7.事情聴取
開放感のある撮影スタジオは熱気と活気に満ちていた。
機材が乱雑に並び、スタッフたちがせわしなく動き回っている。
高い天井から吊るされた巨大な照明機材が、スタジオ全体に明るい光を投げかけている。
スタジオの一角には、大きなグリーンバックがそびえ立っている。
その鮮やかな緑色は、異世界へ通じる門のように妖しく際立つ。
その周囲には、様々なセットや小道具が置かれている。
異なるシーンを再現するための部屋がいくつも建てられており、それぞれのセットは細部まで丹念に作り込まれている。
近代的な建物の中に、中世ヨーロッパ時代の古風な家具が並んでいるのは、スタジオならではの光景だ。
孤島でのロケを終え、映画関係者が都内に戻ったのは半月ほど前。
今はスタジオ内で撮れるシーンを撮影していた。
監督の大束昭雄はモニターの前に座り、撮り終えたシーンを厳しく見つめる。
「丘元、固いな」と、低い声が重く落ちた。
深く刻まれた眉間の皺が、言葉以上の不満を物語っている。
監督の隣に座る助監督の並川大助は、極端に口数の少ない彼の思惑を読み取る。
「演技固いですよね。いくら新人でも、もう少し……。リテイクしますね」
重戦士タケオ役に抜擢されたのは、千羽翔哉の所属する事務所から呼ばれた丘元伸彦。
役者経験は浅く、本来ならば選ばれるだけの技量は持ち合わせていない。
けれど、オーディションをやり直すだけの余裕がスケジュールに残されていないため、苦渋の選択を強いられたのだ。
俳優の千羽翔哉、内山幸喜、石河優唯は、落ち着いた面持ちで、次のシーンの撮影開始を静かに待っていた。
彼らは、台詞と進行を完璧に記憶しているので本番前に慌てることはない。
しかし、アイドルの喜岡麻結と新人の丘元伸彦は、台本を手に、何度も台詞を小声で呟いている。
撮影の合間、突然スタジオの入口が開き、事務員が息を切らせて助監督のもとに駆け寄った。
事務員から話を聞いた彼は、皆に聞こえるように大きな声で伝える。
「えー、皆さん、聞いてください。警察が来ました。失踪した磐田さんと神戸さんについて聞きたいことがあるそうです」
その言葉が発せられた瞬間、誰もが一瞬だけ動きを止め、互いに視線を交わした。
心臓が不自然なほど速く鼓動を刻み、指先がじんわりと汗ばむ。
けれど、そんな動揺を表に出すわけにはいかない。
すぐに何事もなかったかのように作業を再開する。
まるで、聞かなかったことにするかのように。
事務員が入口を開くと、待機していた警察がスタジオに入ってくる。
何日も風呂に入っていないようなボサボサ頭の中年男性と、完璧なメイクの若い女性の二人組だ。
新米の彼女を、歴戦のベテランが指南しているのだろう。
助監督の前まで案内されると、中年男性は警察手帳を見せる。
「大崎署の古西だ。こいつは宇枝。行方不明届の出ている磐田満夫、それと神戸樹について話を聞きに来た」
「助監督の並川です」と、二人の前に立ち軽く会釈する。
俳優や撮影スタッフたちは、不安の色を滲ませながら、刑事たちを遠巻きに注視していた。
マネージャーの岩見愛花は、石河が何か言い出さないかハラハラしている。
監督は沈黙したまま椅子に座っている。刑事に関心がないのか、彼の目はモニターをずっと見つめている。
刑事の古西勝之は、くたびれたスーツの内ポケットから雑に折り畳まれた行方不明届を出すと、用紙を乱暴に振って広げた。
「この行方不明届を出した並川大助で間違いないな」
「はい」
助監督は、横柄な態度の刑事に嫌悪感を覚える。
「あんた、これ、酔って書いたのか?」
ピラピラと用紙を振りながら不機嫌な視線を助監督に向ける。
二人は同い年くらいだが、小汚いぶん古西のほうが年齢が上に見える。
「しらふでしたけど、不備がありましたか?」
威圧的な刑事を前にしても、彼は怯むことなく堂々と受け答えしている。
「目の前で消えたってね、ありえないだろ。あんた、警察を馬鹿にするのも大概にしろよ」
「ちょっと! 古西さん! なんで喧嘩腰なんですかっ!」
女刑事の宇枝怜菜は、慌てて彼の肩を掴んで引きはがす。
親子ほど年齢に差があるのに、彼女は臆することなく彼に掴みかかっている。
「真面目に捜査するのが馬鹿らしいっつってんだ。イタズラに付き合うほど俺は暇じゃない」
「また課長に怒鳴られますよ」
