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18.雑誌撮影

 マネージャーの岩見愛花(いわみまなか)は、撮影スタジオの隅に立っていた。

 目の前で繰り広げられる光景は、まるで現実の延長線上にある異世界のようだ。

 ライトがまぶしく照らすその空間は、静けさに包まれ、時折カメラマンの指示が空気を裂く音となって響く。

 彼女はただ静かに、目を閉じることなく、その一瞬一瞬を見守っていた。


 石河優唯(いしかわゆい)は、撮影スポットの中央に立っている。

 長い黒髪が光を受け、漆黒の波のように揺らめく。

 赤いドレスが彼女のしなやかな曲線を際立たせ、動くたびに血潮のように揺れる。

 網タイツとハイヒールがその魅力を一層引き立てる。


 誰もが息を呑む光景。だが、岩見の目には、その輝きの裏に潜む影が見えていた。

 石河の心の奥底に隠された繊細さ、その重みを。

 彼女がこの芸能界に立つためにどれだけの苦しみを抱えているのか。

 その苦しみを手のひらで感じながらも、愛してやまない彼女に、さらに辛い思いをさせている。

 そんな二律背反が、岩見の胸を締めつける。


 カメラマンの声が響く。

「もう少し右に、そう、その感じで。笑顔を少しだけ、うん、完璧!」

 その声は優しく、石河をリラックスさせるものだが、岩見には少し異なる響きで届く。


 ――完璧? あたりまえじゃない、私の優唯なんだから。

 岩見は息を潜め、石河の一挙手一投足に目を凝らした。

 自分の愛情とともにそのすべてを感じ取ることが、岩見にとって何よりも重要だったから。


 周囲のアシスタントたちは、ライトの位置を微調整し、彼女の美貌を際立たせるための努力を続けている。




 時間が経つにつれ、石河はますますその美しさを際立たせていく。

 堂々としたポーズに、笑顔も自信に満ち溢れている。


 カメラマンがシャッターを切るたび、

「いいね、素晴らしい」と心からの賛辞を口にする。




 そして、少しの間が過ぎた後、カメラマンの声が響く。

「少し休憩しよう」

 その一言で、石河から張り詰めた緊張感が抜け落ちる。

 彼女は、岩見のいるスタジオの片隅へと向かう。

 その足取りには、どこかほっとしたような安堵が感じられた。




 石河は、ドレスがシワにならないように細心の注意を払いながら、ゆっくりとパイプ椅子に腰を下ろし、ふっと息を吐いた。

 ほんの一瞬だけだが、表情に疲れの色が浮かぶ。

 しかし、それはすぐに隠され、まるで誰にも見せまいとするように整えられた。


 無言で差し出したミネラルウォーターを、石河はありがとうと言って受け取り、ストローをくわえてひとくち飲んだ。

 冷たい水が乾いた喉を潤すと同時に、ライトの熱を帯びた体の内側から冷却されていくのが感じられた。


「素晴らしいパフォーマンスだったわ。表情も、動きも、文句なし! ――でも、どこか違和感が……。ねえ、気にかかることでもあるの?」


 岩見は、普段なら気にも留めない微細な変化を敏感に察知していた。

 精神的なケアをしている自分には、石河が何かを気にしているのが明らかだった。

 それが一瞬の迷いから来るものだと、岩見は理解していたが、それでもその感情の根源がどこにあるのかを知りたかった。


 石河は短く頷き、わずかな沈黙の後、

「喜岡さんが事故にあったでしょ、容態が心配で」と、声を潜めて言った。

「ああ……。そうね、心配よね」


 岩見は少し間をおいて答えたが、心の中では別のことを考えていた。

 喜岡はただの共演者にすぎず、石河にとって重要な存在ではないはずだ。そう決めつけていた。

 だから、わざわざ事故の話を伝える必要すら感じなかった。

