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第三章:色々歪んできて

ミリアが別邸に呼ばれ、ネーベルと二人きりの屋敷生活が始まった麦。

少しずつ仲良くなる二人だが、そこへ再び現れるしつこい訪問者グレイヴ。

そして、町で出会った新しい友人──情報屋の少年リベル。

変化していく日常の中で、ネーベルの心は静かに揺らいでいく。

メイド長ミリアが別邸に派遣されることになった。

 理由は、他の悪魔のお世話係が突然辞めてしまい、次の人材が来るまで臨時でそちらを手伝わねばならないというものだった。


「数日は戻れません。その間、無理はしないようにしてくださいね、麦」

「はーい! あ、でもミリアさんいないと、なんか寂しくなりますね」

「……そういうことをさらっと言うんじゃありません」


 そっぽを向いて立ち去るミリアの背中を見送ったあと、麦は小さく伸びをした。


「さて、今日からは少し静かになっちゃうなー……」


 そう呟いた矢先だった。


「麦」

 呼ばれて振り返ると、そこにネーベルが立っていた。黒いベールに隠された赤い瞳が、淡々と麦を見つめている。


「お茶にしませんか」


「えっ、あ、いいですね!」


 それは、ネーベルから初めて自発的に向けられた誘いだった。


その日から、二人は少しずつ一緒に過ごす時間を増やしていった。

 ネーベルが淹れるお茶は驚くほど美味しく、話題も意外に豊富で、麦はどんどん打ち解けていった。

 笑顔の乏しいネーベルだが、時折見せる小さな微笑みは、麦にとってなんとなく特別に感じられた。


「ネーベルさんって、意外と話しやすいんですね」

「……そうでしょうか」

「うん、なんか安心するというか。あ、でも笑った顔はもっと可愛いですよ!」

「……それは、どういう意味ですか」

「え? あ、褒め言葉!」


 ネーベルは一瞬だけ口を開いたが、何も言わずに紅茶に視線を落とした。


そんな穏やかな時間が続いたある日、屋敷の門がコンコンと音を立てた。

 訪問者だ。ミリアがいないので、対応するのは麦しかいない。


「ネーベル様はお部屋にいてくださいね!」というと


「はいはーい! 今行きます!」

と門に向かって急いだ。

 門を開けると、そこには漆黒の髪を後ろで束ね、白のタキシードを着た悪魔──グレイヴが立っていた。

 片手には赤いバラの花束。相変わらず整った顔立ちに麦はたじろいだ。


「おや……ネーベル様はご不在かな?」

 グレイヴは麦の顔を覗き込み、にこりと笑った。

「代わりに、君が対応してくれるんだね。可愛いお世話係だ」


「あ、えっと……今日はお休みでして──」


 言い切る前に、グレイヴは一歩近づいた。

 その瞳が、まるで値踏みするように光る。


「君、名前は?」

「あ、青山麦っていいますけど……えっと──」


 その手が伸びてきた。麦の肩に触れようとする指先が、ほんの少しだけ触れた──その瞬間だった。


「……おやめください」


 低く、冷たい声が響いた。

 視線を上げると、そこにはネーベルがいた。

 静かなはずの足取りで、彼女はいつの間にか門まで来ていた。


 その表情は、いつもの薄い笑みではない。ほんのわずかにだが、眉が寄っている。


 グレイヴは一瞬、目を細めて笑った。

「ほう……あなたがそんな顔をするとは。まるで──嫉妬しているみたいだ。そのお顔もとても美しいですね。惚れ惚れ致します。」


 ネーベルは答えなかった。ただ、麦の腕を軽く引き寄せ、自分の後ろへと庇った。

 その仕草は自然すぎて、麦さえも一瞬戸惑った。


「失礼しましたね。ですが、私はただご挨拶に来ただけで──」

「お引き取りください」


 ネーベルの声は淡々としているのに、どこか刺すような鋭さを帯びていた。

 グレイヴは笑い、深々と一礼して背を向けた。


「……面白い。あなたがそんな風に守る誰かがいるとは。仕方がない。本日はここで失礼いたします。またお会いしましょう、ネーベル様」


 軽い足取りで去っていくグレイヴを見送りながら、麦はぽかんとした表情でネーベルを見上げた。


「え、えっと……ネーベル様、今の……?」


「……あの者は危険です。関わらないでください」


 ネーベルはそれだけ言うと、何事もなかったかのように屋敷の中へと戻っていった。


 残された麦は、ぽかんと口を開けて何が起こったのか理解できなかった。

ネーベル様の意外な一面が見られて様な気がした。


部屋に戻ったネーベルは、静かに目を閉じた。

 落ち着かねば──そう、ミリアに言われたことを思い出す。


『ネーベル様、その子に……深入りなさらない方が』


 深入り。

 私はそんなつもりはない。

 ただ──危険から守っただけ。そう、あれは当然の行動で──


「……なのに、なぜ……」


 こみ上げてくる感情が、それを拒否した。

 胸の奥が熱い。喉の奥が苦しい。

 あの者の手が麦に触れた瞬間、全身を貫いた拒絶の衝動は何だったのか。


 落ち着こうと深呼吸を繰り返すが、そのたびに脳裏に浮かぶのは麦の後ろ姿。

 自分の影に隠れた彼女の、驚いた顔。

 そして……自分が腕を引いた感触。


(……私は……何を……)


