表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

アンドロメダ・プロジェクト

小さめのお話。主人公3人のうちのマチアスが語り手です。


マチアスはパイロット。未来の国王。5年後……21になったら故郷に帰る約束で、今の仕事をしています。

 パーティーに向かうタクシーの中、リックはひどい仏頂面だった。

 リックのびりびりした波動、それに感応しないように、ぼくは、3人がけのリアシートの真ん中にルイを座らせた(ルイ、ごめん)。

 なぜだか、その『招待』を受けたときからリックの気分が刺さるように感じられて、肩を隣り合わせているのが怖かったんだ。

 かろうじて顔を知っているという程度のワシントン中将のパーティーに、どうしてぼくらが招待されたのか、その本当の理由をぼくは知らない。

 その日、ホワイトネビュラ号が月に降りていたのは偶然に過ぎないのだ。どうして中将がそのことを知ったのかも、ぼくにはわからない。ただ、知ろうと思えばすぐに調べがつくだけの『力』を持っている、ということが察せられるだけだ。

 それは中将からの正式な招待だったし、断わる理由がなかったので、ぼくらは白の略式制服に身を包んでルナ市の郊外つまりドームのそばにある中将の私邸に向かっている……。


★★★


 ルナでは古い家柄らしいワシントン中将の屋敷は、いわゆる『豪邸』だった。

 当然、パーティーも盛大だ。いったい何人の招待客がいるのか、見当もつかない。中将自身の姿も、人波に沈んで見えないほどだ。

 会場になっている大広間は、マラソンコースが直線で取れるのじゃないかと思えるほど広い。

 マラソンコースのように、要所要所に飲み物が配されている。とはいえ、それは華奢なグラスに注がれ、銀のトレーに並んでいるのだが。

 招待客の半数は、宙軍の人間らしい。大方が、ぼくらのように略式制服を着ている。それ以外はわからない。民間人なのだろうが、中将の友人なのか、それ以外の関わりがあるのか……。

 もっとも、誰がどんな人物でも関係なかった。

 ぼくらのような『若造』に目を留める客はいなかったし、ぼくらもひどく場違いな気がして、隅の方に固まっているだけだったからだ。

 10代に見える客は、ひとりもいなかった。こんなパーティーに、なぜ招待されたのだろう? 第一、中将はRAPの人間じゃない。RAPの関係者らしい招待客もいない。

 なぜ、ぼくらが?

 それを考えると気が重く、招待された美女たちを鑑賞する気にもなれなかった。

「なんで、こんなところへ来ちゃったんだろうね、ぼくら」

と、ぼくはいった。

 リックはそっぽを向いていた。

 大広間の一方は、天井まであるような大きな窓になっている。ちょうど、ホワイトネビュラの展望室のように、ガラスの壁だといった方がいいかもしれない。その窓は、ドームの方を向いていた。庭に茂る木々のシルエットの向こうに、ドーム越しの星の光がきらめいている。

 リックはガラスに顔を寄せて、星を見ているようだった。

 いきなり、放り出すようにいった。

「なんで……といったって、来いといわれたら、来ないわけにはいかない」

 宙軍中将からの『招待』なのだ。

 それはキャンディのように、柔らかにくるまれた『命令』でもあった。

 断わることを許されているようで、断われないような……。

 それも、仕事中で、銀河の彼方を飛んでいるときならともかく、ぼくらはニュールナポートに降りていて(助けた若者を運んできたのだ)、補給が済み次第発とう……というところだった。

 いくら宙軍の端っこにへばりついている連中、という目で見られているジプシーでも、宙軍人は宙軍人、中将は広い意味での『上官』にあたる。ぼくらは、理由もなしに断われない。その程度の『しがらみ』は、自由気ままに銀河を駆けまわっている……といわれるジプシーにもあるのだ。

 その『しがらみ』に引きずられてここに今いることが、リックには気にいらないようだった。

 ぼくは、打ち解ける相手が他にないことが気にいらないだけだ。

 にぎやかな場所は嫌いじゃない。それに、ほんの少し興味もあった。

 中将がなぜ、ぼくらを招待したのか。

 それが『美少年たちよ、娘の誕生パーティーに参加して、花を添えてくれんかね?』というものなら、そんなに気にならなかったのだけれども。

 もっとも、中将に娘がいるかどうかも、ぼくらは知らない。知らないことだらけの、遠い存在だった。

「何か、飲み物をもらってこようか?」

 ルイがいった。

 ルイも、落ちかないようすだった。

 完全に身を隠しているというわけではないから、ときどき他の客たちにじろじろ見られたり、話しかけられたりする。理由の大半は「ルイが美しいから」に違いない。でも、ここはルナ市。ルイは、同じ街でかつて人気子役として活躍し、死んだことになっている(一部では再起不能で引退したという噂になっている)『ルイ・マルロー』なのだ。

