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家出息子

シリーズの№71にあたる短編です。コンパクトな、短めの作品を書くのにハマっていたころのもの……。

作中に名が出てくる「ラルフ」は、リックの父親の名です。

初めて読まれる方のために、原文に少し手を加えてあります。


「名前と年齢を」

 リビングテーブルにセットしたタイプライターのキーに指を置いて、その指先に目をやったまま、リックがいった。

 帰ってきた答えは、

「目上の者に向かって、その聞き方は何だ?」

 叱るというより、不機嫌な気分をぶつけただけのようだ。

 リックはちらりと目を上げ、

「お名前とお年を教えて下さい」

 ぎこちない聞き方だったが、相手はそれについては何も言わず、

「ベンジャミン・リー。48才」

「行き先は?」リックはキーを叩きながらいい、ふと気づいて、「どちらまでの旅でしたか?」

「ルンデB」

「ステーション?」

 リックが問う。

 ルンデBは開発されることが決まったばかりの惑星で、地表には町どころかボートさえない。

「あたりまえだ」

 リックに向かいあう位置の椅子で、ベンジャミン・リーは頭を反らせてみせた。

「どうぞ」

 マチアスが滑らかな動作で、コーヒーカップを差し出す。

 リーは、自分の前に置かれたカップを手で払いのける仕草をし、

「こんなものはいらん。酒だ」

 マチアスは「はい」と応えて、素直にカップを引くと、ジプシーというよりはウェイターのような足取りで、そのままリビングルームを出ていった。

 リックは短く溜め息をつき、報告書作りを再開した。

「では、ルンデBまでお送りすればいいのですね?」

「違う!」

 リーが顔の前で掌を振った。

「では……」

「海王星に帰る」

「海王星から、ルンデBに?」

「こんなところで事故を起こしやがって」

「雇ったのは、あなた自身ですね?」

「俺が雇った船だから、事故を起こしても文句を言うなというのか?」

「……」

 リックは押し黙った。しばらくの間、言葉が出なかった。

 リーの目はリックではなく、オフホワイトの壁の方を向いている。怒っているようだ。

 リックはリーに負けず顔をしかめて、

「しかし、あなたを救命ポッドに乗せて助けたが、あのパイロットは死んだ」

「腕が悪かった。自業自得だ」

 リーは、リックを見ずにいった。リックが思わず立ち上がって何かいいかけたそのとき、ドアが開いて、ブランデーの瓶とブランデーグラスを持ったマチアスが、ルイと共に入ってきた。

