3.あと半世紀は生きていると思ってた
桃の節句。
がたん、と馬車が揺れてエドラは目を覚ました。馬車窓から、宮殿の明るい光が漏れて見える。進行方向と逆向きに座っていたエドラは首をまわして宮殿の方を見た。この距離でも、にぎわっているのがわかる。
「お姉様、よく馬車で寝られますわねぇ」
エドラの向かい側に座っているマリーがしみじみと言った。彼女と、母ソーニャが同乗している。今回は停戦を祝した宴で、前線で戦った騎士たちの論功行賞が行われる場でもある。夜会であるので、原則十五歳以上が参加可能だ。ラーゲルフェルト伯爵であるはずのフランは、この年齢制限に引っかかってどうすることもできない。
「行軍用の荷馬車に比べれば全然ゆれないしね。何なら騎乗で寝たこともあるし」
「それはさすがにどうかと思いますわ……」
騎乗中に寝るのは危険である。落馬の可能性があるからだ。コツをつかめば難しくはないのだが、お勧めはしない。
「それにしてもお姉様……騎士服、よくお似合いですわ」
はあ、とため息をついてマリーが言った。今回は帰宅した時とは違い、騎士の正装である。正装と言うのは身分が高くなるほど重くなる傾向があり、王国騎士団では上から数えたほうが早い地位にあるエドラの正装も、例にもれず重たい。
「どうもありがとう」
ひとまず礼を言っておく。マリーの言い方は、本当に似合っていてほめたのもあるだろうが、他にも理由がありそうだ。怖いからツッコまないけど。
「マリー」
会場である宮殿のホールのエントランスに到着すると、エドラの手に掴まって馬車を降りたマリーが呼ばれた。彼女の婚約者のビリエル・ヘンリクソンである。濃い金髪の彼はマリーに向かって手を差し出した。エスコートするつもりなのだろう。
エドラは少し、その時のビリエルの表情が気になった。マリーは少し困ったようにその手を取る。姉や母がいる前であからさまには何もなかったが、何かあるのは明白である。
ヘンリクソン家は伯爵家。互いに理があると言うことで婚約と相成ったのだが、世の中そううまくいくことばかりではない。エドラは妹を気にかけつつも、母ソーニャに手を差し出した。
「あら、ありがとう」
にこりと笑ってソーニャは一番上の娘の手を取った。エドラは女性にしては背が高く、しかも今はかかとの高いブーツを履いているので見栄えはそれなりにいいだろう。
会場であるホールに入ると、エドラは早速部下に声をかけられた。一応、主役の一人なので前に出てこいとのことだ。
「お母様、悪いけど」
「ええ。いってらっしゃい」
ソーニャはひらひらと手を振る。エドラは人ごみをかき分け、上座の方へ行く。そこで上官を見つけた。
「団ちょ……いえ、元帥……ではなくフェストランド大公?」
「よう、エドラ。今まで通り団長でいいだろう」
「あ、王弟殿下の方がよろしかったですか」
「お前、人の話聞いてるか」
グレーゲルが呆れてため息をついた。ちょっとした冗談である。
「ご家族、どうだった?」
「奥様からもある程度聞いているのでは?」
当たり前であるが、フランが気にかけてくれた、と言っていたフェストランド大公夫人は、グレーゲルの妻である。
「何とか、ですね。助けていただいて何とかなっている状態です」
「フランも年齢の割にしっかりしているが、さすがに早すぎたな」
「そうですね……」
大変な時期に側にいられなかった自分が悔やまれる。停戦し、最前線にいたエドラたちは、しばらく外に出されるようなことはないだろう。と、思いたい。
「奥様にはお世話になったようで。ありがとうございました」
「いや、妻が好きでやったことだからな。それに、礼は直接言ってやってくれ。きっと喜ぶ」
「はい」
執務面で助けてくれたと言うフルトクランツ侯爵にも礼を言っておかなければ。たぶん、ソーニャが先に挨拶に行っているだろうが、エドラも行くべきだ。フルトクランツ侯爵はエドラが王都にいないばかりに後見役を引き受けることになったのだから。
会場の人は多い。ちょっと圧迫感がある。エドラはグレーゲルと共に最前列で恩賞を受けることとなった。膝をついて、騎士の礼をし、国王陛下のありがた~いお言葉を聞く。途中で眠くなった。何とか寝なかったけど。
