11.初めてナンパされた
「へえ。それで、結局金額は合ったの?」
「合ったよ。夜中までかかったけどね」
数日前の惨事を聞いたレンナルトは「大変だったねぇ」と他人事のように言う。他人事だけど。
現在、王立美術館に来ていた。アルノルドとマリーのデートだ。来館者に紛れて近衛連隊が護衛している。一番近くにいるのがレンナルトとエドラで、こちらはカップルに扮していた。
「まあ、終わったならよかったね」
「そうね」
エドラがうなずいたことで、この話題は終了である。彼女はちらっと隣の絵を見ている妹とその求婚者を見た。二人とも、中流階級が着るような服を着ているが、育ちの良さが出ている。一応、アルノルドもシャツにスラックスにベスト、ジャケットという簡素な格好であるし、マリーも淡い緑と白のワンピースにボレロを重ねているだけだ。普段の恰好から見れば格段に質が下がっているが、立ち振る舞いは急に変えられないからなぁ。
まあ、そう言ったお忍びが結構いる美術館なので、それほど浮いていない。それを言うのならエドラとレンナルトも微妙に浮いているし。
レンナルトもアルノルドと大差ない格好だ。こちらはジャケットではなくコートだけど。
「エドラのコート、可愛いね。似合ってるよ」
「……ありがとう。何年か前の誕生日に妹からもらったのよね」
マリーとカーリンから「せめてこれくらい着て!」とばかりにもらったのだ。ドレスコートと言うらしく、裾の布地が多いコートだ。彼女にしては珍しい明るい青色で、ウエストで締めるタイプ。その下はシャツにスラックスといつも通りであるが、それだけで少なくとも女性に見える。髪を結って化粧をしている影響もあるかもしれないが。
「ふーん。さすがに妹さんたち、君に似合うものがわかってるね」
「センスがいいからね」
エドラもセンスが悪いわけではないし、女としてそれなりに着飾ることは好きだ。しかし、最近は別にいいや、となりがちなのである。
「今度、君に似合うワンピースでも見に行こうか」
「……」
エドラは思わず真顔でレンナルトを見上げた。彼は相変わらず笑顔だ。
「……遠慮しておくわ」
「それは残念」
さすがに、家族でも恋人でもない相手にそこまでしてもらうのはちょっと、というエドラである。
美術品が飾ってある部屋に移動した。先ほどより人が増えた。平均身長ほどのアルノルドとマリーは人ごみに隠れがちで、見失わないように必死でついていく。
「あっ、ごめんなさい」
肩がぶつかった相手に謝っている間に、ついにエドラはレンナルトとはぐれた。これは、エドラたちもアルノルドとマリーと同じように手をつないでおくべきだったのか? そうなのかもしれないが、後の祭りだ。
幸い、レンナルトはそれなりに背が高いし、美貌で目立つのですぐに見つかるだろう。そう高をくくって歩き出す。
「あ、あの!」
「はっ、はい!?」
腕をつかまれてびくっとした。さらに声をかけられれば動揺して当然だろう。エドラと同世代くらいの男性がエドラの腕をつかんでいた。心なしか、顔が赤い。
「その、そっち、順路が逆ですよ。出口はあっちです」
「そ、そうなんですか……すみません」
礼を言って出口の方に向かおうとするが、腕が解放されなかった。
「あの~」
放してくれ、と言外に伝えるが、男性は腕を放す様子もなく言った。
「あの、よかったら」
「ああ、いたいた」
言いかけた男性だが、言葉は遮られた。エドラがいないことに気付いたらしいレンナルトが戻ってきていた。つまり、逆走してきたと言うことだが深く考えないことにする。
「あ」
エドラはほっと息を吐いた。人ごみをすり抜けてやってきた彼に、腕を解放されたエドラはすり寄る。
「すみません、連れがご迷惑を」
「あ、いえ……恋人がいらっしゃんたんですね……」
明らかにうなだれた様子で男性は会釈して美術品鑑賞に戻って行った。エドラはレンナルトに手を引かれて部屋の出口方向に向かう。
「気づいたらいないから、びっくりしたよ」
「ごめん。ありがと」
「どういたしまして」
いい笑顔でレンナルトが言った。部屋から出てすぐのところに、アルノルドたちが待っていた。
「いたか」
「ええ。ナンパされてました」
