LAZULI ~呪い~
タイトルは『呪い(のろい)』ですが、ホラーではありません。
「LAZULI」本編開始時点より約1年前の春のお話です。
ディートハルト16歳
エトワス18歳
翠18歳
小雨がぱらついているせいだろうか、週末だというのに普段なら賑わっているはずの商店街の人通りはまばらだった。
その通りを、ディートハルトは一人重い足取りで歩いていた。足を一歩踏み出す度に身体のあちこちが痛むのは、つい先程まで犬猿の仲の同級生コンビと殴り合いの喧嘩をしていたせいだ。
『腹減った……』
空腹のせいか、余計に身体が重く感じられる。
学生寮に戻る前に何か食べる物を買って帰るつもりで、目当ての食料品店へ向かうため、近道しようと小道に入った。
「ん……?」
路地に入ったところで、ディートハルトの足下に何かが転がってきて、コツンとぶつかった。
それは掌に乗る程度の大きさの黒っぽい木の箱だった。蓋にはつる草のような模様が彫り込まれている。転がってきた方を見ると、すぐ傍らの小さな雑貨屋の入口付近で、花柄のワンピースを着た老婦人が腰を屈め何やらせっせと作業していた。転がった箱にもディートハルトにも全く気付いていないようだった。
「あの、これ」
どうしようかと迷ったが、小箱を拾い老婦人に歩み寄ると、ディートハルトはスッと差し出した。
「ん?……あら?あらあら」
身体を起こした老婦人は、突然視界に入った小箱を見た後、それを手にした者へ視線を向け、ずり落ちた眼鏡を指でクイッと上げると顔を近付けた。
少し曇った分厚い丸形のレンズの奥で、細い目がしょぼしょぼと瞬きを繰り返す。
「こ、転がって来たんで……」
鼻先が触れそうな程に、あまりに至近距離に接近して覗き込まれ、ディートハルトは後ずさりした。
「あらあら、そうだったのかい。気付かなかった。ありがとね、お嬢ちゃん」
「……」
木箱を受け取った老婦人は、ディートハルトにニッコリと笑みを見せる。
眼鏡を拭いた方がいいんじゃないだろうか……。ディートハルトはそう思った。
「お店を閉めて北ファセリアの息子の所に引っ越すことになったから、品物を片付けて荷造りしていたんだけど、私一人じゃえらく時間がかかってしまってねぇ。いつの間にか日も暮れて、雨まで降ってきちゃったよ」
そう言ってカラカラと笑う老婦人の言葉を聞きながら、ディートハルトは店の入口付近の路地に積まれた沢山の大きな箱に目をやった。紙製の物だけでなく、重そうな木製の物もある。
これは、店から出してこれから何処かへ運ぶつもりのものだろうか、それとも、逆に今から店の中に運び入れるところなのだろうか……。そう思った。
「……手伝う人、誰かいないんですか?」
「ん?本当は明日、息子夫婦と孫たちが来て荷造りしてくれる事になっていたんだけどね。待ちきれないで、つい自分一人で始めてしまったんだよ」
「……」
それから1時間半、そのまま帰る事は出来ず、ディートハルトは雑貨屋の老婦人の荷造りを手伝った。店の品物を全て箱詰めし、整理するため一度外に運び出していた物も痩せた老婦人に代わり再び全て店の中に運び込んだ。
「ありがとう。おかげでとても助かったよ」
「じゃ、帰ります」
「ああ、ちょっと待って!」
早々に立ち去りかけていたディートハルトを、老婦人が引き留める。
「これは手伝ってくれたお礼だよ。持っていきなさい」
と、彼女が差し出したのは、売り物だったらしいアンティークの人形だった。
「……」
「遠慮はいらないよ」
そう言って微笑むが、ディートハルトは戸惑ったように微かに眉を顰める。深いグリーンのベルベットのドレスを着て、プラチナブロンドの柔らかな巻き毛と緑色の瞳をした少女の人形は非常に可愛らしかったが、貰っても困ってしまう。
「ああ、そうか。もう、お人形さんで遊ぶような年頃じゃないか」
「……(もしかして、性別を誤解されてる?)」
ファセリア帝国学院騎士科の男子学生の制服を着ているのだが……。ますます困惑した表情を浮かべていると、老婦人は人形ではなく別の物を差し出した。
「じゃあ、これにしようかね」
次に差し出されたのは、ディートハルトが拾って渡した、転がってきた小箱だった。
「……」
老婦人が蓋を開けると、中には淡いピンク色の石と小粒の真珠が飾られた銀色の腕輪が入っていた。花をあしらった非常に細かな細工が施してあり、どう見てもそれは女性用の装飾品だった。
