15.飲みに行かないか
「えー、ラーゲルフェルト伯爵家によって我々ヘンリクソン伯爵家の家名が傷つけられ、嫡男ビリエルに対するいわれのない中傷により、個人の名誉が傷ついた。これにより、ラーゲルフェルト伯爵家に賠償金を請求する。これが、ヘンリクソン伯爵家の要望です」
くるくると羊皮紙をまきながら、人の家のエントランスで高らかに訴えを読み上げた法務官は、寝不足のような顔色の悪い人物だった。正直、そちらの方が気になった。こんなところに来ているより、寝たほうがいいのでは。
「それでは、確かに届けましたので」
法務官は執事にその巻いてひもでまとめた文書を渡す。受け取った執事も迷惑そうだ。
法務官が帰ったあと、緊急家族会議である。文書を読んだエドラはため息をついた。
「何これ」
「要約すると、訴えるぞーってことでしょうか」
マリーが小首を傾げて言った。フランが「ええっ」と声を上げる。
「まずいじゃん!」
「……いや、現状で裁判まで持って行けるとは思えないんだけど」
エドラは冷静に言ったが、彼女も法律に関して詳しいわけではない。だから本当に裁判に持っていけないのかどうか、判断できなかった。現状を理解していないのはカーリンだけで、他の四人は何となく憂鬱気だ。
「……どうしましょうか」
ソーニャが不安げにエドラを見上げる。いや、ここで判断を煽がれても困るのだが、フランにいきなりそんな決断ができるはずもない。
「とりあえず、今から登城して詳しそうな人に話を聞いてくるから」
「え、でも、もう終業時間ですわよね」
「そうだけど、まだ仕事してるでしょ」
エドラは少し早く帰ってきたが、さすがにもう通常業務は終了時間だ。しかし、彼女なら残っているだろうと目星をつけてエドラは再度宮殿に上がった。
普段仕事をしている西塔ではなく、エドラは、普段はあまり行かない北塔へ向かった。そちらに、政庁があるのだ。
外務省調整室。その扉をノックしたエドラは、返事を待って扉を開けた。中にいる人物が顔をあげ、エドラを認めると「やあ」と声をあげた。
「ブレイザブリク以来か、エドラ」
「まだ大して経ってないわよ」
ツッコミを入れながら、エドラは扉を閉めて近寄る。
「確かに、それもそうだね。それで、何の用かな。お前が来るなんて、珍しいこともあるものだ」
どこか男性的な、挑発的な口調で話すが、この人はれっきとした女性である。長身の部類に入るエドラとは反対に、小柄な女性だ。以前、マーヤたちと集まった時に話題に上った外務省所属の女性官吏、ベアトリス・リンドハーゲンである。エドラより一つ年上の彼女は、エドラと同じく銀髪であるが、青みがかっているエドラに対し、彼女の銀髪は純粋な銀髪だ。菫色の瞳をしており、美人の部類に入るだろう。波打つ銀髪を一つに束ね、眼鏡をかけた彼女は有能な官僚、と言った風情だ。
「ちょっと困ったことが起こったんだけど、私、こういうのに詳しく無くて」
と、エドラはベアトリスに文書の写しを渡す。読み進めて言ったベアトリスは眉をひそめた。
「また大それたことをしたものだね。裁判になったら、負けることがわかっていると言うのに」
「ああ、やっぱり。どう対処したものかと思って」
外務省の外交官で、交渉になれているベアトリスが言うのだから、そうなのだろう。彼女はくいっと眼鏡を押し上げた。そして、エドラを見上げて言う。
「エドラ。私服だと言うことは、もう終業しているんだね」
「そうね。仕事してるの、あなたくらいじゃないかしら」
外務省の部署内だって、人がまばらだ。ベアトリスはとんとん、と書類を整える。そして、エドラを見上げてニコリと笑った。
「エドラ。飲みに行かないか」
「……は?」
さすがに意味が分からなかった。ベアトリスは同僚に「私、帰るよ」と声をかけて立ち上がった。女性にしては長身のエドラと、小柄なベアトリスが並ぶと兄と妹のようだが、実際はベアトリスの方が年上だし、彼女の方が男らしい。
「さて、いくらお前が青年に見えると言っても、女二人で場末の酒場まで行くわけにはいかないからね」
