5.捜索
まだ明けきらぬ空の下、霧がゆっくりとたなびき、林の中の細い道に幽玄なヴェールとなり、道をぼんやりと覆っている。
その細道は、緩やかに蛇行し、高々とそびえる樹々が自然の回廊を形作っている。
四人の男女は、失踪した磐田プロデューサーを見つけるため捜索を続けていた。
大股で迷いなく先頭を行くのは石河優唯。
一度決めたことは覆さない、揺るぎない意志を持つ女優だ。
――どこにいたって、必ずプロデューサーを見つけてみせる。
そう彼女の燃える瞳が訴えている。
その手をしっかりと握っているのはマネージャーの岩見愛花。
石河が暴走せず、慎重に進むための手綱役となっていた。
別にプロデューサーが見つからなくてもいいと彼女は考えていた。
大事なのはプロデューサーではなく石河優唯なのだから。
千羽翔哉は、朝の散歩を楽しむように軽い足取りで二人の後についていく。
楽観的な彼は、撮影の合間の息抜き程度に考えていた。
しんがりを務めるのはマネージャーの幹真一朗。
若い三人に遅れないよう、荒い息を吐きつつ、懸命に歩調を合わせようとしていた。
「石河さーん、幹さんが倒れそうだから、そろそろ休憩しない?」
千羽は、冗談交じりに石河を呼び止める。
振り向いた石河は、幹マネージャーが肩で息をしているのを目の当たりにして、知らぬ間に速足になっていたことに気がついた。
「あっ、ごめんなさいっ!」
猪突猛進な彼女だけど、年上を敬う礼儀は持ち合わせている。
石河は、その場で立ち止まり、幹マネージャーが追い付くのを待っている。
「すまないね、足を引っ張って」
幹マネージャーは息を整えながら、額の汗をハンカチでぬぐった。
年齢のせいか、腹回りが少し気になり始めている。
「謝らないでください、悪いのは勝手にメンバーを決めた内山さんなんですから。――年齢的に幹さんじゃなくて彼が来るべきだったのよ!」
石河は口を尖らせ不機嫌な感情を隠そうともしない。
「いやぁ~、彼が来ていたら、たぶん君と喧嘩になっていたんじゃないかな。それに、私は意図的に選ばれたのだと思うよ。君に対する足枷としてね~」
「失礼なヤツ。私を猛牛とでも思っているのかしらっ!」
二人の話を聞いていた千羽は、彼女の背後で――それ正解――という表情をしている。
そんな彼を見た幹マネージャーは微笑みながら、
「内山さんは君を評価しているよ。私を置いて先に進むような冷たい人じゃないと判断したんじゃないかな」
「どうかしら? 探すのが嫌で私たちに押し付けたと思いますけどね」
石河の確固たる信念に、幹マネージャーは苦笑いするしかなかった。
「――私たちマネージャーは、共演者の情報を事前に入手して対策を練るんですよ。例えば千羽に色目を使うような女性とは共演を控えてもらったり、食事会や飲み会などには参加しないように考慮したりね」
話を聞いていた岩見マネージャーが同意するように頷いた。
それを見た幹マネージャーも頷き、話を続ける。
「その中には内山さんの情報も含まれています。彼はとても真面目で、演技に対し真摯に向き合っている。人づきあいは得意ではないけれど、一緒に仕事をしたスタッフたちからの評判はとてもいい。――彼は石河さんのように本能で演技をするタイプじゃありません。思考を巡らせ、ち密に計算して演技をするタイプです。あなたたち二人は、まさに水と油なんですよ」
「たしかに、私は清流のような透明感のある女優ですから、粘着質の彼とは相性が悪いかもしれないわね」
長い髪を優雅にかき上げ、自分が一流の女優であるかのように振る舞う石河。
そんな彼女を見た幹マネージャーは――すごい自己肯定感だな――と、呆れつつも感心する。
「石河さんは、どちらかと言うと着火剤のような気――」
千羽が言い終える前に、幹マネージャーは慌てて、
