り狂ってもよろしければ、今すぐこの部屋を永久凍土に変えて差し上げますが……」
「……すまん」
非難するようなアルノルドの言葉に、これまたエドラは冷静に返したが、その過激な内容から、エドラが内心、かなり怒っていることが分かったのだろう。すぐにおとなしくなった。
「しかし、誘拐とは穏やかじゃないな。外出していたのか?」
「いえ。家からだそうです。そちらは後日、調査を入れますが……私の落ち度です」
誰も何も言わなかった。エドラに落ち度……というより、おごりがあったのは確かだ。
「元帥。申し訳ありませんが、本日の夜会は欠席させてください。カーリンを助けに行ってきますので」
「まあ、お前ならそう言うだろうな。しかし、犯人に心当たりはあるのか?」
「ええ」
エドラが差し出したのは、先ほどマリーから受け取った手紙だ。
「内容と宛名書きから見て、ニヴルヘイムに潜伏中のサムエル王子が犯人と思われます。少なくとも、スルーズヘイムの中からは出ていないでしょう」
「お姉様、わたくしも連れて行ってください。魔法戦なら多少の役には立ちますわ」
おとなしやかに見せかけてはねかえりのマリーが言った。アルノルドがぎょっとしていたが、何も言うことができずにただ静観している。
「いや、マリーは殿下と一緒にフェストランド大公家の夜会に参加してくれ。カロリーナ姫をうまくかわせよ」
「……了解しましたわ」
少し面白くなさそうにマリーが言った。自分も、大事な妹を助けに行きたかったのだろう。ベアトリスが手をあげた。
「では、お前の代わりに私が監視を受け持つことにしよう」
エドラはベアトリスを見て眼をしばたたかせた。
「いいの?」
「構わない。これくらい、大したことではないし、そもそも私も招待されているからね」
ただし、戦闘力はないからね、と念押しされたが、おそらく、そのような事態にはならないだろう。夜会では。
「じゃあエドラ。君はエーミルを連れて行きなよ」
「は?」
「ええ? 連隊長?」
エドラとエーミルが不審げな声をあげたが、発言したレンナルトはどこ吹く風だ。
「君が強いのは知っているけど、白兵戦になったらどうなるかわからない。エーミルならそのあたりをカバーできる。どう?」
と、エドラとエーミルに意見をもとめる。エーミルが「私は構いませんが」と答える。
「……これ、職権侵犯にならない? 大丈夫?」
「大丈夫だよ。エーミルは君の一友人として同行するだけだ。本当は僕が行きたいんだけどね……」
最後に本音が漏れていた。グレーゲルがエドラの頭を軽くたたく。
「こちらのことは気にせず、妹のことを助けに行って来い」
「……ありがとう、ございます」
エドラは内心、これでいいのだろうか、と思いつつも協力を申し出てくれた上官や友人たちに礼を言った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。