10.ないかもしれないと思って
それから、マリーとアルノルドは何度か逢瀬を重ねた。見た感じお似合いなのだが、マリーが落ち着きすぎていて少し不安になる。それに、注意して見ていると、確かに彼女はちらちらと護衛についてきているエドラとレンナルトの様子を気にしているのだ。
「これってどう思いますか、元帥」
「いや、なんで君私に聞くんだ」
事務所で仕事をしていたエドラは、珍しく現れたグレーゲルにマリーのことを話していた。彼は王国騎士団を預かる元帥であるので、第一騎士団の事務所にはめったに顔を出せない。つまり、何故か二十一歳の小娘であるエドラが裁決権を預かっているのだ。どういう状況だ、これ。
「いや、だって他に相談できる人いないし」
まさか、マリーのことを母に聞くわけにもいかず。レンナルトに言っても面白がるだけだし、アルノルドに言うと泣かれる気がする。消去法でグレーゲルなのだ。
「エドラ、交友関係が狭いわけじゃないのに、なんでそんな事態に?」
「そんなこと言うなら、ラウラさん貸して下さい」
「絶対にダメ」
グレーゲルが即答したので、やはり彼に相談にのってもらう。
「どう思います、元帥」
「って言われてもねぇ……」
やはり、グレーゲルも判断に困るらしい。当然だ。エドラだって判断に困ったのだから。
「まあ、本人が楽しいならいいんじゃないか」
「元帥、それ、私と同じ結論です」
結局妹に甘いエドラはその結論に至ってしまったのだ。グレーゲルも同じことを言うのでは、見守ることしかできない。
「失礼します」
ノックがあり、扉が開いた。白い近衛連隊の制服を着た青年がぴしっと敬礼する。
「グレーゲル元帥、並びに副官エドラ・ラーゲルフェルト殿に、アルノルド王太子殿下よりお召しがありました」
「了解した。すぐに向かうと殿下に伝えてくれ」
「はっ」
さすがに緩い王国騎士団とは違い、近衛連隊はピシッとしている。王国騎士団は、グレーゲルがトップなのはともかく、その副官がエドラである時点でいろいろ駄目だと思うのだ。
「さて。うちの甥っこはどうしたのかな」
「またろくでもないことでも思いついたんですかね」
アルノルドの元へ行く準備をしながらエドラは若干ひどい。グレーゲルが「それ、不敬罪ものだぞ」とツッコミを入れてくる。
「王立騎士団元帥グレーゲル、並びに副官エドラ。お召しにより参上いたしました」
二人ともきれいな敬礼をする。エドラは魔導師でもあるので魔導師式の礼でもいいのだが、一応騎士の礼をとる。
「うむ。忙しいところ悪いな」
アルノルドの執務室である。今日も護衛はレンナルトだった。目が合うとニコッと微笑まれたので、そのまま視線を逸らした。
とりあえず座れ、と言われてソファに腰かける。エドラはレンナルトが用意したお茶をついで回る。カップが四つあったので、レンナルトの分も入れてアルノルドの背後に立つ彼の側のサイドテーブルに置いた。
「それでだな。今度、マリーと美術館に行こうと思うのだが」
「いいのではありませんか」
マリーは美術館や博物館が好きだ。何でも、創作意欲が刺激されるらしい。アルノルドはまた「うむ」とうなずく。
「だが、今までは王家の領地だったから護衛が楽だったろう」
「ああ、まあ」
エドラが素直にうなずく。グレーゲルのフェストランド大公領もそのデートコースの中には含まれているが、王家の領地と言えばそうだ。
確かに、護衛は楽だった。王家の所有地だからめったな人は入ってこられないし。離れて見ているだけで良かったが、王都の街に降りるとなると話は少し違ってくる。
「そこでだ! みなには来館者に化けてもらえばいいのではないかと思った」
「よく使う手ですね。いいと思います」
グレーゲルが同意した。その場合、剣の持ち込みが難しくなるが、アルノルドの側で護衛ができるので確かにいい手だ。
「なので、エドラとレンナルトに恋人のふりをさせる。グレーゲル、いいか?」
