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健全な男同士のオムニバス  作者: 陽花紫


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3/7

四個入りの小さく柔らかなパンの記憶

現代、淡々と切ない

 硬いパンより、柔らかいパンのほうが好きだ。

 これは、あくまでも個人的な意見だ。


 硬いパンのほうが、噛めばかむほど小麦の風味がとか言うけれど。

 俺には、そんな些細な味の違いはわからない。


 友人曰く、俺は味覚がおわっているらしい。

 それは幼い頃から貧しくて、ろくなものを食べてこなかったからだ。

 母と俺に、弟が二人。


 母は水商売をしていて、ほとんど家にいなかった。

 そのため、食べるものは自分でどうにかするしかなかった。

 調味料をどばどばかけたパンにごはん。時には、水道水をすすることもあった。


 誕生日の時にだけ食べることができる、四個入りの小さな柔らかいパンだけが俺の唯一のご褒美だった。

 中にはチョコクリームが入っていて、一人一個で仲良く分け合う。

 母の分はとっておいて、残りは俺と二人の弟で笑顔を浮かべながら食べていた。


 いつか俺は、それを全部一人で食べたいと思っていた。


 けれど成長してそれを全て食べても、ぜんぜん美味しく思えなかった。


 ――こんなものか。


 そう、思っただけだった。

 今日は一つだけにして、残りは明日に取っておけばよかったんだ。


***


 母に新しい男ができた時、俺と弟たちはやっと貧しさから抜け出すことができていた。


 珍しく長く続いているようで、男は俺や弟たちにも金をかけることを惜しまなかった。

 そのおかげで、俺は大学に進学することができていた。

 小さなアパートで一人暮らしをして、バイトをして、なんでもないような日々をおくっていた。

 あの人には、感謝してもしきれなかった。


 けれど今となっては、もう二度と実家には戻りたくない。

 初めは長期休みのたびに戻っていたけれど、今となって連絡さえもとっていなかった。


 男と別れたのか、母からはやたらと金をせびるような連絡ばかりがきていたんだ。


 やがて住む場所を変えて、俺はなんてことのない一般企業に就職していた。


 そこで同僚として出会ったのが、タケだった。

 タケとは不思議と気が合って、気づけば友人になっていた。

 休みの日も一緒に時間を潰して、昼飯も一緒に食べていた。


 タケと過ごすひとときだけが、俺に感情と味覚を与えていた。

 一緒に何かを食べれば、それは全て美味しく感じられていた。


 こんなこと、初めてだった。

 これまで、友達はいくらでもいた。だけど皆、つまらなかった。

 タケは物知りで、仕事もできて、いつも爽やかな笑みを浮かべていた。


 しかしある日、衝撃的な言葉を耳にした。

 タケが、結婚することになったんだ。


「いやぁ、久々に実家戻ったら元カノと会ってさ!それでヨリ戻して……、どうせなら結婚するかーって……」


 その報告を受けた時から、また何も味がしなくなった。


「そうか、……おめでとう」

「式には、お前も来てくれよな?」


 すぐに返事をすることが、できなかった。

 曖昧に笑って、手を振ることしかできなかった。


 なぜだか無性に、あのパンが食べたくなった。

 あのパンを食べれば、幸せな気分になれると思ったからだ。


 スーパーに寄って、変わらぬ安さを誇るそのパンを買う。


 一口食べて、手が止まる。

 まずい、だけだった。

 安っぽい味に、あれだけ好きだった中身のチョコでさえもまともに美味しく思えなくて。

 それでも腹が減っていた俺は、気付けばそれを平らげていた。


 逃げるように、俺はすぐさま転職した。

 実家が大変だと嘘をついてまで、この街を離れた。


 守るものがない俺にとって、それは実に簡単なことでもあったんだ。


 組織の駒が、一つなくなる。会社にとっては、その程度のことだった。

 連絡先も、ブロックした。もろもろの番号も、変えていた。

 住む場所も変えて、また俺は一から社会に溶け込んでいく。


 けれど次は、もっとうまくやろうと思っていた。

 もう二度と、好きになった男を離しはしないと。


 夜な夜な、そういったバーを訪れては相手を探していた。

 イベントにもクラブにも参加して、たった一人だけの相手を探していた。


 そしてついに、俺はその相手と巡り合う。

