24.死神に魅入られているのよ!
「ねえ、ラーゲルフェルト副長。わたくしと踊っていただけませんか?」
そんなことを職務中のエドラに言ってきたのは、かわいらしい王家の末娘、第二王女アグネス王女、十五歳だ。
灰色がかった金髪に、透き通った青い瞳をした小柄な少女。かわいらしい部類に入るであろう彼女は今、エドラを見上げて満面の笑みを浮かべていた。
「……アグネス殿下。申し訳ありませんが、現在職務遂行中でして」
遠回しに断ろうと思ったのだが、上司グレーゲルから何故かストップが入った。
「エドラ、一曲踊ってやってくれって、国王陛下からのお願い」
「……」
今日、グレーゲルは国王の護衛についていたか。ちらっと国王を見ると、目があった。彼は何故かエドラに向かってぐっと親指を立てた。しかし、すぐに王妃の肘鉄を食らう。
「……」
お願いと言いつつ、断れないやつだ、これは。一応、騎士侯位を授与された時、念のためにとグレーゲルにダンスの男性パートも叩き込まれている。
「わかりました。では、王女殿下。一曲お相手願えますでしょうか」
手を差し出して、少し首をかしげて微笑むと、アグネスは「はい!」と元気に返事をしてエドラの手に自分の手を乗せた。エドラはそのままアグネスをダンスフロアまで導く。そのままアグネスをリードしてステップを踏み始めた。
しばらく踊っていると、アグネスが少し驚いたように言った。
「エドラ、上手ね」
「おほめにあずかり恐悦至極……」
「わかりやすい言葉で言って?」
「お気に召したならよかったです」
簡単に言い直すと、アグネスは「うん」と破顔した。エドラもその顔を見て微笑む。同じ年頃の妹がいるので、どうしても甘くなってしまうのだ。
「変なことを聞くようだけど、女性パートも踊れるのよね」
「ええ、一応。五年ほど踊っていないので、アグネス殿下より下手かもしれませんが」
たぶん、音楽を聞いてステップを踏み始めれば思い出すだろう。音楽に、歌が加わった。今日は歌い手もいるらしい。
「ふーん。エドラ、美人だからドレスもきればいいのに」
「この格好に慣れてしまうと、スカートというものは煩わしいものですね。動きにくいので」
エドラの正直な感想だった。ひらひらとまとわりつくスカートは動きにくい。まあ、きれいだし、装うことは嫌いではないが、利便性を考えるとスラックスを選択してしまう。
「そういうもの?」
「少なくとも、私はそうですね」
全員がそうかはわからない。煩わしいとは思うが、エドラはドレスも嫌いではないし。
「っと、失礼」
ぶつかりそうになり、エドラはアグネスの腰をグイッと引き寄せた。誰とぶつかりそうになったのかと見てみれば、カロリーナだった。彼女はまだレンナルトと踊り続けている。
思わず目で追ってしまったのに、アグネスが気づいたのだろう。尋ねてきた。
「フルトクランツ隊長が取られてしまったみたいでさみしいの?」
エドラは思わず、顔半分ほど低い位置にあるアグネスを見下ろした。
「取られるも何も、彼は私のものではありませんが……」
「付き合っているのではないの?」
「……」
ああ、こういうところ、アルノルドとちょっと似ていると思ってしまった。そして、マリーに通ずるものがあるように感じるのは、同年代だからだろうか。
「……護衛の関係で一緒に出掛けることが多かったので、そう見えたんでしょうかね……」
最近接触の機会が多かったとはいえ、もともと、戦争終結まではそれほどかかわりがなかった。いくら、元婚約者の弟で父の親友の息子だとはいえ、性別も年齢も、所属も違えばこんなものである。
ただ、命の恩人を探す王妃の前に、しらばっくれようとしたエドラを突き出してくれやがったのはレンナルトだったか。思い出すと、ちょっと腹が立った。
「ふーん。だけど、フルトクランツ隊長はあなたのことが好きなんだと思うわ」
「好きか嫌いかで言えば、私も好きですが」
「あなた、わざと言っているの?」
もちろん、わざとである。そうでなければ、六歳も年下の少女に突っ込まれるような言動はしない。
「あのね、わたくしは、フルトクランツ隊長のことが好きよ。恋愛的な意味じゃなくて、人としてってこと。しっかりしたお兄様みたいで」
「……」
つまり、アルノルドはしっかりしていないお兄様なのだろうか。
