32 忘れかけていた現状
今回の執筆者は、猫人@白黒猫さんです。
防空壕に一歩足を踏み入れた途端、ひやりとした空気が全身を包み込み、肩を震わせ白い息を吐き出した。
冷え切った暗い洞穴の中で、人々が肩を寄せ合うようにして集まり、辺りは湿った岩の臭いと血の臭いで満たされている。
黙々と治療し続ける医療班越しに、傷ついた男性達が体を血で染める姿が見えた。
よくよく見れば防空壕内には獣の臭いも充満しており、岩肌には無数の引っ掻き傷が付いていて、暗くて見えなかったが黒い獣の毛のような物が至る所に散らばっている。
呑気に話しながら防空壕に来た俺達に、村民と医療班の冷たい視線が突き刺さる、どう考えても俺達は場違いみたいだった。
さっきまで戦闘で逆上せ上っていた頭が、冷たい空気と涙や血に濡れた雰囲気で、水でも掛けられたかのように冷めていく。
肩を寄せ合い震える親子、地に倒れ呻く男達、額から汗を流しながら、拭う事もせず治療を続ける医療班。
テレビの中や教科書の中だけで見て知っていた光景が、実際に俺らの前に現実として広がっている。
「おい、そこのアンタ」
俺は項垂れ固い地面に座っている男を見下ろした。
項垂れているせいで男の表情は読めない、非難するような口調に思わず身構える。
「お前らが、反乱軍の奴らが言ってる、救世主様とやらなのか?」
「あ、あぁ、そうなんだ。俺もまさか自分が――――」
「……くそっ、こんなガキが、救世主かよ」
「おい、てめぇ、口の利き方には気をつけろ!」
ルクレツィオが項垂れていた男に歩み寄り、その襟首を掴み上げながら睨みつけると、ルクレツィオが一瞬驚いたように口を開け手を離した。
「なぁ、“右に居てくれ”よ、見えねぇんだ」
「お前……、その目、どうしたんだ?」
「どうした? 聞きたいか? 聞きたいよなぁ。お前らが呑気にハイキングに行っていたせいで、ガキみたいに楽しそうに闘ってたせいで、ここにも魔獣が入り込んで来たんだよ。見えるか? 見えるよな?」
男は前髪を左手で掻き上げながら、洞穴のように空いた穴を俺らに見せつけた。
真っ暗で、真っ黒で、何も無い瞳からは、赤い涙が絶えず流れ落ちている。
男はただ口の端を吊り上げ、何も無い左の瞼から、赤い涙を垂れ流しながら、残った虚ろな右目で俺らを見ていた。
ゆっくりと流れ落ちていく血が、ぽたりぽたりと地面に落ちていく。
「救世主ってのは世界を救ってくれるんだろ? 俺らだって守ってくれるんじゃねぇのか? ここに魔獣が来て必死で女子供らを守ってた時、ボロボロに傷ついて地面に転がってた時、お前らは一体何処で何をしてたんだ?」
「俺は、俺達は、ただ村を守ろうと――――」
「本音が出たな、お前が守りたいのは村だろ、反乱軍の奴らにとって価値のある“食糧庫”だろ?! 俺ら村民を守りたい訳じゃねぇんだよな? だってお前らが必要としてるのは、俺ら自身じゃなくて、俺らが作る食べもんだけだもんな!」
男の笑い声が防空壕内に反響していき、それに続くようにして、子供の泣き声が響き渡っていった。
男は咄嗟に眉を顰め頭を掻いた後、睨みつけるような視線を俺らに向け、また地面に腰を下ろし膝を抱え項垂れてしまった。
俺はゆっくりと辺りを見回した、自分達を救ってくれる救世主が、まさかこんな間抜け面のガキだとは思ってなかったんだろう。
村の人々の瞳には、深い失望と、静かな諦観と、ゆっくりと広がっていく絶望の色が滲み、全員が全員生きているのに死んだような眼をしていた。
ただ黙って辺りに広がる深い絶望の念を、ゆっくりと時間を掛けて受け入れているみたいだ。
俺はすっかり忘れていたのかもしれない。
人の作った殆どの者が壊れ切った世界で、生物の死体がそこかしこに散らばる世界で、救世主として呼び出されたのが、一体どんな事を指すのか、どんな意味になるかを。
本当は、こんな筈じゃ無かったなんて叫んだり、俺達のせいじゃないって怒鳴りたかった。
でも、それでも、ここではただの高校生じゃなくて、救世主を演じ切らなきゃいけないんだ。
「皆さん! 魔獣はルクレツィオ率いる反乱軍のメンバーと、力不足ではありましたが今はここに居ませんが、部員の皆で倒しました! もう大丈夫ですよ!」
俺の寒々しい英雄ぶったセリフが、暗く沈んだ村の人々を少しでも勇気づけられるなら、元気づけられるんなら、白々しい言葉を続けよう。そ
それが、俺にとって、俺が出来る、救世主らしい振る舞いだから。
次回の執筆者は、鵠っちさんです。