104 差し伸べられた手
今回の執筆者は企画者の呉王夫差です。
「ところで、エルネスタ殿は何処にござるか?」
氏澄はエルネスタの姿がないことに気が付いた。
彼女はまだ幼い。親元を離れての行動はあまりに危険である。
「え、エルネスタ……。うっ……うっ……」
すると気丈に振舞っていたコロナが、堰を切ったように急に泣き崩れてしまった。
「如何なされた?」
「氏澄、発言にはもっとデリカシーを持った方がいいんじゃない?」
「はて? でりかしーとは如何なるものにござるか?」
耳慣れぬ単語に、氏澄は頭をひねり続ける。
「あのね、デリカシーと言うのはね……ってそんなことはどうでもいい。小さな女の子が親の手を離れ行方不明になっている状況が尋常じゃないのは、流石に分かるわよね?」
「拙者もただ身を案じているだけにござるが」
悪びれる様子のない氏澄に、ワルワラは頭を抱えて呆れ返る。
「とにかく、そのことを母親に直接訊くのは酷なんじゃないかってこと。わかった?」
「ふむ、そう言うものにござるか」
「まったく……」
氏澄にとっては、ワルワラの突然の説教に困惑している様子。エルネスタの居場所を知りたかっただけと言わんばかりの表情でであった。
だが3日間の逃亡生活も限界に近付き、コロナの精神もかなり蝕まれていたのだ。
「して、結局あの幼子は何処に?」
「さあね。逃げる途中で見失って以来、足取りは全く不明だわ」
「左様にござるか」
「殺された可能性も否定できないし……」
その言葉にコロナは再び反応し、地面に手をついて号泣する。
「こ、殺されちゃったの……ですか? あ……ああ……!」
「ご、ごめん。最悪の可能性を考えたら自然と……」
「でりかしーとやらが無いのはワルワラ殿も同じではござらんか」
「うるさいわね」
自分の事を棚に上げて批判したワルワラを糾弾する氏澄。栄養失調であるにもかかわらず、喧嘩する気力だけはあるようだった。
しかし間もなく、廃墟の外から1人の男性の声が彼らの耳元に届く。
「おい! そこに誰かいるのか!」
氏澄達を発見したのか、入口辺りからその男性の影が徐々に迫る。
「ま、まさか……衛兵?」
「とうとう見つかっちゃったわね。これも氏澄が細心の注意を払って質問しなかったせいね」
「どの道此処で果てる運命だった。それだけにござる」
ついに本当の死を悟った3人。上を向いた彼らの表情に希望は一切感じられない。
だが実際に現れたのは意外な人物であった。
「――さ、衛兵に発見されないうちに僕の家に来るんだ」
「……え?」
至る所ボロボロの服に継ぎ接ぎだらけのズボン。武器も所持しておらず、明らかに衛兵ではない。むしろ一般市民の格好であった。
「その様子だと暫く食事を取って無い様だね。さ、餓死しないうちにこっちへ」
「あ、ああ……」
「誠にかたじけない。コロナ殿もついて参れ」
「は、はい……」
危害を加える様子も無い。そう判断した3人は、謎の男性に案内されるままに廃墟を後に。
道中、氏澄は男性に負ぶってもらうこととなった。
◆◆◆◆◆
男性の家に到着すると、彼の妻らしき青髪の女性が急いで食事を用意。テーブルには、3人分の肉のスープが置かれた。
「美味しい、美味しいわ……」
「斯様に美味な料理は初めてにござる」
空腹は最高の調味料。ワルワラと氏澄はあっという間に皿を平らげ、おかわりを要求する。
いつしか氏澄の体は、不完全ながら平常通り動くように。
「特別なスープという訳ではないが、満足頂けて何より」
女性は美味しそうに食べる2人に微笑みを浮かべる。
一方コロナは、悲しみに暮れスプーンを運ぶ手が止まった状態であった。
「君は食べないのかい?」
「夫と娘の事を思うと……とても食事する気になれなくて」
腹は減っている。だがマキナの処刑やエルネスタの失踪が重なり、食欲がすっかり消え失せていたのだ。だが――
「娘とはこの子か?」
そう質問する青髪の女性の横には、足元の覚束ない1人の小さな女の子が。膝や肘には包帯も巻かれていた。
「……エルネスタ? 何故ここに?」
「道端で転んでたところを僕が偶然発見してね。衛兵に見つかるとヤバいから保護したんだよ」
「エルネスタ……エルネスタぁ!」
娘と奇跡的な再会を果たしたコロナ。嬉し涙を浮かべエルネスタをギュッと抱きしめる。ワルワラも「よかったわね、コロナ」と言って喜ぶ。
「ありがとうございます……!」
コロナは感謝しても感謝しきれない思いで、精一杯頭を下げる。
その一方で、青髪の女性はシビアな状況を説明する。
「だが悠長に構えてもいられない。現在街中の衛兵がお前達の捜索に当たってる。特にこの外国人街を中心に」
「外国人街……即ちここはペトラスポリスの町にござるか」
「処刑場からの脱走だからな。僕達一般市民は令状を見せられたら家宅捜索を断れないから、ずっとこの家に留まるのは危険だ」
「そうだね。まずはペトラスポリスから脱出する方法を見つけないと、あたし達終わるわね」
捜索開始から3日経過し依然脱走者の発見に至っていない。デメトリオスの立場からすれば、己の名誉と威信にかけて捜索態勢を強化するだろう。
つまり、時間が経てば経つほど氏澄達の死のリスクが高まる。
「では、何故私達を匿ったのですか? あなた達に危害が及ぶかもしれないのに……」
「困っている人を助けるのは当然の事だよ。強いて言えば、僕達もデメトリオスのやり方に抵抗があったからさ」
「彼が領主代行となって以来、外国系人の逮捕者数が激増した。しかも物的証拠も無しに刑罰が下った者も数知れない。いずれは自分達も同じ目に遭うのは確実。それに……」
「それに?」
「――自分達は以前、デメトリオスの兄・ソティリオスをこの家で匿ったことがある」
「何と!?」
ワルワラの主、ソティリオスを匿った経験がある。氏澄達は夫妻の予想外の経歴に吃驚した。
「僕の名はタデウシュ・コヴァルスキ。建築技師さ」
「その妻、ユスティナ・コヴァルスカ。自分は楽器職人をしている」
『コヴァルスキ夫妻……後ノマキナ教団創設時ノメンバー……』
コヴァルスキ夫妻。彼らは今後、氏澄達にどう関わっていくのだろうか。氏景には全く想像がつかなかった。
次回の執筆者はまーりゃんさんです。
なお、最後の自己紹介場面で夫妻の名字が微妙に違うのは誤植ではありませんので、悪しからず。