23.何でちょっと面白そうなのよ
夜会だ。正確には舞踏会である。ニヴルヘイムの社交界への参加権利のある貴族に招待状が送られており、今宵はおそらく、この社交シーズン中最大の宴となるだろう。
そんな盛大な舞踏会で、エドラは王国騎士団の制服を着て歩き回っていた。一応、これも正装なので失礼にはならないが、彼女は単純に警備中であった。
前にも言ったが、エドラは魔導師。剣などの武器がなくても戦える。そう言う意味でやはり、彼女はこういう場所の警備に向いている。
もっとも、エドラ自身は、自分は護ることに向いていないと思っている。しかし、上がそんなことを考慮してくれるわけでもなく、警備の性質上どうしても女性騎士が必要になってくることから、エドラは今回参加している。
女性騎士が多数配置されるのはカロリーナがいるからであるが、エドラは彼女に嫌われているために側に行けない。正確には、行けるのだが無視される。まあ、よく知らない相手に無視されたところで痛くもかゆくもないが、面倒くさいしやりにくくはある。
「エドラ」
会場を見回っていたエドラは官僚の恰好をした女性に声をかけられた。外交官のベアトリスだ。彼女はどうやら、招待客と言うよりは、エドラと同じく仕事でこの夜会、というか舞踏会に参加しているらしい。
「こんばんは、ビー」
「こんばんは。私がドレスを着ていたら、一曲踊ってほしいくらいに男前だね」
「そう思ってもらえるのなら光栄ね」
ベアトリスのあいかわらずの歯の浮くようなセリフに、エドラは肩をすくめて答える。エドラは男装をしても男性には見えないが、背は高いので見栄えはよい。
「本当に、颯爽としていて恰好いいよ。何よりクールな美女が騎士服を着ているというのがよい」
「……たまに思うのだけど、ビー。あなた、生まれる性別を間違えてない?」
「これでも私は一応、異性愛者なのだよ」
両手を広げて芝居がかった様子でベアトリスは言った。エドラは慣れているが、初めてベアトリスのこれを見た人はたいてい引く。
「というか、女性が堂々と言うことではないと思うのよね、それ」
「確かに、そうかもしれないね」
ベアトリスはそう言って眼鏡を押し上げた。やはり、ベアトリスは生まれる性別を間違えていると思う。なんと言うか、マリーが好きな少女向け恋愛小説に出てきそうなベアトリスである。絶対彼女は、こういう女性が好きだろう。自分の姉の男装姿に歓声を上げるような娘だし。
「それで、何かあった? 面倒事でないなら見に行くけど」
「普通は面倒事を見に行くものだろう。そうじゃなくて、カロリーナ姫のこと」
「……」
会場の端の方にいて、人々はダンスに興じ、オーケストラが演奏しているとはいえ、誰が聞いているかわからない場所でする話ではないのではなかろうか。
そう思ったが、エドラよりはるかに頭の切れるベアトリスが構わず話を続けるので、おそらく、問題ないのだろうと判断する。まあ、仕事着である二人の女性が話していても、仕事の話だと思われる可能性が高い。
面白そうに笑って、ベアトリスは言った。
「嫌われているそうだな?」
「……なんでちょっと面白そうなのよ」
エドラは少し呆れた様子でベアトリスに言った。彼女は笑う。
「どうした。気にするタイプじゃないだろう、お前」
「まあ、そうね。でも、嫌われているというのは、気持ちのいいものではないわね」
「それはそうだね」
ベアトリスはそう言って壁に寄りかかり、腕を組む。小柄だが、豊満な彼女がそういう格好をすると、胸元が強調される。長身だが華奢なエドラは、女性らしい体つきを見てため息をついた。
「……なんで人を見ておいてため息をつくんだ」
「いや、何でもない。ただ何故、私はこんなにも背が高いのだろうかと」
「私としては、あんたは華奢でうらやましいけどね」
お互い、相手がうらやましいらしい。エドラのせいで話がそれたが、話を戻す。
「カロリーナ姫がお前を嫌っている様子だと聞いた。本当か?」
「……露骨に無視されるわね」
「やはり、お前が気にくわないんだろうな」
ベアトリスが眼鏡の奥の菫色の瞳を細める。手をあげて、彼女はエドラの肩をたたいた。
「何がそんなに気にくわないのかしら……好かれるとは思っていないけど」
くどいが、エドラはカロリーナにとって敵国の将だ。グレーゲルとも報告がてら情報交換をしたが、彼にもカロリーナは敵愾心を持っている様子。ただし、エドラほど露骨に無視されたり、などはないらしい。
つまり、カロリーナはエドラに対してだけ強烈に敵意を持っているということだ。