「小娘はうるせえなあ。まあいいや、映画を撮ってたんなら映像あるんだろ、見せてみろ」
助監督は、ノートパソコンを開くと、孤島で撮影した爆発シーンを刑事に見せる。
ノートパソコンはサーバーと無線接続されており、どこでも映像を確認できる。
「――これが撮影ドローンの映像です。先頭に立っているのが重戦士役の神戸さんです」
空中ドローンから撮影されていた映像には、爆発の直前まで映っている。
しかし、爆風に煽られてドローンは墜落し、その後は地面しか映っていなかった。
古西は、映画の内容をまったく知らない。
モニターに映し出されたのは、海岸に佇む甲冑姿の人物。
ファンタジー映画を観る習慣のない彼にとって、その異様な映像はひどく場違いで、不気味にさえ思えた。
「――そして、こちらが地上カメラの映像です」
地上に設置された二台のカメラは、勇者たちの表情をクローズアップし、また背後から見上げる構図でその姿を捉えていた。
古西には、俳優たちが何をしているのかさっぱりわからなかった。
彼らは見えない何かと必死に戦っている。
手斧を振り、叫び、呪文を唱えている。
だが、モニターには何も映っていない。
ただの空間に向かって繰り広げられる熱演が、彼にはひどく奇妙に思えた。
「――ここで爆発がおきて、スタッフが救出に向かったのですが、神戸さんはどこにもいませんでした」
爆発した瞬間、古西の体に緊張が走り、反射的に息を呑む。
必死に何かを救い出そうとするスタッフたちの姿。
彼らの動きからは切迫した様子が伝わってくる。
だが甲冑の中身はどこにも見当たらない。
――何だこれは? いったい何がおきている? 消えた……?
古西の背筋に冷たいものが走る。
映画の演出なのか、それとも何か別の異変なのか。
その映像がどうしても信じられなかった。
「映像はこれが全部か? 隠してないだろうな」
彼の声から怒りの色は消え、かわりに疑念が満ちている。
助監督はノートパソコンを操作し、管理ソフトを起動させる。
そこには、ファイル名、カット番号、撮影日などの詳細な記録が一覧表示されていた。
「事故の前後に関係するファイルは、この三つです」
古西は渋い表情になり、耳たぶをキュッとつまんでいる。
しばらくして、
「神戸は爆風で飛ばされて海に落ちたんじゃないのか?」
「ここを見てください、胴体や手足の甲冑を残して、体だけ海に飛ばされるなんてありえますか?」
助監督の説明に、古西は唸るしかできない。
――四散したのなら現場には大量の血痕が残るはずだ。しかし、映像には写っていない。いったい何がおきた……。
古西の胸に困惑と疑念が渦巻く。
「だから言ったでしょう? 届け出には『消えた』と記載するしかなかったんです。決して冗談なんかじゃありません!」
怒りに任せて乗り込んだスタジオだったが、今やその熱は引いていた。
その代わり刑事の本能が、これは事件の臭いだと警鐘を鳴らす。
「この映像、捜査資料として提出してもらう」
「いいですけど……」
古西は何度も何度も映像を見返していた。
そこへ、
「これ、異世界転生ですよっ」
と、いつの間にか笑顔の喜岡麻結が近くに立っていた。
「露出狂か?」
古西は、喜岡の姿を見て眉をひそめた。
若い男性なら、肌面積の多い過激な衣装に視線を奪われ、鼻の下を伸ばしただろう。
「衣装です!」
「異世界転生とは何だ?」
古西は、彼女の衣装にまったく興味を示さないが、聞きなれない『異世界転生』という言葉には敏感に反応した。
「失礼な人には教えませ~ん。警察だったら自分で調べてくださいねっ」
彼女はぷいっとそっぽを向くと、俳優たちのところへ歩いていく。
「麻結ちゃん、可愛いですね」
と、宇枝怜菜が感激しながら彼女の後姿を目で追っている。「あ、石河さん、それに千羽さんもいるっ!」
刑事でも有名人に会えるのは嬉しいらしく、声が弾んでいる。
「知ってるのか?」
「<空色クローバー>の喜岡麻結、知らないんですか? 有名なアイドルグループですよ!?」
宇枝は驚き、時代に取り残された老人を見るような視線で古西を見た。
「俺は指名手配犯の顔しか覚えん」
「自慢なのか、自虐なのか、よくわからない発言ですね。ちなみに、私は一度見た人の顔はだいたい覚えていますよ」
彼女は――ドヤァ凄いでしょ――と、自信ありげな表情を浮かべる。
失笑する古西。
「そう言ってられるのは若いうちだ」と負け惜しみを吐く。