 まあ、あなたは、あの名子役にそっくりだわ。

 などといわれる可能性だってある。

「おまえはじっとしてなよ」

 ぼくはルイにいい、ルイはすまなそうにうつむいて、リックの隣に並んだ。

 ルイも星を見あげているようだ。

 そう、ここはルナ。

 声をかけられるならルイ、目標とされるのはルイだと、ぼくは思っていたのだが……。


★★★


 左手にふたつ、右手にひとつ、シャンパンのグラスを持って戻ると、ぼくがいた場所に見知らぬ男が立っていた。

 30代。童顔。そのくせ、頬にも顎にも栗色のヒゲを生やしている。さほど高くない身長に、ちょっと多めの体重。タキシードを着ている。蝶ネクタイをつけたクマのぬいぐるみのようでもある。

 男は、リックとルイに何か話していた。

 ふたりは、先生のお話を聞く小学生のように、じっと立ったまま男の顔を見ていた。

 男の方が熱心に話をしているらしい。

 ぼくはさりげなくその背後に近づいていって、他人みたいな顔でガラスの外の風景を見た。

「イメージですよ、イメージ、リック君」

 男は、そういった。

 リックは動かなかった。男に目を向けてはいるが、その話を聞いているのかどうかはわからない。

 男の口調が粘っこく熱いのは、リックの無関心そうな『聞き方』のせいかもしれなかった。

「よく考えてごらんなさい。リック君。帰ってきたとき、あなたは26。帰ってから、何でもできるんですよ。それも、英雄としてね」

 男の言葉に、リックは応えない。

 英雄として?

 聞き捨てならない。

 ぼくは男の肩越しに、ルイを見た。いったい何のこと? と瞳で問いかけた。

 ルイはぼくを見たが、どんな合図も送ってくれなかった。ただ、そのまなざしは暗かった。

 英雄として。

 その大げさな言葉にも、リックはさほど反応しなかった。そのことに、男は驚いているらしい。どんな用があるにしろ、リックのことを何も知らずにきたにちがいない。

 相手は16の少年だ、自分の話に目を輝かせ、身を乗り出し、『英雄として』脚光を浴びることを想像して無邪気に笑う、そんな反応を期待していたのだろう。

「あなたは、ケイに続いて、教科書の2ページ目に載ることでしょう、その勇姿と冒険の物語がね。準備はすべて、我がキィ財団が責任を持っていたします。あなたはうなずいてくださればいい」

「……」

「あ……もちろん、スタッフは有能です。あなたは何もしなくていいのです。美しいアシスタントたちも用意していますので、身のまわりのお世話は自由に申しつけていただいて……あなたが彼女たちを自由にしていいのですよ。意味はわかりますね?」

 リックは初めて身じろいだ。

「バーロウさん」

 そう呼んだので、ぼくにもその男が『キィ財団』の『バーロウ』だということがわかった。

 バーロウが嬉しそうに、リックの言葉を待っていた。

「おれが今何を考えているか、わかりますか?」

「さぁ?」

 バーロウが言葉とは裏腹に、「わかっているとも」といいたげに露骨にニヤニヤした。16の少年には『冒険』以上に『ハーレム』の方が魅力的なんだろうな、と考えているのだろう。

 リックは一度深く呼吸してから、低く、

「おれは、腹が減った、と考えている」

「は?」

「今、そこを七面鳥が通ったのを、見ましたか?」

 ぼくは見た。

 給仕がビュッフェテーブルに運んでいった銀の皿。ローストした七面鳥。スライスして、マスカットのソース。

 そちらに目をやったバーロウは、あわてたようにリックに目を戻した。

「リック君……わ、私の話し方がうまくなかったのでしょうか? 失礼、もっとよくわかっていただけるように……」

「無駄だ」

「いや、ですが、君……」

「……」

「それとも……やはり、すでに中将から打診されているのですか?」

 パーロウの口調が不安げに変わった。

 リックは半ば無視のポーズの決めこんでいたが、その言葉には反応した。

「中将?」

「スタッフリストに君の名はなかったが……。連盟の調査団の出発は5年後です。我々は今年中に……」

「連盟の調査団?」

「ご存じない?」

「おれには関係がないことだ」

「そうはいきませんよ」

 バーロウが、首を横に振ってみせる。

 リックは顔をしかめて黙った。

「これはまったく新しい……ケイ・シルヴァー以来の大航海なんですから。その計画の中心にケイの血を引くあなたを、と考えるのは、そう突飛なことではありませんよ。あなたは必ず要請を……いや、要請などではなく『命令』かもしれない。そのとき、どうなさるつもりです? 連盟の調査団では、我々の計画のように自由はききませんよ。そうなって、『ああ、ペルセウス号に乗っていけばよかった』と思っても遅いのです。ペルセウスは、それより5年も前にアンドロメダに飛んでしまっているのですから。そこをよく考えていただいて……お答えは決して急ぎませんから。ね? 連盟の調査団に加わらずにすむ方法は簡単です。軍を辞めればいいんです。そうすれば、中将に従う必要がない」

 チッチッチッという音が間近でしていた。

 手にしたグラス同士が触れあっている音だと、しばらく気づけなかった。

 ぼくの指が震えていた。


★★★


「あの人……バーロウって人さ、きっとリックが『すげぇ、かっこいい、おれ、行くよ、帰ってきたら有名人なんだよな』とか何とかいって、今すぐついてきちゃうと思ってたんだよ」

