23.お見舞い
古西勝之は、病室の前に立っていた。
入口のネームプレートは、芸能人とわからないように偽名が使われている。
古西は静かにドアをノックした。
「はい」と、声が聞こえる。
古西はゆっくりとドアを開ける。
ベッドに横たわり、スマホに目を落とす千羽翔哉の姿が浮かび上がった。
事情聴取できるくらいには血色の良い表情をしている。
「大崎署の古西、こいつは宇枝です。お話を伺いたいのですが」
隣にいる宇枝怜菜が軽く頭を下げる。
千羽の視線は、古西のボサボサ頭と、どこか無造作な佇まいをじろりと見つめた。
その眼差しには、単なる不信感以上のもの。警戒、あるいは拒絶の色が濃く滲んでいる。
「事故の話は全てお伝えしましたけど」
その一言の裏に、千羽の固く閉ざされた警戒心が滲んでいるのを、古西は肌で感じた。
「それは交通課の刑事です。俺たちは生活安全課から来ました」
「生活安全課?」
首をかしげるその仕草には、警察組織の複雑さを知らぬ者の当然の疑念が宿っていた。
「はい。俺たちは行方不明者の捜索を行っています」
千羽は、記憶の糸を手繰るように、視線を宙に泳がせた。。
「あ、思いだしました! 撮影スタジオに来られた刑事さんですね」
「その節はどうも」
古西と宇枝は、軽く頭を下げながら病室へと足を踏み入れた。
「お二人とも、どうぞお掛けください」
千羽は電動ベッドのスイッチを押して、背もたれを立たせる。
古西と宇枝は、彼のそばまで行くと椅子に腰を下ろした。
「千羽さん、孤島で行われた撮影で、なにかトラブルに巻き込まれませんでしたか?」
「磐田プロデューサーと神戸さんが異世界に転生する珍しいトラブルならおきましたよ」
その答えは、茶化しではなく淡々とした平常心そのものだった。
「真面目に答えてください」
「エイリアン・アブダクションとか神隠しと同じですよ。僕には説明できないから、得体の知れない現象と言うしかないんです」
古西は、涼やかな千羽の表情に真摯な眼差しを注ぎ、内心でその奥に潜む不確かな感情を探ろうとしていた。
部屋には、張り詰めた沈黙が二人の間に流れる。
やがて、宇枝の鋭い一声がその空気を破った。
「千羽さん、舞台あいさつで助監督の並川さんと、石河さんが映画の完成度に納得していない様子でした。あれって、何かトラブルが原因だったんじゃないですか? 例えば演技に集中できなかったとか」
「もちろん、二人も消えたんですから、多少の動揺はありました」
「それだけでしょうか。もし孤島で人が消えたら殺人事件を疑いますよね、あなたたち俳優なら、なおさら。――撮影を中断して、行方不明者の捜索や犯人捜しをするのがセオリーです。それなのにあなたたちは撮影を続行した。それって、誰かが先導したんじゃありませんか?」
宇枝の鋭い指摘に古西は胸を熱くする。
かつて、ただ従順に後を追っていた彼女が、今やたくましさを漂わせている姿を誇りに思う。
「磐田プロデューサーが不在なので、現場の決定権は監督でした。――監督が撮影すると決めたら俳優たちは演技をするだけです」
彼女は首をかしげる。
「そこが腑に落ちないんですよね。原作を読みましたけど正直な感想はダメダメでした。登場人物の動機も曖昧だし、物語の起伏も弱い。<売れない映画は撮らない>と言われている監督が納得するクオリティじゃないんです。そもそも、なぜ監督は仕事を受けたんでしょう? そして、中断できるハプニングがおきたのに、なぜ続行したのでしょう? 千羽さん、なにかご存じではないですか?」
つい先ほどまで涼やかだった千羽の表情に、今や深い陰りが滲んでいる。
「僕では監督の考えはわかりません。監督に直接伺えばいいじゃないですか」
「その監督が捕まらないんですよぉ~。舞台挨拶の前日から旅行に出かけられたらしいんですけど~」
その甘い口調の裏側に、彼女が意図的に挑発しようとしているのを、古西は鋭く見抜いた。
「えっ?」
「撮りたくない映画を撮らされて、あげくの果てに、あれだけ酷評されれば、傷心旅行にも行きたくなりますよね。――たぶん監督のポリシーを覆すような出来事があったと思うんですけど~」
千羽は無言のまま、窓の外へ視線を落とす。
――いい揺さぶりだ。
千羽の瞳の奥に揺らぎが感じらえる。
その微かな反応は、触れて欲しくない真実に近づいたと思わずにはいられない。