「まあね。いくら敵国で最前線で戦っていたとはいえ、姫自身は戦場に来ていないわけだから、ここまで敵意を持つ理由がわからないわけだな」
「そうね」
素直にエドラはうなずいた。ベアトリスはにやりと笑う。
「理由もなく、この人は嫌い、ということはあるだろう。だが、お前は本当に嫌われているようだから、できるだけ巻き込まれないようにな」
「難しいことを言うわね……」
騎士であり、警備に関わるエドラには難しい注文だ。ベアトリスが「それもそうか」と同意を示し、カロリーナがいる方を見る。彼女は何故か、ダンスフロアでレンナルトと踊っていた。
……また、胸のあたりがぞわりとした。
「まあ、気をつけろよ。姫はフルトクランツ隊長にご執心のようだからな」
やはり、ベアトリスにもそう見えるらしい。彼女は笑ってエドラの肩をたたき、肩を引き寄せると少し身をかがめたエドラの耳にささやくように言った。
「おそらく、どこかから情報が漏れている。内通者がいる。しかも、身近にだ向こうの狙いも、まだわからん……気をつけろよ。特にお前はな」
「……肝に銘じておくわ」
エドラがそう答えると、ベアトリスは満足したようにうなずく。
「ならいい。では、舞踏会を楽しめ」
「……楽しめるのならそうするのだけどねぇ」
警備係が楽しんでいたら、いろんな意味で問題がある。
ベアトリスとの話が終わったので、エドラはホール内の点検を再開した。だが、ほどなくまた声をかけられる。
「お姉様」
「マリー、母上」
銀髪の少女と、金髪の女性。妹のマリーと母のソーニャも、今回の舞踏会に参加していた。マリーはエドラを見て両手の指を組み合わせてうっとりと言った。
「お姉様、格好いいですわ……」
「……」
妹にうっとりされて、姉はちょっと困った。
「ねえエドラ。あの派手な淡紅色のドレスの方がカロリーナ姫よね」
「そうだね」
母に尋ねられ、エドラがうなずいた。カロリーナは暖色系のドレスが多いらしい。そして、それが確かに似合っている。寒色系が似合うと言われるエドラとは正反対である。
「わたくしには連隊長と踊っているように見えるのですが……王太子妃を狙って来たのでは?」
マリーが不思議そうに首をかしげる。エドラは「それがわからないのよね」と肩をすくめる。ベアトリスもわからないと言っていたのだ。本当にわからないのだろう。
ふと、エドラは王太子アルノルドが必死に合図を送っているのが見えた。カロリーナ姫がいる状況で、アルノルドが恋人であっても婚約者ではないマリーを呼ぶとは思えないので、たぶん、エドラに合図を送っているのだろう。
「ちょっとごめん。殿下に呼ばれてる」
「あ、あ、お姉様! ちょっと待ってくださいませ!」
マリーがエドラの騎士服の裾をつかんだ。そのうるんだ瞳と上気した頬をアルノルドが見たら、一発でノックアウトされそうだ。
「アル様に、伝えてください。大好きですって」
「……承知した」
何故か軍務連絡のような返答になってしまったが、大事な妹を信用しているとはいえ、他人の男にとられる姉の気持ちを察してほしいところである。
「本当はマリーがいいんだかな……」
恨めし気にエドラを見て、アルノルドはため息をついた。呼ばれたのでホールの反対側からやってきたエドラは、こっちがため息をつきたいわ、と思いながら言った。
「呼んだのは殿下でしょう。うちの妹から伝言です。『大好きです』だそうですよ。相思相愛でよろしゅうございましたね」
「なんかいつもより棘がないか!?」
確かに、いつもより舌鋒がきつかったかもしれない。ちょっと反省。
ショックを受けた様子を見せたアルノルドだが、しかし、すぐにその表情は緩んだ。
「しかし……そうか。姉のお前から見ても、そうか」
「……」
やっぱり殴ってもいいだろうか、この男。
「用がないのなら、警備に戻ってもいいですか?」
「あ、待て。その前に俺からも伝言」
エドラの肩をつかんだアルノルドが満面の笑みを浮かべて言った。
「マリーに、愛していると伝えてくれ」
「……」
その時のエドラは、よほどすごい表情をしていたのだろう。アルノルドの側についていた近衛騎士が、「エドラちゃん、顔!」と小声で注意された。本当にどんな顔をしていたのか、自分。
警備に戻る前にマリーの元へ行き、アルノルドからの伝言を伝えると、マリーは明らかに嬉しそうな表情をした。
「まるで……まるで、物語の中みたいですわ……」
そっちか、と思ったエドラは悪くないと思う。
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