 ベールの下で、ネーベルの唇が強く結ばれた。


屋敷を離れ、森道を歩きながら、グレイヴは花束をくるりと回して笑った。


「やっぱり……面白いなぁ、ネーベル様は」


 あの冷たい顔が一瞬だけ歪んだ。

 誰かを庇うために動いた、その表情。

 普段は感情を抑え、触れられない氷像のような彼女が、あんな顔を見せるなんて。


「……あの子か。あの子のせいだ」


 麦。

 青山麦──小さくて、無防備で、感情をまるで隠さない少女。

 彼女が、ネーベルの中の何かを揺らがせた。


「奪う価値がある……」


 グレイヴの口角が、ゆっくりと持ち上がった。

 その笑みは、優雅さの奥に微かな歪みを孕んでいた。


「次は、もっと面白い顔を見せてもらおうじゃないか……ネーベル様」


 手に持ったバラを一輪、軽く握りつぶす。

 棘が指を裂き、赤い雫が滴った。

 だがグレイヴはそれを気にも留めず、歩みを止めなかった。


グレイヴが去った後、麦はしばらく立ち尽くしていたが、思い立ってネーベルの部屋を訪ねた。


「ネーベルさーん、いますか?」


「……どうぞ」


 扉を開けると、ネーベルは窓際に立っていた。いつもと変わらない微笑みを浮かべているが、その奥にかすかな影があるように見える。


「さっきはありがとうございました! 私ちょっとビックリしちゃって……でも守ってもらえたの、うれしかったです」


 麦はにこっと笑い、軽く頭を下げた。


「……気にすることではありません。危険から守るのは当然のことです」


「でもネーベルさんがあんな風に言ってくれるなんて、なんか心強いなぁ」


 その言葉に、ネーベルは一瞬だけ目を伏せた。


「……少し、一人にしていただけますか?」


「え? あ、はい! ごめんなさい。じゃあまたあとで!」


 麦はあっけらかんと答え、軽い足取りで部屋を出て行った。


一方その頃、麦はすっかり気持ちを切り替えていた。


「よーし、掃除掃除~♪」


 ミリアがいない分、仕事は増えた。だが麦は鼻歌まじりにモップをかけ、窓を磨き、階段を駆け上がった。

 心配なのはミリアのことだけだ。別邸でもきっと厳しく仕事をしているだろう。


「早く戻ってくるといいなぁ~」


 軽やかな歌声が広い屋敷に響き渡った。


ミリアがいなくなってから数日。

お世話係がなかなか見つからないらしく、帰ってくるのが遅くなるらしい。


その数日で食料が底を尽きた。


屋敷から少し歩いた先に広がるのは、魔界特有の独特な町並みだった。

 石畳の通りには、異形の姿をした悪魔たちが忙しなく行き交い、色とりどりの屋台が並んでいる。

 赤く光るランタンがぶら下がり、どこか香辛料の強い匂いが風に混じっていた。

 看板には見慣れない文字が躍り、どれも読めないが、雰囲気で肉屋や八百屋のようなものはわかった。


「……なんか、ちょっとした観光地みたい」


 麦は小さなメモを片手に歩き出す。

 野菜、肉、卵(悪魔界の卵は少し黒っぽくてまだ慣れない)、それから果物。


 屋台の一つで果物を選んでいると、背後から明るい声が響いた。


「おや、見ない顔だなー! 観光? それともお使い?」


 振り返ると、そこに立っていたのは麦と同年代に見える少年悪魔だった。

 髪は淡い紫がかった黒髪で少し跳ねており、瞳は軽やかに笑っているような赤。