 ぼくはいった。

 リックは振り向かない。

 ぼくが持ってきたグラスのうち、ひとつをつかんですぐに飲みほし、その目は遠くの星に向けている。

「リックのこと、わかってたら、あんなご機嫌取りみたいな若い男をよこさなかったよ、キィ財団とやらも」

 ぼくの言葉はもう、ひとり言のように小さい。

 リックは星たちに向けて、鼻を鳴らした。

「ペルセウス号。よく言うぜ」

 ペルセウス。

 ギリシャ神話の英雄。生賢として岩につながれたエチオピアの王女アンドロメダを救い、その夫となる……。

 未踏のアンドロメダ星雲を『救う』地球人類代表が『ペルセウス号』というわけか。

 リックの頬が歪んでいた。

「アンドロメダ星雲は……ペルセウス号は、財団のイメージアップの道具に過ぎない。だいたい、銀河中にまだ未踏の星が数え切れないほどあるのに、いきなりアンドロメダまで行く必要があるのか?」

「その計画の、看板俳優がリックってわけだ」

「ふん」

「熟練してるけど無名の技術者より、いかにも偉そうな科学者より、かのケイ・シルヴァーの曾孫、16才のリックの方がアピールするってことだね」

「冗談にもならないぜ」

「でも、連盟の……」

 ぼくはあわてて言葉を止めた。

 リックは一瞬ぼくを見たが、すぐぼくの手もとに視線を移し、ぼくがひと口なめただけのシャンパンを奪い取って、グラスをからっぽにしてしまった。

 いつの間にか、客たちが広間の中央にかたまっていた。

 制服ではない客たちのほとんどが取材陣らしいと、このときわかった。

 人々の中心にワシントン中将がいる。パーティーは記者会見の場になったようだ。

「……ええ、計画は正式に始動したのです」

 ワシントン中将の口調は、少年のそれのようだった。

 本当に、心から、その『計画』が誇らしいのだろう。邪気がなく、夢を見ているようで、表情も明るい。

「ここにいる軍人のほとんどは、アンドロメダ・プロジェクトのスタッフです。それに、ご紹介しなければ……。彼はきっと、喜んで加わってくれることでしょう。ケイ・シルヴァーの曾孫、リック・シルヴァー少尉です」

 中将の手がぼくらのいる方を示し、人々がー斉にこちらを見た。

 突然に、間違ってスポットライトを浴びてしまったエキストラのように、ぼくらは身を縮めて視線に耐えた。

 どんな話が後に続いたのか、ぼくはもう聞いていなかった。

 連盟の……要請ではなく『命令』……。

 バーロウの得意げな口調が、繰り返し耳に蘇る。

 恨めしかった。


★★★


「紹介します。リック・シルヴァー少尉です」

 ワシントン中将の手ががっしりとリックの肩を抱いた。たくましい中将の腕の中で、リックでさえひどく華奢に見えた。

 リックを取り囲む人々の間から、ぼくとルイはあとずさりするようにして抜けた。

 遠くからリックを見ていた。

 遠くから……。

 そう、リックはもうアンドロメダにいるようだった。

 遠い。

 200万光年の距離が、ぼくらの間にある。

 リック。

 こんなに遠く感じたことはなかった。

 そして、こんなにもリックに触れたいと思ったことは……。

 そうだ、触れたい。駆け寄って、しがみつきたい。

(違うよ、リックは行かない、どこにも)

 すべての人にそういいたい。

 そして、リックの耳に。

(ぼくはここにいる。ぼくとここにいて。ずっと……)

 ずっと……?

 泣き出したいような気持ちで、ぼくは笑った.

 5年ののち、ここにいないのはぼくの方なのだ。

 ふと見ると、ぼくの顔にルイがじっと視線をあてていた。

 ルイの頬が青白く見える。

 手を伸ばしかけたが、腕が石のように重かった。ぼくは小さくかぶりを振ると、

「ちょっと……ごめん……」

 その脇をすり抜けて、歩きだした。

 今ルイを見ていたら、ぼくは本当に泣いてしまう、そう思ったからだ。

 馬鹿げてる。

 ぼくは、どうしちゃったんだろう。


★★★


 ガラスのボールのような、小さな部屋。

 たぶん、ここはワシントン家のサンルームなのだろう。

 しかし今は夜で、人工太陽光は降り注がない。ここは月だから、月光も差しこまない。

 幾度か体験した地球の夜の、青白い月の光が懐かしかった。コンボトル生まれのぼくの中にも、やはり地球の記憶はあるらしい。

 地球時代……。

 たとえば19世紀なら、友人が町を出て行くとき、人はこんなふうに感じただろうか。

 20世紀なら、国交さえない異国に行ってしまったとき。

 21世紀なら、地球を離れてしまったとき。

 それぞれの時代に、人は悲しんだはずだ。

 手の届かないところへ去っていく友を見送りながら。

 未踏の星雲、アンドロメダ。

 調査隊としての旅。

 10年の予定のキィ財団のペルセウス計画は、すでに出発を待つばかりになっている。もしもリックが今すぐ乗れば、帰ってきたとき、26。バーロウがいったように「英雄」かもしれない。

