愛しい君
銀の粉粒が美しく、そして儚く舞い降りてきた。
嬉しそうに君は笑って、手袋もしないで、冷たい雲の花弁に優しく触れる。小さな鼻を赤くしながらも、無邪気に笑う君の姿を愛しく思えて、思わず抱きしめた。
「なんなんだよう」と君は笑いながら、僕を抱きしめる。
冷たい君の手が、薄着の僕の肌に布越しに伝わってきて、思わず苦笑した。身体は寒さに包まれたけど、心は君という名の太陽に包まれていた。
「大好きだよ」
君は振り向いて僕に、そう告げる。その時の僕は、自分の想いを口にする術を知らなくて、鸚鵡返しに「うん、僕も大好き」としか言えなかった。
でも、その口にした言葉は決して偽りじゃなくて、心からの言葉だった。
今の僕だったら、どんな言葉でも言える。……誰にだって、言える。
愛しい君を亡くしてからの僕は、螺子が外れてしまったロボットのように壊れた。
何処に行っても君の姿が、浮かんでくる。
それほどまでに、僕は君を愛していて、君の存在はこんなにも大きかったんだと、正直驚いた。
目は口ほどに物を言うって、誰かが言っていた。
あの時は、そうかもしれないと笑って軽く流していたけど、実際そうだと、餓鬼だった頃より少し成長した、今になって実感している。
人が口を持っている理由は、真実を隠すためなんだと本を読んで知った。
今の自分が、そうなんだから否定することも出来ず、思わず僕は本を片手に苦笑したんだ。
この世界の穢れや、人間の醜さをこれでもかという位、書かれていた小説だった。
執筆している人は、どれくらいこの世界が憎いんだろうかと考えたりもした。それ位、この世界は汚いと、書かれていたからだ。
書いている人は、絶対に誰にも必要とされていない根暗な男か、誰にも必要とされていない不細工な女のどちらかだと、根拠もなく思っていたが、僕の予想は見事に外れた。
その小説を執筆していたのは、僕の親友だったからだ。
僕の親友は、世に言う世渡り上手と言う奴で、誰とでも上手くやっている。頭も良ければ、顔もよし。スポーツも出来るし、幼い頃から空手を習っていて喧嘩は強い。そして、父親譲りの正義感の強さと、母親譲りの優しさと来ればもう最高の男、と言うわけだ。
実際、その親友がなんでこの小説を書いているのかは、不思議だったが、人間は見かけによらないということだろう、と自分の中で勝手に解釈した。
どうして教えてくれなかったのか、と問い詰めると「恥ずかしかったから」と言う。人に見せて恥ずかしいと思うなら、書かなければいいと僕は思ったが、あえて口に出すことはしなかった。
でも、こんなに僕が共感できる小説を読んだのは、本当に久しぶりだったから、僕と似たような考えを持っている人が居るんだと、少し安心した。
そんな素晴らしい、小説に出会えてよかったと僕は心の底から思った。
この事は、誰にも言って無いけれど。
僕は秘密主義者だから、自分の思っていることなんて滅多に人に話さない。
……嘘。
ただ、話すのが怖いだけなんだ。
でも、僕の気持ちを分かってくれた人が居た。それが、僕の愛したたった一人の女性。
最初の出会いは最悪だった。
「何、見てんだよ……」
火をつける前の煙草を片手に、ライターを左手で探しながら僕はじっと、僕のことを見ている少女に冷たく言い放つ。
少女は怯む事無く、むしろ僕に向かって微笑んでから「知り合いに似てたから」といって、くるりと僕に背をむけ、甘い香りを撒き散らしながら立ち去っていった。
僕はその姿を黙って見送り、手に持っていた煙草を箱に直した。
「あっれー? 彼方じゃない? 久しぶりじゃーん!」
甲高い声を上げて、香水をこれでもかとつけている女が僕の首に指を這わした。
脱色された髪に、真っ赤な唇。思いっきり、マスカラで強調している瞳。
何もかもが、僕には合わない気がした。
「……うん、久しぶり」
絡んでくる女を自然に突き放してから、さっき直した煙草を取り出し、火をつけた。
煙草を咥えることで、最低限の話をしないで済むと考えたからだ。
「今日、家に来ない? 久しぶりにさぁ……」
そういえば、僕はこの女を抱いたことがあったっけ、なんて考える。何度、女を抱いても僕の穴を誰も埋めることはなかった。
心のどこかにぽっかりと開いた穴は、風通りが良く、僕の心をすっかりと冷たくさせてしまった。最近は、感覚が麻痺してしまうほど冷えてしまっている。
「今日は、どこかに行く用事があるの?」
やや上目遣いでそう尋ねる女は十代後半から、二十代前半くらい。いちいち、女の名前を覚えているなんて事、僕の足りない頭じゃ到底無理だ。
「……別に、無いけど」