 パン屋で働くというその男は、呆れるほどパンのことしか頭になかった。

 朝は早く、夜は遅く。会えるのは休日のたった数時間だけ。

 それでも、男とは気が合った。


 会えばいつでも焼きたてのパンの匂いがして、いつでも食欲をそそった。

 そして、別の欲までをも。


 男は、何も言わずに俺のことを抱きしめた。

 俺の過去も何もかもを聞かないで、今の俺だけでいいと言って。


 事後に食べるパンは、決まって彼が試しに焼いたもので、どれもとても硬いものだった。

 ただ顎だけが疲れるそのパンのことが、俺は大嫌いだった。

 時には柔らかいパンも作ってくれたけど、どうにも柔らかすぎて、やけに繊細で上品な味が苦手だった。


 俺が本当に好きなものは、何なんだろう。

 俺は今、何を欲しているんだろう。


 そんな時、弟たちと再会した。

 偶然、街なかで。

 二人は年も近くて仲が良くて、いつも二人で過ごしていた。


 今日も、似たような服を着て並んで歩いていた。


「兄さん……!兄さん、だよな?」

「まじで、兄さんなのか?」


 二人は記憶の中よりも、立派な大人に成長していた。

 俺はどんな顔をすればいいのかわからなくなって、昔のままの、良き兄の笑みを浮かべていた。


「大きくなったな。……元気でな」


 それだけを言って、俺は逃げるように走り出す。


 弟がいるということは、母も付近にいる可能性が高かったからだ。


 すぐに荷物をまとめて、家をでた。どこか遠くへ行かなければ、と。


 パン屋の男に何も言わず、俺は静かに街を出た。

 また、あの時と一緒だ。

 連絡先を断って、同じように番号を変えて。唯一の男を探し求めては夜の街をさまよった。


 何度も、傷ついた。

 何度も、逃げた。

 それでも、なぜだか誕生日の時には、いつもあの柔らかなパンを買って食べていた。


***


 もそもそと食べ進めていると、今の恋人であるリョウが笑っていた。

 柔らかく笑って、俺の肩にもたれかかる。

「懐かしいな、そのパン。昔よく食べてた」

「そうか」

「一口、ちょうだい」

「ほらよ」

「うん、おいしい」


 もう、執着することはやめにした。

 気になる男に声をかけて、すぐに別れることばかりを繰り返していた。


 しかしリョウとは、不思議と長く続いていた。

 けれどあまり、期待をしていてはいけない。

 いつかはリョウとも、別れる時がくるのだから。


「パンって、硬い派?それとも柔らかい派?」

「柔らかい派」

「だよなぁ、……俺も。かったいパンって、顎疲れるだけだよな!」

「……そうだな」


 何気ないことで笑える、それだけでよかった。


 ――それだけで、よかったんだ。


 リョウは俺の過去を、知ろうとした。

 包み隠さず話しても、何も言わずに、ただ静かに抱きしめてくれていた。


 そして俺も、リョウの過去を知っていく。

 ありふれた幸せな家庭で育ち、多くの友人に恵まれ、そして多くの恋をしては思い出に変えていった。


 俺はリョウを、抱きしめることができなかった。

 羨ましかった、憎らしくも思えた。


 それでも、リョウは俺のことを好きだと言っていた。

 抱きしめ返さなくてもいいと、笑っていた。

 だから、その優しさに甘えていた。


 いつしか一緒に暮らすようになって、やがて俺たちは家族みたいに過ごしていた。


 そして、また誕生日がやってきた。

 俺は、リョウに盛大に祝われていた。


「ケーキ買ってきたんだ。……食べる?」


 その日、俺は人生で初めてケーキというものを口にした。

 これまで何度か買う機会はあったけれど、いつも理由をつけては見送っていた。

 俺みたいなやつが、あんな綺麗なものを食べてはいけないのだと。


「……いいのか?」

「もちろん。だって、誕生日だろう?」


 あまりにも甘くて美味しくて、気付けば涙をこぼしていた。


「えっ、どうした?」

「ちがう、ちがうんだ……。嬉しくて」


 そう伝えれば、リョウはいつものように笑っていた。


「これからは、毎年ケーキ買ってくるからな」


 けれど時々、あの柔らかいパンの味が恋しくなる。

 時代の流れか、その価格は変わらないものの、今では三個入りになっていた。

 リョウと俺と一つずつ、余った一個は半分に割って食べていく。


「やっぱこれも、うまいよなぁ」

「……そうだな」


 こんな幸せがいつまでも続くことを願いながら、俺はリョウの手を強く握った。


END

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