「これは昔、とある貴族の娘さんが持っていたものでね、不思議な力があると言われているんだよ。身につけると恋愛運が上がるって言われているんだ。まあ、お嬢ちゃんは美人さんだから必要ないかもしれないけどね。ほら、つけてあげるからおいで」
「あ、いや、あの……」
拒否しようとしたディートハルトの左手首を素早く掴み、老婦人は腕輪の留め具をパチンと留めた。
「ほら、可愛いねぇ。よく似合っているよ。これですぐに“男の子にモテモテ”だ」
そう言って老婦人はニコニコと笑った。
* * * * * * *
ディートハルトが小さな雑貨屋にいる頃、エトワスは一人、男子学生寮の部屋で自分のベッドに仰向けになり、家から届いた手紙を読んでいた。
「お茶会ね……」
エトワスが手にしているのは祖母クローディアから届いた”お茶会”への招待状だった。頻繁に開かれている”お茶会”だったが、時折こうしてエトワスの元へも招待状が届く。同じように妹のフェリシアへ届く招待状は、純粋にお茶とお菓子とお喋りを楽しむためのお誘いのものなのだが、エトワスへ届く招待状は、いわば召喚状のようなものだった。出席すると、楽しく雑談する代わりに色々と一方的に尋問される。その内容は、主に交友関係に関してで、その後は卒業後の身の振り方へと話が移り最終的には縁談をほのめかされる。相手は決まって同い年の皇女アンジェラだった。
「………」
元々付いていた折り目通り手紙を3つ折りにして封筒に戻すと、長い溜息を一つ吐いた。
『絶対に嫌だって訳じゃないけど……』
アンジェラはおとぎ話に出てきそうな程、完璧な皇女だと言われている。賢くて美しく、何より生まれ持った気品もある。敢えて難を上げるなら、少し我が侭なところがあるのだが、それすらも魅力の一つとして数えられていた。
『噂通りだし……』
エトワスは、ライトブラウンの髪と瞳をした皇女の顔を思い浮かべていた。誇り高く意思の強さを感じさせる微笑を浮かべた姿は、華やかで豪華な薔薇を思わせる。
『……でも』
一生を供にしたいかと尋ねられれば、頷けなかった。
皇帝家との縁をさらに深めたいのなら、妹のフェリシアを皇帝に嫁がせれば良いのに、とも思う。元々、フェリシアは親戚でもある皇帝や皇女に親近感を抱いているし、皇帝や皇女もフェリシアの事を可愛がっていた。
とにかく、今回はどうやって言い逃れようかとお茶会欠席の理由を考えていると、扉が開く音がして、誰かが部屋に帰ってきた。
「疲れた……」
そう言って部屋に入ってすぐの共用のテーブルに持っていた荷物を置いたのは、ルームメイトの一人ディートハルトだった。雨に濡れた制服の上着を脱ぎ椅子の背にかけ腰を下ろすと、紙袋の中を漁る。中から取り出したのは、ホットドッグとフライドポテトだった。
「……」
エトワスはベッドに寝転がったまま、ディートハルトにチラリと視線だけ向けた。
皇女アンジェラのイメージは消え、今現実で視界に入っているルームメイトの姿が、そのダークブラウンの瞳に映る。
澄んだ大きな瑠璃色の瞳、
長い睫、
艶やかな金の髪、
細身の身体。
泥や血で汚れた制服ではなく、皇女のように絹のドレスやリボン、宝石の散りばめられたティアラも似合いそうな気がする。
剣や拳銃の代わりに、小さな花束やぬいぐるみを持たせてもいい。
「あ、そうだ。あのさ」
ディートハルトがホットドッグをパクつきながら、エトワスの方を振り向いた。
「これ、外せるか?」
可愛らしいピンクや瞳に合わせた水色のドレスも良いが、裾の長い純白のドレス姿もよく似合いそうだ……。
顔を隠すベールをそっと上げると、鮮やかな瑠璃色の瞳にはエトワスの姿のみが映っている。
普段はきつい視線も柔らぎ微笑むかのように細められ、頬は薄紅に染まり、ほんのり苺色の唇は上向きに弧を描いている。その唇が囁くのは、もちろん自分の名前だ。
「エトワス!」
「!」
「おい、エトワス?」
暴走していたエトワスの妄想は中断された。
片手に食べかけのホットドッグを持ったまま、身を屈め顔を覗き込んだディートハルトは、瑠璃色の瞳で不思議そうにエトワスを見ていた。
「今、目ぇ開けて寝てた?」
「……いや、ちょっと考え事を……」
