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15.定食屋

 店内に差し込む日差しが、テーブルの木目を浮かび上がらせている。

 昼の喧騒は去り、窓の向こうでは淡い秋色に染まりつつある街路樹が風に揺れていた。

 宇枝怜菜(うえだれいな)はその光景を、どこか遠い出来事のように思えた。


 木目調のテーブル、畳敷きの小上がり席。

 柔らかな和の趣が、懐かしさをほのめかす。

 壁に掛けられた季節の掛け軸が目に入る。

 和紙の照明がぼんやりと温かな光を放ち、心がほぐれる気がした。


 昼のピークが過ぎた店内は静かだった。まばらに残る客が、ゆっくりと食事を楽しんでいる。


 向かいには古西勝之(こにしかつゆき)が座っていた。

 相変わらずボサボサの髪で、だらしない印象はいつも通りだ。

 彼の前には、熱々の天ぷらそばが湯気を立てている。

 刻まれたネギとおろし生姜の香りが、湯気に乗って鼻先をくすぐる。


 古西は仏頂面のまま、無言でそばをすする。

 しかし、湯気とともに広がるだしの香りが彼の味覚を刺激したのか、わずかに目尻が下がり、口元がほころぶ。

 その変化は一瞬のものだったが、宇枝には、彼が密かに満足しているのがわかった。


 いっぽう、宇枝の前には、たっぷりの具材が入ったうどんの器が置かれている。

 ふっくらとした揚げ豆腐と青々としたほうれん草が見た目からして美味しそうだった。

 そっと箸を取り、うどんをすする。

「このだしの風味、最高だわ」と、その優しい味わいに、宇枝は自然とほっと息をついた。



 宇枝はふとカウンター奥のテレビに目をやる。

 高い位置に設置されていて、どの席からも見やすい。

 ニュース番組が流れていて、秋のイベントや新しいレストランの話題が取り上げられていた。


『速報です――』

 宇枝の耳が、無意識にその言葉を拾った。

『先ほど人気アイドルグループ<空色クローバー>の喜岡麻結(よしおかまゆ)さんが突然の芸能界引退を発表しました――』

 画面には見覚えのある女性の姿。

『――天井から落下してきたライトに接触し、緊急搬送されました。病院では、幸いにも命に別状はないことが確認され――』

 宇枝の箸が静止した。

 口にくわえたうどんが、舌の上でひやりとした感触を残したまま存在を消す。

 心臓が、不意に空白を作るような感覚。目の前の光景が、ほんの一瞬だけ遠のいた。

 画面の向こうでは、彼女が知る麻結が、まるで別人のように過去形で語られている。

 ――え? 麻結ちゃんが引退?

 宇枝の頭の中で、その疑問がぐるぐると回る。


「どうした?」

 古西の声が耳に入っても、すぐには反応できなかった。

「あ、あれ」

 ようやく指をテレビに向けると、その瞬間、口にくわえていたうどんがするりと滑り落ち、器の中に落ちた。

『――次のニュースです、本日――』

 宇枝がぼんやりと画面を見つめている間に、ニュースは次の話題へ移っていた。


 古西がちらりとテレビに目をやる。

「大臣の汚職事件がどうした? そんなのは検察の仕事だ。俺たちの出る幕じゃない」

 一瞬、眉をひそめた気がしたが、それもすぐに消え、まるで関心がないかのように、再び箸を口へ運んだ。


「ちがいますよ!」宇枝は思わず声を強めた。「麻結ちゃんが芸能界を引退したんです!」

「麻結……、ああ、あの異世界女か。アイドルは浮き沈みが激しいと聞く。早めに第二の人生を選択できたのなら喜ばしいじゃないか」

 彼は器を持ち上げるとつゆを美味しそうに飲み始める。


 ――アイドルの進退に興味のないことぐらい予想はついていた。けど、鋭い古西さんが気づかないなんて……。


「ライブ中の事故が原因らしいです。コレ、元刑事課のカンが疼きませんか?」


 古西はつゆを飲み干すと、ふぅと言いながら器を置く。

 ただの満足げな仕草とは違う。記憶の波に沈んでいる、そんな目をしている。

刑事(デカ)のカンなんてのは、そんな便利なもんじゃねえ」

 と、言い終えると、つい先ほどまでとは違う、過去を掬い上げるような目をした。「……女の勘は働いたか?」


 質問の意図はわからないけれど、

「はいっ!」と、宇枝は勢いよく頷いた。


「あいつには、隠し事なんて通用しなかったな……。刑事の勘より、女の勘の方が鋭いんだ」

 古西の視線から哀愁を感じる。


 ――あいつ? 奥さんのことかしら?


