6.合流
行方不明の磐田満夫プロデューサーを捜し続けていた四人は、結局発見することができず、ロッジを目指して帰路を進んでいた。
早朝に出発してから数時間。彼らの足取りは重く、ふらつき始めていた。
腹の虫が鳴り、乾いた唇がひび割れそうだ。
足元の土は粘りつくように重く、風の冷たささえ疲労を際立たせる。
「あと少しでロッジに――」
その言葉は希望ではなく、むしろ焦燥を呼び起こす呪文のようだった。。
そこへ、人々の喧騒に混ざりながら、心地よい香りが漂ってきた。
「あー、お腹すいたー。ビーフシチューの匂いがヤバい」
と、千羽翔哉がぼそりと呟く。
撮影スタッフたちは、広場で昼食を準備していた。
大きな鍋の中でぐつぐつと煮立つビーフシチューの香りが、捜索班の空腹を一層刺激する。
鍋から立ち上がる湯気が、疲れた彼らの表情を優しくほぐすのだった。
「おかえり。報告は後で聞くから、まずは昼食を食べなよ」
と、助監督の並川大助がテーブルに座るように促す。
千羽翔哉と石河優唯は大きなテーブルに座り、マネージャーの幹真一朗と岩見愛花は簡易テーブルに座った。
「はぁ~っ」
零れ落ちる溜息の深さが彼らの疲れを語っている。
撮影スタッフが熱々のビーフシチューをテーブルへ運ぶ。
濃厚な香りが胃袋を刺激すると、石河のお腹から可愛らしい音が鳴る。
その音をかき消すかのように、彼女はビーフシチューを口にかきこむのだった。
「はぁぁぁっ、生き返る~」
食レポ顔負けの、思わず笑みがこぼれるようなおいしそうな表情を浮かべた。
昼食を終え、食後のティーをまったりと楽しむ。
後片付けを終えた撮影スタッフも含め、皆が心地よいひと時を楽しんでいた。
血糖値が上昇し、眠気が襲い始める頃、助監督が、
「磐田さんは見つかったのかい?」と石河にたずねた。
「いいえ、見つかりませんでした」
捜索の提案者として責任を感じている彼女は、消沈した様子だ。
「まさか、ほんとうに異世界へ行ってしまったのだろうか」と、助監督が言う。
異世界転生説を信じているのは、撮影スタッフ中でも少数派だ。
助監督がそれに賛同しているとは、石河は予想だにしていなかった。
彼女は一瞬その目を見開き、思わず言葉を失う。
同じテーブルに座っている喜岡麻結は、賛同者が増えたことに喜びを隠せない。
「異世界転生する年齢って、実は、中年男性が一番多いんですよ!」
と、声を弾ませる。「ブラック企業で働く主人公が、眠るように死ぬ描写がとても多いんです。――他にはトラックにひかれたり、工事現場から落下した鉄骨に潰されたり。死因は様々ですけど、共通して言えるのは現実に夢も希望も見出せなくて異世界で心機一転するんです」
彼女は話を進めながら悲しい表情になっていく。「きっと、辛い思いをしながら生きている人が多いんだろうなって、小説を読んでて悲しくなります」
次の瞬間、手のひらを返したように表情が明るくなる。「でもですね! 異世界転生すると、幼児とか、少年とか、性別まで変化することもあるんですよ。さらに! 特別な力をもらいますから異世界で幸せに暮らす人が多いんです! ――いいなぁ~、私も早く異世界へ行きたい……」
喜岡は頬を紅潮させ、目をキラキラと輝かせた。
その姿は、まるで絵本の中の夢見る少女のようで、彼女の周囲だけがふわりと明るくなった気がした。
「あなたが行く先は異世界じゃなくて牢屋よ」
「えっ?」
離れたテーブルに座っていた岩見マネージャーは、急いで飛んでくると、慌てて石河の口を押さえた。
「喜岡さん、今のは聞かなかったことにしてくださいね」
「は、はあ……」
なにが何だかわからない喜岡は、そう答えるしかなかった。
しかし、いつもならおとなしくなる石河だが今回は違った。
岩見マネージャーの手を振りほどくと、腰を浮かせ、
「私の推理を聞いてください!」と叫んだのだ。
だが、彼女の声をかき消すかのように、内山は、
「そうだった! 千羽さんに俺の推理を聞いてもらう約束をしてたよね!」と立ち上がる。
