122 和平交渉
今回の執筆者も、企画者の呉王夫差です。
氏澄をキリロスとワルワラに預けた後、コロナとアリスはエルネスタ捜索に向けて活動を始めていた。
「おー。おねえちゃん、どこいくのー?」
「娘……エルネスタのいた修道院です」
エルネスタが預けられていた修道院は、鎮圧軍の攻撃魔法で無残に破壊された。
だが彼女の亡骸はまだ見つかっていない。コロナは母親として、娘の安否を気遣わずにはいられなかった。
「ここ暫く、エルネスタに離乳食をあげることができていません。あの子が無事かどうか、心配で心配で……」
氏澄の前で決心した手前、彼の前では取り繕っていたコロナ。だがエルネスタはまだ1歳。保護者のいない状況を考えると気が気でなく、道中あたふたする様子を見せていた。
氏澄達のいた場所から修道院は程近く、約10分歩いたところで到着した。だがアナトレー広場を含め、現場は瓦礫と死体が山積み。修道院も原型を留めていなかった。
「何度見ても酷い光景ですね……」
様変わりした街の様子に、壊れた噴水の前で立ち尽くして言葉を失うコロナ。
けれども、ここで諦めるわけにはいかない。彼女は修道院の残骸を必死に掻き分け、エルネスタを探し始めた。
「おー。おねえちゃん、がんばってるー。アリスもおうえんするぞー」
コロナの背後で構え、力を込めて羽を広げるアリス。
すると彼女は静かに目を閉じ、その場で何かを呟き始める。
コロナはその様子に気づかず捜索活動を続けていたが、アリスが静かになったことに違和感を覚え、彼女のほうを向く。そして彼女の異変に気が付いた。
「え……?」
先ほどの幼女の顔つきから一転、真剣な表情で何かを唱えるアリス。彼女の体からは、青白く淡い光が発せられていた。
そう、氏澄が覚醒した時と同じ青白い炎が……。
そして間もなく、彼女の足元に光り輝く魔法陣が出現。そのまま修道院のあった方角の瓦礫に向かって、アリスは大声を発した。
『排除せよ、眼前の残骸を! シュタルク・ブラーゼン!』
さっきまでの幼い話し方から一転、似ても似つかない厳めしい口調で魔法を発動させるアリス。
その変貌ぶりにコロナは危機を察知し、修道院から逃げるように離れた。
直後、魔法陣から強烈な突風が巻き起こり、周囲の瓦礫をあっという間に一掃。広場周辺は一瞬にして綺麗になり、遠くの城壁が見えるほど視界が一気に広がった。
「すごい……。あれほどあった瓦礫が……あ!」
そして修道院のあった位置には、下半身が潰れた修道女の死体に抱えられて保護されていたエルネスタの姿があった。
「え、エルネスタ……エスネスタぁ!」
コロナは修道女の腕からエルネスタをそっと離し、愛情の限り抱きかかえた。
「ありがとうございます……修道女さん」
修道女に向けて頭を下げるコロナ。娘を命懸けで守ってくれたことに、感謝の念を強く示した。
「それとアリスさんも……」
「おー。たすかった、よかったー」
コロナは瓦礫を撤去してくれたアリスにも頭を下げる。魔法発動時の迫力は鳴りを潜め、アリスはもとの幼女口調に戻っていた。
さきほどの厳めしい口調は、本当にアリスだったのか? 彼女の一瞬の変貌にコロナは疑問を抱きつつも、娘を連れてアナトレー広場を後にしようとした。
ところが――
「……誰かと思えば、夫を見捨てて処刑場から逃げやがった女じゃねえか。それに娘も」
広場に現れた黒い甲冑の男。口元に黒いひげを蓄え、大剣を片手に、壊滅した商店の裏手から彼女達の進路を塞ぐように仁王立ちする。
さらに四方から、同様の甲冑を纏った兵士達が続々と集結していた。
「まさか、あなたも鎮圧軍の……」
「そうだ。俺様の名はレヴァン・アンドレウ。鎮圧軍の参謀長だ」
「な……」
身長190cm以上はある大柄な体躯。いかにも武力をいたずらに振りかざしそうな威圧的な容姿や話し方とは裏腹に、かなり頭の切れる人物のようであった。
「おー。なんかえらそー」
「参謀長と言うことは、デメトリオスにも近い人物ってことですよね? その方が私に何の用ですか? まさか娘もろとも始末しに……」
「ふん、それは違えな。俺様達はおめえら評議会の連中と和平交渉しに来たんだよ」
「わ、和平交渉……?」
鎮圧軍参謀長、レヴァン・アンドレウの口から出たあまりに意外過ぎる言葉「和平交渉」。
それは、デメトリオスの政治思想「異民族排斥」や、これまでの戦闘や殺戮の状況からは考えられないものであった。