レンナルトの応えに、マリーが「まあっ」と何故か嬉しそう。アルノルドは胡乱気にエドラを見て、「まあ、黙っていればただの美人だな」と一応納得した様子。エドラはエドラで。
「あれ、やっぱりナンパだった?」
「一応ね。相手も慣れてないみたいだったけど」
「へえ~。初めてナンパされた」
と、エドラもなぜか少し嬉しそう。アルノルドがちょっと呆れた様子で「お前たち、やっぱり姉妹だな」と言った。どうやら、マリーの性格も少しずつばれつつある様子。
レンナルトは堪えた様子のないエドラにため息をつきつつ、アルノルドに尋ねた。
「どうします? もう少し見て行きます?」
「そうだな……せっかくなので、最後まで見て行こう。行こうか、マリー」
「はい」
アルノルドに微笑み返すマリーは、もうすっかり恋人のようだ。まあ、あの子がいいのならいいけど。もうしばらくエドラたちの護衛任務は続くようである。
「さて、僕たちも行こうか」
周囲の近衛たちに指示を出したレンナルトは、微笑んでエドラに向かって手を差し出した。手をつなごうと言うことか。少しためらった彼女だが、自分の手を差し出してレンナルトの手を握った。レンナルトは微笑み、そのまま歩き出す。
「ねえエドラ。君、普通に美人なんだからあんまり一人歩きとかしちゃだめだよ」
「まあ、私もマリーとかにはさせないけど……ほら私、魔法あるし」
一応軍隊にいるので、それなりに白兵戦だってできる。彼女の場合、戦闘力のほとんどが魔法に偏っているのは否めないが。
「その過信が事件につながるんだよ、エドラ」
「むう」
説教された。まあ、確かに過信はよくないかもしれない。
「じゃあ、男装していく」
「君は予想の斜め上をいくね」
不毛な会話をしながら、エドラたちも芸術作品を見ていく。理解不能な彫刻もあったが、マリーが嬉々として見ているので、アルノルドもその場にとどまっているし、必然、護衛のエドラとレンナルトも立ち止まることになる。
エドラはあくびをかみ殺した。最近ちょっと寝不足なのだ。手でかくしたが、レンナルトに見とがめられたらしい。
「飽きてきた?」
「そんなことはないけど……ちょっと寝不足で」
「そっか」
エドラとレンナルトは二人して謎のオブジェを見上げる。
「あんまり頑張り過ぎちゃだめだよ。君が大変な時期なのはわかっているけど、頼れるところは頼らなきゃ」
「……似たようなこと、元帥にも言われたわ。そんなに頑張ってるつもりはないんだけど」
「うん。自覚がない、一番危ないやつだね」
レンナルトにそんなことを言われた。彼はエドラとつないでいた手を放すと、彼女の頭を撫でた。
「ねえエドラ。僕たちはね。君ががんばってることを知ってるよ。どんなに面倒くさそうにしていても、君が必死になって守ろうとしていること、知ってるから」
よしよし、と頭を撫でられてからもう一度手をつなぎ直す。レンナルトを見上げたエドラであるが、その彼がぎょっとした表情をしていたので、エドラもびくっとした。
「エ、エドラ? どうしたの?」
頬をすべるものに気付き、エドラは乱暴にそれをぬぐった。あまりにもそれが雑だったので、レンナルトに手をどかされる。
「ごめん、泣かせちゃったかな」
ハンカチで目元をぬぐわれ、そのハンカチを持たされる。ひとまず礼を言って受け取った。
「あ、化粧」
「あんまり落ちてないから大丈夫だよ」
そう言ってレンナルトがエドラの手を引っ張る。少々強引だが、アルノルドたちが移動したので仕方がない。エドラは眼尻に残る涙をとんとん、とたたいて拭き取った。ハンカチはとりあえずポケットに入れる。
「ごめん。今度洗って返すわね」
「気にしないでいいよ」
レンナルトは微笑んでそう言った後、おどけた様子で言ってのけた。
「辛くなったらいつでもおいで。泣かせてあげるから」
「……何馬鹿なこと言ってるの」
そう言って、二人で笑った。
その後、アルノルドから「何故お前たちの方がいい雰囲気なんだ!」と苦情が来た。こっちが聞きたい。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
なんだろう。ダブルデートみたいな。