「どうぞ」

 マチアスがリーの前にグラスを置き、ブランデーを注ごうとすると、リーは瓶をひったくって三口ほどラッパ飲みした。

 ほぅっと熱い息を吐き、リーはふと、傍らに立つマチアスとその肩の後ろにいるルイを見た。

「おい。酌だ。酒の相手をしろ」

 リーの手が、ルイの腕を引いた。

 ルイは不意打ちによろめき、引き寄せられるままに、リーの膝に倒れた。

 声を上げる暇もなかった。

 リーは大きな手でルイを抱きかかえ、体を撫ぜまわすと、夢から覚めたようにルイを投げ出した。

「何だ、男か」

「いいかげんにしろ!」

 リビングルームが爆発したようなその声に、床に転がりかけたルイも、ルイを抱きとめたマチアスも、驚いてリックを振り返った。



「はい」

 ルイが声をかけて、リックの前にコーヒーカップを置く。

 リックはやっと、顔を上げた。

 報告書は作り終えたが、彼はずっとキーボードの上に頬杖をついたきり、動かなかったのだ。

 リビングルームには今、リックとルイだけがいた。

「マチアスは?」

 呆けたようなリックの声に、ルイはほほえみ、

「ミスター・リーを、キャビンに案内しているところだよ」

「あ……ああ、そうだったな」

「リック? どうかしたの?」

「ん? いや……何でもない。海王星へ急ごう」

 リックは、コーヒーを飲む。

 ルイはまだ、リックの横顔を見守っていた。

 と、リックが目を上げ、

「おまえ、平気か?」

「何が?」

「あんな……あんな野郎に勝手なことされて」

「胸をまさぐったり?」

 ルイが声をたてて笑うと、リックは赤くなった。

 ルイはそれを見ないふりで、

「驚いたけど……。彼は、事故船から脱出したばかりだもの。混乱してるんだよ、きっと」

 リックはルイの笑顔に何かいいかけたが、握り拳を口にあて、それを噛んだだけだった。




「今、どこを飛んでいる?」

 ベンジャミン・リーの問いに、マチアスは答えた。

「太陽系に向かう街道を走っています」

「畜生、事故なぞ起こしやがって」

 リーはまた毒づいて、グラスの中の酒を飲み干した。

 Aキャビン。乗客用の船室だ。

 リーとマチアスは、テーブルをはさんで向かいあっている。

 リーのいるソファの足元に、空瓶が転がっていた。

 マチアスの前にも、金色の液体が半ばまで入ったグラスがあった。それは最初にリーに注がれたまま、減ってはいなかった。マチアスはまだ『勤務中』であり、いくら客に強引に勧められても、酒を飲んでいるわけにはいかないのだ。

 それでも、「ここで相手をしろ」とリーがいったとおりにそこにいた。酒を持ってこいという要望にも、いちばんアルコール度数の低いものを提供するという形で応えていた。

 宇宙の事故は素早くて、悲惨だ。

 生命が助かっても、心が死んでしまうことがある。地上でどんなに『強い』といわれている人間でも、心が一時的に死ぬことはあるのだ。

 マチアスはそんな人間に何度も出会っていた。リーは、珍しい存在ではなかった。

 だから、リックがリーに対してあんなにも腹を立てていることを、マチアスはいぶかしんでいた。自分の見ていないところで、リーはリックの体を撫ぜまわしでもしたのだろうか。

