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9.押収

 午前の柔らかな日差しが、高級マンションの外壁に反射し、周囲を淡い光で包んでいた。

 エントランスの大理石と洗練された照明が高級感を際立たせていた。


 行方不明の神戸樹(こうべたつき)は、このマンションの最上階に住んでいる。

 古西勝之(こにしかつゆき)宇枝怜菜(うえだれいな)は捜査のために訪れた。


 古西はエントランスの脇に設置されているインターホンのボタンを押し、少し待つ。

「はい」と、管理人の声が聞こえる。

 古西はインターホンのカメラに向かい警察手帳を見せる。

「大崎署の古西です。神戸樹さんのお宅に伺いたいのですが、エントランスの扉を開いで頂けないでしょうか」


 宇枝は目を丸くし、思わず古西の横顔を見つめた。

 いつも汚い言葉を使う先輩が、丁寧な話し方をしている。

 ――ミミズ程度の常識は持ち合わせているのね……。


 管理人は一瞬の沈黙の後、理解したように答えた。

「承知しました。自動ドアを開けますので、そのままお進みください」

 ガシャリとロックの開く音が扉から聞こえる。

「ありがとうございます」


 二人はエントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。

 メンテナンスの行き届いたエレベーターは滑るように最上階へと昇る。




 漆黒の重厚な玄関ドアは格調の高さを感じさせる。


 古西はインターホンのボタンを押した。

「神戸は行方不明ですよ? なぜ押したんです?」と、宇枝は質問した。

「マネージャーが来ている場合もあるだろ」

「なるほど。――ん? ――エントランスのインターホンを使わなかったのは?」

「神戸が逃げる可能性がある」

「行方不明者が? 逃げる?」


 古西は面倒臭そうに溜息をついた。

「借金取りに追われている。誰かに脅迫されている。命を狙われている。身を隠す理由はいくらでもあるだろ」

 口調は悪いけれど怒っている様子は感じない。


「ああ! なるほど」

 ――『自分の頭で考えろ』と言わないのは、先輩なりの優しさなのかしら……。




 しばらく待つが返事はなかった。


 宇枝は孤島に置き去りにされていた鍵を使う。

 ガシャリとロックの開く音がした。

「鍵はかかっていたな」

「そうですね……」と、宇枝は首をかしげる。


 古西は、納得していない彼女の表情を読んだ。

「鍵をかけて逃げる強盗はいないだろ」

「なるほど」


 彼の言葉に悪意はないのだろう。

 宇枝は何となく距離感を感じる。

 まだ信頼するには時間がかかるだろうけれど、少なくとも無理に厳しく接してこない様子に安堵する。

 それでも、あの仏頂面が何を考えているのかは、やっぱり分からない。




 扉を開けると、広々とした玄関が現れた。

 大理石の床が光り、壁には現代アートが並んでいる。


「うっわぁ~さすが芸能人のお宅。こんなの、テレビでしか見たことありませんよ」

 宇枝は好奇心を隠さず、落ち着きなく室内を観察している。


 場数を踏んだ古西は、今更驚きもせず、興奮している彼女を残し、ためらいもなく室内へ足を踏み入れる。


 そこにはドラマのセットのような世界が広がっていた。

 ハウスキーパーが定期的に掃除しているため、部屋はきちんと整頓され、塵ひとつ見当たらない。

 二人は証拠保全のため白い手袋をつける。

 ひと部屋づつ慎重に調査し、行方不明に関係しそうな証拠を探し出す。




 洗面台の鏡は曇り一つなく光り、柔らかな香りが漂う。

 白いタオルが棚に積まれ、歯ブラシやコップなどの日用品も整然と並んでいた。


「歯ブラシは一本。女性と同棲していないようですね。それに長い髪の毛も落ちていません。指輪やネックレスなどの忘れ物もありませんね」

「おまえは浮気を疑う彼女なのか?」

「ち、違いますよっ!」


 宇枝は顔が熱くなるのを感じた。

 過去に何度も、こうやって些細な違和感から元カレの浮気を見破ってきた。

 だからこそ、つい探るような視点になってしまう。

 古西にその癖が見透かされたような気がして、恥ずかしくて顔をそらした。

 こんなことで感情を読まれるなんて、まだまだ修行が足りないと痛感する。


「歯ブラシとクシを押収しとけ」

「どうするんですか?」

「DNA鑑定に回す」

「えっ? まだ死体出てませんよね? 何と照合するんですか?」