石河の推理が荒唐無稽なのは、先に聞いた千羽は知っている。
なので、内山に推理してもらうほうがこの場は収まると判断し、
「そうそう、約束してた。ゴメン石河さん、先に内山さんの話を聞いていいかな?」とフォローを入れる。
彼女は眉間にシワを寄せながら不服そうに、
「順番、譲ります。けど、あなたに、探偵役が務まるのかしら?」と、嫌味をたっぷり乗せて言う。
「探偵役? 俺がするのは憶測。探偵は嫌いだ。――犯人を崖の上まで追い込んで、根掘り葉掘り暴き出し、泣き崩れるまで追求する。ドラマじゃ名シーンかもしれないけど、俺は見るに耐えられないね。犯人を捕まえるのは警察の仕事。俺が今から話すのは、あくまで個人的な憶測だ」
彼女は鼻で軽く笑う。
「チープな推理の予防線? 私には言い訳にしか聞こえないけど、まあいいわ、聞かせてもらいましょう」
腕を組むと、偉そうにドカッと椅子に座る。
「繰り返すけど、これから話す内容は、あくまで俺の憶測だ。疑われたからといって弁解しなくて問題ない。食後の戯言だと思って聞き流してくれ」
と、その場にいた関係者全員に聞こえるように話を始める。
内山は、静かに前に進み出た。
彼の一歩一歩が、まるで舞台に上がる瞬間のように、広場の空気を変えていく。
全員が一望できる場所まで歩くと、その場は瞬時に劇場となった。
木々の葉が静かにざわめき、光の粒子が彼の周りで踊るように輝き始めた。
観客たちは、その光景に包まれ、まるで異世界に迷い込んだかのように錯覚する。
背筋を伸ばして行儀よく立つと、彼は自信に満ちた表情で、人差し指を立てた。
「結論から話そう。二人の失踪に異世界転生は無関係。神戸さんは単純なトリックで消されたんだ」
人差し指で喜岡麻結をさす。
その仕草に彼女の心臓は激しく跳ねた。――まさか、私を疑っているの――そう感じずにはいられない。
内山は話を続ける。
「まずは事の発端。砂浜での爆破事故だ。――着火のタイミングを間違えるくらいならよくある事案だ。けれど火薬の量を間違えることがあるだろうか。百歩譲り、間違えたとして、三倍、いや五倍の量になるだろうか。あの爆発はそれだけの火薬が使われていた。――では、なぜ、火薬の量を増やしたのか。それは俳優たちを爆破地点に近づけたくなかったからだ」
「えっ?」
喜岡が何か言いたそうにしているのを、彼は手を口にあて黙れとジェスチャーする。
「理由はそれだけではない。砂浜に大きな穴を掘りたかったからだ。神戸さんは爆発の後、素早く穴へ身を隠した。全身甲冑なので爆風にさらされても無傷だったわけだ。そこへ撮影スタッフが急いで駆け寄りスコップで穴を埋める。そう、神戸さんを救出するフリをして穴を埋めたんだ。爆破地点のすぐそばに別の甲冑を隠しておき、それを掘りおこすことで消失演出の完成だ」
喜岡麻結は自分が疑われていなかったのだと気づき胸をなでおろす。
「助けたんじゃなくて、埋めた?」
替わりに驚いたのは石河優唯。
瞳孔は大きく開き、まるで信じられない光景を捉えたかのように固定されていた。
そんな彼女に内山は軽く頷き、話を続ける。
「神戸さんは、俺たちを驚かすサプライズとでも聞いていたのかもしれない。重い甲冑の上から大勢の手により勢いよく砂をかけられてしまい、起き上がる暇もなく埋められてしまったのだろう」
「どうしてそんな手間をかけたの? 彼を殺すのが目的なら、もっと前にできたじゃない」
「殺すのが目的じゃないからだ。犯人の狙いは、この映画撮影を中止させること。犠牲者は神戸じゃなくても良かったのかもしれない。もし、この島に来る前に犠牲者が出た場合、磐田プロデューサーの言った通り、すぐにでも代役が選ばれたはずだ。だから、代役の呼べないこの島で犯行に及んだ」
「どうして砂に埋めたの? 殺すにしても手間をかけすぎよ」
「何日も捜索させて撮影スケジュールを潰す、それが犯人の狙いだ。しかし思惑は外れた。磐田プロデューサーが台本を改編してまで撮影を続けると言い出したからだ」