 あるいは、連盟の調査船団に加わるとしたら……。

 出発は5年後。

 いったい、いつ帰ってくるのか。

 アンドロメダは決して、そこへ行った人間と二度と会えないほど遠いわけではない。ワープを繰り返していけば、たどり着ける距離だ。

 でも、彼のことを知ることはできなくなる。

 銀河系内なら、声を届かせることができる。地上で誰かに電話をかけるように。通信は亜空間を通って相手に届く。中継用ステーションが無数に設置され、通信のネットワークができあがっているからだ。

 しかし、アンドロメダにはそれがない。アンドロメダに至る未知の航路にも。

 きっといくつかのステーションを設置しながら飛ぶのだろうけれども……もしひとつもステーションがなければ、リックからの声は……リックヘの声は……200万年も互いに届かないのだ。

 200万年。

 溜め息が、いくつも涌いてくる。

 ガラスに寄りかかって座り込んだまま、もう動けない。

 広間のざわめきは、ここまでは届かなかった。

『紹介します。リック・シルヴァー少尉です』

 今もまだ、ワシントン中将はリックの肩を抱いているのだろうか。

 そう思ったとき、ドアが開いた。

 ぼくは振り返った。

 柔らかそうな生地のロングドレスの人影が、手にハイヒールを提げて入ってきた。

 すぐ、ぼくに気づいたらしい、息を呑んで足を止めるのがわかった。

 差しこむ遠い明かりの中に立ちすくんでいるのは、たぶんハイティーンの、ほっそりした女の子だった。黒っぽい短い髪に巻いたサテンのリボンが、天使の環のように淡く光って見えた。

「あら、先客ありね。パーティーに来た人?」

 気さくな調子で、彼女がいった。

「えぇ」

 ぼくはうなずく。

「シルヴァー少尉以外にこんなに若い人が来ているなんて、知らなかったわ。もっとも、少尉が来ていることも知らなかったんだけど」

「ぼくも。あなたみたいな人が来ているなら、広間からエスケープするんじゃなかった」

「あら!」

 それが彼女の笑い方らしい。

 ぼくの方が年下だと見てとったのか、さほど警戒するようすもなく、そばに来て座り込んだ。

「ここで会えたんだから、よかったじゃないの」

「そうだね」

「ま、私も隠れてたしね」

「どうして? そういえば……君、報道関係の人?」

 宙軍の制服を着ていないので、そう尋ねたのだが、

「あら、違うわよ」

「じゃ、軍の……?」

「み、う、ち」

「は?」

「はじめまして。軍の方ね? 今日は父のパーティーにようこそ。ヘレン・ワシントンよ」

 屈託なく笑って、彼女……ヘレンが右手を差しだした。

 本当に『娘』がいたんだ。

 ぼくは驚いた顔のまま、その右手を握り締めた。

「中将に、こんな、きれいなお嬢さんが……」

「あら、ありがとう」

 ヘレンは、くすくす笑った。

 しばらく笑ってから、ふと思いついたように悪戯っぽい瞳をぼくに寄せた。

「あなた、シルヴァー少尉をご存じ?」

「え? えぇ」

「じゃ、私のことも覚えておいて。もしかしたら、未来のミセス・シルヴァーよ」

「え……」

 ぼくは絶句した。

 愉快そうに忍び笑いを続けるヘレンを、ただ見つめていた。

 やがてヘレンは、その目だけに笑みを残して笑いやんだ。

「冗談よ」

「で、でも……」

「私の父は、ケイ・シルヴァーのファンなの」

「ファン?」

「そう、ファンとしか言いようのない人なのよ。連盟のアンドロメダ・プロジェクトの指揮官に任命されたとき、真っ先に考えたのは、ケイの子孫であるシルヴァー少尉を連れていこうってことだったわけ。ケイが生きていたら、絶対に本人を連れていったでしょうけどね。いかんせん、世代が違うものね。おまけに、できれば娘の……私のことよ……娘の夫に、とか……もう考えてることが子供みたいでしょう? 私、笑い飛ばしているんだけどね。どう? 少尉ってハンサム? ケイに似てるなら、結構いいセンいってるかしら?」

「見てないの?」

「がっかりするの、いやじゃない」

 そういって、ヘレンがまた軽やかに笑った。

『がっかり』はしないにちがいない。リックは見かけだけなら(ぼくより数段落ちるにしても)十分合格すると思うから。

 でも、こっちは笑いごとじゃなかった。

 今まで想像したこともない……する気もなかった……したとしても『どうせ、ジプシーのままだろう』程度にしか思えなかったにちがいないリックの未来が、目の前にいきなり現われた感じだ。

 ヘレンは膝を引き寄せ、脚に頬杖をついた。

「私、反対なの」

「何に?」

「パパはね、自分もアンドロメダに行くつもりなのよ。身の程を、全然考えてないのよ。いくら宙軍人でも、パパは『船乗り』じゃないわ」

「……」

「ケイと同じ時代にいたら、きっとテスト航行についていったわ。少尉とアンドロメダに行くっていうのは、その『代わり』なのよ。ま、少尉が有能なら、パパの動機がどうあれ、計画にプラスになるわけだけどね。どう? 有能そう?」