「は?」
「構いませんよ」
今、不思議な言葉が聞こえた気がしたが、グレーゲルが速攻で許可を出したのも気になり、思わず隣の彼を見上げた。
「……いや、ちょっと待ってください。私の意思は?」
「マリーの護衛だぞ。ついてこないのか?」
「行きますけど……」
話をそらされた。妹を引き合いに出されては、行くとしか言いようのないエドラである。
まあいいか、面倒くさいし、と思い、エドラは聞き流すことにした。
制服だと武器の携帯が可能であるが、周囲に「護衛しています」と言いふらしている形になる。私服での護衛は武器を持ちにくいが、ばれにくい。それに、魔導師であるエドラにとっては武器が携帯できようができまいが攻撃力に大差はない。
「ではエドラ! 三日後に美術館だ! マリーにはもう手紙を送ってある」
「最初から私に選択権ないじゃないですか」
大いに振り回されている。アルノルドの後ろで笑いをこらえているレンナルト、部屋を出る前に一発殴ってやろうと思った。
「しかし、この頃はエドラの制服姿しか見ていないからな。私もスカート姿を見たいくらいだ。ラウラへの土産話になる」
さらっとグレーゲルに惚気られた気がしたが、それよりも重要なことに気が付いた。
「殿下。やっぱり男装じゃダメですかね」
「ん? なんだ、どうした」
「いや、よく考えたら女性用の外出着がないかもしれないと思って」
「何故そんな事態に!」
アルノルドからツッコミが入ったが、これはもっともなツッコミであると思った。
一応部屋着ならあるのだが。たぶん、外出着はないのではないだろうか。エドラは十六歳のころから騎士団に所属していてあまりスカートを着なくなったし、あのころに比べて身長も伸びている。ニヴルヘイムは長身の国家であるが、エドラは女性の平均身長よりもやや背が高いため、下手な既製品だと足首が見えたりするのであまり買わないのだ。探せば既製品でも売っていると思うけど。三日後までに見つけるのは難しい。
だが、まあ、何とかなるだろう。スカートは難しいかもしれないけど。今度までに調達しておこう。今度があるかもわからないが。
パンツスタイルでも女性に見える格好はある。エドラはもともと女顔だし。
「元帥。私が返事する前に許可出すのやめてくださいよ~」
「私が行けと言えば行くのが部下だろう」
「それ、ちょっと違いません?」
エドラは思わずツッコミを入れるが、グレーゲルはははは、と笑うだけだ。強い。
「まあ、楽しんで来い。美術館、お前も好きだろう」
「嫌いではないですけど」
昔はよくマリーを連れて美術館や博物館に行ったものだ。顔をしかめるエドラの肩を、グレーゲルがたたいた。
「あまり抱え込み過ぎるな。たまには発散しなければ爆発してしまうぞ」
「……そう言うものですかね」
「そう言うものだ」
最後にポンポンと頭をたたかれる。そんなに抱え込んでいるつもりはないのだが、はたからはそう見えるのだろうか。ひとまず、家に帰ったらクローゼットの中を確認しよう。
グレーゲルは別の仕事に呼ばれてしまったので、エドラ一人で事務所に戻る。その瞬間、「副長!」と呼ばれた。
「戦時中の決算書、差し戻されてきました!」
「……マジでか」
戦時中に付けた帳簿が間違っていたらしい。そうなったら、注文票や領収書をすべて確認するしかない。軍事費は国の予算から出ているので、正確に申告しなければ財務省からお怒りがあるのだ。
人が生活し、戦争をするには金がかかる。様々なものが必要だ。エドラは手をたたいた。
「みんな、今の作業一旦止めて! 全員で帳簿見直しするわよ」
「副長も?」
「私も。やりたくないけどね!」
エドラは事務仕事が苦にならないタイプではあるが、さすがに数字の確認はしたくなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エドラさん、振り回されております。