32.すぐそばにいるからね
四月も終わりでありますねー。
エドラたちを襲った騎士は、カロリーナの取り巻きだった。まあ、わかっていたことだが。カロリーナより目立っていたエドラを見て、『許せない』と思って自ら行動した、と主張しているが、あの場に彼らはいなかったので、カロリーナにやらされたであろうことが明白だった。
そして、ついにカロリーナに『お叱り』があったらしい。王妃殿下直々に。本当は国王からでもいいくらいなのだが、ことが起こったのがサロンの時だったので、王妃からのお叱りだった。これで少しおとなしく成ってくれるといいのだが、そう簡単にはいかないだろう。
で、そのお叱りの原因となったエドラであるが、その日の夜になってから、妹マリーとアグネス王女と共に入った迷路に再び足を踏み入れていた。
「この辺りだったと思うんだけどなぁ」
しーん、としていてさみしいので、自分で呟いてみる。迷路の中で騎士たちともみ合ったとき、ネックレスを落としてしまったのだ。装飾品ひとつにこだわるエドラではないが、あれは父の遺品でもあるのだ。
『お前の眼は、エメラルドではなく翡翠だな』
そう言ったのは、エドラの父だ。あと半世紀は生きているだろうと思われた食えないおっさんであったが、病でぽっくり逝ってしまった。そんな父からの、最後の誕生日プレゼントだった。
エドラも散々頭がおかしいと言われるが、父もいささかおかしい人だった。騎士となり、戦場に行った娘に、毎年の誕生日の装飾品を送った。もう少し、実用的なものでもよかったのではないかとエドラは思わないでもないが、父曰く、「金がいるときに換金すればよい」とのことだったので、父はそういう人なのだとあきらめることにした。
「あ、あった」
カンテラの明かりに反射する翡翠を見つけ、エドラはほっとしてしゃがみ込んでそれを手に取った。軍医ヘルマンに治してもらった足首も痛まなかった。
ふと、視界の端に自分以外の明かりを認めた。エドラはカンテラを高く持ち上げ、いつでも攻撃に出られる体勢を取ったのだが……。
「なんだ、レンか」
「ちょっと、残念そうにしないでよ」
すねたようにレンナルトが言った。エドラと同じく、カンテラを掲げてやってきたのは、今日もカロリーナの護衛に忙しかったはずのレンナルトである。
正確には残念なのではなく、拍子抜けしたのだが。エドラは小首を傾げてレンナルトを見上げた。
「お前、こんなところで何してるの」
「ああ、君がここにいると聞いて、追ってきた。襲われたばかりなのに、不用心過ぎない?」
同じことをヘルマンに言われたばかりなのに、すでに破っている自覚のあるエドラは、肩をすくめた。
「そうねぇ。まあ、次があったら生きながら死を経験できるくらいの目には合わせてやろうと思っているわ」
実に矛盾した言葉だが、エドラには可能なのである。レンナルトが「怖いね」と全く怖くなさそうに微笑んだ。
「何してたの?」
「ネックレスを落としちゃって。ほら」
「へえ。翡翠だね」
エドラの手に乗ったネックレスを見て、レンナルトが言った。
「君の眼の色だ」
かつての父と同じ言葉に、エドラは目を見開き、それから笑った。
「それ、父と同じことを言っているわ」
「前ラーゲルフェルト伯? へえ。でも、そうだろう?」
「……そうね」
実際には翡翠よりも冷たい色をしているが、宝石に例えるなら翡翠が一番近いだろう。エドラはそれをスカートのポケットに入れた。
それを見たレンナルトが珍しそうな声を上げる。
「今日、スカートなんだ……って、足、どうしたの」
「ああ……」
パンツスタイルが多いエドラは、宮殿内に寝泊まりすることが多い現在もそれを貫いている。なのに、今日はミモレ丈のスカートを着ていた。だから、足首を覆う包帯が良く見えるのである。
「カロリーナ姫のせいで怪我をしたんだって、見せつけてやれって、元帥が」
「ええ? 大丈夫なの?」