「あー、うん、たぶん」

 行けば、いい仕事をするだろうけど。

「私もついていこうかなぁ、なんて考えてる。シルヴァー少尉と途中で結婚して、子連れで帰ってくるのも素敵ね」

「ほ、本気?」

「冗談だったら。第一、シルヴァー少尉が参加するかどうかわからないじゃないの。プロジェクトそのものが、まだ始動したばかりですもの」

「でも……」

「ん?」

「きっと中将の命令で、リ……その少尉は行くことになるんだよね、アンドロメダに」

「さぁねぇ」

 ヘレンが首をかしげた。

 押し黙るぼくに、さっさと話を切り替えて、

「私、まだ、あなたの名前を聞いてないわ」

「あ、マチアスだよ」

「そう、マチアス。ここ……しばらく、だぁれも来ないわよ」

 そういって、ヘレンがイヤリングをはずした。

 ルージュの唇を小さく突き出して、ぼくを見つめる。

 実に奔放なお嬢さんだった。

 今までも、中将のパーティーのたび、誰かとここで楽しいひとときを持ったのかもしれない。

 でも、ちっとも淫らな感じがない。まるで、テニスのワンセットマッチに誘われたみたいだ。

 だからといって……リックの未来の花嫁になるかもしれないヘレンに、ぼくが先に手を出すわけにはいかないじゃないか。

 そのとき、ドアが開いた。

「マチアス?」

 ひそやかな、ルイの声。

 ヘレンが目をくるめかせた。

「あら」

 見つめられて、ぼくはあわてた。

 何か、誤解されたような……。

「まぁ、そういうことだったの。お邪魔して、ごめんなさいね。あ、いいのいいの。気にしないで。きれいな恋人ねぇ、憎い憎い」

 最後の方は耳打ちのように声をひそめて、ヘレンは身軽に立ち上がった。明るい笑顔をぼくに残し、驚いて立ちすくんでいるルイに肘鉄をくれる真似をして、サンルームを出ていった。

 ドアが閉まると、呆然とヘレンを見送っていたルイを、ぼくは手招きした。

 ルイは不意に現実に引き戻されたという顔で、ぼくの前に歩み寄り、ひざまずいた。

「ルイ。広間は、どう?」

 ぼくの問いに、かぶりを振る。

「いなくなっちゃって……。リックは逃げちゃったみたい。大勢の人に取り囲まれて、もみくちゃで……」

「そう」

「君まで消えたままだし」

「ごめん。捜したかい?」

「ちょっと……心配しちゃった」

 ルイがほほえむ。

 さみしそうに。

 そうだ、リックを失うのはルイも同じだ。ぼくと違って、望むだけリックのそばにいられるはずのルイの方が、ぼく以上につらいかもしれない。

 ぼくはルイの腕を引いて、隣に座らせた。

 素直に従うルイの、その肩先に顔を寄せて、

「リックが行っちまった後、おまえはどうするの?」

 ルイを戸惑わせ、困らせ、赤面させ、泣かせて。

 ルイの、ぼくゆえの反応を、ぼくは楽しんできた。今までずっと。

 こんなときまで、どうしてぼくはルイをいじめたいんだろう。

 ルイは無表情のまま、ぼくを見つめていた。

「ルイ?」

 促すぼくに、ぽつりと答えた。

「君のそばにいる」

「え?」

「リックが行ってしまったら……アンドロメダに……そうしたら、ぼくは君のそばにいる。君にとって、ぼくがいらなくなる日まで、ずっと」

「……」

「リックの代わりになんてなれない。そういう意味じゃないよ。ただ……リックのこと、一緒に思い出せるように」

「ルイ」

「君の国に、住んでもいい?」

 ルイを戸惑わせ、困らせ、赤面させ、泣かせて。

 どうして?

 思わず涙をこぼしたのは、ぼくの方だった。

 どうかしてる、ぼくは……。

 あわてたルイの手が、うつむくぼくの肩に触れる。

「ごめん……ごめんね、マチアス。ぼく、そんなつもりじゃ……」

 不安げなルイの声に、ぼくは顔を上げた。拳で頬を拭って、はっきりとかぶりを振った。

「ぼくら……今夜、どうかしてるよ」

「マチアス?」

「リツクがどこへ行って、どんな仕事をしたって……ぼくはコンボトルに帰るし、おまえはジプシーでいつづける。おまえまで、船を降りちゃいけないぜ」

「……」

「未来は変わらないよ」

「……」

「悔しい」

「マチアス?」

「どうしてぼくらは、別れる日を決めてから出会ったんだろう」

 ルイは絶句している。

 その瞳に涙が浮かぶのを見て、ぼくは急いで明るい口調を作った。

「あぁ、もう! さっさと行っちゃえばいいんだ、ハーレムつきのペルセウス号とやらで、アンドロメダへ! くそくらえだ。リックの名を利用しようとしているキィ財団も、そんな話を得意げにしていったバーロウの野郎も。ついでに……ワシントン中将も」

