17.いちゃつくならよそでやれ
三月最終日!
「今日、西塔の階段で突き落とされそうになりました」
「されそうになった、と言うことは、実際には落ちなかったのか?」
「そうですね」
王太子アルノルドの部屋にお邪魔しているエドラは、ゆっくりとティーカップを傾けた。アルノルドが首をかしげる。
「では、その怪我は?」
「机の下に書類を落としたので拾ったら、起き上がるときに頭をぶつけました」
「何をしているんだお前は!」
アルノルドからお叱りがあった。いや、自分でも何をしているのだと思う。しかも、血は出なかったがかなり勢いよくぶつけたのでたんこぶになり、一応冷やして包帯で押さえているのだ。断じて階段を落ちたわけではない。
「レン、笑いすぎじゃない?」
「いや、だって……っ。ははっ」
結局笑いをかみ殺せていないレンナルトは腹を抱えて爆笑した。失礼な男である。
「犯人は? ビリエル・ヘンリクソンか?」
「おそらく。姿は見ていないんですけど」
一応振り返ったのだが、去っていく足だけ見えた。レンナルトがまだ隣で笑っているが、気にせずに話を続ける。
「な~んか、恨みの対象が私にシフトしてるんですよね。マリーを狙われるよりはいいんですけど、地味な嫌がらせが多発してて」
「地味な嫌がらせ?」
アルノルドが尋ねてきたので、エドラは順番に答える。
「靴に針が入ってる、通りがかりにものが倒れてくる、飲み物に薬が入っている、資料庫に閉じ込められる、などなどです」
「どれもお前だったから大丈夫だったのであって、マリーや普通の令嬢なら発狂しているな……」
アルノルドが深刻そうに言った。いや、マリーならたぶん、喜ぶだろう。それくらいで堪える娘ではない、あれは。
「なんか、最近リータともうまくいってないらしいしね。マリーは普段、屋敷から出ないようにしてるから、エドラの方が狙いやすかったのもあるだろうね」
いつの間にか復活したレンナルトが冷静に指摘した。なるほど。いつ出かけるかわからないマリーを狙うより、いつも出勤してくるエドラを狙った方が建設的だ。
「っていうか、復活したのね」
「まあね。エドラ、可愛いなぁって」
「……」
エドラが半眼でレンナルトを見た。こほん、とアルノルドが咳払いをする。
「お前ら、いちゃつくならよそでやれ」
「殿下。私のこの顔を見ていちゃついているように見えますか」
遠回しに目は大丈夫か、と言うことである。今、確実にエドラは死んだような目をしていた。
「……とにかく、さすがに悪質だな。慰謝料をふんだくりたいのは、むしろラーゲルフェルト伯爵家の方だろう」
「その通りですね」
一応、双方合意の上での婚約解消と言うことで、ラーゲルフェルト伯爵家はヘンリクソン伯爵家に慰謝料等を求めていない。そこで裁判にしていないので、逆に訴えられそうになっているのだろうか。
「ビリエル、何をしたいのかさっぱりわからないねぇ」
レンナルトが言った。まったくもってその通りである。だが、エドラの方もこれ以上続くのは避けたいので、考えがある。
「すみません、殿下。ちょっとご協力いただきたいのですが」
「面倒くさがりのお前が? 珍しいな。何だ?」
「……おとり捜査をしませんか」
エドラの言葉に目をしばたたかせたのは、アルノルドだけではなくレンナルトもである。王太子が眉をひそめた。
「おとり捜査とは?」
「わざと隙を見せて、ビリエルを現行犯で捕まえたいんです。現行犯なら、言い逃れはできませんし」
「ああ、なるほど。確かにね」
レンナルトは理解してくれたようで、なにより。アルノルドは首をかしげる。
「しかし、本人が来るとは限らないだろう?」
その通りだ。アルノルド本人が直接エドラのところに嫌がらせに来る可能性は低い。雇われたものでもいいのだ。ビリエルのつながる相手を見つけ出し、自白させればよい。
「氷姫の名が泣くようなあいまいな理由と作戦だね。だけど、僕も本人が来る可能性が高いと思うよ。あの手のタイプは、自分で手を下さないかもしれないが、現場を見に本人が来ると思う」
「……何故わざわざ。捕まるかもしれないのに、危険じゃないか?」
アルノルドが理解しがたい、と言うように尋ねてきた。レンナルトはにこっと笑って言った。
「捕まるなんて意識はありませんよ、きっと。彼は自分が考えることが正しいことだと思っているわけですからね」
「……意味が分からないな」
「私もさっぱりわかりませんが、このまま私がふらーっと出かければ、ここぞとばかりに嫌がらせをしてくるような流れだと思うのでよろしくお願いします」
「お前、よくそれ一息で言えたな」
アルノルドが苦笑を浮かべたが、すぐに「俺は構わん」と答えた。エドラはほっと息をつく。
「ありがとうございます」
礼を言ったら言ったで、アルノルドが「素直だと気持ち悪いな」などと言ってくる。年下の少年で王太子殿下であるが、殴ってもいいだろうか。
「せっかく姉公認でデートができる機会だしな」
「……」
そんなことを言われると、行きたくなくなるひねくれ者なエドラである。
「エドラ、今回はちゃんとスカートをはいてきなよ。何なら選んであげようか」
「遠慮するわ。と言うか、なんでわざわざスカートなの? 動きやすい方がいいと思うんだけど」
「彼は君がスカートだろうがスラックスだろうが、同じことをしてくるよ。常識……というか、人間性に問題があるよね」
レンナルト、なかなかに辛辣である。アルノルドも「職場で手を出してくるくらいだからなぁ」とつぶやいている。確かに。
「行先はどこか街の方がいいな。そうだ。この時期なら公園も花がきれいだろう。公園に行こう」
アルノルドが即決した。あまり選択肢が広くないと言うのもあるが、今回はおとり捜査を兼ねていると言うことも考慮してくれたのだろう。公園のような広い場所の方が、何かあった時対処しやすい。まあ、襲われること前提だけど。
「護衛は多くない方がいいな。まあ、レンとエドラが一緒にいて、何かあることの方が珍しいと思うけど」
「おや、これはうれしいことを言ってくださる」
レンナルトがにこにことアルノルドに向かって言ったが、アルノルドは「お前が言うと本気かどうかわからん」と答えた。エドラはじっとレンナルトを見て言った。
「今のは本音だと思います」
「何故わかるんだ!?」
「勘です」
「一番信じられないやつ!」
失礼な。魔導師の勘は当たるのに。レンナルトが「姉弟みたいですよねぇ」と微笑ましそうに言った。
「まあ、エドラも大胆なことを考えるよね。殿下を巻き込もうなんて」
「流れ的に一番自然だと思ったのよ。減らすと言っても護衛はつくし、いくらでも手の打ちようがあるから」
「俺としても、マリーに関わってくることだから何とかしたいしなぁ」
口を挟んできたアルノルドの顔が思いっきり緩んでいたので、思わず睨んでしまった。レンナルトがエドラの肩をたたく。
「ま、この機会に問題をさくっと片付けちゃおう」
「……そうね。……なんですか、殿下」
「いや……」
何やらアルノルドがジト目でこちらを見ているので、エドラが尋ねると、王太子殿下はため息をついた。何か深刻な悩みでもあるのだろうかと思っていると、
「だから、なんでお前たちの方がいい雰囲気なんだ……」
「……」
めちゃくちゃどうでもいいことだった。
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