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25.特別捜査本部

 深川警察署の大会議室は、建物の奥まった場所に位置していた。

 ドアの横には『映画レジェンドファンタズム行方不明及び傷害事件特別捜査本部』と大きく書かれた紙が張り出されている。


 室内には緊迫した空気が漂っていた。

 長方形の会議テーブルが何列も並べられ、私服刑事たちが無言で席についている。

 誰もが資料に視線を落とし、開始の合図を待っていた。


 部屋の前方には指揮官の机があり、その背後のホワイトボードには事件の概要が記されていた。

 関係者の写真が貼られ、その中には被害者のものも含まれている。

 痛ましい姿が、刑事たちの脳裏に焼きついて離れない。



 やがて、警視庁刑事部の部長、生田修一(いけだしゅういち)が会議室に入ってきた。

 生真面目さを体現したかのような男で、その姿に刑事たちは一斉に背筋を正した。

 彼の厳格な表情は、些細な失言すら許さないという威圧感に満ちており、誰もが無意識に息を詰めた。


「起立!」

 係の警察官が号令をかけると、刑事たちは立ち上がり、背筋を伸ばし、前に立つ男に視線を向ける。


 生田は前方のテーブルに置かれたマイクを手に取り、深呼吸の後、ゆっくりと口を開いた。

「刑事部の生田だ。今回、映画レジェンドファンタズムに関連した事件の特別捜査本部の指揮を任された。よろしく頼む」

「礼!」

 係の号令により刑事たちが敬礼した。


 一呼吸おいてから、彼は話を続ける。

「座ってくれ」刑事たちは着席した。「事件の概要については手元の資料を確認するように」


 刑事たちの机には、事件の概要がまとめられた資料が置かれていた。

 しかし、それらはすでに目を通した後で、あらためて手に取る者はいなかった。


 生田はその様子から、彼らの事件解決にかける熱意を感じ取る。

「行方不明の二人については大崎署の古西が捜査している。説明を」

 生田は椅子に座り、厳しい視線を古西に向ける。

 しかし、その視線には、他の刑事たちに向けるものとは異なる何かがあった。


 古西は立ち上がると、いつになく真面目な表情で説明を始めた。

「プロデューサーの磐田満夫(いわたみつお)。俳優の神戸樹(こうべたつき)が行方不明。神戸に関しては撮影中に失踪、記録映像が残されています」


 生田が軽く顎を動かすと、横で待機していた刑事がパソコンを操作した。

 前方のスクリーンに、ドローンで撮影された爆発前の映像と、救出活動中の映像が映し出される。


「ご覧のとおり、神戸は俳優や撮影スタッフたちの目の前で姿を消しました。甲冑に血痕はなく、爆発により体が四散したとは考えにくいと証言が得られています」


 会議室は騒然となった。

 刑事たちは驚きと困惑を隠せず、互いに顔を見合わせたり、苦笑いを浮かべたりする者もいた。

 彼らは、口々に、

「ありえない」と呟いている。


「静粛に、静粛に!」

 生田が声を張ると、刑事たちは押し黙る。「古西、続きを」

「はい。磐田は夕食後に失踪。それ以後、消息は掴めていません。――関係者を孤島まで送迎した船長に確認したところ、両名とも島から帰る姿を目撃していないと証言を得ています。地元の漁師たちにも確認しましたが、両名が島から出た形跡はありません。個人所有の船で両名を連れだした可能性は残されていますが確認は取れていません」


 刑事たちが、手元の資料に『確認必要』とメモを取る音がする。


「――神戸の交友関係を調査しましたが怪しい点は発見されませんでした。なお、三年の間に数十人の女性と肉体関係を結んでいますが、恨まれている様子はありませんでした。また、預金を確認しましたが不審な金の流れはありません」


 その報告は、刑事たちの嫉妬心を刺激し、苦々しい表情として現れる。

 宇枝は、そんな男たちを横目に、

「モテない男のひがみはみっともない」と小声で呟いた。


 古西は一息つくと再び話を続ける。

「次に磐田ですが、業界関係者から相当恨みを買っていたようです。しかし、対象者が多すぎて絞り込めていません。物証でもあれば糸口になりえるのですが、彼の失踪に関して何も情報がない状況です」