何かを聞き出すチャンスがあるのではないかという期待が、古西の内側でそっと燃え上がる。
その時、個室のドアが静かに開かれた。
「千羽さん、具合はどう――来客ですか」
「内山幸喜さんですよね。大崎署の古西です、あなたにもお話を伺おうと思っていました」
古西が軽く会釈する。
「俺に、ですか?」
内山は千羽の近くに来た。
「ええ。――孤島でのトラブルについて、いったい何がおきたのか調べています」
内山は斜めに体を傾け、挑発的な態度で語り始めた。
「人が二人消えた。ただ、それだけです」
その冷淡な口ぶりに、古西の心は激しい苛立ちに包まれた。
「それだけって……、死んでいるかもしれないんだぞ」
思わず声が高まり、喉の奥が焼けつく。
だが、内山もまた険しい空気をまとい、場の緊張をさらに深めた。
「食料のない島に、半年も放置されれば餓死するだろ。今さら死んでるかもしれない? 悪い冗談だ」
内山は強く吐き出すように溜息をつく。「行方不明者届が出されて、すぐに救出に向かえば助かったかもしれない。けど警察は動いたのか? ――助けに行くのは警察の仕事だろ」
「それは……」
古西の顔には、苦い後悔と責任感が交錯する表情が浮かんだ。
「事件性や緊急性がなければ警察は動かない。それぐらい俺でも知っている。だが、喜岡さんや千羽さんが怪我をしたのに、まだ本格的な捜査が開始されていない。あんたたち半年もの間、いったい何してたんだ!」
彼の言葉は、古西と宇枝、二人だけで行う捜査の日々を重く思い起こさせた。
そんな内情を内山は知らずに語る。
かと言って、警察の事情を説明したとしても、それは言い訳に過ぎない。
警察の怠慢と、自分の不甲斐なさに古西は自分を責めるしかなかった。
「力不足なのは承知している。だからこそ捜査に協力して欲しいんだ」
古西は深々と頭を下げた。
「私からもお願いします」
宇枝も、肩の力を抜くように頭を下げる。
「遅い……、遅すぎる。――例えあんたに情報を渡しても、腐らせるのがおちだ」
内山の冷たい視線が古西に突き刺さる。「俺たちは、警察組織の舞台や映画を何本も経験しているんだ。フィクションだろうと、それなりの知識はある。『初動捜査が肝心』、聞いたことある台詞だろ。喜岡さんと千羽さんの怪我はあんたの責任だ」
その一言一言が、古西の胸をえぐるような苦痛となって突き刺さった。
「申し訳ない。――俺たち警察は、確かに多くの問題を抱えている。現場に立つ刑事として、何度も無力さを感じた……。でも、それでも俺は、警察という仕事に誇りを持っている。何度失敗しても、それでも諦めずに事件を追う。それが、俺たちの役目だと信じている」
古西の拳は、後悔と悔しさで固まり、過ぎ去った無念の日々を物語っていた。「人の命を救えなかったことがある。初動捜査で、もっと多面的な調査をしていれば、あの命は守れたかもしれない……。だが、俺にはそれができなかった。――あのとき、もっと早く動いていれば……。そんな後悔が、今もずっと俺の胸に残っている」
古西は内山の冷徹な眼差しを真っすぐに受け止めた。「だからこそ、何も見逃すわけにはいかない。失われた命があるのなら、傷ついた心があるのなら、それを無駄にするわけにはいかない。――俺たちができることは、全力で捜査し、少しでも多くの命を守ることだ。そして、過去の過ちを繰り返さないこと。それが俺の使命だと思っている。――だから、お願いだ。協力してほしい」
古西は再び頭を深々と下げた。
「いいだろう協力してやる。ただし、無能なあんたらじゃなく、警察全体を引きずり出してやるよ」
その暗く、重い声を聞いた瞬間、対応を間違えたかもしれないという後悔が古西を襲う。
意を決して顔を上げると、内山の冷たい蔑んだ視線が、まるで全てを見透かすかのようにぶつかってきた。
ひと時、部屋の空気は凍り付き、誰もが言葉を失った。
内山は古西から視線を外す。その態度には失望の念が渦巻いていた。
「千羽さん、これ、お見舞い」と、持っていたお菓子を手渡した。
「ありがとう。――あの、内山さん、無茶はだめだよ」
千羽は、内山の内面に潜む憤りを察し、わずかに柔らかな微笑みを浮かべた。
「心得てますよ」
内山は、古西の存在を無視して個室から出ていった。
去っていくその後ろ姿には、揺るぎない固い信念が感じられた。
古西の胸に強い不安がよぎる。
彼はいったい何をする気なのだろう……。