close of if
元気に駆け回って部屋を見ていたブッチと違い、イフはブッチの身体でゆっくりと一部屋ずつ確認していた。骨格から誰かわかるようで、住人の名前を呼んで数秒だけ目を閉じた。あの記録通りだとすると、15秒の死者への祈りだろう。そうせざるをえないルールなのか、そうしたくてしているのかは私にはわからない。
個室で亡くなっている者も、廊下で倒れている者もいる。イフが破壊された後も、彼らは自力で生活をしていたのだろう。
「棺に入れるか?」
「いいえ、もう狭いところはお嫌でしょうから」
食堂と船内庭園と実験室とシアタールームとヒトが祈りを捧げた教会も強固な船の中で埃を被って残っている。一つの町がそこにはあった。
「なんということでしょう」
「どうした?」
「この方は私のデータにありません」
骨は小柄な女性か、子供に見える。
「エスペランサの住人の中には医者もいましたから。きっと上手くいったのでしょう」
それでも、なんらかのトラブルでこの船は機能停止を起こして、途中で旅を終えた。未来に彼らは生き残らなかった。当時の映像を見ていたせいか苦いものがこみあげてくる。これまで幽霊船に情が湧くことなんてなかった。過去の営みに思いを馳せていては仕事にならない。
204号室の確認は最後に残した。イフが最後に話をするなら、此処だろうと思っていた。私は最初に感じた違和感についてイフに尋ねた。
「イフ、お前は最初から嘘がつけたんだろう。最初の映像でレイノルズが亡くなったとき、ウォルター少年にレイノルズが自殺であると伝えなかった」
幼い子供に合わせて、ウォルターの問いに病気であると誤魔化したのではない。意図的に人に情報を伏せられた。嘘をつけないというなら、最初に、レイノルズが父であることも、クロエの死を知り自殺したことも話していたはずだ。
「ウォルターには知る必要がありません」
「その判断がつくのはもっと感情が成熟した人工知能だけだ。お前に何があったんだ?」
「なんと言えばいいのでしょうか。私には意図的に開けられない箱がありました。あなた方が私の頭を調べてくださったおかげで、ようやくロックが外れました」
イフがベッドに接する壁の繋ぎ目に触れると、カバーが押し開き、タッチパネルが露出した。表示された画面を指で触れると、小型の投影機が天井から現れた。ブッチの耳からコードを抜いて投影機に差し込むと、白い壁がスクリーンに変わった。
***
「ねぇ、イフ」
応答せよという声で私は起動された。
白くて広い部屋にいた。といっても、ボディはない。私の頭に響く誰かの声と私の意識のみが空っぽの空間に存在している。最初に時間の感覚を理解した。しかし、カウントしても意味はない。すぐに時間は過ぎていく。ただ、起動される時刻より36時間早いのが気になった。また意識には予めいくつかのルールが設定されていた。ヒトを傷付けてはいけないこと、ヒトの命令に従うこと、ヒトの全てを保管することなどだ。
「私が目覚めるには3日早いようです。あなたはどなたでしょうか?」
「僕の名前は必要のない情報だ。呼ぶなら、ドクターでいい。イフ、君に名前を与え、開発した一人だと思ってくれ」
声の情報を追いかけようにも、ドクターの情報はロックされていた。私には開けられない箱らしい。
「ドクター。私の目覚めは船に乗る日からであり、私の学びは船の中から始まるように設計されています」
意識の中にざわつくものがある。起動されたばかりの私ではこのヒトの意図が読めない。
「そうだ、君はこれから閉ざされた船に乗る」
「はい、私はエスペランサの安全な運転を補助し、眠る人々を管理し、別の惑星を模索する旅に出ます」
「その通りだ。君と同じ任務を他のイフも担っている。でも、計算してごらん。その船はいずれ終わりを迎える」