「孤島の調査はどの程度進んでいるのだね」

「調査の許可が下りていないため、手つかずです」


 生田の脳裏に新聞記事の見出し『警察のずさんな捜査』が浮かび上がると、自然と手に怒りがこもる。


「私から所轄に応援要請を出しておく。それで、二人も行方不明者が出たのに撮影は継続されたと言うのかね」

「はい。アイドルの喜岡麻結(よしおかまゆ)が、二人は異世界転生したのだと言い出し、その場にいた全員が納得したと証言しています」

「なんだね、その異世界転生とは?」

 聴きなれない言葉に生田は怪訝な表情を浮かべる。


「ファンタジー小説のジャンルだそうです。ここではない、どこか別の世界に行くのだとか」

「ふざけているのかね?」

 静かに響く声。氷のような威圧感がその場にいた全員の呼吸を奪う。


 しかしひとりだけ平然としている。発言中の古西だ。

「行方不明届にも同様の記述がされており、イタズラと判断され、書類が回されませんでした。それが初動捜査が遅れた原因でもあります」

 おまえも井灘課長と同類か……。

 落胆する古西の目がそう訴えている。


 そんな彼の視線を、生田は正確に読み取り、自分への避難に静かな怒りを覚える。

 しかし、イタズラだと安易に判断した結果、初動捜査に遅れが生じた。

 その失態を今まさに――ふざけているのか――と叱責し、繰り返そうとした。

 彼は即座に反省し、一瞬だけ拳を強く握りしめ、ゆっくりと脱力する。これは、彼なりのアンガーマネジメントなのだ。

「どうして、その、異世界転生が受け入れられたのだね。私には理解できないのだが」

 と、冷静さを取り戻した生田が質問する。


「<レジェンドファンタズム>が異世界転生を題材にした映画であり、関係者全員がその設定を理解していたからではないかと推測します。――そして犯人は、その知識を悪用し、殺人事件だと悟られないよう関係者を誘導したのではないかと睨んでいます」


 再び会議室が騒然とする。刑事たちは口々に、

「ありえない」などの否定的な意見を述べていた。


「静粛に、静粛に!」静かになると生田は、「古西は喜岡麻結が被疑者だと言うのかね」

「調査していないので判断できません」

「ふむ……。喜岡麻結は中猪が担当だな、説明を」


 古西は着席し、かわりに深川署 捜査課の中猪一也(なかいかずや)が立ちあがる。

 ベテランらしい落ち着きを漂わせながら言葉を発する。

「はい。事故当日、マル害は野外ライブに出演しておりました。天井に吊るされていたライトが落下、側頭部に接触し重症を負いました。命に別条ありませんが運動機能に障害が残るようです」


 若い女性に障害が残る。その事実が、刑事たちの胸に静かな怒りを滲ませる。


 中猪は冷静に話を続ける。

「ライトを支えていた金具には、遠隔操作で落下させる仕掛けが取り付けられていました。意図的なものと見て間違いありません」


 前方のスクリーンに、その装置が映し出される。


「装置から指紋は検出されませんでした。部品はホームセンターなどで簡単に手に入る物ばかりで、購入者の特定には至っておりません。構造も単純で、ある程度の知識があれば制作可能です」

 中猪は咳払いしたあと話を続ける。

「マル害が狙われた理由ですが、仕事仲間や事務所との関係は良好。恨まれている様子はありません。ファンなどからも目立った誹謗中傷はありません。金銭的にも困った様子はありません。――被疑者ですが捜査線上にひとりだけ浮上しています」


 前方のスクリーンに顔写真が映し出される。


「名前は夜城沢(やしろたく)。ライブ会場の設営スタッフに偽名を使い潜り込んでいました。詐欺容疑で逮捕拘留しましたが、ライブ会場での事件については否認。家宅捜査しましたが、装置に関係する証拠は見つかっておりません。また、喜岡に恨みを抱く要因となった証拠も見つかっておりません。現在、拘留期限切れで釈放しています。――神戸を救出する映像、もういちど見てください」


 前方のスクリーンに映像が表示され、そこには、スコップを持つ夜城が映し出された。


「夜城は<大束スタジオ>に所属しており、孤島での撮影では、爆破に関する技術スタッフを担当していました。孤島での事案について、何らかの関与が疑われます」


 刑事たちが手元の資料に『夜城、重要』と書き加えていくのが見えた。


「マル害と夜城の関係は?」

「ありません。孤島での撮影が始めてだったようです。――極めて黒いやつですが、動機が見当たりません」

「夜城は実行犯で、装置の製作者に動機がある可能性は?」

「もちろん考えられます。その可能性を考慮し、夜城の交友関係を洗いましたが白でした」

 中猪の表情に、行き詰まりの色がにじむ。


「マル害は、磐田と神戸の失踪に関与していると思うか?」

「わかりません。誰にも会いたくないと、面会を拒否しているため、事情聴取ができておりません」

「そうか……」

 被害者を被疑者として扱わなければならない辛さが、生田の心に重くのしかかった。

 眉間のしわが深くなり、彼の顔には痛みがにじみ出ていた。

「――次、松丘、説明を」」


 中猪は着席し、かわりに深川署 交通課の松丘義継(まつおかよしつぐ)が巨漢をゆらしながら立ちあがる。

「はい。害者の千羽翔哉(ちばしょうや)はテレビでの収録を終え帰宅する途中、自宅マンション前でひき逃げにあいました。防犯カメラの映像から故意に接触した可能性が高いと思われます」