「そー言えば、石河さんは、神戸さんと磐田さんが消えたのは殺人事件だと思っているんだよね」
千羽の失言が聞こえていたらしく、不機嫌な表情で石河は頷いた。
「人が消えたら、もれなく異世界転生が原因なんて、短絡的でしょ。二人は絶対に殺されたのよ」
千羽は腕を組み、首をひねりながら考える。
「――それなんだけどさあ。仮に殺人事件だとして、なぜ犯人はわざわざ僕たちの目の前で殺さなければならなかったのか……。町なかで、通り魔の犯行に見せかけたほうが楽なはずだよね。それに、この島で犯行に及ぶメリットが思いつかない。犯人が限定されてしまうリスクが高すぎる」
幹マネージャーは頷くと、
「ミステリー小説におけるクローズド・サークルは、被害者を逃げ場のない状況に追い込むための舞台装置なんです。もし犯人が連続殺人を計画しているのなら、まだ犠牲者が増える可能性もあるかもしれないね」
岩見マネージャーは、不安そうな表情になると、
「怖い話は嫌です……。あのぉ、島から逃げ出す方法はないのかしら?」
「行楽シーズンならロッジの管理棟に無線機があるみたいなんですよ。でも、オフシーズンは盗難防止のために都内に移されると聞いています。だから助けを呼ぶこともできませんねえ」
「そうですか……」
彼女はチラリと石河を見た。
その瞳には、自分の心配よりも、石河の身の安全が気がかりな様子がありありと浮かんでいた。
石河は黙ったままずっと考え込んでいた。
「――突発的な殺意ではなく、計画的犯行……。衆人監視が必要で、行方不明にする動機がある……。いったい何が目的なのかしら?」
「ミステリードラマなら探偵が謎解きをしてくれるシーンなんだけどね」
千羽はケラケラと軽く笑う。
――みんな真剣な顔をしているけど、連続殺人事件なんておきるはずないじゃないか。
彼は、今起きている状況を、他人事のように感じていた。
岩見マネージャーは澄んだ空を見上げながらふぅと溜息をつく。
「――たぶん犯人は、神戸さんと磐田さんを恨んでいるんですよね? いったいどんな恨みを買ったんでしょう」
呼吸の戻った幹マネージャーは、汗を拭いていたハンカチをしまった。
「神戸さんは社交的な性格で、誰とでも仲良くできるムードメーカーだね。現場でトラブルを起こした話は聞いたことがないよ」
「そうですか。なら怨恨じゃないのかもしれませんね」
「仕事面はそうでも、プライベートがね……」
彼は一瞬、言葉を切り、何かを考えるように黙り込んだ。「彼の担当マネージャーと飲んだとき、愚痴をこぼしていましたよ。女癖が悪いってね。でも二股とか不倫とか、そんなことはしていませんよ。交際周期が短く、次から次へと女性を変えるので、いつ週刊誌にスクープされるかヒヤヒヤしていると」
幹マネージャーは噂話を広めることを好まなかったが、事件に関わるかもしれない情報として、それを口にしたのだった。
「痴情のもつれですか! なんだかワクワクしますね!」
岩見マネージャーはゴシップ好きで、その手の話は興味津々だった。
目を輝かせる彼女の脇腹を石河が肘でつついて注意する。
そんな二人のやりとりを幹マネージャーは愉快そうに眺める。
「女性にもてるのは、俳優としてステータスな面もあります。俳優同士の交際は良い宣伝材料になる可能性を秘めていますからね。一概に異性との交際が悪いとは私は言いませんよ。その点、うちの千羽は女性に関心が薄いと言うか。マスコミに気を配らなくていいですから助かってはいるのですが」
石河は千羽の女性遍歴に関心がないようで、幹マネージャーの話を聞き流すと、
「スタッフの中で神戸さんと関係しそうな女性といえば……、ヘアメイクの南城香乃さんと、衣装の馳川郁実さんかしら」
千羽は目を閉じ、記憶を辿りながら、
「南城さん……。メイク中も話が弾んでいる様子でしたし、性格も合うみたいですね。殺したいほど恨んでいる相手と笑顔で会話できるとは思えないし、彼女はシロかな」