 ヘレン、ごめん。君のパパにくそくらわせて。

 温かなものが、突然ぼくに触れた。

 ルイの腕が、ぼくを抱き締めていた。

 ぼくを抱き締めて、ルイの方が震えている。

 耳を澄ませると、ルイの鼓動が聞こえる気がした。

 今夜、ぼくらはどうかしている。

 だから、いいんだ。こんなことをしても。

 ぼくは静かに手を上げて、ルイの腰に腕をまわした。だが、引き寄せて、絡みつくように力を込めると、ルイの方が先に正気に返ったらしい。

「ぼ、ぼく……」

と細い声を上げた。

「ん?」

「あの……何か飲み物を取ってくる。待っていて」

 ぼくは思わず笑って、ルイから腕をほどいた。

 ルイは立ち上がり、半ば逃げるように部屋を出てゆく。

 まぶたを閉じ、自分だけの闇の中で、ぼくはルイが駆け去る軽い足音を耳で追っていた。

 こんなふうに、リックを感じられるはずだ。

 たとえコンボトルにいても。

 リックがジプシーでいるかぎり。

 リックが同じ銀河で生きているかぎり。

 それでも、アンドロメダは遠い。

 その手に触れることも、その声を聞くことも、その笑顔を見ることもできない。

 心なら、届く?

 そうかもしれない。

 だけど、離れてみなければ結果のわからない『実験』なんて、したくない。

 今のところ、届かせる自信もないし。

 心も届かないとしたら、それはなんて遠いんだろう。

 どんなにどんなに離れていても、愛していれば満たされるんだろうか。

 どんなにどんなに離れていても、愛されているなら(この場合、リックがぼくを愛してくれているとして、だけど)体の距離は関係ないんだろうか。


★★★


 やがて。

 消えていた足音が戻ってきた。グラスを運ぶ、静かな足音だ。

 ドアが閉まる気配。

 ぼくはガラスに額をつけ、目を閉じたままいった。

「ルイ、おまえは後悔していない?」

「……」

「なくすことがこんなにつらいなら、出会わなければよかった。そう思わない?」

「……」

「リックがぼくのそばから消えて、リックがジプシーじゃなくなって……そんな未来にたどり着くなら、いっそ今、ぼくらの時間が終わればいいって……」

「馬鹿なこと、いうな」

 その声に、息が止まった。

 ぼくは呆然と振り返った。

 目の前にいるのは……今、グラスを手にぼくの前にゆっくりとひざまずいているのは、ルイではなかった。

 頬に、熱く血が昇る。

「ど、どうして……」

 声がかすれる。

 リックは、両手にひとつずつ持っていたグラスを床に置いた。

「マチアス」

 その声に撃たれ、弾かれたように、ぼくは立ち上がり、転げ、あとずさりした。

 リックの手が反射的に追う。

 ぼくは下がる。

 だって……隣に座るのさえ避けていたのに。

 手が触れる。

 すり抜ける。

 まるで、ホラー映画の殺人鬼が相手のように、ぼくは必死に逃げている。いや、リックは映画に出てくるようなまがまがしい武器なんて持っていないから、他人の目には、ぼくを強姦しようとしている変態のお兄さんにでも見えるのかもしれない。

 そのまま背を向けて、ドアから出ようと思った。

 リックが先回りした。

 いきなり立ち塞がって、ぼくの腕をつかんだ。痛い。なんて強さ!

 ガラスの壁に押しつけられ、ぼくは逃げるのを諦めた。

「おれは、ここにいる」

 リックがいった。行動の鋭さに反して、口調は淡々としていた。

 欲しかった言葉なのに、ぼくはカッとした。

「今は、だろ?」

 硬い声を、リックの胸に投げた。

 全身でそっぽを向くと、リックの声がそっとぼくの耳たぶの裏に触れた。

「アンドロメダには行かない」

「そんなこと……」

「行かない」

「連盟のプロジェクトが始動したら……」

「行かない」

 駄々っ子のように繰り返すリックを、ぼくはおずおずとふり返る。

「どうして?」

「救難信号がないから。ジプシーの仕事が、たぶんアンドロメダにはないからさ」

「……」

「おれはジプシーだ。『ケイの曾孫』じゃない」

「……」

「ここにいる。同じそらに。だから、余計なことをいってルイを泣かせるな」

「ルイのこと、ちゃんと慰めてあげた?」

「おれが? なぜ?」

「自分には責任ないって顔するなよ」

「責任ない顔で悪いか? あいつが泣いてたのはおまえのせいだぞ」

「『泣いてた』? 過去形? 今は泣いてない? おまえが涙を拭いてあげた? そうだね? ね……」

「うるさい」

 リックが顔をしかめる。

 ぼくは、叱られた子供のような気持ちになる。

 リックは顔つきを緩めた。

「泣くな」

 ぼくは、きつく唇を噛んだ。それだけでは、涙があふれるのを止めることはできなかった。

「リック」ぼくの声は熱くかすれている。「そうだよ。ここにいて」

「……」

「ここにいて……ずっと、この世界に」

「マチアス」

「ぼくが生きている世界に。でなきゃ……」

 安心してコンボトルに帰れないよ。

 言葉を呑んで、リックを見つめた。

 リック、おかしい。

 いつも無愛想なおまえなのに、どうしてそんな瞳でぼくを見てるの?