 前方のスクリーンに事故の映像が映し出される。


「バイクは盗難車で、持ち主のアリバイは確認済みです。現場に犯人の血痕が残されていましたが、データベースに一致する人物のDNAは登録されていません。目撃者がいないため捜査は難航しております」

 彼は表情を曇らせ、言葉を続ける。

「マル害は人気俳優のため同業者から妬まれていました。しかし、殺意を抱くほどの人物は今のところ見つかっておりません。また、SNSなどに過激なコメントを残すファンもかなりいましたが、今のところ有力な被疑者はあがっていません。以上です」

 彼はふぅと息を吐きながら着席した。




 そのとき、古西が手をあげる。

 そんな彼をを生田が鋭い視線で睨む。

「古西なんだ?」


 彼は立ち上がると説明を始めた。

「映像から、犯人は左腕を負傷しているのが確認できます。孤島の撮影に同行したスタッフに確認しましたが、ひとりを除き全員怪我をしておりませんでした。加治勇輝(かじゆうき)、ひき逃げの前日から行方をくらましています」

「なぜおまえが犯人の怪我を知っていた」

「独自捜査だ」

 今まで丁寧な口調で話していた古西だったが、突然口調が荒くなると、不敵な笑みを浮かべた。


「またおまえは……」


 隣の問題児が本性をあらわし始めた。

 宇枝の心臓が高鳴り、思わず両手で顔を隠してしまう。


「加治勇輝に対して捜査を進言する」

 古西の視線は――おまえならどう判断する――と、生田を試しているかのようだ。

 さらに続けて、「もうひとつ、神戸の自宅からノートパソコンを押収してある。念のため、指紋の採取を頼みたい」


「いいだろう、科捜研へ回しておけ。それと加治の捜査を視野に入れる」

 古西は満足そうに着席した。


 苦々しい表情のまま、生田はマイクを強く握る。

「磐田、神戸、喜岡、千羽、この四名の事案について、深く関係している可能性が高い。これより映画関係者に焦点を絞り、重点的に捜査を開始する」

 彼の声に熱がこもる。「行方不明の二人は殺されている可能性が高い……。犯行現場と思われる孤島は、警察犬および地中レーダーを使用し、島全体をくまなく捜索する。また、孤島での撮影に参加していた俳優はあと二人。石河優唯(いしかわゆい)内山幸喜(うちやまこうき)。彼らの身の安全を考慮し護衛をつける」

 彼は立ち上がると、今までより、さらに引き締まった覚悟のこもった表情になる。「芸能関係者ということもあり、世間の注目度も高い。皆にはより一層の奮闘を期待する。以上!」


「起立!」

 係の号令により刑事たちが立ちあがる。

「礼! ――休め!」

 一斉に敬礼した後、緊張の解かれた刑事たちはふぅと息を吐くと、各々捜査へ向かう。





 生田が近づいてくる。

「久しぶりだな古西」

 彼の声には、再会を喜ぶどころか、嫌悪すら滲んでいた。

 その冷たい声に、古西は内心舌打ちをしながら、口元に皮肉な笑みを浮かべた。

「あんたとは二度と会うことはないと思ってたが、嫌な因果だ」

「離島の交番に飛ばしたはずなのに、しぶとい奴だなあ」

 ゴミでも見るかのような視線を古西に向ける。


「俺はゴキブリ並の生命力があるんだ。息の根を止めたきゃ殺虫剤もってこい」

 古西は鼻で笑うとその場から立ち去った。





 彼を追うように宇枝が駆け寄る。

「お知り合いですか? あの人、殺し屋の目になってますけど?」

「元上司。俺が告発しなければ今頃は署長だ」

「ひぃぃぃ。先輩、ヤバイですね。あの人、いったい何をしたんです?」

「警察の闇が知りたいのか? それなら公安か監査課に転属願いを出すんだな」

 彼は含みのある笑みを浮かべる。


「いいです、いいです! 私は捜査一課に行くのが夢なんですから」

「小娘ならいい刑事(デカ)になれるさ」

「小娘言うなっ!」

 ぷっくりと膨れる彼女に、彼は愉快そうに微笑んだ。


 刑事たちはそれぞれの役割を理解し、静かに動き始めた。特別捜査本部の活動が本格的に始まろうとしている。


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