106 仮説
今回の執筆者は、企画者の呉王夫差です。
それから数日間、秘密の地下通路を生活空間に変える工事を実施。壁や天井の補修を筆頭に、かまどやトイレ、簡易的な水道の整備が進められた。
資材の調達はコヴァルスキ夫妻が受け持ったが、改装工事は時間短縮のため氏澄とワルワラも手伝うことに。
その間に、氏澄の身体は自在に動けるまでに回復した。
「江戸城の石垣修理を思い出すでござるな」
「江戸城と言うのは、氏澄の国の城かい?」
「日本の政治の中心、幕府の所在地にござる。拙者の暮らす地、越中国礪波郡からは遠方にござるが」
「聞き慣れない地名の連続だな」
「……」
夫妻が氏澄の思い出話に浸る横で、ワルワラは水道整備の傍ら神妙な顔つきで聞いていた。
「うっ……ううっ……」
一方、コロナは娘を抱えながら、手伝うこともせず1人すすり泣いていた。
「コロナ殿、そろそろ立ち直られよ」
「わかってます……わかってはいるんですが……グズッ」
コロナの右手には、火葬場で見たマキナのブレスレットがあった。
一旦は泣き止んだ彼女だったが、ブレスレットを見ては泣き、再びブレスレットを見ては泣くを繰り返していた。
「コロナ、ブレスレットは一回置いた方が良い。キミの夫の死を無駄に蘇らせるだけだから」
「で、でも……これには夫との、マキナとの思い出が……」
「なら、なおさら置いた方が良い。このままだと、キミは一生前に進めない」
「あなたに何が分かるというんですか!」
「――!」
ワルワラの必死の説得に、コロナは強く反発した。
「マキナとわたしは幼い時から一緒でした。晴れの日も雨の日も雷の日も、村にいる時も出かける時も、わたし達は共に行動していました。『居ることが当たり前』『傍にいるだけで安心』、それなのに……それだったのに! 突然目の前で殺されて、簡単に立ち直れると思ったのですか……?」
公開処刑の日から早や2週間、時折気丈に振舞っていたコロナ。だが火葬場でマキナの骨を発見したことで、悲しみが再燃。彼女の心は一気に崩壊した。
「こ、コロナ……」
「……」
通路内で沈みかえる一同。だが氏澄だけは1人、彼女の正面に再び向き合った。そして――
――バチンッ!
彼女の頬に強烈な平手打ちを食らわせた。
「なっ……!?」
「氏澄、何を……?」
突然の衝撃的行動を前に、他の3人が固まる。
「な、なにをするんですか氏澄さん……」
「コロナ殿! 娘の前で何時まで悄気ているつもりにござるか!」
「氏澄さん……?」
「幾ら泣こうと喚こうと、マキナ殿はもう戻らん! それに妻が何時までも悲しみに暮れていては、マキナ殿も浮かばれん!」
珍しく語気を荒げてコロナに喝を入れる氏澄。周りはただ、唖然とするのみであった。
「マキナ殿は確かなる意志を持ってこの街に参った。今、其方にできるのは夫の意志を受け継ぎ、成就させることではあるまいか?」
「……!」
ハッと我に返った様子のコロナ。氏澄は踵を返し、再び工事の手伝いを始めた。
「キミ、中々熱い所もあったようね。でもレディに平手打ちなんて……」
「女子に手を上げるのは本望ではござらん。だがそれ以外に、目覚めさせる方策が思いつかなかったのだ」
「なるほどね」
そう話し込む2人の後ろで、コロナは徐々に立ち直る素振りを見せ始めた。
◆◆◆◆◆
「では次はドアの設置ですね」
「ああ。木の板を持ってきてくれると助かるよ」
「わかりました」
翌日、コロナは精力的に通路の改装に取り組んだ。
昨日の氏澄の一喝が効いたのか、その顔から負の感情は一切感じられない。タデウシュの指示通り、1枚の木の板を嬉々として運ぶ。
「お前の平手打ちも無駄ではなかったようだ」
「コロナ殿が正しき方向を向いてくれた。それだけで満足にござる」
落ち着いた表情でそう語る氏澄。だがユスティナは「それだけではない」と薄々感づいていた。しかし敢えて口にすることはしなかった。
「くすっ」
「何か可笑しいことでもあったでござるか?」
「何でもない。ただの思い出し笑いだ」
ユスティナは氏澄に見えないよう、後ろを向いて抑え気味に笑った。
「ところで氏澄、ちょっとお話いいかな?」
「ワルワラ殿?」
その一方、ワルワラは何やら訊ねたいことがある様子で、氏澄を他の4人の見えない所に連れ出す。
「どうしたんだい? トイレかい?」
「ま、そんなところだね」
「男を連れてトイレに行くとは……はしたない」
ユスティナの小言を気にも留めず、2人は火葬場前で腰を下ろした。
「如何なる用向きにござるか、ワルワラ殿」
「実は、少しとんでもない仮説が思いついてね。まだ確信が持てないから他の人には話せないけど、氏澄の耳には入れときたい事があってね」
「何事にござるか?」
明らかにタダ事ではないと悟る氏澄。そして次の瞬間、ワルワラは正に「とんでもない仮説」を氏澄に打ち明ける。
「氏澄、キミは"異世界人"かもしれない」
「……今何と?」
「キミは異界の住人かもしれない。そう言ったんだよ」
異世界人。これまた馴染みのない単語に、氏澄の脳は完全に思考停止状態に陥った。
「拙者が異界の住人だと? 何を戯れ事を……ワルワラ殿も相当疲れが溜まっているのではござらんか?」
「まあ、普通はそんな反応になるし、あたしも正直まだ信じ切れていない。でも証拠はあるんだ」
「証拠……とな?」
自分がこの世界にとって異質な存在と聞き、半信半疑の様子の氏澄。特に「異界の住人」と言う単語から彼は妖怪や幽霊の類を思い浮かべる。だがワルワラは「そうではない」と前置きする。
「確認なんだけど、キミの祖国は日本で、首都は江戸で間違いないんだよね?」
「そうだが」
「でもあたしの知る東方の島国の名は豊瑞皇国で、首都名は葛城。似ても似つかないのよね」
「む? 左様な国名は聞いたことが無いでござるが」
「そう。それにキミは魔法や魔物等についての理解度もかなり低く、魔導石があっても魔法を自分の意志で操ることも出来ない。豊瑞皇国の人間なら有り得ない現象ね」
「そうなのでござるか?」
「あたし、かつてトラボクライナの外交官に同行して豊瑞皇国を訪れたことがあるの。でもその時は、現地住民は皆魔法を操れていたから」
氏澄の記憶では、日本に魔法や妖術を自在に操る人物は存在しない。彼の中の”日本像”とは、まるで異質であった。
そして同時に、「氏澄異世界人説」も真実味を帯びつつあった。
次回の執筆者は、まーりゃんさんです。
※諸事情により、次回も呉王夫差が担当します。