 おまえのまなざしが優しすぎて、胸が痛い。

 ぼくを見てるって、ちゃんとわかるよ。おまえの瞳に、ぼくの顔が映ってるから。

 リックが、たぶんいちばんたくさん見た顔。

 忙しい父親、ラルフよりも、鏡に映る自分自身よりも。

 澄んだ水と同じで何も映さないように思える、リックのセピアの瞳。

 なのに、その中に今はぼくがいる。

 ここから出ていきたくないって、子供みたいに泣いている。

 何百万光年離れても、心は変わらない?

 愛していれば、それでいい?

 かもしれない。

 でも、ぼくはここから出たくない。

 いつまでも……。

 いつまでも?

 馬鹿だな。

 その夢はかなわないって、ぼくは知ってるのに。

「リック」

「ん?」

「もし……もしも、アンドロメダに行くことになったら、どんな手を使ってでもいいから、出発

はぼくが21になってからにするんだぞ」

「……」

 リックが、きょとんとしている。

「ぼくは、絶対におまえを見送らない。おまえにぼくを見送らせるんだって、決めてるんだから」

 悔しいことに、リックは笑った。聞きわけのない子の相手をしてやっているというように、小さく、心から愉快そうに。

 だから、ぼくはムキになって、

「見送るなんて、絶対いやだ。死んでもいやだ。立ち去る方がかっこいいんだ。見送る役なんてやりたくない。『あばよ』って手を振って、おまえに背中を見せるんだ。振り向かないで、ぼくは行っちゃうんだ。絶対……絶対に……」

 もっともっといってやろうと思っていたのに。

 何もいえなかった。

 リックが眉を歪めたから。

 どうしてだろう、ぼくはその瞬間、リックが泣き出すような気がしたんだ。

 ルイがぼくにしてくれたように、ぼくもリックを抱き締めなくちゃ……そうして涙を止めてあげなくちゃ……そう思ったのだ。

 あわてて、ぼくは手を伸ばした。

 けれども不意に、リックが泣いていないことを知って、それ以上動けなくなった。

 上げたきり止めたぼくの手を、リックが見つめている。

 リックの手が上がる。

 ふたつの手がゆっくりと、指を結びあう。

 引き寄せたつもりだったのに、引き寄せられていたのはぼくの方だった。

 強く。

 ぼくはリックにぶつかり、その腕にしがみついた。

 ぼくが16年の間に、いちばん見た顔。

 忙しい両親よりも、鏡がないと見えない自分の顔よりも、ぼくはリックの顔を知っている。

 その目をのぞいたとき、ぼくの額にその額を寄せたのは、リックの方だった。

 そうされて、驚いて、ぼくは息を詰める。

 きつく唇を結んでいるリックから、何かが伝わってくる。ぶつかるように激しく。

 ぼくは初めて気づく。感じる。リックもまた戸惑っているのだと。

 連盟の一組織である宙軍。そこに属しているかぎり、『命令』には従わなくてはならない。任務を逃れるのに正当な理由など、たぶん作れないはずだ。中将のパーティーでさえ、断われなかったのだから。

 行き先はアンドロメダ。

 200万光年の彼方だ。

 プロジェクトへの参加命令を断わる代わりに軍を辞すれば、ジプシーでいることもできなくなる。今はまだリックはRAPの人間だがら、プロジェクトのスタッフになれとはいわれないだろう。でも、計画が整ってくる頃にはきっと中将が……。

