31.ざまぁみろって感じよね
「エドラ、本当にすごかったわ!」
アグネスが嬉しそうに言った。何に対して言っているのか、対象が不明である。さすがに周囲をはばかり、彼女は声を低めた。
「カロリーナ姫の顔、見た? うふふ。ざまぁみろって感じよね」
むしろこれからが本番なのだが、エドラはひとつ気になったので尋ねた。
「アグネス様、そのような世俗的な言葉、どこで覚えられたので?」
「お兄様」
簡潔に答えられた言葉に、エドラだけではなくマリーも「まあ」と声をあげた。
「あの王太子は……」
「ちょっとアグネス様に教える言葉ではありませんわよねぇ。まあ、お姉様も普通に言っていますけれど」
「……」
さらっと妹に指摘されたエドラは、戦場で己の口の悪さが培われていたことに改めて気づくのである。
「あ、エドラの歌も上手だったし、マリーのヴァイオリンも良かったわ」
「ありがとうございます」
「光栄ですわ」
アグネスが何を思ったのかそう言って姉妹をほめた。姉妹は微笑んでそれに答える。
「わたくしもピアノを習っているけど、なかなか……」
音楽など、芸術方面の才能は、努力である程度カバーできる勉学とは違い、どうしてももともとの才能がものを言うのだろう。アグネスは勉学は得意だが、あまり芸術的才能はないのかもしれない。
花の迷路の中に入る。これは毎年ルートが変わるので、ちゃんと考えなければ出られなくなる。マリーとアグネスが楽しげにしているのに、エドラはついて行くだけだ。いつだったか、彼女が先頭を歩いた時にまったく迷わずにたどり着いたのが不評だったのだ。
エドラはふと背後を振り返った。本当に何気なく、だ。だが、背後に三人の男が立っているのを見たとき、さすがに驚いた。エドラが反応する前に腕を引かれて引き倒される。
「お姉様!?」
倒れた音に気が付いたのだろう。エドラが男に組み敷かれているのを見てマリーが悲鳴を上げる。とっさにアグネスをかばったのは及第点だ。
なんだか前にもこんなことがあった気がする。その時と違うのは、ビリエルはただの貴族子息だったのに対し、今回エドラを組み敷いているのは騎士団に所属する騎士だということだ。
「貴様……! 今すぐ放せ! 査問会にかけられたいか!」
彼にとって、エドラは上官にあたるだろう。上官に手を上げるのも、女性騎士に手を上げるのも、騎士団規則違反だ。
ビリエルの時とは違い、エドラは振り払えなかった。ほか二人の男がマリーたちの方に向かったのを見て、エドラはカッと頭に血が上るのを感じた。
「待ちなさい!」
彼女の感情に触発されて氷が二人の男の足元を凍らせて足を止めさせた。エドラを押し倒している男の方にも冷気が向かい、手が凍りだしたのを見た彼は悲鳴を上げて倒れた。自由を得たエドラは上半身を起こした。
「お姉様! 大丈夫!?」
「……ああ! お前はアグネス様とそこにいろ」
エドラはひとまずその場で立ち上がる。ハイヒールが片方脱げており、面倒なのでそのままもう片方も脱いだ。
「おーい、エドラ嬢ちゃん、大丈夫かー?」
「フォルシアン隊長」
エドラはほっと息をついた。基本的にやる気はないが豪胆であるエドラが恐怖を覚えたのはこれが初めてかもしれない。圧倒的な力で押さえつけられるのはかなりの恐怖で、刺された方がましだったかもしれない、とエドラに思わせた。
迷路の中に突入してきたフォルシアン隊長とその部下たちに男たちは取り押さえられた。全員、騎士だった。エドラもフォルシアン隊長も顔をしかめた。
「……というか、何故にフォルシアン隊長が?」
「グレーゲルに頼まれてたの。嬢ちゃん、もう少しやっても良かったんじゃねぇの。正当防衛だ、正当防衛。か弱いお嬢さんたちに手を出そうなんざ、騎士の名折れだ」
「私は別にか弱くはないですが」
エドラはそう主張したが、フォルシアン隊長は笑って「そうでもないから、お前はもう少し気を付けるべきだ」と耳に痛い苦言を呈した。
「お姉様!」
マリーが勢いよく抱き着いてきた。アグネスも「エドラー!」とマリーに習って抱き着いてきた。フォルシアン隊長が「モテモテだな!」と豪快に笑った。
「心配しましたわ! 隊長のおっしゃる通り、こんなやつら、もっと手ひどくしてやっても良かったのですわ!」
