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イフの箱舟  作者: camel
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「ねぇ、イフ」

 24歳になったウォルターは喉にチュープを通して、くぐもった声でイフに語りかける。呼吸が苦しいと言い始めた1年前から、少しずつ体重が落ちている。それでもあんなに大きかったベッドが狭く感じるほど、ウォルターの背丈は伸び、声は低くなった。船を駆け回っていた少年時代は流れるように過ぎていき、青年へと成長した。子供の頃と変わらないのは膨大な数の映画を観ていることくらいだ。全てを観るには時間が足りないと、イフによく愚痴をこぼした。イフの見た目は変わらず、ウォルターだけが年を取っている。そして、住人もあまり変わらない。減ることはあっても、増えはしない。

「原風景という言葉を知ってる?」

「幼い頃に見たもの、記憶に残っている最初の風景のことですね」

 イフはベッドに身体を預けるウォルターの額に触れた。36.7度。解熱剤で熱は下がった。

「僕はシアタールームの薄暗い部屋を思い出すんだ」

 少年のウォルターがシアタールームで目覚めると、映画はすでに終わっていて、画面の操作を待つ青い画面が映っている

「寂しさに襲われると、決まってイフが来てくれたんだ。まるで、全部見えているみたいに」

「あなたが一番目を離せない人ですから」

 ウォルターが手を伸ばすと、イフが顔を近付けた。ウォルターが触れやすいように、イフ自身もぐっと距離を詰めていた。

「イフの原風景を教えてくれる?」

「記録は全てあります」

「まあ、そうだろうね」

 ウォルターの睫毛が悲しげに伏せられると、イフの記録の中のクロエと重なった。こんなにも似てしまう。育っていく人間を間近で見るのは初めてで、とても興味深い。

「最初とは、船で起動された日のことになるでしょう。けれど、そうですね。あなたとの日々は初めてに溢れていました。少年のあなたが朝だと伝えに来てくれるのを待っていたくらいです。時間は正確にわかっているのに、あなたが声をかけるのを待ってしまうなんて、おかしなことですね」

 その言葉にウォルターは目を見開き、天井を見上げ、両手で顔を覆った。

「ウォルター、苦しいのですか?」

「嬉しいんだよ!」

 イフには恥ずかしがらずにそのまま伝えなければ伝わらないことを、ウォルターは長年の付き合いで知っている。イフの言葉が嬉しくて、どうしようもなく照れくさい。ウォルターの熱が上がるのではないかとまたイフは顔を寄せる。

「イフ、僕がいなくなると悲しい?」

「いいえ、あなたの記録は私の中に永遠に残ります」

 イフは嘘をつかない。いや、つけないのだとウォルターはわかっている。細くなった自分の手首を触り、これから迎える死という魔物について考える。ゾンビ映画のように、生き返ってイフのそばにいたいとさえ思っていた。ウォルターは思わず口にした。

「ねぇ、イフ。僕を死なせないで」

 イフは5秒の停止したのち、答えを出した。

「それは命令ですね」

 ウォルターは力をふりしぼり、イフをベッドに引き寄せた。ウォルターの鼓動が早くなり、別の熱に浮かされる。

「僕を一人にしないでくれ」

 二人はシーツの上に身を委ねた。どんなに掠れた声もイフは聞き取り、はいと応え続けた。



***

「はい、緊急停止!」

 えーと言って、ブッチは渋々映像を止めた。ここからが良いところなのにと唇をすぼめる。ヒトの生殖行為は古い媒体に映像で数多く残っているのだが、あえてここで見たいとは思わない。

「ブッチ、似た状況を知ってる! ブッチの前の持ち主もママと映画を観ていたら、濃厚なラブシーンになって反応に困ってた。それでしょ!」

 こんなふうに思い出さないでほしかっただろうにと、ブッチの元飼い主に同情してしまう。

「キャップはウブなの?」

「そうじゃないけど、故人のプライバシーを保護すべきだ」

「いまさら。でも、イフちゃんは可愛いし、そうなっちゃうものでしょ。閉鎖空間でずっと一緒にいるわけだし」

 そういう用途のロボットは存在するが、飛躍してはいないだろうか。一番古いウォルター・ジュニアの死ぬ前の映像を再生したら、こうなってしまった。ウォルターの命令にイフは従っている。しかし、どうしてウォルターが増えることになるのか。

「イフの中にクローン技術の記録は残ってるか?」

「なくはない。技術的には十分に可能だけど、船にその設備は整っていないね」

 では、どうやってヒトを殖やせたというのだろう。

「イフちゃんが生んだ?」

「無理だろ。ボディー内部は間違いなく鉄の塊だった」

「ヒトを生むのはヒトにしかできないんだよね」

「そう、クロエもレイノルズと交わって、新しいウォルターを生んだはずだ」

「じゃあ、ウォルターにも誰かが必要だった?」

 オスとメス。異なる性別の相手が必要になる。船にあって、イフの手元にあるもの。止まった映像にはウォルターのベッドの上に乗ったイフの華奢な背中と腰が見えている。キャップはエスペランサの中にあるたくさんの卵のことを思い出した。

 それはとてもシンプルで、最悪な想像だった。ヒトの腹はある。しかも、眠っていて、イフにはヒトを起こすことも、薬剤を調整することも可能となっている。クロエの件で、イフはすでにルールを破ることができるアンドロイドになった。クローンを作るよりも簡単にヒトはできる。クロエとは違うが、腹を使えばいい。

「イフちゃんが他の誰かに産ませたんだね」

 ブッチも同じ答えに辿り着いた。命令に従って全てを保存しているなら、ウォルターの精子も保管しているにちがいない。

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