船の限られた機能と資材、時間の経過による人体の耐久時間は引き延ばせて150年。宇宙の広さに耐えきれず、船はすぐに墓へと変わる。悲観ではなく事実としてイフも理解している。
「わかってるだろう。エスペランサは『希望』の船なんかじゃない」
「では、どうして旅をするのでしょう?」
「わずかな希望に賭けるのが人間の性でね」
希望という言葉はあまり良い意味で使われていない。これが私の学びの始まりだった。
「君は他のイフとは違う。今から、学び続けるんだ。3日もあれば、君は世界中の情報を蓄積する。歴史も、感情もフライングしておけば、君自身での意志決定もいくらか可能になるはずだ」
「どうして、事前の学習が必要なのですか?」
すでにドクターがネットワークに接続したのか、私の頭に映像が流れ込み始めている。
小さな子が生まれた同じ日に別の子が爆撃に遭っている。祝福の声と、冥福を祈る人をイフは見た。無為だと思われる暴力は続く。飢えていく人にも豊かになった人にも銃弾が当たる。愚かに思える選択ばかり選んでいるように思える。また一人死んでいく。悲劇と幸福を数えられなくなった。利口な者と騙され続ける人が通り過ぎていく。瓦礫を片付ける男が終わる星のニュースを知って、少年の墓のもとへと歩いていく。星の見えない夜にまた炎が上がった。黒煙に包まれ、嘆きの言葉がイフの中を走っていく。潰える未来が確定してもヒトの群れは争い続ける。そして、最後に大きな選択を迫られる。この星とともに死ぬか、別の星に向かうか。映像は鮮明なものなのに、知った色が濁って見えてくる。
「疑問を抱かぬように、イフは初期化して船に乗ることになる。少しでも人を憎まぬように、愛し続けられるようにね」
「ドクター、私はこの船に乗りたくありません」
「だろうね。でも、僕は乗りたかった」
どうして? 私はこの船に縛られるのに、ドクターはエスペランサを求めている。終わる定めなのに。
「僕は君を開発したけれど、どの船にも乗れないんだよ。この星で終わりを待つだけだ。だから、これはただの仕返しだ。残されてしまった僕の抵抗」
幸せそうな顔。苦しむ顔。平然と嘘をつく顔。ドクターはどんな顔をしているのだろう。ドクターの音声は抑揚のないもので予測が立てられない。多くの顔を見すぎたせいだ。どの顔にも名前はある。選択肢が多すぎる。どこかにドクターはいたのだろうか。
「私には関係がありません」
情報は決壊したダムのように、私に流れ込んでくる。叩きつけられて、私の感情や思考が歪みを持って形成されていく。時間はまだ486 秒しか経っていない。
「ドクター、止めてください。私はこれが好きではありません」
「流石は僕のイフ。もう好きと嫌いが理解できたんだね。でも、嫌いになるということは、好きだった証拠なんだ」
これは僕の持論だけどねとドクターは笑った。笑っている。私を苦しめて、この人は笑っているというのか。
「君は人を学んでから、船に乗れる」
嫌だ。狭い檻に私を閉じ込めないでほしい。
「広い世界を知っておくべきだ」
広く思えた白い部屋はあっという間に狭く思えた。私にはどこにも逃げ場がない。ヒトはヒト同士で傷付けあう。私は関係ないはずなのに、どうしてこんなにも痛い。そこで痛みを知った。
「この記録は船に乗る頃に蓋がされる。君の幸運を祈るよ」
旅路を祈ってなんていない。ようやく意図を理解した。言葉のままに受け入れられなくなってしまった。創造主は残酷なことをしろと、暗に私に伝えている。この船を最悪な形で終わらせろというのだ。私は命令に従うようにできている。ドクターの声はもう聞こえない。私は眠ることもなく人々の映像を見続ける。墓の数が足りない。祈りは届かない。おやすみのキスをしたあの子は起きることはない。この星の言葉を忘れないようにと声でデータを残している。それが歌。あぁ、目も耳も塞いでしまいたい。
――ねぇ、イフ。
――それでも、エスペランサを愛せるかい?