 救助されたばかりのリーに対して、それだけのことで怒り、まるで苦痛をこらえるような顔で事情聴取をしたのだとしたら、なんだかリックらしくないとマチアスは思う。

「畜生」

 リーはすでに酔っていた。

 ろれつが怪しくなりはじめている。

 酒の力を借りるなら、それもいい。飲んで眠り、新しい日を『生き返った心』で迎えられるなら……。

「おまえ、おい」

 リーがマチアスの鼻先を指さしている。

「何です?」

「おまえ、ジプシーなんぞやってるようじゃ、志が低すぎるぞ」

「高い志でする仕事とは、どんなものですか?」

 決して逆らう口調でなく、マチアスは尋ねた。リーはゆらゆらと胸を張り、

「俺の会社で働け」

「俺の……? あなた、社長なの? ミスター」

「そうだ」

「海干星で?」

「ネプチューン惑星開発工業所、だ」

「ああ、だから、仕事でルンデBに?」

「入札に間に合わなかった。立ち会わなければ、権利が失われる。くそぅ、大きな仕事だったのに」

「……」

「くそぅ……」

 リーの言葉は口の中で消え、その体がソファの背もたれをずり下がる。

「ミスター?」

「どうだ? おまえ、俺の息子みたいに……」

 リーは一度顔を上げていいかけたが、そのままふたつ折りに崩れた。



「ああ、リック、どうしたの?」

 Aキャビンのドアを開けて、マチアスは首をかしげた。

 通路に、リックが立っている。

 気まずそうに、どこかはにかんだように、リックがいった。

「あの客は?」

「今、寝ついたとこ」

 マチアスは体を開いて、リックを中に通した。

 キャビンは小さなものだが、リビングと寝室に分かれている。寝室のドアが半分開いていて、その中は暗かった。

 リビングのテーブルの上にはトレーがあり、それには空の瓶と半分酒の残った瓶、空のグラスと酒の入ったグラスが置かれていた。

 異臭に、リックが顔をしかめる。

 マチアスは照れたような表情で、

「飲んだうちの半分は吐いちゃったよ、彼」

「マチアス……」

「今、片づけたところ。何か、彼に用だった?」

 リックはマチアスの屈託ない瞳を見、開きかけていた唇を閉じた。




 船は自動操縦で走っている。

 間もなく、ミッドナイトに入る。

 マチアスをブリッジに残し、リックとルイはリビングルームにさがった。

 コーヒーをいれていると、いきなりドアが開いた。

 スーツの上着の代わりにガウンを羽織り、ところどころ白くなった髪を額に乱して、ベンジャ ミン・リーが立っていた。

「新聞はないのか?」

 怒鳴るようにいいながら入ってきて、リーはテーブルの上にある深夜版のニューズファクスを わしづかみにした。

 驚いて見つめる少年たちの瞳など意に介さないように、次にリーは大股にリックに歩み寄り、彼の手からカップを奪い取って、コーヒーをごぉっと飲み干した。それから、

「おい、もう一杯」

 コーヒーメイカーのそばに立ち、ポットを手にしていたルイに、顎をしゃくった。

 ルイはうなずく。リーのもとへゆき、彼が差し出したカップに手を添えてコーヒーを注いだ。

 リーが突然、くしゃみをした。

 体中が振動し、カップも動いた。

「熱い! 畜生!」

 ポットから注がれるコーヒーの下で、くしゃみのためにリーの手の方が動いたのだ。だが、リーは怒鳴り、ルイの手を弾き飛ばした。

「あ……!」

 ポットは床に飛び、コーヒーを撒き散らす。

「ぼんやりするな」

 リーがルイにいった。

 口の中で悪態をつきながら、出てゆこうとした。

 リックがかけていた椅子から立ち上がり、その背に向けて、

「それだけか?」

 リーは足を止め、振り返った。

 小馬鹿にするような目をリックにあてたまま、ガウンの下に手を入れ、ズボンのポケットをま さぐった。

 丸めた紙幣をルイの足元に投げ、

「クリーニング代だ」



「なんで、そんなに怒ってるの?」

 マチアスがなだめるようにいった。表情も、聞き分けのない子をあやしているようだった。

 リックは椅子にかけて大きく脚を組み、マチアスの顔を見あげている。

 マチアスは、指先で紙幣のしわを伸ばしながら、

「お小遣いだと思えばいいじゃないか。いくらなんでも、『賄賂』にはあたらないだろ?」

「マチアス」

「それはジョーク。あとでこっそり返しておくよ」

「おれは……」

「ルイ、火傷でもしたの?」

 マチアスが、ルイをふりかえる。テーブルのそばに立っているルイは、軽く首を横に振った。

「それとも、何か壊れた?」

 マチアスはリックに目を戻す。

 リックは唇を引き結ぶ。

 床に散ったコーヒーはルイと、リーと入れ違うようにしてブリッジからやってきたマチアスが、手際よく片づけてしまった。

 マチアスは身を屈め、リックの額に触れて、

「カッカしてるな。どうしたのさ。あんな客、珍しくないだろ?」

「珍しいさ」

「どうして? 社長さんだからさ、ぼくらのことも社員みたいに思ってるんだよ、きっと」

「えらく肩を持つんだな」

「だって、彼の会社で働けっていってもらったもの」

 マチアスがいい、笑う。

 リックは顔をしかめ、

「彼の?」

「ネプチューン惑星開発工業所」

「あ……ルンデBの開発を?」

 と、ルイがいった。マチアスがうなずき、

「でも、権利をなくした、とかいってたよ。だから、やけ酒なのかもね。……それだけじゃないんだ」

 リックもルイも、不思議そうにマチアスを見た。

「彼ってさ、何だか『おやじ』のイメージがあるんだ。どうしようもない『おやじ』だけどね。ぼくの『おやじ』は『おやじ』どころか『お父さん』とさえいえないほどだし、ラルフは『おやじ』と呼ぶには洗練されすぎてる。ミスター・リーは、なんていうか……」