石河は彼の説明に納得したようで落ち着きを取り戻した。
「それで磐田さんは狙われたのね」
「突発的な犯行だったのかもしれない。……いや、もしかすると磐田さんはトリックに気がついて爆破地点を見に行った可能性もある。――ひとりぐらいなら失踪しても言い訳できたかもしれないが、二人となるとそうはいかない。犯人は今頃頭をかかえているはずだ」
「もし、あなたの憶測が当たって――」
内山は口にチャックというジェスチャーをする。
すると、石河の隣にいた岩見マネージャーが彼女の口を押さえた。
彼は頷くと再び話を続ける。
「サスペンスドラマで探偵が推理を披露するのは、犯人が単独犯のときだけだ。もし登場人物全員が共犯者だったら、探偵はその場で殺されてしまうだろ」
石河は唾をゴクリと飲み込んだ。
彼の憶測が正しければ、この場にいる大多数が犯人なのだから。
「俺が、今、なぜ、憶測を披露したのか。それは情報共有して被害者候補を増やすのが目的だったからさ。――俳優にも、撮影スタッフの中にも、無関係な人はいるはずだ。その全てを口封じするなんて不可能。計画は既に破綻している」
撮影スタッフや俳優たちの目は泳いでいた。
誰が犯人なのか、不安と緊張で声が出せない。
内山は静かに視線を巡らせ、観客一人ひとりの表情を確かめながら、ゆっくりと全体を見渡す。
「繰り返すけれど、俺は犯人捜しをする気はない。逆上されて暴れられても困るからだ」
「なら、どうして話したの!」
石河は立ち上がると怒りを爆発させた。
「君が犯人捜しを続ければ、遅かれ早かれ君自身が第三の被害者になったからさ」
そう言いながら、内山は自分の胸の内を噛みしめていた。
本当は、ただ怖かったのだ。
もし、彼女が事件に踏み込みすぎて消されてしまったら、もう二度と、彼女の憎まれ口も、まっすぐな瞳も、見ることはできない。
それだけは、絶対に嫌だった。
だが、それを口にする資格が、自分にあるとは思えない。
「私の、ため?」
石河の声が震えていた。
まるで恋に落ちる少女のような、そんな声色で。
何かが胸の奥で弾ける音がした。
驚きとも、喜びともつかない感情が、熱となって喉まで駆け上がる。
だが、彼は即座にその芽を摘み取った。
「いや、映画のためだ」
吐き捨てるように言いながら、拳にわずかに力が入る。
その言葉は嘘だった。
彼は彼女を守りたかった。だが、それを認めた瞬間、きっと自分は愚か者になる。
いつも通りの、ひねくれた笑みを浮かべて、彼は芝居を続ける。「君に死なれると俳優が減るだろ。俺はこの映画に人生をかけているんだよ。超売れっ子の千羽さんや君なんかは、すぐに次の仕事が入るだろう。だが、俺は、この仕事が流れると終わりなんだ! 犯人の思惑は映画の中止、だが、俺は、映画を中止させたくない!」
彼は腕を大きく広げ、「犯人と取引がしたい! もし映画を完成させてくれるなら、俺はこの島で何がおきたか口外する気はない!」と、誰もいない天空に向かい叫んだ。
石河は激昂するとテーブルを思いっきり叩いた。
「あなた! 自分が何を言っているのか理解してる? 事件の隠蔽を手伝うと言っているのよ? 共犯者になりたいの?」
興奮が収まりきらず、彼女は肩で息をしている。
内山は余裕の笑みを崩さない。
「勘違いしないでくれ、俺は食後の戯言を披露したまでだ。喜岡さんが熱弁する異世界転生と同じレベルの空想だぜ。まさか、迫真の演技に騙されて、真実だと思い込んだんじゃないだろうね」
「だって辻褄があうじゃない!」
彼女の声が震えていた。それが怒りなのか、別の感情なのか、自分でもよくわからなかった。
どうして、あの時、胸が熱くなったのか。
彼の言葉を聞いた瞬間、心が揺さぶられたのはなぜなのか。
だけど、そんな感情は、一瞬で打ち砕かれた。
「今から君は名推理を披露するんだろ? もちろん、その名推理も辻褄はあうはずだ」
まるで教師が生徒を指名して問題を解かせるときのように、その寛大な態度には静かな落ち着きがあった。
