碧色涙《あおいろなみだ》
「ねぇ、どこへ向かってるの?」
それは、いつも通りに答えました。茶色い布をぐるぐる体に巻きつけた女の子は「すてき!」ととても嬉しそうに、楽しそうに微笑み、そして最後に、頬を上気させながら言いました。
「頑張ってね。青い旅人さんに、幸運を!」
大きめの右手と、小さな両手で握手します。幸運のおまじないです。
そうしてそれは、また歩き始めます。小さな女の子は、その少し大きな背中をしばらくの間見つめ、小さくなってから家へと帰って行きました。
それはずっと歩いています
それはずっと探しています
それは碧い髪に、碧い服
目と肌だけが、真っ白でした
砂漠を越えたそれは、とある街に着きました。そこでは、浅黒い肌をした人々が日影に身を寄せ合って、ただそこにいます。
この道を進むとそこには広場。広場の中心には、砂まみれの乾いた噴水がありました。そこは、市場として使えそうなほど広く作られています。
風が一陣、たくさんの砂をはらみながら通ります。乾ききった風は、ただ熱いだけのものでした。
風が通り過ぎてから、それは服についたたくさんの砂を払い落としました。白っぽくなっていた服は、元の碧さを取り戻します。
それの近くにいた、日影に座り込んでいる浅黒い肌の男は、それが服の砂を払う音でようやくそれに気付きました。赤や黄色の鮮やかな、しかし砂にまみれ、くたびれてしまっている服を着た男が、それに話しかけました。
「あぁ、旅人さんか…こんな、何もない所にようこそ。一体、何のようだい?」
それは、いつも通りに答えました。男はそれを聞いてせき込むように水を持ってないか聞き、それがないと答えると、どこか遠くを見つめながら言いました。
「そうか…この先には、何もないよ。昔は"ウミ"だったらしいが、今じゃあただの墓場さ。」
浅黒い肌の、元は鮮やかだったろう服を身につけた男は、太陽がずっと照り続け、その上雨がまったく降らなかったので、その"ウミ"は干上がってしまったのだと疲れた顔で教えてくれました。そのせいで、水を求めて隣国と"戦争"になってしまったのだと言うことも。
「水はもうほとんど残ってない。近くの街が少しは分けてくれるが…明日にも底をつきそうさ。ここから離れる気力さえ、とうの昔になくしたよ。今、こうして話せてるのが不思議なくらいさ…」
食べ物も残ってないから、後は本当に飢えて死ぬだけだとかすかに笑い、何かぽつりとつぶやいて、男はうつろな瞳でもう一言も喋りませんでした。
光のない瞳をもった人々がただそこにあるだけの街は、廃墟も同然でした。
違うのは、人形がそこら辺中に、壊れもせず置いてあることだけ。
そしてそれは走り出しました。さっきまで人間だった男が、"墓場"と呼んだ方へ。砂が舞い、もやになるのも気にせず、周りの人形にそれがかかることも気にせず、高鳴る動悸とカラッポな心を持って。
それはずっと歩いていました
それはずっと探していました
"生まれた場所に戻らなければ"
世界の声を聞きながら
そこは戦場になりました。今はただの死体置き場です。"墓場"とは、到底呼べそうにありませんでした。死体はただ、転がっています。
広く、黒い乾いた地には、さっき会った人形達が着ていた服と同じ服を、砂で真っ白に染めた死体と、茶色の、やはり砂で真っ白に染まった布をぐるぐる体に巻き付けた死体とが、同じ様にたくさんちりばめられていました。
それらは、乾いた風にさらされて、ミイラのようになっていました。
それは、胸がさらに高鳴るのを感じました。
同時に、心がさらにカラッポになっていくのを感じました。...男の話を聞いた時
よりもさらに、です。
ひたひた、ひたひたと溢れてくる想いが、心をカラッポにしていきます。
そこは、それが望んでいたものでした。
でもそこは、それが望んでいた姿ではありませんでした。
茶に赤が染み込んで、黒くなった大地。
たくさんの、死体。そして
乾いた空気。
"戦争には勝ちも負けもしなかったけど…負けた方が、楽だったかもなぁ…"
微かで、風にさらわれてしまいそうだった声は、なぜかそれの耳へしっかりと届き、心につきささっていました。
元々、青色のたくさんの水がここにはありました。肌にはりつく、少しべっとりとした潮風が吹き、あたりには磯の香りが漂います。
魚市場のにぎわう場所、噴水のある街。
海の街、フロンベルジェ。
それは、あの廃墟がその名を持っていたことは知りませんでしたが、そうであったことは容易に想像できました。
そうして、ようやく、
それは、自分の罪の重さを知りました。
それを思い出したそれは、何かにつき動かされるかのようにゆっくりと、あの廃墟にあった人形達と同じうつろな瞳で、操り人形のように黒い大地の中心へ歩いて行きました。
それはただ見たかったのです
それはただ知りたかったのです
自分の上を横切っていく
木や鉄の塊、その上で動く人形達を
黒い大地の中心についたそれは、糸が切れたようにそこへ座り込みました。
心には何もなくて、動悸はこれ以上ないほど早くて。
でも、糸が切れた瞬間。
動悸は収まり、かわりに心から何かよく分からないものが溢れ出てきました。
どこからともなく津波のように溢れてくるそれは、それの心には到底収まりきれる量ではなく、やがて溢れ出します。
収まりきれなかった分は、それの目から溢れ出します。その、少し塩っぽい味のする水を、人は"涙"と呼びました。
それは、どうして目からそれが流れているのかを考えもせずに、座り込んだままただ流れるに任せていました。まばたきすらも、しません。
そうしていつの間にか、それの姿はどこにもありませんでした。その場に服だけを残して。まるで、溶けてなくなってしまったかのように。
かわりにそこには、たくさんの水がありました。元あった海の水をそのまま持ってきたような、溢れるほどたくさんの水。
昔のような青い風景。違うのは、
たくさんの水の底に沈んだたくさんの死体、黒く染まった大地。そして、
海水とは違って、少しだけしょっぱい…そう、
涙のような味だけでした。
それは、後に『涙の海』『悲しみの水』と呼ばれる巨大な水たまりを残して、どこかへ消えていきました。
それは色々なことを知りました
同時にたくさんの悲しみを生みました
やがて、それを知ったそれは
もとの自分に戻りました
"どこに向かっているの?"
"水平線を探している"
"すてき!"
水平線を探していた碧い旅人は、
水平線になりました。
ずいぶん前にかいたやつです。
サイトのどこかにおいてあるのを再利用。いつか書き直したいかも。
文章がまだまだつたない。今見るとつくづくそう思います、