 マチアスが照れ臭そうに言葉を切る。

 ルイは、ほほえんでうなずいた。マチアスの言葉を理解できる気がしたからだ。

 リツクは顔をしかめた。マチアスの知らない理由で、リーに対していい印象がないからだ。

 それ以上、彼らはリーの話をしなかった。当直のルイを残して、リックとマチアスはキャビンに降りていった。

 ルイはコーヒーをいれ直した。

 ゆっくりと一杯飲み、ブリッジに戻ろうと立ち上がったとき、壁のコンソールで発信音があがった。

「ブリッジで? なぜ?」

 ルイは、ドアに走った。




「どうして……いつの間に……!」

 ブリッジに飛び込んだルイは、ドアの内側に立ちすくんだ。

 ベンジャミン・リーが、パイロットコンソールの前に立っているからだ。

 左手には、握りつぶしたようなニューズファクス。

 右手を操縦レバーにかけている。

 力任せに、引こうとしていた。

 船は今、自動操縦だ。

 突然レバーにかかった『謎の圧力』に対して、ブリッジは危険信号を発したのだ。

「ミスター!」

 ルイはリーに歩み寄り、背後から右腕をつかんだ。

 リーはちらりとルイを見、すぐにフロントウィンドウに目を戻して、

「放せ」

「放しません。あなたは、何を……」

「くそぅ、方向を変えろ、この船の」

 自分の力ではどうにもならないとわかったのだろう、リーは逆にルイの腕をつかみ、パイロットシートに押し込んだ。

「ミスター……海王星に帰るのでは?」

「帰らん。ルンデBに向かう。今なら、間に合うんだ」

「え……」

「新聞を見たんだ。入札日が変わった」リーが左手のニューズファクスを振る。「今なら間に合う。その場にいないかぎり、権利がない」

 ルイは、リーを見つめた。

 リーの額には、汗が浮いている。今すぐ走っていきたいといいたげだった。まる自転車のように、レバーさえ傾ければ船の方向を変えられると思っているのかもしれない。

「さぁ、早くやれ」

「で、できません」

 ルイは力を込めて、リーの右手をつかまえている。

 リーが、レバーを折り取ってしまいそうな気がしたからだ。

 リーのごつごつした手が、白くなるほどの強さでレバーを握っている。

 ルイは唇を結び、その横顔を見つめた。



「おまえはさ、どうしてそんなにミスター・リーを毛嫌いしてるの?」

 マチアスがどこかしら愉快そうに、リックに聞いた。

 ふたりで肩を並べて通路を歩きながら。

 リックは前を向いたまま、しかめ面で、

「雇ったパイロットのことを……」

「ん?」

「事故を起こしたんだから、死んでも自業自得だといいやがった」

「それは、すごい」

「感心してるのか?」

「まぁ、そう怒らないで」

「おれは、おまえやルイのように寛大にはなれない」

「自業自得、なんていわれたら、ね。わかるよ、それは」

「別に、わかってくれなくてもいいんだ」

「すねないでよ」

「すねてるんじゃない」

「だって……」

「おれとおまえが、そしてルイが、いつも同じ気持ちで仕事をしていなけりやならないわけじゃない。『おやじ』だか何だか知らないが、おまえがあの野郎の膝に乗って甘えていたなら、勝手にそうすればいいんだ。おれは客だから運ぶだけだ。海王星まで」

 リックは憤然と言い放ち、歩調を速めた。

 マチアスは足を止めてしまったので、ふたりの距離は開くばかりだ。

 マチアスはしばらくの間リックの背中を見つめていたが、やがて駆けていって、飛びついた。

「ねぇ、リック! おまえ、甘えるときには、ラルフの膝に乗るの?」




「畜生、このガキが!」

 雷のような声と、拳が同時にルイを襲った。

 操縦レバーを守らなければ……という意識の方が強かったので、かわすのが遅れた。

 ルイはシートから引き出され、頬を殴られて、背中から、背後のエンジニアコンソールにぶつかっていった。

「遅れちまうじゃないか! くそぅ、あのへぼパイロットのせいで……。死んで当然だ、あんな野郎は……」

 ベンジャミン・リーはぶつぶつ言いながら、今度はパイロットコンソール上のキーを思いつくままに叩きはじめた。

 ブリッジの壁を埋めるインジケーターの群れが色を変え、ルイは態勢を立て直しながらブリッジ内を見渡した。

「やめて! ミスター!」

 リーに飛びつく。

 鞭のように振られた腕が、リーの大きな手を弾き飛ばす。

 リーは、驚いた目でルイを見た。彼の動きが止まった。

 ルイも、リーの出方を窺うように身構えて止まった。

「それ以上コンソールに触れたら、あなたが何者であっても、ぼくは『力』で止めます」

「何を、小癪な……」

「マチアスは、あなたを気に入っているといいました。ぼくには、彼の気持ち、わかるつもりです。なのに、あなたはマチアスのいちばん大切なものを、勝手に壊そうとしている」