 肩から小さな鞄をぶら下げ、軽装ながらどこか旅慣れた雰囲気を漂わせていた。


「あ、えっと……お使いです。食材買いに」


「へぇ! もしかしてネーベル様のとこの?」


「え、なんで知ってるの!?」


「俺、情報屋だからね。名前はシグリス


 自慢げに胸を張るシグリス。

 麦は少し面食らいながらも、「情報屋」という言葉に首をかしげた。


「情報屋って……何をするんですか?」


「秘密!……って言いたいけど、簡単に言えば“噂のプロ”。危ないこと、面白いこと、全部耳に入ってくるんだ」


「へぇ……便利そう!」


「でしょ? でも、あんたも気をつけた方がいいよ。最近ちょっと厄介なのが動いててさ」


 シグリスは声を少し落として続けた。


「グレイヴって名前、聞いたことある?」


「……あ、あります。門のところに来たことが」


「やっぱり。あいつはやめときな。あんたみたいな子、狙われやすいから」


 唐突な忠告に、麦は瞬きを繰り返した。


「え、えー……まあ、気をつけます」


「うん、そうして。あ、リンゴ買うならあっちの屋台が安いよ。あと卵はこっち!」


 シグリスはさっさと歩き出し、気づけば麦の買い物かごをひょいと持っていた。


「ちょ、え、なんで持つの!?」


「俺、親切だから。ほら、さっさと回ろう!」


 その軽やかさに、麦は思わず笑ってしまった。


買い物袋を両手に提げて、麦はご機嫌で鼻歌を歌っていた。

 横を歩くのはシグリス。さっきまで町の屋台で食材の安い店を次々と教えてくれ、帰り道まで一緒に来てくれたのだ。


「助かったよー、シグリスくん。ありがと!」

「気にすんなって。俺、こういうの得意だからさ!」


 軽やかに歩くシグリスに、麦は自然と笑みを返した。

 二人とも、すっかり打ち解けている。


 そして──ネーベルの古城に到着。


 重い門をくぐった瞬間、冷たい空気が変化した気がした。

 中庭を抜けると、黒いベールをかぶったネーベルが立っていた。


「あ、ネーベルさん! ただいまー!」

「……お帰りなさい」


 その声はいつも通りの丁寧さを保っているはずなのに、なぜか冷たく聞こえた。

 そしてネーベルは麦の横を通り過ぎ、何も言わずにそのまま廊下の奥へと歩き出した。


「あれ……?」


 麦は小首をかしげた。

 シグリスも気まずそうに肩をすくめる。


「なんか……怒ってた?」

「え、うーん……たぶん気のせい?」


 そう言いながらも、麦の胸には小さな違和感が残った。

 一方ネーベルは自室に戻ると、すぐに書類仕事に取りかかっていた。


(……なぜ私は、あの者と一緒にいる麦を見て──)


 手が一瞬止まる。

 その答えを自分で導き出せないまま、ネーベルは無理やりペンを走らせた。

第三章では、新キャラのシグリスが登場しました!

明るくて人懐っこい彼と麦の相性は抜群。けれど、そんな光景にネーベルは……?

無自覚なまま芽生えつつあるネーベルの感情と、グレイヴの不穏な動き。

そして、麦は相変わらずの楽観モード。

次回は、この三人の関係が少しずつ変わっていくきっかけとなるお話になります。お楽しみに!

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