「もちろん、お兄様のことも好きだし、エドラのことも好きよ。だからね、考えてしまうの」
なんだかこの流れ、身に覚えがあるのは気のせいだろうか。
アグネスは小さな声で言った。
「わたくし……カロリーナ姫がお兄様に嫁いでくるのも、フルトクランツ侯爵家に嫁いでくるのも、いやだわ……」
「……」
まあ、アグネスは王女だし、おそらく他国に嫁ぐのだろうと思われる。だから、そこまで気にすることではないのだろうが、カロリーナがエドラを嫌うように、アグネスもカロリーナが苦手なのだろう。
「お兄様はマリーとお付き合いしているでしょう? ……エドラ、顔が怖いわ」
怒っていても顔がゆがまないエドラであるが、氷のごとく怒るので怖いらしい。
「で、フルトクランツ隊長がエドラとお付き合いしているのなら万事解決じゃない? と思ったのだけど、違うのね……」
「……アグネス様……発想が兄君と同じです……」
エドラが言うと、アグネスは「本当に!? ショック!」と本気でショックそうな顔をした。さすがのエドラもアルノルドが気の毒になった。
曲が終わり、エドラはアグネスに向かって騎士の礼を取った。アグネスも淑女の礼を取る。
「アグネス様、気はすみましたか」
アグネスを回収に来た近衛連隊の騎士が尋ねた。アグネスはまだ満足していないようだったが、そのまま回収されていった。まあ、仕方がないだろう。一国の王女だし。しかも、まだ社交界デビューしたばかりだ。
「あなた、よく平然と人前に顔を出せるわね」
ずいぶんと棘のある言葉が投げられた。思わず振り返ると、己の母と同性代の女性が苦々しげにエドラを見上げていた。
「これはイスフェルト公爵夫人。ご機嫌麗しく」
エドラはいつもの調子で礼を取る。上品な装いをしたその女性は、いらだたしげに言った。
「そんなはしたない恰好で社交界に出るなんてね。息子がこんな女に騙された挙句に殺されただなんて……」
エドラの過去の三人の婚約者は、三人が全員亡くなっている。それも、エドラとは関係のないところで、だ。
イスフェルト公爵夫人は、エドラの三人目の婚約者の母だった。
「ちょっと王族の方々と親しいからって、付け上がらないことね。あんたは婚約者を三人も殺した死神女なんだから」
とても、娘ほどの年齢の女性にかける言葉ではない。大人げないし、配慮に欠けている。彼女はそれくらい、息子を愛していたのだろう。だが、エドラにも言い分はある。
「公爵夫人。私は自分が変人であることは理解していますので、お気遣い下さらなくても結構です。それから、私は婚約者の方を殺した覚えはないのですけど」
しれっと言ってみる。実際にそうだ。イスフェルト公爵子息だって、当時何人もの女性と同時に関係を持っていて、そのうちの一人の女性に刺されて死んだのだ。当時、お嬢様だったエドラは衝撃を受けたが、今なら確実にこういうだろう。ほら見たか。ざまあみろ、と。
婚約だって、公爵子息の方が無理やり押し付けてきたものだ。いくら父親が健在だったとはいえ、貴族社会で伯爵家と公爵家の差は歴然だ。断ることもできずに、女好きで有名な公爵子息がエドラの婚約者になったのである。公爵子息としては、今後貰い手がいないであろうエドラを公爵夫人にするということでラーゲルフェルト伯爵家に恩を売って口出しできないようにして、自分は遊びほうけるつもりだったのだろう。
だが、世の中そううまくいかないものだ。彼は自分の行いによって死に至ったも同然だ。
「何を言うの! あんたが殺したも同然じゃない! あんたと婚約した三人が全員死んでいるのよ! あんたは死神に魅入られているのよ!」
イスフェルト公爵夫人の声は思ったよりも大きく響き、周囲の視線が集まるのがわかった。
「殺すだけ殺して軍人になるなんて、変人もここに極まれりね。婚約者を殺しても何も思わなかったように、あんたにとって人殺しなんて、息をするのと同じくらい自然なことなんでしょうね。ああ、王太子殿下が心配だわ。あんたなんかの妹に慕われているなんて……」
あんたの妹も、死神に魅入られているのではなくて?
イスフェルト公爵夫人の言葉が終わるか終らないとき、ホール全体の温度が一気に下がった。気がした。
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