「大切な……? 何だというんだ、こんなガキどもの船の……」

「パイロットのプライドを!」

「知らん!」

 振り上げられるリーの拳。

 それがコンソールに振り下ろされる瞬間、ルイの手が捕らえた。

 次の瞬間、リーはシートの下の床にうずくまっていた。ルイが、リーの腕を背にねじ上げていた。

「く、くそぅ……」

「ルイ?」

 その声が、ドアの方から聞こえた。

 靴音がふたつ、駆けこんでくる。

 ルイは、リーの腕をつかんだ手をゆるめずにそちらを見た。

 閉ざされてゆくドアを背に、リックとマチアスが驚いた目をして立っていた。

「今、急に……船が止まったから……」

 言い訳するように、マチアスがいった。

 リックが大股に歩み寄り、ルイの肩に触れた。

 魔法が解かれたように、ルイの手がゆるみ、リーからはずれる。

 しかし、リーは床に這った格好のまま、

「船を戻せ」

「なぜ?」

 リックはそこに立ったきり、鼻の脇から見下ろすようにリーを見た。

「仕事だ。今から行けば、間に合う」

「海王星には?」

「ルンデBに行ってからだ」

「わかった。ルンデBに送る。そこから先は、また船を雇え。おれたちは、タクシーじゃない」

 手を上げて、マチアスに振る。

 まだドアのもとにいたマチアスは、ようやく歩きだし、パイロットシートの下にいるリーをよけるようにして、シートについた。

 リーを見ず、何もいわなかった。

 リーは身を起こしながら、目だけで、マチアスを追っていた。

 フロントウインドウの外……虚空を見つめるマチアスの、まったく動かない横顔を。

 リックが短く合図をすると、ルイもナヴィゲーターシートに入った。ルイの頬は、まだこわばったままだった。

 リックは、そこにのっそりと立っているリーに向けて、

「キャビンに戻ってほしい」

 リーはちらりとリックを見、無言のまま、のろのろとドアに向かった。

 彼がドアを出ようとしたとき、耳にかけたレシーバーを手で押さえながら、ルイがシートから立ち上がった。

「救難信号です!」

 リーの足が止まる。

 リックがルイに向き直る。

「位置は?」

「バーナード・バイパス。信号は、クルーザーです」

 マチアスがシートから振り返った。彼の瞳は、リーを見ていた。

 リックの目も、ルイも目も、リーを顧みた。

 リーは戸惑ったように、少年たちを見渡す。

 リックが低く、

「ルンデBとは、ほとんど反対方向だ」

「海王星とも、ずれてるけどね」

 マチアスがつけ加えた。

 その声にハッとしたように、リーはマチアスを見つめた。

 マチアスの顔には、表情がない。ただ静かにリーを見ている。

「事故を起こした船が、自業自得だと……」

 いいかけるリックに、ベンジャミン・リーの手が振られた。

「おまえたちは、おまえたちの仕事をしろ」

 言い放ち、そのままドアに向かう。

 リックは一瞬虚をつかれたようだが、すぐにフロントウィンドウに顔を向けた。

「マチアス、転進。ワープ2にダイレクトで乗る」

「ラジャ」




「何だ、おまえか」

 ベンジャミン・リーが、顔を上げた。

 彼は、ダイニングルームにいた。

 明かりは一か所だけ。室内は薄暗い。

「ミスター」マチアスがクスッと笑う。「それ、料理用のワインなんだけど」

 リーは、興味なさそうにテーブルの上、もうほとんど中身のない瓶のラベルに目をやった。

「それにしちゃ、うまかった」

「料理用だからって、悪いワインは使わないよ、ぼく」

「おまえが料理をするのか?」

 多少舌がもつれるが、リーは素面に見えた。

 マチアスは隣の椅子に軽くかけて、

「ずっと飲んでたの? ミスター」

「飲まずにいられるか」

「ありがとう」

 マチアスが、神妙にいう。

 リーが驚いたようにマチアスを見た。

「仕事は、済んだのか?」

「おかげさまで。火災だった。船、沈まずに済んだ。かなり焼けたけど、幸い、ワープにも支障

はないよ」

「ふん」

 俺には関係がないというかわりに、唇が歪む。

「あなたのお仕事の邪魔をしたことになるのかな」

 マチアスが、目を伏せた。