何故か歯切れの悪いエトワスを全く気にも留めず、ディートハルトはホットドッグを口にくわえると、左腕のシャツの袖をグイと上げた。
「あのさ、これ」
見ると、細い手首に可愛らしい腕輪が光っている。細かい花の細工や飾られている宝石からするとかなり高価な品のようだったが、それは彼の趣味とは思えないものだった。
「成り行きで貰ったっつーか、強引につけられたんだけど、どうやって外したらいいのか分かんねーんだ」
手にしたホットドッグを食べながら、ディートハルトはそう言った。
「見せて」
エトワスは体を起こし、ポンポンとベッドを叩いてそこへ座るよう促すと、ディートハルトはすぐにエトワスの傍らに腰を下ろした。
「これは……」
腕輪の留め具は花をあしらった装飾の下に巧みに隠され、一見しただけでは何処にあるのか分からないほど精巧な造りになっていた。
「引っ張ってもとれねーし。でも、流石に壊すのは悪いし」
「そうか」
腕輪を調べていたエトワスは、何気なく顔を上げディートハルトの顔を見た。
「……」
エトワスの視界に入った現実のディートハルトは、苺色のリップカラーではなく、食べかけのホットドッグのケチャップとマスタードを口の横に付けていた。そして、大きな瞳のすぐ近くには、本日の戦いで得た勲章――出来たばかりの痣がある。
「外し方、分かるか?」
「……可愛いな」
フフッと、エトワスは思わず笑ってしまった。ケチャップとマスタードが、そして喧嘩で出来た痣が、まるでやんちゃな子どもを連想させたからだ。
「?」
ディートハルトは瑠璃色の瞳を瞬かせた。それは、彼にとっては何の脈絡もない言葉だったからだ。
「何が?」
「ディートハルトが、だよ」
「……あのさ、いきなり何の冗談だ?笑うポイントが分かんねえ。っつーか、意味分かんねえ」
ディートハルトは困惑したように眉を寄せている。
「冗談を言ってる訳じゃないよ。お前が……」
「あああっ!そうか!マズイっ!!」
突然、声を上げたディートハルトは、大きく身を引いて、勢い余ってそのままベッドから後ろ向きに床に落ちた。
「っ!!」
「大丈……」
「エトワスっ、大丈夫か?!」
すぐに立ち上がったディートハルトは、ガッとエトワスの両肩を掴むと真剣な表情でそう尋ねた。
「は?いや、それは、俺がお前に聞きたい」
痛そうな音がした。床で頭を打っているはずだ。
「おれの事、“可愛い”とか言ったよな?本気か!?」
「ああ、本気だ」
エトワスがそう答えると、ディートハルトは酷く困ったような顔をした。
「エトワス、悪い。おれのせいだ!じゃなくて、これは呪いだっ!!」
ディートハルトは焦った様子で左腕に嵌められた腕輪を抜こうとしているが、留め具が外れないので手の甲の半分程の位置にシッカリと食い込んでしまっている。
「クソッ!ダメだ!……まさか本当に効くなんて思わなかった!」
「呪い??何の話だ?」
訝しげに尋ねるエトワスに、ディートハルトは腕輪を指し示した。
「この腕輪を付けると、恋愛運がアップして、モテモテになるって言われたんだ!」
「……それは、”呪い”じゃないだろ。それに、俺がディートハルトを可愛いって言ったのは、その腕輪の効力じゃ……」
「エトワス!」
ディートハルトは、キュッと眉を寄せてエトワスの顔を見た。何やら強く責任を感じているような神妙な表情だった。
「これ、返してくる!そして、ちゃんと呪いの解き方も聞いてくるからな!」
そう言い残し、クルリとエトワスに背を向けると、ディートハルトは勢いよく部屋を走り出て行ってしまった。
「………」
取り残されたエトワスは、呆然としたままベッドに座っていた。
「ただいま~」
そこへ、ディートハルトと入れ替わりに、もう1人のルームメイト、翠が部屋に帰ってきた。
「あのさぁ、ディー君どうかしたの?下ですれ違ったから声かけようとしたら、『何も言うな!ってゆーか、絶対おれに近付くな!』って言われたんだけど。しかも、全力疾走して逃げてったし」
「……呪われてるらしいよ」
エトワスは溜息でも吐きそうな様子で、そう答えた。
誤解とはいえ、“可愛い”という言葉だけでなく、好意そのものを”呪い”呼ばわりされたようで少しショックだった。
「は?何それ?」
不思議そうな表情の翠に、エトワスは小さく乾いた笑いを返した。
「何だろうな」
虚しさと切なさの混じった苦笑いだった。