 なのに、その喜岡のことで、彼女が心を乱している。

 それが許せなかった。


 どうやって話題を変えようか悩んでいると、先に話を続けられてしまう。

「お見舞いに行こうと思うんだけど、撮影の後、時間とれないかな」

「優唯だめよ。喜岡さんは引退するくらい重症なの。アイドルなんだから怪我をした顔を見られるの嫌がるでしょ」

「顔に怪我をしたの? ニュースは詳しい容態まで伝えていなかったわ」

 石河の声には、予想以上の驚きが滲んでいた。

 彼女の瞳がわずかに硬直し、まばたきの間隔が乱れた。


 岩見は瞬時に後悔し、内心の動揺を隠すように平静を装う。

「マネージャーネットワークで知ったのよ。プライバシーに関わるからあまり人には教えてないの」

 嘘――。そんなネットワークは存在しない。

 詳しい容体を知っていたのは、内山が連絡してきたからだった。

 彼は、石河も狙われるかもしれないと心配していた。

 自分は石河を守るべき存在なのに、それが逆に彼女を不安にさせてしまっている気がして息苦しい。


「――ねえ、喜岡さんは事故なのよね?」

「私はそう聞いているわ」

「もしかして、映画の犯人が彼女を殺そうとしたんじゃないかしら?」


 岩見の心臓が強く打つ。

 内山も、まさにその可能性を示唆していた。

 それに、石河を余計な不安に巻き込みたくないから、知らせないでほしいと頼まれてもいる。


 岩見は不安を悟られないよう、作り笑顔しながら軽く笑う。

「もぉ~喜岡さんが犯人だって、優唯が推理したんじゃない、忘れちゃったの?」

「そうだった……」

 石河は照れたように舌を出す。


 岩見は心の中で祈る。この話題が早く終わるようにと。


 少し考えていた石河は、何か閃いたようで、表情がパッと明るくなる。

「きっと、彼女は警察に疑われていたのよ。だから自分が犯人ではないと証明するために、あえて事故を装ったんだわ!」

「もし事故が彼女の自作自演だとしても、芸能界を引退するようなまね、しないと思うわ。それに、打ち所が悪ければ死んでしまうもの、危険すぎるでしょ」

「そうよ! 犯行を悔いて自殺しようとしたのかも!」

 誇らしげな顔で胸を張るその姿は、まるでスポットライトを浴びた舞台上の探偵役のようだった。


「自殺なら自宅でひっそりとするものよ」

「いいえ、彼女はアイドルだもの、きっとファンに見送って欲しかったんだわ。――うん、そうよ! 気持ちわかるわ。私も死ぬならスクリーンの前がいい」


 ――演技は天才なのに、どうして推理はポンコツなんだろう。

 女性検事役を演じたこともあるのに、なぜ私生活で生かされないか不思議だった。

 そう岩見は思いながら深いため息を吐く。

「はいはい、名探偵さん、推理はそこまで。撮影に集中しなきゃ。あなたは女優なんだから、写真撮影でもバッチリと演技、してくださいよ」

「そうね。もうすぐ喜岡さんも逮捕されるでしょうし。それに、映画のことは忘れるって千羽さんと約束したもの」


 その『千羽さん』という名前が岩見の心に引っかかる。

 約束した相手は内山さんなのに……。

 彼女の頭からは嫌な奴の記憶がすっぽり抜けているようだ。

 岩見は――内山さん、不憫ね――と同情するしかなかった。




「休憩終わりまーす。石河さん、お願いしまーす」

 撮影スタッフの声を聞いて立ちあがった石河は、いつもの力強い女優の表情に戻っていた。


 スタジオの中心を歩く石河。その美しさは圧倒的で、その場にいた全ての人が視線を奪われる。


「私が優唯を守る――」

 ライトの光とシャッター音。

 その姿を見て、岩見は改めて悟る。石河優唯は、この光の中でしか生きられない人間なのだと。


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