勲章を授与され、それを胸に付ける。それが終わると舞踏会の開始だ。軽快な音楽が流れる。
「グレーゲル!」
「ラウラ」
青いドレスを着た栗毛の女性が人ごみをかき分けてやってきた。人目もはばからずに抱き合う。彼女がグレーゲルの妻、ラウラ・フェストランドだ。年は二十四歳で、グレーゲルより十歳年下になる。
「おめでとう、グレーゲル」
「こんな形だけの勲章より、君の言葉の方がうれしいな」
「……」
砂糖吐けそう。甘い。激甘だ。
「こんばんは、エドラちゃん。おめでとう」
「……こんばんは、ラウラさん。ええ、どうもありがとうございます」
エドラは苦笑してラウラに言葉を返した。琥珀色の瞳が細められる。
「大活躍だったそうじゃない」
「ほとんど団長のおかげですよ。残りはラウラさんの指導が良かったと言うことです」
「あら、お上手ね」
ラウラがくすくすと笑う。彼女はもともとエドラと同じ伯爵令嬢で、騎士だった。いわゆる寿退団をしたのである。
「……それと、母や弟たちのことを気にかけていただいたようで。ありがとうございました」
「いいのよぉ。可愛い妹分のためだし、私が好きでやっているんだもの」
グレーゲルが言った通りのことを言ったラウラに、エドラは微笑んだ。
「私はラウラさんのそう言うところが好きです」
「おおっとぉ。グレーゲル、ライバルよ」
ラウラが茶化してそんなことを言った。グレーゲルも乗っかり、「これは手ごわそうだ」と言う。笑い声が少しだけ上がった。
「では、私はフルトクランツ侯爵にも挨拶に行ってきます」
「ああ、失礼のないようにな」
「はい」
グレーゲルとラウラの仲良し夫婦に見送られ、エドラはフルトクランツ侯爵を探しに行く。人が多すぎて、もしかしたら見つからない可能性もある。
だが、運よく見つけられた。話が途切れたころを見計らって声をかける。
「フルトクランツ侯爵。こんばんは」
「ん? おお、エドラか。今夜はおめでとう」
「ありがとうございます。侯爵夫人も、ご機嫌麗しく」
「ええ、ええ。今日もハンサムさんね」
フルトクランツ侯爵夫人の言い方にちょっと苦笑を浮かべる。フルトクランツ侯爵も苦笑し「いや、すまんな」と言う。
「ずっと、お前のことをかっこいい、かっこいい、と言ってはばからなくてな」
「……ありがたいお言葉です」
ひとまず受け取っておく。馬車でマリーにも似たようなことを言われたので、案外似合っているのだろうな、と思っておく。
「フルトクランツ侯爵、フランを助けていただき、ありがとうございます。侯爵夫人にもお世話になったようで」
「いや、構わんよ。君たちは友人の大切な家族だからな。フラン君も優秀で、思ったよりすることがなかったくらいだ」
和ませようとしているのか安心させようとしているのか。ともかく、お世辞だと言うことはわかる。侯爵夫人も「妹さんたちもかわいらしい子たちね」と微笑んでいる。本当に、この二人には感謝だ。
「……まさか、あいつがこんなに早く逝ってしまうとは思ってもみなかった」
「私もです。てっきり、父は後半世紀は生きているものだと」
「はは。気持ちはわかるな」
フルトクランツ侯爵が乾いた笑い声をあげた。少し目を細めたエドラに、侯爵は言った。
「まあ、君が騎士侯位を得ていたことは、不幸中の幸いだったな。励めよ」
「はっ」
エドラが騎士の礼をしたとき、背後から「エドラちゃ~ん!」という声が聞こえた。振り返ると、ラウラがこちらに向かってきていた。
「まあ、フルトクランツ侯爵、並びに侯爵夫人。ご機嫌麗しく」
エドラの隣で急停止してラウラは淑女の礼をとった。フルトクランツ侯爵夫妻は苦笑を浮かべながら挨拶を返した。
「ねえ、エドラちゃん、マリーちゃんが大変よ!」
「はい?」
ラウラは必至だったが、エドラは首をかしげていた。彼女が何を言いたいのか、よくわからなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エドラ、マリーが変人であることをわかっているので、大変、に心当たりが多くて特定できない。