「備えておけば迅速に照合できるだろ」

「予算降りませんよ? また課長に怒鳴られますからね」

 彼女はバッグから押収用のポリ袋を取り出すと、――こんなことして大丈夫かしら――と思いながら歯ブラシとクシを丁寧にしまう。





 キッチンは開放感があり、白いカウンタートップには汚れひとつない。

 鍋やフライパンがきちんと整列し、調味料の瓶もひとつひとつがきちんと並べられている。


「しかし、生活感のない家だな」

 古西は、この部屋の冷ややかな雰囲気が気に入らないようだ。


「まるでモデルルームみたいですね。家具や家電はどれも新品。使い込まれた様子が感じられません。冷蔵庫にはお酒と、おつまみ、それとミネラルウォーターしか入っていませんでした」


 古西はカウンター下の収納から鍋を取り出し、その蓋を開いた。

「何を探しているんですか?」と、宇枝が聞く。

「薬物だ」

「薬物?!」

「ストレスを抱えた芸能人が手を出すケースは少なくない」

「え? 神戸さんが薬物を使用しているなんて情報、ありました?」

「あくまで可能性だ。失踪した理由が反社勢力との繋がりという線を考慮している」


 宇枝は古西の言葉に引っかかりを覚えた。

 行方不明者の捜索に来ただけのはずなのに、いきなり薬物や反社勢力の話になるなんて、大げさすぎる。

 確かに、芸能人のスキャンダルはよく聞くけれど、ここまで疑うものだろうか。

 古西が慎重なのか、ただの考えすぎなのか、まだ判断がつかない。

 ただ、自分の知らない視点で物事を見ているのは確かだった。




 二人は寝室に足を踏み入れた。

 部屋の中央には、広々としたキングサイズのベッドが滑らかなシーツに包まれ、完璧なまでに整えられている。

 シルクの枕がいくつも並び、まるで誰かの帰りを待つかのように静かに横たわっていた。

 壁一面の窓が、部屋に開放感をもたらしている。


「ベッドでかっ?! たしか神戸は独身でしたよね? こんな大きなベッドいらないのに……」と、宇枝は目を丸くする。

「高級マンションは家具付きの物件が多いんだ。芸能人は自宅がバレないよう頻繁に引っ越しする。その都度、家具を買い揃える必要がないだろ」

「なるほど」

 クローゼットの中も確認したが、怪しい所は見当たらなかった。




 二人は鍵のついた部屋に入る。そこは書斎のようだ。

 壁一面に整然と並んだ本棚には、古典文学から最新のベストセラーまで、多種多様な書籍がぎっしりと詰まっている。

 棚の一角には、彼が出演したドラマや映画の台本が何冊も並べられている。

 それらには色褪せた付箋やメモが貼られ、頻繁に使われていたことが伺える。

 <関係者外秘>の赤いスタンプが押された資料も並んでいる。

 ハウスキーパーに立ち入らせてないのだろう。他の部屋と違い、掃除が行き届いていなかった。


「この部屋だけ別世界ですね。うわぁ~」

「売れる芸能人ってのは、意外と勤勉なのかもな。マネージャーの話でも真面目な態度は高く評価されていた」


 宇枝は台本を手に取り、書物を見比べる。

「映画の設定や歴史背景などを自分で調べていたみたいです。役になりきるために、そこまでやるなんて、俳優って凄いんですね。――私、芸能人ってもっとチャラチャラしてて、異性関係にだらしなくて、不摂生な生活をしているものだとばかり思っていました。――でも、この部屋を見て、神戸さん推しになりました」

「おし?」

 聴きなれない言葉に古西は首をかしげた。


「ファンって意味ですよ。特に、熱心に応援したい存在のことです」

「だったら最初からファンと言えばいいだろう」

「若者は新しい言葉を作るのが好きなんです。古い世代と差別化することで自分たちは輝いていると感じるんです」


 古西は納得し軽く頷いた。

「俺も、年輩たちは古いとバカにしてきた。その気持ちはわかる」

 古西は小さく息を吐いた。

 かつての自分を思い出しているのかもしれない。

 何か言いかけたような気配があったが、結局彼は何も言わず、捜索を再開した。



 壁際に置かれた大きな机には、ノートパソコンが置かれている。

 古西が電源を入れるとパスワード入力画面が現れた。

「パスワードか……。こいつ科学捜査研究所(かそうけん)にまわすぞ」

「はい」

 宇枝は押収用のポリ袋にノートパソコンを入れる。


 二人は他の部屋もくまなく確認したが、神戸を探す手がかりになりそうな物は発見できなかった。


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