27.手を出さざるを得ない状況
カロリーナがニヴルヘイムにやってきてから数日が過ぎた。その間に、カロリーナをもてなす夜会やらサロンやらコンサートやらが開かれた。目立った行動はほとんどしないカロリーナであるが、エドラのことは相変わらず無視している。むしろ、女性騎士を遠ざけているので、彼女らからは評判が悪い。さらに、ニヴルヘイムの男性貴族や騎士たちの間でカロリーナの人気が高まっていた。
カロリーナと言うお姫様は、どう振る舞えば自分がより魅力的に見えるかを知っている人だった。王女として必要な能力ではあるので否定する気はないが、冷静に物事を見る人たちにとっては、勢力を築こうとしているようにしか見えない。
少しずつ男たちを味方につけているのも、女性たちからの評判を下げている原因だ。基本的に興味のないエドラですらよく思わないのだ。当然だろう。
そして、こちらは原因がよくわからないが、アグネスを泣かせたらしい。
「信じられないわ! アグネス様は気丈に我慢していらしたけど、『アグネス様はまだ子供ですね。こんなところで泣かれるなんて』ですって! 上品を気取って、むかつく~!」
宮殿の廊下でエドラを捕まえてそんなことを愚痴り始めたのは、クルーム伯爵家の若夫婦の嫁の方。つまり、マーヤだった。人通りの少ない庭園に面した回廊で、エドラは壁に背を預けて腕を組んでその話を聞いていた。
「確かに美人だし、話もうまいわ。頭がいいんでしょうね。さりげなーく、人を貶すのよ。それで、自分は素晴らしい、っていう方向に話を持っていくのね。だまされる男たちの馬鹿さかげんったら! ね、エドラもそう思うでしょ!」
マーヤにすごい勢いで同意を求められたエドラであるが、彼女のご期待には沿えそうになかった。
「マーヤの主観が混じりすぎていて判断できないわ」
「何その軍人みたいな回答! 軍人だったわ!」
その通りである。特にエドラは、戦場で主観の混じらない情報から作戦を立てるなどの作業をしていたので、その傾向が強い。
「でも、あなたも女性騎士なんだから護衛に着くことくらいあるでしょ」
そう。普通はそう思う。エドラは女性騎士の中で最も高い地位にいるし、そうなってもおかしくない。だが。
「それが、私はカロリーナ姫に着いたことがないの。最近はもっぱら王太子殿下の側にいるわね」
アルノルドがエーミルと合わないからだ。しかし、エドラはアルノルドの恋人、マリーとよく似ている。姉妹だから当たり前なのだが、人の顔を見て「マリー……」と切なげにため息をつくのは本当にやめてほしいと思う。
「どうして? 確かに女性の評判は悪いけど、それで仕事を選ぶような人じゃないでしょ、あなた」
「……先方が嫌がるのよ。まあ、完全に無視されているだけだけどね」
「はあ!?」
マーヤが「何それ!」と叫ぶ。
「うわー、最悪だわ! アグネス様の時はね、彼女が言おうとした言葉を遮る、先取りする、間違いを正すふりをして話を変える、の繰り返しだったのよ!」
「全部話をさえぎられてるじゃないの……」
言うなら、アグネスは構われ過ぎ、エドラは感心なさすぎ、というところだろうか。そう言うと、マーヤは「違うわね」と言った。
「たぶん、カロリーナ姫はアグネス様よりあなたの方に関心を持っているわ。あなたがいつ怒り出すかと、無関心を装って待っているのよ。あなたは気にしてないみたいだけどね」
「姫の護衛は面倒そうだから、しなくてもいいならありがたいくらいね」
エドラがけろりとして言うと、マーヤは「たくましいわね」と笑った。
「ああ、ここにいたのか。探したぞ、エドラ」
やけに男らしい口調で話しかけてきた女性はベアトリスだ。彼女はマーヤを見て眼鏡の奥の瞳を見開いた。
「マーヤじゃないか。旦那さんとは仲良くやっているかい」
「おかげさまで。久しぶりね、ベアトリス」
「ああ。元気そうで何よりだ」
ベアトリス、マーヤよりも小柄であるが、やはり口調が無駄にクールだ。
「お楽しみのところ悪いが、エドラ、いいか?」
「私は構わないわ」