「あのー。もういいですか?」
と、二人の漫才を見ていた助監督が申し訳なさそうに聞いた。
「神戸樹は届け出どおり確かに消えている。腑に落ちないが一旦保留して、先に磐田満夫について状況を聞かせてもらおう」
刑事の話を聞いていた石河優唯は驚いた表情になる。
まさか刑事が異世界転生の話を鵜呑みにするなんて想像していなかったのだ。
そんな彼女の反応に気づいた岩見マネージャーは、懇願の表情で首を振り――何も言うな――と無言で釘をさす。
石河は――はいはい、わかりましたよ――と心でつぶやきながら、つまらなそうに溜息をつく。
「磐田プロデューサーは夕食後に行方不明になりました。フタッフ全員集まって食事をしていたので最後に見たのはそこが最後です。脚本家の霜野さんだけは夕食を食べずロッジで作業していました」
助監督が目配せすると、脚本家の霜野寛は前に進み刑事に近づいた。
「私が霜野です。磐田さんとは同じロッジで寝泊まりしていました。私は台本作業が忙しく、徹夜で作業をしていました。あの日、磐田さんはロッジに戻ってこなかったのです」
気弱な脚本家は、厳しい尋問でも受けているかのように怯えている。
「それを証明できる人は?」
「いないと思います。ロッジの間は窓の明かりが辛うじて見えるくらいの距離がありますし、私の姿はロッジの外からは見えなかったと思います」
「行方不明に気づいたのはいつ?」
助監督は手をあげると。
「翌朝、朝食に現れなかったのでスタッフが呼びに行きました。そこで磐田さんがいないことに気づいたのです」
「探したのか?」
「はい。ただ、山や林に入ったとは考えにくかったので遊歩道を中心に探しました。万が一山中にいたとしても、素人が探せば二重遭難になりかねませんからね」
助監督は淀みなく、スラスラと状況を説明する。
「なぜすぐに連絡しなかった?」
古西の質問に、助監督は信じられないという表情になる。
「あの島から携帯は繋がりません。ですから戻ってすぐに行方不明届を提出したのです。なぜ半月も経ってから事情を聞きに来たんですか? こちらが聞きたいくらいですよ」
彼の目は警察に対する不信感を訴えている。
古西は行方不明届を振りながら、
「これが俺の手元に届いたのが今日だ。書いてある内容があまりにもふざけていたからイタズラとして処理されてたんだよ」
「警察の事情なんて知りません、早く探してください」
助監督の声には、少しだけ怒りに似た感情が溢れていた。
スタッフたちの視線が、一斉に古西に突き刺さる。
冷たい、まるで真冬の海風のような視線だった。
誰かが小さく舌打ちした。
「警察って、こんなもんなの?」
「だから最初から期待してなかったんだ」
ヒソヒソと交わされる言葉が、古西の耳に鋭く突き刺さる。
そのどれもが、彼の心の奥にじわじわと沁み込んでいく。
「あいつ、見るからに仕事できなさそうだよな。窓際だろ」
若いスタッフの一人が、呆れたように言った。
古西は無言のまま唇を固く結んだ。
弁解しようと思えばいくらでもできる。警察には警察なりの事情があるのだから。
すべての行方不明届を即座に本気で扱えるわけじゃない。
だが、そんな説明をしたところで、彼らの怒りが収まるはずもなかった。
――やりづらいな。
いたたまれない気持ちが、古西の胸の奥で膨らんでいく。
「わかった、わかった。邪魔したな」
古西は、まるで逃げるかのように、不機嫌なままスタジオから出ていく。
宇枝は深々と頭を下げると、
「先輩がたいへん失礼しました。ご協力感謝いたします」
と、周囲の人々の顔を見ながら、何度も頭を下げている。
後輩がなかなか来ないので、
「おいっ、小娘、置いてくぞ」と、古西の声が響いた。
「小娘いうなっ!」
彼女は駆け足で先輩を追うのだった。
刑事たちを見ていた石河優唯は、岩見マネージャーとヒソヒソ話をしている。
「私たちやスタッフに事情聴取しないなんて、あの人たちダメね」
「そう思います。けど優唯から情報を流すのだけはやめてくださいね。もしあなたが情報源だって知られたらどうなるか……」
岩見マネージャーを安心させるため、手をギュッと握る。
「わかってる」
「犯人が全員逮捕されるまで、絶対に無茶をしたらダメですからね。内山さんに何度も釘を刺されているんですから」
「あいつに言われるのが一番しゃくだわ」