『ファンなの』

 リックはケイじゃないよね、ヘレン。

 気がつくと、熱烈なくちづけを交わしているように、ぼくらの前髪が絡みあっていた。

 変だね。さっき広間で、ぼくらの間には200万光年の距離がある気がしたのに。

 ぼくらを隔てる空間が、今はない。

 ただ……時がぼくらを運んでゆく。

 否応なく、押し流してゆく。

 ふたりでいても、逆らえない。

 愛していても、逆らえない。

 それが悔しかった。

 やがて。

 リックがほんの少し額を離した。名残惜しげに、髪がそっとほどけた。

「マチアス」

 リックが呼ぶ。

 唇の動きが……その小さな振動が、直接触れたような気がした。

 ぼくは、膝が抜けたみたいだ。

 まるで、愛しているといわれたように、その声が聞こえたから。

 力の失せた指をリックからほどいて、ぼくは一歩下がった。

 ガラスに背をつけた。

 もう、触れられない。触れたら、火花が散りそうだ。

 リックが怖い……リックから伝わる『波動』が。

 そしてリックも、もうぼくを追わなかった。

 そこに立ったまま、ぼくらはにらみあう二匹の獣のように……憎しみあう仇敵のように、瞳を合わせていた。

 リックが「帰るぞ」と、顔をそらすまで。


★★★


 ぼくらはサンルームを出た。

 リックはタクシーを呼びにいくといって、廊下を右に。

 ぼくはルイを捜すために左に。

 ほどなく、廊下の先に立っている影に気づいた。

 ヘレンが、にやにやしながらぼくを見ていた。

「やるじゃなぁい」

「は?」

「さっきの子と違うわね? 続けざまにふたりとは、タダモノじゃないな、君」

 ぼくは声を上げそうだった。

 ヘレンのものすごい誤解のせいだけでなく、その相手が……。

「ちらっとしか見えなかったけど、『ふたり目』もいい男だったわね。悔しい。ひとり、まわしなさいよぅ」

 君の未来の夫になるかもしれないやつなんだよ。

 なんて、口に出せない。

 ぼくは努めて平静に、

「誤解だよ、ヘレン」

「何が?」

「ぼくたち、別に、君が思うようなこと、ほんと……」

「あらぁ!」

 ヘレンがころころ笑った。

 オーバーにぼくを指を差した。

「着衣が乱れておりますことよ」

 ぼくはあわてて制服の襟を直した。

 気づかなかった。ぼくとしたことが。このまま人前に出たら、どんな誤解を受けることか。

 さすがヘレン、慣れてるなぁ。

 直して、逃げるように広間の方に歩きだすと、柔らかなドレスの裾を鮮やかにさばきながらヘレンもついてきた。

「広間に戻るの?」

「もう失礼するから、友達を捜して、一緒に……」

 ぼくは馬鹿みたいに露骨に、『友達』にアクセントを置いた。

 ヘレンが小さく笑っている。

 広間の前まで行くと、その外にあいつがいた。

 くそくらえのバーロウ。

 のっそりした感じの大きな背中。

 その向こうにほとんど隠れて、ルイの姿があった。

 ルイは困ったような瞳で、バーロウの顔を見上げていた。

 ぼくが思わず足を止めたとき、ルイが首を横に振った。

 バーロウの話は察しがつく。

 リック君の将来を考えて、君からも説得してくれないかとか何とか……。

 バーロウの手が重たげに、ルイの肩にのる。

 不意に、ぼくの横で空気が動いた。いい香りがした。ヘレンのコロンだ。

「この助平おやじ」

 そういって、ヘレンはバーロウの馴れ馴れしい手を勢いよく払いのけた。

 あまりの勢いに、ルイの方がよろめいたほどだ。

 バーロウはむっとしたように振り返ったが、そこにいるのがヘレンだと知ると、途端に如才ない……というよりは媚びるような笑顔になった。

 しかし、ヘレンはバーロウにひと言もいわせなかった。

「あたくしの家で、あたくしの友達の恋人をくどく野郎は許さなくってよ」

 イカす啖呵。

 あっけにとられているのは、バーロウだけではない。

 ぼくも。ルイも。

 不意に、ぼくの胸にルイがふっ飛んできた。ヘレンが、ものすごい勢いでぼくの方に押したからだ。

 あわててルイを抱きとめるぼくに、ヘレンがいった。

「行きなさいよ。お『友達』と仲良くね」

「ヘレン……」

「私の結婚披露のパーティーにも来てね。もし、この世界にいるときに式を挙げたら」

 軽やかに、廊下を駆け出す。手の振り方までが、ふんわりと決まっている。

 ぼくも手を振った。

「たぶん行くよ。元気でね」

 素敵な、未来の(もしかしたら)ミセス・シルヴァー。


★★★


 みんな出払っている、ワシントン邸にまわせるまでに二時間かかるといわれて、ぼくらはタク

シーを諦めた。

 略式制服が夜のルナでは悪目立ちするので、ぼくらは上着を脱いで、どうでもよさそうに肩に引っかけたり腕に抱えたりして、ほとんど言葉を交わさずに、見知らぬ市民が行きかう街を3人で歩いた。

 3人きりで。

 どこまでも行けるような、そんな歩き方で。

 ペルセウス号もアンドロメダ・プロジェクトも、『5年後』というものさえないように。今夜のパーティーが夢だったとでもいうように。

 空腹だったので、ピザスタンドに寄った。

 パーティーに出かけたのに、ほとんど何も胃に入っていなかった。

 その代わりというわけじゃないけれど、特大サイズに山のようなトッピングをオーダーした。

チーズなんか、ダブルじゃ足りなくてトリプルだ。

 スタンドの裏の歩道に、踊っている少年がいた。自分が口ずさむ歌に合わせてステップを踏んでいたが、途中で迷いはじめた。

 ルイが後ろから声をかけ、いきなり続きを踊りだす。

 片手にかじりかけのピザを持ったまま。

 育ちのいいルイがお行儀の悪いことをする時が、ぼくは好きだ。貞淑な美女がベッドで乱れるのが好きという、何かの映画に出てきたおっさんと同じような趣味なのかもしれない。

 知らない曲、知らない振りつけ……だけど、ぼくはルイのダンスを楽しんだ。

 少年はうれしそうに続きをルイに教わり、初めからふたりで踊った。今会ったばかり、名も知らぬ同士とは思えないほど、息が合っていた。ルイが合わせたのだろう。

 観客は、リックとぼく。

 世界中の誰も知らない、豪華なパフォーマンスだ。

 今はこの世にいない『ルイ・マルロー』という俳優の……ルイ・マルローというジプシーの伸びやかな踊り。

 少年と別れて戻ってきたルイがはにかんだ顔をし、リックがからかうようにその前髪を指で弾いた。

 何もかも……あぁ、何もかもがぼくらだ。

 変わるなんて……終わるなんて……どうして今、信じられる?

 その日が来ることはわかっているけれど。

 行こう。

 この道が分かれるところまで、こうして。

 ひとりで踊りだす少年に手を振って、ぼくらはまた歩きはじめる。

 歩く。

 歩いてゆく。

 3人で。



                 (1994.7)

このお話は、本来は№85でした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