「甘いわね。女は笑顔で愛した人を殺せるのよ」
石河は微笑しながら、意味深な視線を彼に向けた。
「ちょっと! 怖い怖い。石河さんは顔圧がキツイんだから真顔でそんな台詞言わないでよ」
「失礼ね、この顔は生まれつきよ。文句があるなら親に言って」
石河は頬を膨らませ、少し怒ったように顔をそむけた。
幹マネージャーは考え込みながら、
「……馳川さんは衣装の着付けをしている最中、ずっと無言だったね。神戸さんが話しかけても無視しているように見えたけど」
「彼女は誰とも会話しないよ。僕が話しかけても基本スルーだし。仕事に関係する最低限の受け答えくらいしか返してくれないね。人づきあいが苦手なタイプだと思うよ」
「まあ、女性が直接手を下すとは限らないしね。神戸さんに彼女を奪われて、逆上した彼氏の可能性だって捨てられない」
「確かに」
幹マネージャーの説に、千羽は素直に頷いた。「――女性と言えば、石河さんと岩見さんも含まれますよね」
「私たちを疑うの?」
心外と言わんばかりに石河は千羽を睨みつける。
「もちろん、全員が容疑者なんですから。お二人は神戸さんのことを、どう思っているんですか?」
「演技は見事ね。タケオについても細かく考察していたし、演技プランも緻密だったわ。感情表現も豊かだったし――」
「石河さんウケル~。俳優評価じゃなくて、怨恨や痴情について聞いてるんですよ」
石河は顔をほんのり赤くし、言葉を詰まらせたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「この後、話すつもりだったのよ」彼女は冷静を装いながらも、心の中では少し戸惑っている自分に気づいていた。「彼のことは異性として見てないわ。そもそもタイプじゃないし。それに、この現場が初めてだから恨みを抱くほど親しい間柄じゃないわ」
「岩見さんは?」
「カッコイイと思います! 頼れるお兄さんって感じで、悩みとか聞いてくれそうですよね。告白されたら喜んでお受けします! けど、私なんか相手にされないでしょうけどね……」
石河は岩見マネージャーを優しく抱き寄せる。
「あなたはずっと私の面倒を見るのだから、男性と交際する暇なんてないわよ」
「結婚したいよぉ……」
と、呟いたその言葉は、真面目に求めているわけではない。
彼女の声は、もともとどこか儚げで、しっとりとした響きを持っている。
そのため、本気で結婚したいのだろうと男性たちは勘違いした。
「――磐田さん、は、聞くまでもないね。恨んでいる人、多そうだなあ」と言いつつ、千羽は苦笑いした。
彼につられて幹マネージャーも苦笑いする。
「疑いたくないけれど、一番動機がありそうなのは霜野さんだね」
「昨日はさんざんな言われようでしたからね。タケオ削れとか、無茶ぶりにも程がある」
「犯人は喜岡さんよ!」
石河は突然、何かを思いついたかのように目を見開き、声を荒げて言った。「きっと神戸さんとの交際で問題があったんだわ! そして磐田さんは霜野さんに殺された。台本の改編を快く思っていないのが動機よ!」
その表情には確信があり、まるで他の誰にも分かり得ない真実をつかんだかのような、自信に満ちた輝きが宿っていた。
テレビドラマなら、派手な効果音が鳴り響くシーンだろう。――もちろん、そんな音は流れないが。
「連続殺人だと言い始めたのは君じゃないか」
千羽は――ヤレヤレだぜ――と言いたげな表情になる。
「そう、それ。実は連続殺人と見せかけた全く別の殺人事件だったのよ! まさにミスリード演出、騙されるところだったわ」
千羽は呆れ果てたように大きな溜息をついた。
「誰を騙そうとしているんだか……。休憩は終わり、そろそろ捜索を続けよう」
千羽に促されて、残りの遊歩道を捜索する三人だった。