当然コロナもレヴァンの返答をそのまま受け止めることは出来ず、眉をひそめ怪訝な表情を浮かべた。
「とても信じられませんね。夫を処刑し、街の皆さんを尽く殺めてきた集団がいきなり和平交渉なんて……。本気で応じるとでも思ってるんですか?」
「はん、そうかそうか。まあ、俺様もおめえの立場なら同じことを言うだろうよ」
「だったら……」
「けどよ、現在圧倒的優位に立ってる側が和平交渉しに来たってことは、何かしら裏があるってことだ。な?」
「え? ええ、まあ……」
飄々とした態度でコロナの怒りを上手くかわすレヴァン。それどころか、鎮圧軍をはじめとする政権側の裏事情をほのめかし、彼女の心に揺さぶりをかけてくる。
「でもそんな話、私達に教えるはずありませんよね? 第一、私達はあなた方が必死に排除したがっている外国人なわけですし……」
「いや、教えるぜ。タダでな」
「え……?」
参謀長の言葉に、再び面食らうコロナ。
敵に自分達の手の内をわざわざ無償で明かす。確かに敵情を簡単に知ることはできるが、あまりに上手過ぎる話にコロナのレヴァンに対する疑念はさらに深まっていった。
だが彼はそれに構わず、自分達の内情をいともあっさりと晒していく。
「あんたらのとこにも伝わってねえか? デメトリオス様の気がおかしくなったって話」
「確か兵士や領民を自分の部屋に拉致し、あげくにその人達の肉を食べているって噂ですよね。それがどうかしたんですか?」
「それが事実かどうかは俺様にもわからねえ。だがそれだけじゃねえ。実は先日、鎮圧軍の総司令官、つまり俺様の上司を“面がなんとなく気に食わなかった”という理由で斬首しやがった。そのお陰で、鎮圧軍全体の指揮権は俺様が預かることになった」
「そんな……」
「今や住民だけでなく、高級官僚や衛兵部隊の士官すらガンガン処刑され、デメトリオス様がその肉を食らっている。それが原因で行政にかなり支障が出て、外国系じゃねえ住民からも反発を受けている。内政の天才として名を馳せた1年前とは全くの別人になっちまった」
以前、ユスティナからもたらされた情報よりもさらに詳しい様子が次々語られていく。
「その話、本当ですか?」
「このままじゃ、街が無政府状態になるのは避けられねえし、おめえらと戦ってる場合でもねえ。だから水面下でデメトリオス様に代わる領主代行を立てようと画策した。だがバシレイオス様も先は長くねえし、アタナシア様はあまりに幼い。他の有力者は既にあの世逝き」
「でもそれが私達に何の関係が……」
「そこで白羽の矢が立ったのが、おめえら評議会のとこにいるアナトレー修道院長のキリロス・ステファノス様ってわけだ」
「……え?」
突如浮上したキリロスの名前。民衆の支持や尊敬を広く集めている存在なのは確実だが、その名声は政権側も一目置いていたようだった。
「驚くことはねえ。キリロス様は元々、この国の国教であるテリオス教の元枢機卿だったお方だ。万人が納得する統治者はキリロス様をおいて他にはねえ。だがこのまま武力鎮圧を続ければ、キリロス様も戦死する恐れもある」
半ば話についていけない様子のコロナを前に、淡々と話を進めてくレヴァン。
すると「そこで条件がある」と言って、彼は和平交渉の条件をコロナに提示した。
「おめえとキリロス様、2人の身柄を渡せば、これ以上外国系住民に危害は加えねえ。さらには復興の手伝いもする。どうだ?」
要求されたのはコロナとキリロスの身柄、それだけであった。
通常、反乱を起こされた側は住民を皆殺しにされるか、指導者の首を差し出すもの。それらと比べれば、確かに好条件ではある。
ところが、娘のエルネスタや氏澄が心配なコロナにとっては受け入れがたいものであった。
「そんな横暴な条件、私達が簡単に飲むはずが……」
「あのな、勘違いするなよ? あくまで戦いの主導権は俺様が握ってんだ。2度と反乱を起こそうだなんて考えねえように人質くれって言ってんだ。金銭や住民の命を要求してねえだけ、破格だと思うがな」
「……」
今ここで和平交渉に応じれば、反乱の中で散っていった住民の魂は浮かばれない。
しかしこのままいけば、外国系住民の殲滅は確実。コロナは小一時間悩み、苦渋の決断の末、レヴァンを氏澄やキリロスのいる建物へと案内していった。
次回の執筆者も、企画者の呉王夫差です。