26.癒される
舞踏会の次の日の朝。昨夜結局宮殿に泊まったエドラは、朝食を取りに食堂に来ていた。一応、独身寮のような場所が宮殿内にはあり、そこに泊まったのである。
王国騎士団の事務所は西塔、近衛連隊の事務所は北塔にあるが、寮はその間ほどにある。一応、それぞれ分かれているが、女子寮だけは共同である。騎士団、近衛連隊、どちらでも女性騎士が少ないからだ。もちろん、エドラもこの女子寮に泊まった。
共同の食堂に向かっていると、エドラと同じく寮に泊まったらしいレンナルトと遭遇した。
「おはよう」
エドラが挨拶をすると、レンナルトはじっと彼女を見つめてきた。エドラは首をかしげてどこかぼんやりとした淡い紫の瞳を見つめ返す。いつもの彼なら挨拶を返してくるので、不思議に思ったのだ。レンナルトはいつもの笑顔のポーカーフェイスではなく、表情が抜け落ちているが、何故だか色気のようなものを感じる。
「レン?」
呼びかけると、レンナルトが動いた。手を伸ばしてエドラの体を抱き込んだ。一瞬呆けたエドラだが、すぐに「はあ?」と声をあげた。ぐっと彼の体を押す。
「ちょっと。何するのよ」
「ああ……エドラだ。癒される……」
「冷やされるの間違いじゃないの。ちょっと! 痛いんだけど!」
エドラは自分を抱き込んで肩に顔をうずめ、謎のささやきをしてくる男をどうしたものかと迷った。魔法を使えば離れられるだろうが、単純な力ではかなわない。そろそろ、弟のフランにもかなわなくなる頃だろう。
「朝から熱いねぇ」
「見せつけてくれるな、畜生」
「うらやましいな! 悔しいが、美男美女で目の保養だ!」
「いいなぁ……あたしも恋人の腕の中で圧死したい……」
「死んじゃダメでしょ。そもそもあんた、恋人いるの?」
「いないけどさぁ」
通りすがりの騎士たちが冷かしていく。その中の一人であるヴィリアムに「何してるんですか」と突っ込まれて、エドラは訴えた。
「ちょっと、おたくの隊長さん何とかしてくれない……痛っ」
ぐっと腹のあたりを締められ、エドラは悲鳴をあげた。本気でつぶれるかもしれない、と半ば本気で思った。さすがに危機を感じたが誰も助けてくれないのでエドラは足を動かして、かかとの部分でレンナルトのつま先を思いっきり踏んだ。普通なら骨が折れていてもおかしくない強さだが、軍靴を履いているので問題ないだろう。さすがに、衝撃でレンナルトが我に返った。
「……取り乱した。ごめんね」
彼がいつもの表情でそう言ったことにエドラもほっとして、「次やったら急所を蹴りあげる」と言い放った。レンナルトは何故か嬉しそうな表情になる。
「君が責任を取ってくれるなら喜んで」
「……君んとこの隊長、ホントに何とかして」
「いやあ、仲良しですよね」
「違うだろ。そうじゃないでしょ」
ヴィリアムにツッコミを入れていると、レンナルトがまた後ろから抱き着いてきた。
「そろそろセクハラで訴えるわよ」
「そう言わずにさ……ここしばらくカロリーナ姫の顔ばっかり見てたんだよ……癒しが欲しいんだ」
「……あんたら、もう好きにやっててくださいよ」
呆れたようにヴィリアムがため息をついた。エドラもエドラで付き合いきれない、とばかりに自分に抱き着く不埒者の腹に肘鉄を入れた。ヴィリアムに続いて食堂に入る。
朝食をとりながら、珍しいレンナルトの愚痴を聞くことになった。
「いやね。本当に発狂するかと思ったよ。ここ十日くらい、ずーっとカロリーナ姫についてたんだからね」
「いいじゃない。姫、可愛いし」
胸もある、と思ったが言わなかった。言ったらただの変態である。エドラは変人であっても、変態になるつもりはない。
「そう? 僕はエドラの方が可愛いと思うけど。好みの問題かな」
「……どうかしらね」
社交辞令だとは思うが、そんなことを言われると戸惑うエドラである。
「まあ、顔云々はともかく、性格は悪いよね。マリーのこともアグネス殿下のことも、君のことも悪く言ってる」
「一回締めたほうがいいかしら」
「……君、潔いまでのシスコンだよね」
レンナルトが苦笑して言った。エドラは仏頂面でコーヒーに口をつける。
「君やエーミルたちにも負担をかけているしね……ごめんね」
「別に」
即座にそう返すと、レンナルトはため息をついた。
「……僕は君に笑ってほしいんだけどなぁ」
「それ、今関係ある? ないわよね?」
エドラはコーヒーカップをソーサーに戻すと、言った。
「あなたは職務を全うしているのだし、気にすることではないと思うわ。穏便に帰っていただけ、というのが陛下の指示だし、あなたの行動はその指示に即していると思う。なら、足りない部分は動ける人間でカバーするべきだわ」
「エドラ……」
レンナルトがどこか感極まったような表情でエドラを見つめていた。居心地が悪く、何故自分は彼と同席しているのだろうか、と詮無いことを考えた。
「ご歓談中、失礼します。連隊長。副隊長がお呼びです」
近衛連隊の騎士に呼びかけられ、緩んでいたレンナルトの表情がキリッと引き締まった。
「わかった。今行く」
おそらく、カロリーナが騒いだと思われる。今までの傾向から、カロリーナはレンナルトを呼ぶ。そして、彼女が国賓である以上、レンナルトは彼女の元へ向かうほかない。
「じゃあエドラ……エドラ? どこか具合でも悪いの?」
基本的にその怜悧な顔には表情が浮かばない彼女であるが、どうやら今は珍しい表情を浮かべていたらしい。自分では見られないからわからないが、痛そうな顔でもしていたのだろうか。
「別に……とっとと行きなさいよ。食器は私が下げておくから」
「えっ、それは悪いよ」
断ろうとするレンナルトの肩を、エドラはたたいた。
「ほら、早く行きなさいよ。一人分も二人分も変わらないわ」
「……じゃあ、お願いしようかな」
「それでいい」
レンナルトを見送ると、エドラは食器を返却棚に返しに行った。人が増えてきたので、トレーを二つ持って移動するのは結構大変だったが、するりと抜けて返却する。
「いやあ、朝から面白いものを見たよ」
エドラと同じく食器の返却に来た騎士が声をかけてきた。エドラと同じ第一騎士団所属のブロルだ。彼は言葉通り、面白そうに言う。
「氷姫も彼の前ではただの女の子だね」
「私、もう女の子って年ではないのだけど」
年上の部下に、エドラは首をかしげる。二十代後半のブロルは「私から見れば君はまだ女の子だよ」と笑った。反対に首をかしげるエドラの頭を、彼はよしよしとなでた。
「エドラ。早速だけど、着替えたら元帥を呼んできてくれ。仕事がたまってるんだよ。全部元帥の確認待ち」
「わかった。そのまま交代して来いってことね」
「……エドラ、こういうことは察しがいいんだけどね」
「何の話?」
問うエドラに対して、ブロルは笑うだけだ。今度は軽く肩をたたかれる。
「微笑ましい状況だったってことだよ。一方通行だともいう」
「?」
訳が分からず首をかしげたエドラだが、彼女もレンナルトほどではないが忙しい。急いで制服に着替え、グレーゲルがいるであろう国王の執務室に向かうのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
レンナルトの冒頭の行為は※ただしイケメンに限る、ってやつですね。