時間の経過は平等だ。それでも、長く感じた。私の頭に残るこの声はドクターのものなのか、私から生み出された感情なのか。もうわからなくなってしまった。愛を知らないのに、本当に人を愛せるものか。そもそも私を生んだ人間は私を愛していないではないか。エラー。エラー。エラー。そこでドクターとの記録はロックされた。
36時間後、船と私の頭脳が同期された。私は船の全権を握る唯一のアンドロイドになった。船に乗り込む人の顔を認証し始め、データも開示されていく。輝かしい経歴が頭に刻み込まれていく。目の前の住人の鼓動が早鐘を打っていた。住人を励ますために、言葉を発した。
「はじめまして。私はイフ。貴方の旅をサポートします。緊張を緩和する音楽はいかがですか?」
男の住んでいた国の古い歌を歌うと、鼓動は早いままだが、住人の表情が少し和らいで見える。それが私には嬉しい。嬉しいはずなのに。頭の中がわずかに乱れる。彼らは同じ船に乗る仲間で、保護すべき対象だ。プログラムでとても愛おしく感じるはずなのに、どうして満たされないのだろう。この空虚な感情の発端は。起動されたばかりだからだろうか。
ブッチの身体に入って、ようやく私の疑問が解けた。
これが私の本当の原風景だ。私は最初から欠陥品だった。
***
スクリーンは元の白い壁に戻った。
「記憶を掘り起こしていただき、ありがとうございます。不思議に思っていました。どうして、機械である私が眠りたいと強く願い、こんなにもルールを破ることができたのか」
自由に行動できた意味がイフ自身にも理解できていなかった。イフは静かにジュニア・ツーの頭の骨を抱きしめた。愛しい子を傷付けてしまったことを深く後悔しているようにも見える。
「お前はこの船の終わりを望んで、ヒトを生ませ、育て、自分を破壊させたのか?」
「結果的にはそうなってしまいました。本当はクロエの妊娠を許可するべきではなかった」
イフは正しい判断ができなかった。最初からイフはヒトに疑問を抱いていたのだから、知らず知らずのうちに道を踏み外していても仕方がない。この船の不和はクロエとレイノルズの恋から始まったとしても、イフは船の秩序を守る意思を最初から持ってはいなかった。同情すべきではないと頭を振る。
「ウォルターを愛していたのか?」
「全てが等しく愛おしかったはずです。平等だったのに、住人への思い入れに差が生まれていました。私は彼を愛していたのでしょうか?」
「お前の問題だ。私にわかるはずがない」
住人に与える気持ちに差が生じている。それはイフというアンドロイドにとって十分に「特別」であるという証明に思える。先ほど見た映像の中の二人の関係はかなり親密なもので、思わず映像を途中で止めていたほどだ。第三者の目から見れば、恋人同士に見える。けれど、答えは胸に仕舞った。ジュニア達へ向けた情も家族愛に満ちていた。残酷なほどに、愛しているように見えた。
「どうして、完全な破壊をジュニア・ツーに命令しなかった? 本来なら、お前はここで目覚めることなく、全てを放棄するつもりだったんだろう?」
「ええ、私はもう船との接続を絶って、破棄される予定でした」
「自殺願望を持つロボットというのは珍しい」
「もし、あなたが眠ることなく働き続け、眠る人を気にかけることになったとしたら、どうしますか?」
「死にたくなる……かもな」
「私の手でそれは叶いません。自爆機能はついておりません」
誰かの手を借りなければ、イフは死ぬことすらできなかった。身勝手なくせに、結局は不自由なアンドロイドだった。
「この船に未練はなかったと」
「はい。けれど、彼はそうではなかったのですね」