この様子では、彼はまだヘルマンのところに行っていないのだろう。エドラは笑って「大丈夫よ」と言った。
「治してもらったもの」
でも一応、まだ怪我をしているという呈なので、靴もかかとの低いパンプスだ。おかげで、いつもより視点が低い。
「というか、ヘルマン先生に私のこと話すのやめてよ。先生、かわいそうじゃない」
「なんで知ってるの!?」
何でも何も、ヘルマン本人から聞いたからである。エドラは「何でかしらね」などと言ってはぐらかしたが、レンナルトはすぐに答えにたどり着いたようだ。
「ヘルマンか……」
「当たり前でしょ。というか、あんたに先生を非難する権利はないわ」
「……ごもっともです」
レンナルトは肩をすくめて認めた。彼はすっと手を差し出す。
「戻ろうか。今日は屋敷に帰るの?」
「いいえ。もうしばらくは宮殿で泊まりこみ。目をつけられちゃったから」
カロリーナに。無視されていた時ならばともかく。今となっては一人で夜道を歩くのは危険であると、エドラもさすがにわかっていた。
「そうだね。本当は宮殿内でも一人で出歩かない方がいいと思うけどね。エドラ、手を」
「手?」
エドラはにこにことレンナルトが差し出した手を見つめる。しばらくして、「ああ」と納得の声を出すと、カンテラをその手に置こうとした。
「違うよ!」
「わかってるわよ。冗談よ」
エドラはしれっと言うと、カンテラをひっこめ代わりに自分の手を差し出して彼の手を握った。レンナルトは満足気に微笑む。
「よし、行こうか」
そう言って、ゆっくりと歩き出した。おそらく、身についたレディ・ファーストの精神だろうが、ゆっくりとした歩みだった。
「ねえ」
「何?」
エドラが話しかけると、レンナルトは嬉しそうに返事をする。彼女は小首を傾げて尋ねた。
「カロリーナ姫は、反省していそう?」
「いや、してないね」
だろうね、とエドラも思った。彼女は反省するような殊勝な姫ではない。注意されようが、構わずだろう。
「いくらお客様だとしても、彼女は立場をわきまえるべきだね……まあ、効果はなかったし、君を危ない目に合わせてしまったけど」
危ない……危なかったのだと思う。過ぎてしまえば、「驚いた」という感覚しか残らない。のど元過ぎれば熱さ忘れる、というやつか。
「……やっぱり危機感が足りないってことなのかしら」
「ああ、さすがに自覚がでた? 貞操の危機だったもんね」
そんなときに助けになれなかったんだけど、とレンナルトはため息をつくが、エドラは首をかしげていた。
「そうだったのかしら?」
「……うん。何度か言っていると思うけど、やっぱり危機感が足りないと思うよ」
確かに何度か言われたような気がする。まあ、やはりどう考えても今日は危なかったと思う。作戦上だったとはいえ、油断があったのは事実だ。
「エドラ」
「な……っに?」
引かれていた手を握られて引っ張られ、エドラはレンナルトにくっつくことになった。宮殿の明かりが見えるところまで来ていた。
「本当に、気を付けるんだ。裏切り者は、君のすぐそばにいるからね」
耳元でささやかれたのは、彼女らを見たものたちが想像したであろう甘いものではなかった。警告だった。エドラの表情が変わらなかったので、誰も察することはできなかったと思うが。
「まあ、君のことだから大丈夫だと思うけどね」
レンナルトはそう言ってエドラの眼尻のあたりに口づけた。思わず目を閉じたエドラは、眼尻のあたりがムズムズしたが、片手にカンテラ、もう一方はレンナルトに握られているのでどうしようもなかった。
「あのさ」
「うん?」
宮殿の中を歩きながら、エドラが問いかける。
「いつまで手をつないでるの」
「部屋まで送るよ?」
「いや、女子寮に入れないでしょ」
そう言うことじゃないし、と思いながらも不毛になりそうなので何も言わないことにしたエドラだ。
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