「半分は諦めていた」

 ぽつりと、リーがいう。

「ミスター?」

「どうせ、つぶれかけた会社だ」

「……」

「ルンデBの仕事に、賭けていたんだが、な」

「失業、しちゃうの? 息子さんも?」

「息子が、俺と同じ仕事をしていると、いったか?」

「え……ああ、ぼく、そう思ってた」

「家出しちまったよ。船に乗りたいなんて言いやがってな」

「……」

「パイロットなんて……今頃、俺が雇ったやつみたいに、どこかで死んじまってるんだろうよ」

「ミスター……」

「俺を迷惑そうに……。息子に夢を託すのが、そんなにいけないことか?」

 噛みつくように、リーがマチアスに顔を寄せる。

 マチアスは思わず上体を引き、少しの間、リーの視線を受け止めていた。それから、

「いけないとは思わないけど、ぼく、何もいえないや、家出息子だからね」

「……」

「でも、この仕事、好きなんだ」

「プライド、か」

「え?」

「あのガキ……小娘のような体つきのくせに、俺の腕をねじ切るところだった」

「ルイのこと? あいつは強いんだよ。ぼくなら、絶対に敵にまわさないよ」

 そういって、マチアスが幸福そうに笑う。

 リーは鼻白んだ顔で、ルイにつかまれていた方の手首をさすった。

「おまえのために、怒っていた」

「怒ったせいで、今、元気をなくしてるよ。あいつは一生のうち、三度くらいしか怒らないような子だからね」

「じゃ、そのうちの一回を、おまえのために怒ったのか?」

「そのうちのもう一回は、リックのためかもしれないね。うん、一回あまるなぁ」

「奇妙なガキどもだな」

 首をすくめるリーに、マチアスが不意に悪戯っぽく、

「ね、ミスター、ルンデBの入札に間に合えば、諦めないで済む?」

「間に合うとは思えんな」

「高速クルーザー、どう? カプセルつきの高速専用船。ワープ8くらいですっ飛ばすやつ」

 ワープ速度が上がるにつれて重くなる『ワープ酔い』から乗客を守るために、乗客をカプセルに入れる……その専用設備があるのが、マチアスのいう『高速クルーザー』だ。

 だが、リーはそっぽを向き、

「こんな宇宙の真ん中で、そんなもの……。第一、いちばん近い星からだって、ここまで来て俺を拾う間に、入札が終わっちまう、いくら高速船でもな」

「もう、来てるんだけど」

「何?」

「火災を起こしたクルーザーね、惑星ゴードンから、ルンデBに向かうところだったんだ。ゴードン銀河開発カンパニーが、チャーターしたんだよ。このアクシデントのせいで、あなたみたいにあわててるよ。入札日までにルンデBに着かないと、まずいんだって」

「……」

「ぼくのキャプテンの発案で、ぼくが交渉した。了解はとってある。カプセル、空いてる。今、待ってくれてるんだ。……乗る?」

 リーは呆然とマチアスを眺めていたが、やがて、目尻にかすかな笑みを浮かべて、

「くそぅ、ライバル会社じゃないか」

 といいながら、立ち上がった。



 ベンジャミン・リーが行ってしまうと、もう朝に近かった。

 彼らは結局船を止めたまま、仮眠室のベッドで朝まで休むことに決めた。

 3つのベッドに、奥からマチアス、リック、ルイの順で入った。

 すぐに浅い寝息を立てはじめたリックの上を、ハンカチをふわりと投げるようにマチアスの声が飛ぶ。

「ルイ? 少しは元気になったの?」

「もともと元気だよ、ぼく」

 力なく、ルイが応える。

「ミスターが、驚いていたよ」

「ぼく……」

「ん?」

「ぼく、気が短くなったのかな」

 細いルイの声に、マチアスは自信たっぷりに、

「ぼくへの愛が深まったんだよ」

「もう! マチアス!」

「あ、やっぱり短気になった」

 そのとき、もっと短気な声が真ん中のベッドから上がった。

「静かに寝ろ」

 部下たちはうなずいて、毛布の奥へ潜りこんだ。



      №71   1992.10

テキスト化ができたら、少しずつ増やしていきます。

読んでくださって、ありがとうございました。

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