「そんなところ、ついていかないわよ。ビー、戦闘力皆無じゃない」
「何かあったら守ってくれたまえよ」
「なんでそんなに偉そうなのよ」
エドラはため息をついた。ベアトリスは頭はいいが、運動能力が欠如しているので何かあればエドラが護る必要があるだろう。かといって、エドラにもそんな余裕はない。
まあ、さすがに二人ともそんな危険な真似は冒さない。ベアトリスが暮らすリンドハーゲン侯爵家に断りを入れ、彼女はラーゲルフェルト伯爵家にやってきた。
「お前、あまり飲まないだろうに。よくこれだけの酒があったね」
ベアトリスが感心して目の前にそろえられた酒瓶を見る。エドラは苦笑した。
「父のものだよ。私はあまり強くないから」
ニヴルヘイム人の『酒に強い』は本当に強い。ベアトリスも酒豪レベルだと言う話だ。エドラは、この国の人間にしてはふつうである。
ベアトリスを連れてきたエドラは、挙動不審になるフランと「これはこれで萌えますわ!」と叫んだマリーをまるっと無視して客間に彼女を案内した。
「まず、この訴えは裁判所には受け入れられないだろうね」
さくっとベアトリスが言った。彼女のグラスにワインを注ぐ。父のコレクションの一つであるが、ベアトリスへの賄賂に早変わりだ。エドラも付き合い程度に飲む。
「そうだろうね。だけど、対処方法を間違うと面倒くさい」
「それは否定できないね」
さすがは外交官。即答だった。エドラは顔をしかめた。
「どうするのが正解なんだろう。無視しても大丈夫なもの?」
「そうだね……生真面目に応じる必要はない。だけど、こちらが無罪だと言う証拠も用意しておかないといけないね」
もし裁判になった時のための対策だろう。あちらの出方を予想して、その回答を用意しておくのが良いだろう、とのことだった。しかし、エドラにそこまでのことはできない。
「いいや、できるはずだ。お前は戦場で指揮を執っていたはずだ。それと同じだよ」
「うーん……うん。そうだけど」
よくわからない。これは作戦指揮と同じなのか? エドラは小首をかしげたが、ベアトリスにグラスを差し出されて言われるままに酒を注ぐ。
「まあ、相手のペースに巻き込まれずに、冷静に対処すればいいからね。君ならできるはずだよ。敵をあおるのは得意だろう?」
「……」
だから、そんな情報をどこから手に入れてくるのだ。別にいいけど。
「頭に血が上れば手を出してくる。そこをたたけばいいだろう?」
得意だよな、と言わんばかりの口調でベアトリスが言って、一息でグラスを開けた。空いたグラスに酒を追加しながら、エドラは言う。
「外交官のセリフとは思えないね。最終的に力に訴えるんだ」
「あの手の族にはそれが早いからね」
しれっとベアトリスが言った。エドラは苦笑すると、尋ねた。
「証拠ってどうやって集めるの」
「……まあ、まずは情報収集ね。訴えられていることが本当か嘘か、どちらでもいいけれど、それらを裏付けるものにたどり着かないといけないからね」
転写魔法と言う方法もあるが、なまじエドラが魔術師であるため、念写を疑われてはたまらない。一時の感情で訴えてくる相手には、理詰め説教が聞くとのことだった。
「ありがとう。参考になったわ」
エドラはベアトリスを彼女の屋敷まで送り、紙袋を差し出した。素っ気ない包装であるが、本物の袋が見つからなかったのだ。父が集めていたワインの一つである。
「……いいの?」
「いいわ。うち、飲む人いないし」
「それじゃあありがたく」
いいの、などと言ったわりにはベアトリスはあっさり袋を受け取った。彼女はエドラを見上げて微笑む。
「ま、また困ったことがあったら声をかけなよ。何とかなる範囲で力になるから」
「ありがたいお言葉ね」
エドラは肩をすくめてベアトリスにもう一度礼を言った。
「ありがとう」
「ははっ。わかったよ」
ベアトリスが手を振って屋敷に入って行くのを見届け、エドラは馬車をラーゲルフェルト伯爵邸に向けさせた。
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