石河は悔しそうに黙ってしまう。
彼の余裕に満ちた態度が心底、腹立たしい。
悔しさ、怒り、嫉妬――黒い感情が次々と湧き上がり、喉の奥が苦しくなる。
ぐっと唇を噛みしめ、彼女は腕を組んで座り直した。
内山の周囲の空気が少しずつ和らいでいくのが感じられた。
――もう彼女は無茶な行動をしないだろう。たぶん……。
今まで劇場と錯覚していた周囲の環境が、自然豊かな林なのだと観客たちは気づいたのだった。
内山は、少しおどけながら、いつもより軽いトーンで話す。
「物的証拠は何一つない。犯人も自供していない。俺の憶測が正しいなんて誰も証明できない。――状況は進まず、けれど時間だけは過ぎていく。――プロデューサーが不在の現場では監督が最高責任者です。大束監督、撮影を続けて頂けますか?」
その瞬間、全員の視線が自然と監督に集まり、緊張感が一気に高まった。
まるで時間が凍結したかのような重苦しい雰囲気に包まれた。
内山は拳を握りしめた。
静寂が重くのしかかる。
監督の顔をじっと見つめたい衝動をこらえ、代わりに指先に意識を向けた。
爪が手のひらに食い込む。
監督の視線が虚空を彷徨い、何かを測るように僅かに顎を動かすたび、内山の心臓が小さく跳ねる。
言葉が欲しい。何でもいい。『考えておくよ』でも『無理だ』でも。
沈黙が続くほど、期待と不安が入り混じり、胃の奥がじわじわと冷えていく。
不意に監督が浅く息を吸った。
内山の肩がわずかに揺れる。
次の瞬間、口を開くのか、それとも……。
息を詰めて待つ内山の耳に、自分の鼓動が強く響いていた。
「――撮ろう」
「監督!」
慌てて叫んだのは助監督だ。
監督はもう何も言う気はないらしく、固く口をつぐんでしまった。彼の表情からは何も読み取れない。
助監督は頭をかきむしると、
「幹さん、千羽君は出演しませんよね?」
幹マネージャーが返事をする前に、
「監督が撮ると宣言したんですから、僕は役を演じるまでですよ」と、千羽は爽やかに答えた。
「霜野さん、台本は間に合いませんよね?」
「えっ? 磐田プロデューサーがいらっしゃらないのですから、前の台本でいいんじゃないですか?」
まるで呪いが解けたかのように、霜野は晴れやかな表情をしている。
「喜岡君はー、聞かなくても答えは出てますね」
「はいっ! もちろん参加です」
それはもう、ウキウキが止まらない、そんな晴れやかな笑顔をしている。
「ねえ、石河君は反対ですよね? ね!」
まるで女神に懇願するかのように熱い視線を彼女に向けた。
全員の視線が石河に集まる。
「当たり前じゃないですか――」
岩見マネージャーが彼女の口を押さえると、
「優唯は、出演するのが当たり前じゃないですかと申しております。ぜひ参加させてください」と、慌てて訂正したのだった。
彼女は手を剥がすと、岩見マネージャーに顔を近づけ、
「どうして?」と鬼気迫る表情で睨みつける。
岩見マネージャーは今にも泣きだしそうな表情で、彼女の耳元に、彼女にしか聞こえない声で、ゆっくりと、優しく、囁く。
「私は、あなたを守る責任があるの。あなたは俳優界のダイヤモンド。こんな場所で失うわけにはいかない。もし、内山さんの憶測が正しいのなら、この場にいる全員が犯人との取引に応じたことになるの。でも、あなただけ反対すれば、それは犯行を暴露すると宣言したことになるのよ。――あなたに共犯になれとは言わない。何も聞いていなかった。何も知らなかった。出演を決めたのはマネージャーである私の判断。あなたは従っただけ。――いい? 約束して、正義感で命を失うくらいなら、目と耳を閉じていて。――さあ、優唯、復唱して、私は知らない」
岩見マネージャーの思いが嫌というほど伝わる。
石河は信念を曲げ、彼女の願いを受け止めた。
「私は知らない」
「私は聞いていない」
「私は聞いていない」
「そう、いい子、私の可愛い優唯」
岩見マネージャーは、心細く震える石河をギュッと優しく抱きしめたのだった。