24.マスコミ
スポーツ新聞に、ある記事が掲載された。
『――警察のずさんな捜査――
最近公開された映画<レジェンドファンタズム>に関わる事件が相次ぎ、警察の捜査に疑念が生じています。
映画に出演した関係者が次々と被害に遭い、そのうち二人が行方不明になるという事態が発生しました。
まず、僧侶役を演じた喜岡麻結さんは、先日行われた野外ライブ中にステージのライトが落下し事故に遭い、重傷を負いました。
この事故については未だ原因が明らかになっておらず、ファンや関係者に大きな衝撃を与えています。
さらに、勇者役を演じた千羽翔哉さんは、帰宅中にバイクと接触。加害者はその場から逃走しました。
千羽さんは重傷を負い、現在も入院しています。
警察は犯人の特定に全力を尽くしていますが、目撃者や証拠が乏しく、捜査は難航しています。
これらの事件について、賢者役を演じた内山幸喜さんは取材に応じ、警察の捜査に対し強い憤りを感じていると語りました。
「警察の捜査は全く進展しておらず、関係者の安全が全く守られていない」と痛烈に批判しています。
内山さんはさらに、
「このままでは他の出演者やスタッフにまで被害が及ぶ可能性があり、警察には迅速かつ徹底的な捜査を求めたい」と述べました。
現時点で行方不明となっているプロデューサーの磐田満夫さん、俳優の神戸樹さんの捜索も進んでおらず、関係者の間では不安が広がっています。
警察には事件の全容解明と、関係者の安全確保に向けた迅速な対応が求められています』
いつもなら軽口が飛び交う生活安全課が、今日は静まり返っていた。
出勤してきた刑事たちは、その異様な気配に足を止めかけるが、視線を交わす勇気もないまま、黙って自分のデスクへと歩を進めた。
眉間にしわを寄せ、気配を悟られまいとする表情からは、巻き込まれることへの恐れがにじんでいた。
誰もが、怒りの中心がどこにあるのかを理解していた。
課長の井灘哲が、その震源だった。
井灘の視線の先には、一枚のスポーツ新聞。
無造作に折られた紙面に躍る『警察のずさんな捜査』の見出しが、彼の目を引きつけて離さない。
視線を落とすだけで、怒りがこみ上げる。
「見ろ、これを」
井灘は机の上の新聞を指さし、顔をしかめた。「えらく挑発的な見出しだ」
目の前には古西勝之が立っていた。
退屈そうにズボンに手を入れたまま、新聞には目もくれない。
既に目を通していたのだろう。
その態度がさらに苛立たせた。
「これは警察の沽券にかかわるんだぞ、古西! このままでは済まされん!」
古西は何も語らない。
井灘の怒りなど関係ない、そんな態度がありありと感じられる。
「わかっているのか!」
「わかりませんね」
「なんだとっ!」
井灘の拳が叩きつけられ、デスクの上の小物がわずかに跳ねる。
室内の空気が張り詰めると、見ないふりをしていた刑事たちが、さらに身を縮こまらせる。
視界の端に、宇枝怜菜の姿がチラリとかすめる。
まるで格闘技でも観戦しているかのように、熱い眼差しをこちらへ向けている。
古西の悪影響。そう考えるだけで、胃に穴が開きそうなくらい腹立たしい。
「あんたの望む報連相をしたはずだ」
古西が静かに言った。その声は、投げやりにさえ聞こえた。「孤島から磐田と神戸は戻っていない。殺害された可能性が高いと。――覚えてないのか?」
忘れてなどいない。しかし、それと新聞の記事に何の関係がある。
その考えを口に出せば、自分の非を認めたことになる。
古西は呆れた様子で話を続ける。
「孤島への渡航許可を出さず、さらに所轄への応援要請すらしない。ずさんなのはアンタだ」
「うるさいっ……」
苦々しい声が漏れた。
喉の奥に絡みついたような、重い響きだった。
手元の新聞を無意識に握りしめる。
皺が増えた紙面に、『警察のずさんな捜査』の文字がますます目立って見えた。
「記事には関係者の身の危険を訴えている。もしものことがあれば、我々の責任は免れんぞ」
「かまいませんよ、島流しの刑には慣れている。どこへなりとも飛ばしてくれ」
唇の片側がゆっくりと引き上げられ、古西の顔には皮肉の表情が浮かび上がった。
「おまえだけの問題じゃない。警察組織に対する信頼が失われるのだけは避けねばならん」
「失われるのは警察への信頼じゃなくて、あんたのキャリアだろ?」
「黙れと言っている!」
再び机が鳴った。
井灘の肩が荒々しく上下し、血走った目が古西を射抜く。
仕事をしていた警察官たちは目を合わさぬよう息をひそませ下を向いている。
静まり返った室内で、井灘は呼吸を整えようと努めた。
冷静さを取り戻すまでの数秒が、異様に長く感じられた。
「特別捜査本部を、設置することが、決定した。宇枝と、一緒に、お前も、参加しろ」
「ようやくか」
古西は鼻からふっと息を漏らす。
その安堵が、彼の願った結末だと理解するのに、井灘は数瞬を要した。
「なんだとっ!」
古西は背を向けた。
もう用はないと、背中が語っているようだ。
「おいっ! 古西!」
井灘の怒声が響くが、古西は振り返りもしない。
視界の端に宇枝の姿。その顔は、満面の笑みを浮かべている。
古西はコートを掴むと、
「小娘、行くぞっ」と、彼女の近くを通り過ぎながら声をかける。
「りょ~かいっ」
宇枝は資料を持つと、古西と一緒に立ち去る。
井灘は、忌々しく、過ぎ去る古西の背中を睨む。
「ふん。特別捜査本部、ね。大げさな真似を……」
その声は低く、あくまで冷静さを保とうとしていた。
だが、机に置かれた新聞の見出し『警察のずさんな捜査』が、視界の端でじわじわと圧力をかけてくる。
「こんなニュース、一過性のものだ。世間はすぐに別の話題に飛びつく。――わしがやるべきことは、浮き足立たずに組織を守ること。……そうだ、それが責任というものだ」
机に置かれたペンを、無意識に指先で転がす。
その動きは滑らかに見せかけて、どこかぎこちない。
「特別捜査本部など、結局、上の連中が騒ぎを収めるための飾りだ。やつらがどれだけ奔走したところで、最後に責任を取るのはわしじゃない。……いや、わしが取る必要などない」
ペンが机から転がり落ちる。
反射的に手を伸ばすが間に合わない。小さな音が、部屋に不自然に響いた。
「――問題ない。あの連中のやり方が間違っていると証明される日が、必ず来る」
拳を握る。爪が掌に食い込み、微かな痛みが彼の思考を現実に引き戻す。
「わしは間違っていない……。そう、間違っているはずが、ない」
しかしその言葉は、誰に向けたものだったのか。
空虚な静けさが、彼の心の中に広がっていく――。