エドラもマーヤに捕まっただけである。早く王太子の元へ戻らねば、アルノルドが発狂してしまう。何故あんなにもエーミルと合わないのかは不明だが。
「ではマーヤ。また会いましょう」
エドラが言うと、マーヤはひらひらと手を振った。
「ええ。またお茶でもしましょう。ベアトリスも、今度は来てくれるとうれしいわ」
「善処しよう」
これは来ないやつだな、と思いつつ、エドラはマーヤと別れ、ベアトリスについて行く。何の用かと思ったら、連れて行かれたのは国王の執務室だった。さすがのエドラも、入るのにちょっとためらわれた。
「待っていたぞ」
国王ゴッドフリッドが年若い女性高級官僚と上級騎士の二人を見て微笑んだ。高級官僚のベアトリスは淑女の礼を、上級騎士のエドラは敬礼を取った。ゴッドフリッドがにやりと笑う。
「いいなあ、若い女の子が制服を着てるってのは」
「……」
ちらっとエドラとベアトリスが視線を見合わせた。グレーゲルが苦笑して「エドラもベアトリスも困っていますよ、兄上」と父親に声をかけた。
国王の執務室には、十数名が集まっていた。王国騎士団元帥グレーゲル、その副官エドラ。近衛連隊長レンナルトとその副官エーミル。宰相、各部署の長官、さらに外務省の外交官が幾人か。そのうち一人がベアトリスだ。
エドラはグレーゲルの側に収まる。ベアトリスは外務省長官の隣に収まった。
「早速だが、フルトクランツ隊長。カロリーナ姫の様子はどうだ?」
「目立ったわがままもなく、おとなしく過ごしているようにも見えますが……まあ、評判は聞いての通りですね。かなり人を選びます」
簡単に言うと、若く地位のある男性には評判が良く、逆に若く身分のある女性には評判が悪い。若く身分のある女性であるエドラとベアトリスは、その性質上表情を変えなかったが、ああ、なるほど、という調子でうなずいた。
「アスガード王国の状況は?」
「こちらも目立った動きはありません。ただ、水面下ではいろいろと画策しているようですね。カロリーナ姫をニヴルヘイムに送り込んだのは、その動きから目をそらさせるためかと」
落ち着いた口調でベアトリスが言った。彼女は対アスガード王国の外交を担当しているらしい。
「面白くはないな。目をそらさせるためだとしても、カロリーナ姫はやり過ぎた」
やはり、娘が泣かされたことが国王の中で面白くないのだろう。敗戦国の王女、客分であるのにやり過ぎたのは事実だ。アスガード王国の件と並行して対処する気なのだろう。
「……ついでに、アスガード王国でのカロリーナ姫の様子も集めてみたのですが」
などとベアトリスが言いだした。国王が促し、ベアトリスは口を開く。
「おおむねフルトクランツ隊長の言うとおりですね。見目の良い男性を周囲にはべらせているそうで、逆に見目の良い女性は嫌っているとか」
そう言えば、カロリーナの護衛は見目麗しい男性ばかりだった。連れてきた侍女は、どちらかというと平凡な容姿のものが多い。
「贅沢を好むわけではありませんが、好き嫌いが激しく、嫌いなものには触れもしないそうです。自分が中心にいないと気が済まないそうで、今の状況は彼女にとってとても心地いいものでしょうね」
同じ女性であるからか、ベアトリスの発言に結構棘がある。同じようなことをニヴルヘイムでもしているのだが、何もできない。実際に何か目に見える形で悪さをしているわけではないからだ。言った言わないの世界は面倒くさいのである。
「なら、手を出さざるを得ない状況に持って行けばいいのではないかと」
などと、一介の官僚に過ぎないベアトリスが恐ろしいことを言いだした。文官であるが、彼女に軍隊の指揮をとらせたらいいところまで行くのではないだろうか。
「幸いなことに、ここには、カロリーナ姫が嫌う要素をすべて持っていて、さらに打たれてもただでは起きない女性がいますから」
その瞬間、エドラに視線が集まった。
「……はい?」
確かにエドラは客観的に見て、若く美人で身分があり、打たれてもただでは起きない性格を持っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
そろそろ2章も畳みに…いけない!