半泣きでマリーが訴えた。エドラは苦笑を浮かべる。少しの緊張が、彼女らのおかげでほぐれた。
「悪かったよ。せいぜい刺されるくらいだと思っていたのだけど」
「どちらも悪いですわ!」
マリーは応酬をする元気があるようだが、アグネスは本気で泣き出しそうだった。
「ああ、アグネス様。お願いですから泣かないでください。怖い思いをさせてしまって申し訳ありません」
「こ、怖かったのはわたくしじゃなくてエドラでしょ~」
泣きながらでもまともなツッコミをするアグネスである。フォルシアン隊長から、「嬢ちゃん、恋人に泣かれて戸惑ってる男みたいになってるぞ」と突っ込まれたが、まさにそんな心情だった。
「ひとまず、ここを離れましょう。この不埒者どもには厳罰を下しますので、ご心配なく」
フォルシアン隊長の言葉は、むしろマリーやアグネスに向けたものだった。エドラは脱いだハイヒールを手にぶら下げ、はだしのまま歩き出そうとした。
「痛っ」
一歩もあるかないうちに足首に激痛を覚え、しゃがみ込んだ。スカートをたくし上げて右足首を見ると、赤くはれていた。どうやら、引き倒された時にひねったらしい。
「……腫れてますわね……お姉様、立てます?」
「……痛い……」
もしかしたら、ここが戦場であればエドラは無理やり立ち上がったかもしれないが、現在は平時なので、無理やり立ち上がって怪我を悪化させるようなまねはしなかった。
マリーが手を伸ばして、エドラの足首に治癒魔法をかけた。エドラの方が得意なのだが、不思議なもので、自分に自分の治癒魔法は効きにくいのである。
「お医者様に見てもらった方がよろしいですわね。というか、なんで裸足で歩こうとしてますの」
「いや、どっちにしろハイヒール履いて歩けないけどね」
エドラは返事にならないことを言った。この怪我ではかかとの高い靴は履けないのは確かだが。
「嬢ちゃん、セクハラだとか言って暴れるなよ」
そう言ったフォルシアン隊長が、そのままエドラを抱き上げた。とても安定感があった。アグネスは「おお」と声をあげただけだが、マリーは少し眉をひそめた。
「フォルシアン隊長……夜はお気を付け下さいませね。刺されるかもしれません、連隊長に」
「冗談だろ?」
フォルシアン隊長は半笑いで言ったが、残念ながらマリーは真剣そのものの表情だった。
△
「前々から思っていたんだが、君はもう少し、自分自身の危機管理に積極的になるべきではないだろうか」
まじめくさった表情と口調でそんなことを言ったのは、軍医のヘルマン・クロンクヴィストである。栗毛のまじめそうな青年で、クランクヴィスト公爵の長男。そして、フェストランド大公妃ラウラの一歳違いの兄でもある。
そんなヘルマンに足首を治してもらったエドラは、適当に「そうですねぇ」とか言ってみる。ヘルマンは「やる気がないのも大概にしろ」と突っ込んでくれる。
「いや、言うほどやる気がないわけじゃないんですけど」
「妹たちを気にかけるのと同じくらい、自分のことも気にかけてやれ。レンが半狂乱で心配している」
「あ、それはちょっと見てみたい」
「趣味が悪いな!」
ヘルマンはレンナルトと学生時代の同級生である。卒業後、騎士になったレンナルトと向いていないからと何故か医師になったヘルマンであるが、二人とも軍属ではある。
「毎晩君の話を聞かされる私の身にもなってみろ」
「え、何それ気持ち悪い」
「よし。その言葉をそのままレンに伝えておく」
別に困らないので、エドラは首肯した。むしろ、ヘルマンが驚いたようである。
「いいのか? 恋人だろう?」
「違いますけど」
「違うのか!?」
ヘルマンは驚いた後、「そう言えばやつもそんなことを言っていなかったな……」などとつぶやき始めた。結論として、ヘルマンもレンナルトを「気色の悪いやつ」とみなしたようだ。
「了解した。だが! 身を守ることを忘れるなよ! もっと手ひどく骨を折ってやったって構わなかったんだからな」
「……」
口うるさい医師に、エドラは「あなたは私の母親ですか」と言おうとして、さすがにやめておいた。
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