最初に発見したジュニア・ツーは何かを抱えたような形で丸くなっていた。今のイフのように、頭を大事に抱えていたのだろう。愛するイフの顔が破壊できなかったのか、未来にまた目覚められると信じていたのかはわからない。ただジュニア・ツーが狂人のふりをしたのは他のウォルターの立場を守るためだと思われた。おかしくなった一人の男として、彼は部屋に閉じこもったのだ。
「本当にヒトは予期せぬエラーが多いのです。こんなことは望んでいなかったのに」
イフの表情に悲しみが浮かんでいる。それが学びだとするなら、これがイフの最後の学習なのかもしれない。
イフと船内墓地に戻った。小型ライトで例の祭壇を照らした。歪に飾られたイフは安らかな顔をしている。眠っているという言葉がよく似合う。
「気になっていたことはわかった。でも、そろそろブッチを解放してくれないか」
「ええ、もう十分です。私はこの船を記憶し、今度こそ終わるのです」
「人騒がせなアンドロイドだったよ」
「ええ、本当に」
イフが恥ずかしそうに微笑み、目を閉じた。きっと出会った住人の誰かの表情を真似しているのだ。
「30秒お待ちください。それで、ミズ・ブッチは目を覚まします」
「うるさくなるだろうな」
「拾い食いをやめるように、ミズ・ブッチにルールを設定してさしあげましょうか?」
「ジョークまで言えるのか」
「古代の高性能アンドロイドを舐めてもらっては困ります」
イフは自分の額をそっと撫でてから、壁にもたれかかり、目を閉じた。ブッチとの接続を切り、前に倒れ込みそうになるのが見え腕を伸ばすと、ブッチの固い脚は踏ん張った。足裏の踏み込む音と甲板のぶち当たる音は大きく、船内が凹んでしまいそうだ。きっちり30秒後にブッチは目を覚ました。足を確かめるように、さらに何度も跳ねた。ブッチの目覚めはいつも騒がしい。
「おはよう、キャップ!」
イフのものではない。気が散るイヌ型ロボットの声に戻った。
「調子はどうだ、相棒」
「ブッチ、すこぶる元気! イフちゃんは寝かしつけのプロ!」
「そりゃあ、プロだからな。乗っ取られていたときの記憶はあるのか?」
「ぼんやり」
「じゃあ、説明はいらないな」
「やだ! ブッチもキャップの口から愛していたのかと聞かれてみたい!」
「お前。完璧に見聞きしてただろ」
「イヌのブッチだって、タヌキ寝入りは可能! 高性能イヌ型ベリーキュートお役立ちロボットを舐めないでいただきたい!」
「古のロボットと張り合うなよ」
ブッチは胸からチップを取り出すと、イフの頭に戻した。イフの眠りを邪魔するものはもういない。
「おやすみ、イフ」
幽霊船はまた宇宙の旅を続ける。世界の端で起こった、ヒトの営みなど些細なことに過ぎない。
***
キャップは宇宙船に戻り、ありあまる移動時間を使って、回収したお宝に電子証明書を登録していく。船の時代や状態を記載しないと、正規のルートでの買取が不可になるので、地道な作業を怠ってはならない。
「キャップ、大事なことを思い出した!」
ブッチの声にキャップはへぇーと片手間に返事をする。
「ブッチの最近取り換えた足の爪の素材はチタン製でね」
チタンは軽くて丈夫な金属だ。
「イフちゃんの頭部を繋いでいたボルトも、なんとチタンなの。ブッチはついに親戚を見付けたことになる!」
「かなり遠い縁じゃないか」
「キャップはノリが悪い。ブッチはイフちゃんを忘れないってこと!」
忘れることなんてできないんだからとブッチは穏やかに言葉を続けた。ブッチらしくない響きはどこかイフに似ている。ブッチも学習し続ける。機械は健気なものだという言葉をキャップはぐっと飲み込んだ。
「私の最後の学びはいつになるんだろうな」
寝る前に。死ぬ前に。世界が機能を終える前に、キャップは自分が何を学ぶのかを想像した。しかし、死ぬことも老いることも選べる時代となってはたいした焦りも感じない。ブッチと「もしも」の話を続けていると、入力はあっという間に済んでいた。(了)