「もぉ~優唯~」
「はいはい、わかりました。言うこと聞きます」
良い子を演じる石河だが、心の奥では警察に全てを暴露したい欲求が渦巻いていた。
そんな彼女に、撮影スタッフたちは冷ややかな視線を向けている。
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昼下がりの陽射しを浴び、黒い乗用車が駐車場の隅にぽつんと停まっている。
スタジオを出た古西勝之の表情には明らかに不機嫌な色が濃く浮かんでいた。
車の近くに立ち止まり、ため息をつくと、無造作に助手席のドアを開け、乱暴に座り込んだ。
腕を組み、鋭い目つきで考え込んでいる。
少し遅れて、小走りで車に駆け寄る宇枝怜菜。
運転席に座ると不服そうな表情でシートベルトを絞めた。
「どこへ向かいますか?」と聞くが、古西の返事はない。
古西は黙ったまま、雲をぼんやりと眺め、耳たぶをつまんでいた。
「――おきてます? お疲れですか?」
顔を覗き込むと、いつもより眉間に深いシワを刻み黙り込んでいた。
気難しい中年男の相手は疲れる。
ため息をついた彼女の表情から、そんな感情が溢れている。
「さっきから耳たぶ、触ってますよね? 何かのクセですか?」
今初めて話しかけられたのに気づいたようで、チラリと目線を彼女に向けた。
「スポーツ選手のルーティーンみたいなものだ。集中するためスイッチを入れるんだ」
「へぇ~っ、ルーティーンとか、プロみたいですね」
その声は、そこはかとなくバカにしているようだ。
「刑事なんてのは犯人を捕まえるプロだろ」
「私はまだセミプロですけどね。――それで? 集中して何かわかったんですか?」
「――腑に落ちない」
「不思議ですよね、人が消えるなんて」
几帳面な性格の彼女は、スタジオでの会話を手帳にメモしていた。
そこには異世界転生と書かれている。「それに、麻結ちゃんの言っていた異世界転生? 何のことでしょうか。業界用語? 隠語? 気になります……」
「いや、あいつらの態度だ。まるで台本でも読んでいるみたいに、淀みなく受け答えしやがった。あれは予め返答を考えていたんだ……。何か隠してやがるな」
「元捜査一課のカンってやつですか? 私には普通に見えましたけど」
古西は黙ったまま、さらに渋い表情になる。
生活安全課の仕事は多岐に渡る。
彼らは防犯係。その中でも、主に届けの出された行方不明者の捜索を担当している。
そこに配属される前、古西は警視庁 捜査一課で殺人事件などを追っていた。
「――まさか、殺人事件だとでも? あ~その顔、島に渡って地面を掘り返そうとしてるっぽい」
宇枝はあきれ顔になる。「ご存じだと重々承知してますけど言わせてもらいます。あてもなく地面を掘りおこして死体を見つけるなんて無理ですからね。それに、死体がなければ殺人事件として捜査されません。帳場が立ちませんから人員も確保できません。そもそも生活安全課の私たちには関係のない話です」
彼女は、まくしたてるように小言を聞かせた。
しかし、彼には通じないようだ。
心が動いた様子はなく、視線は遠くを眺めたままだ。
「おまえプロとしてのプライドはないのか?」
宇枝は軽く溜息を吐く。
「ですからー、私はセミプロです! プライドで美味しいランチが食べられますか? 警察官だってサラリーマンなんですよ。それに、縦割り組織に文句が言えるほど勤務歴長くありませんからね」
古西は眉をひそめながら、宇枝の言葉を聞いた。
規則を破ってでも解決を急ごうとする自分のスタンスに対して、彼女は冷徹に反論してきた。
その瞬間、彼は心の中で――これがゆとり世代か――と呟いた。
二人の年齢は二回りも違う。
――やはり、この世代には熱意や忠誠心よりも、自己の目先の利益や心地よさを追求する傾向が強いのか……。
そう思う古西は、若者の価値観が理解できなかった。
「さあ、どこへ向かいますか?」
彼女はエンジンをかけた。鈍い振動がシート越しに伝わる。
古西は心の中で葛藤を抱えていた。
古い価値観を押し付けることが、彼女の成長を妨げることは分かっている。
頭では理解しているが、胸の奥で小さく燻っている。
「クソッ……、まずは神戸樹の関係者からの事情聴取だ。自宅へ向かえ」
「りょ~かいっ」
宇枝はアクセルを踏み込むと、制限速度を守りながら神戸のマンションへ急いで向かうのだった。