33.浮気現場を糾弾される男のようだ
「おーい、エドラ」
聞きなれた平坦な声で呼ばれたエドラは、振り返って、手を振る思った通りの人物を認めた。
「ビー……と、ヘルマン先生?」
意外な組み合わせだった。外交官のベアトリスと軍医のヘルマンが一緒にいた。エドラを呼んだのはベアトリスであるが、なぜこの二人。
「ちょっといいか?」
ベアトリスが笑みを浮かべて言った。エドラはとてつもなく嫌な予感がしたが、手招きする彼女の方に歩み寄る。エドラが髪をくくり、眼鏡をかけ、騎士服を着ていることから、ヘルマンはエドラを見て「ふむ」とうなずいた。
「浮気現場を糾弾される男のようだ」
「先生、絶対に見たことないでしょう、そんな場面」
最近、エドラがツッコミに回るという不思議な事態が多いな、と思った。
エドラが連れて行かれたのは温室だった。この寒い国では咲かない花がたくさん咲いている。エドラは南国に咲く白い花に手で触れる。
「エドラ、君は確か、アスガードの第二王子と面識があったな」
「サムエル王子のこと? 面識と言うか、顔は知っているけど」
エドラは小首を傾げて言った。母親は同じはずだが、サムエル王子とカロリーナ姫は似ていない。まあ、エドラとフランなどもそれほど似ていないので、そんなものなのかな、とエドラは思っている。
「それがどうかしたの?」
「いや、実は王都でサムエル王子と思われる人を目撃したという人がいてね。お前も見ていたなら真偽がすぐにわかるなと」
「そもそも最近、街に降りてないからね」
目撃しようもない。
「実は私も目撃したんだが」
と言ったのはヘルマンだ。エドラはヘルマンとベアトリスを見比べて言った。
「なんか、二人は語り口が似てるわね」
さすがに男女の声質の違いがあるのでわかるが、この差がなければわからなかったかもしれない。
「ヘルマン先生が目撃したのなら、手配書でも書けばいいのでは?」
「そう言うと思って、描いてみた」
ほい、と差し出されたのはレポート用紙のような紙だった。一応人相書きが描かれているようだが。
「先生、これ、残念だから誰にも見せない方がいいと思う」
「私もそう思う」
ベアトリスもうん、とうなずいた。とにかく、目撃者が役に立たないことは理解した。
「ああ、でも、サムエル王子が入国してるってのは、わかる気がする。彼を見たことあるのは、前線にいた私たちだけ。で、私たちはカロリーナ姫が宮殿にいることで缶詰だからね。潜伏していることがばれにくいってことか」
「カロリーナ姫は陽動か。まあ、私もそう思う」
こんな会話を、前にもしたような気がする。カロリーナを隠れ蓑に動いているのはアスガード王国だと思っていたが、どうやらサムエル王子のみらしい。
アスガード王国の第二王子サムエルは、先のニヴルヘイムとの戦争でアスガードの総指揮官だった。彼の兄である王太子は、病弱で戦場に出てこられなかった、という話だ。もしくは、大事にされ過ぎて戦場に出されなかった、という見方もあるらしい。
「だが、何をしたいのかはわからないままだ」
ベアトリスがため息をついて言うが、エドラは「それはそっちが考えることでしょ」と言ってのけた。
「何かあったなら、私たちが動くけど」
まだ何かあったわけではない。動きようがない、というのが正しい。
「まあ、下手に君を巻き込もうものなら番犬が怒るだろうからな」
「番犬?」
たとえだと思うが、ヘルマンのたとえが独特で分からなかった。どちらかというと、エドラの方が番犬です。
「連隊長のことだ」
「ああ~……」
ベアトリスにつっこまれて思わず納得の声をあげてしまった。だが、正直レンナルトが怒っている場面が想像できないのだが。
「いや、まあ、うん。レンは私が勝手な判断で動き回るのを気にしてるだけでしょ。作戦上で動くなら何も言わないわよ。騎士だもの」
「つまり、君が考えなしだと」
「否定はしないけど……」
エドラは小首をかしげた。
温室を出ると、ちょうどエーミルと遭遇した。
「こんにちは、エドラ」
「エーミルさん。お疲れ様」
エドラが彼の側に並ぶと、エーミルはちらっと温室の方を見る。
「誰かと一緒だったようですね」
確定口調だったので、エドラは肩をすくめて答えた。
「ビー……ベアトリスと一緒だったんですよ。外交官の」
「ああ、そう言えば友人だという話でしたね」
あえてヘルマンの話をすることもないだろうと思い、エドラは「ええ」とうなずくにとどめる。
「エーミルさんは、何故ここに? 護衛は?」
「ヴィリアムに代わってきました。どうも、私は王太子殿下に苦手とされているようで」
本人にもはっきり伝わるくらい苦手意識が漏れているらしい。エドラは思わず苦笑した。
「何が合わないのでしょうね」
「なんだと思います?」
逆に問い返されて、エドラは「さあ?」と首を傾げる。適当にはぐらかしたのだ。本当は、エーミルのまじめな勤務態度とそぐわないのだと思っている。いや、レンナルトが不真面目なのだとは言わないが。
「私は事務所に戻るところですが、エドラも?」
「ええ……というか、北塔に行くにはこの道は通らないのでは?」
近衛騎士団のある北塔に行くには、普通、温室の近くは通らない。まあ、エドラが行く予定の西塔にある王国騎士団の事務所だって、この側は通らないけど。
「働きづめですからね。少しくらい足を伸ばしても罰は当たらないでしょう」
「そうですね……」
そう。みな、あまり休暇が取れていない状況だ。先の戦争で人員不足のところに社交シーズンが重なり、さらに敗戦国のお姫様が来訪しているという状況だ。忙しくない方がどうかしている。
「こうも忙しくては、デートにも行けないでしょう」
エーミルの言い方が自分のことを言っているというより、エドラのことを尋ねている感じだったので首をかしげたが、彼女は、ああ、と納得した。
「妹も殿下に会いたがってはいるけど」
この状況では、と続けようとしたエドラだが、「ん?」と首をかしげたエーミルが「ああ」と続けて納得の声をあげたので、それ以上言葉が続かなかった。
「王太子殿下のこともですが、あなたのことです」
「私?」
「連隊長も忙しいですから、会うこともままならないでしょうし」
「……」
いろいろと勘違いされている気がしたが、面倒くさくなってきたので、そのままスルーすることにした。エーミルは口をつぐんだままのエドラを見て、微笑ましそうな表情をする。
「かわいらしいですね。その相手が連隊長だと思うと、ちょっと犯罪臭がしますが」
「それはなぜに……」
レンナルトがカーリンを好き、などと言ったら犯罪だ、と言うだろうが、さすがに二十代同士ではそうはならないだろう。やっとエドラから反応を引き出せたエーミルは笑った。
「エドラもちょっと疲れてるんですよ」
「いえ、私は基本的にやる気ないですけど」
自称面倒くさがりのエドラだが、実際のところよく働いている、と言うのが騎士団の面々の印象だった。
「……まあ、そう言うことにしておきましょうか。ではエドラ。私はこちらなので」
「はい。まあ、お互いほどほどに頑張りましょう」
「そういうところが、エドラらしいですね」
二人は一応敬礼をして別れた。エドラはそのまま西塔の事務所に向かう。あまりデスクワークができていないので、山積みになっているであろう書類にため息をついた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。