「映画関係者に三人目の犠牲者。これ、連続殺人事件なんじゃないですか?」

「その可能性はあるかもしれん……。だが、なぜ孤島から戻った後に犯行に及ぶ? 人目の少ない孤島のほうが事件を隠蔽しやすい」

 古西はそばを食べ終え、無意識に耳たぶをつまむ。その仕草は、彼が本気で考え始めた証拠だった。


 宇枝は考えた。実務経験の乏しい自分にできるのは、これまで見聞きした映画やドラマの知識を引っ張り出すこと。

 そして、あるシーンが脳裏によみがえった。

「シリアルキラーじゃないでしょうか。神戸は出演者たちの目の前で消された。今回はライブ会場で観客の前で被害にあった。人目が多い程、喜ぶタイプの犯人なのかもしれません」

「磐田プロデューサーは誰にも見られずに消えた。一貫性がないな」

「ですよねー」

 宇枝は薄々気づいていたので、さほど落胆はしなかった。


「だが、考え方の方向性は間違えていないのかもな。犯行の手口……、犯人からのメッセージなのかもしれん」

「メッセージ、ですか?」

「衣服を残して消したり、落下物を使い殺したり、そこに、なにか……」


 古西の言葉が、宇枝の記憶を一気に引き寄せた。

「あっ!!」

 突然の大声に、店の客や店員が言葉を失い、視線を彼女に向けた。

「どうした?」


 断片的だった記憶が、脳内でひとつの像を結ぶ。

「私も、麻結ちゃんの言葉が気になって異世界転生について調べたんです。そこで、同じような状況を見ました」

 宇枝は一呼吸してから話を続ける。「こちらの世界に衣服を残して、あちらの世界に裸で呼ばれたり。建設中のビルから鉄柱が落ちて、潰れて死んだ主人公が異世界に転生していました。それに、誰にも見られず異世界転生するケースもありましたから、磐田プロデューサーも同じ状況と言えるかもしれません!」

 宇枝の目が大きく見開かれる。唇が震え、言葉が押し出される前に、確信が表情に滲んだ。


「異世界転生をモチーフにした<見立て殺人>か……。確か創作物だと、罪深き者を断罪するためや、恨み、怨念、復讐などが理由だったな」

「犯人が精神異常者のケースもありましたから、<見立て殺人>から犯人の動機を探るのは難しいかもしれませんね……」

「だが、捜査の糸口になりえるかもしれん」

 いつもの仏頂面が、わずかに緩んだ。しかし、目の奥に鋭い光が宿る。

 その微笑みは、これから何かが動き出す、そんな予感を宇枝に抱かせた。


 宇枝は拳を握りしめた。

「ですね!」

 捜査の役に立てたという喜びが、体の奥から込み上げるのを感じた。


「推測だけでは埒が明かん。まずは事故の状況を聞きに行くぞ」

「りょ~かいっ」


 そばを食べ終えていた古西は立ち上がるとレジに進み後輩の分も一緒に会計を済ませる。

 宇枝は伸びてしまったうどんをかき込むと、慌てて彼の後を追うのだった。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 宇枝怜菜(うえだれいな)は、深川警察署の駐車場に車を止めた。

 ガラスとスチールが組み合わさった無機質なビルが目に入る。

 その表面に秋の日差しが反射し、眩しさに思わず目を細める。


 壁面には『目指せ! 交通死亡事故0の町』と垂れ幕。

 だが、こんな標語だけで事故がなくなるはずもない。宇枝は、そう思わずにはいられなかった。


 道行く人々の服装もすっかり秋めいている。

 暖色系のコートやジャケットが増え、街全体が落ち着いた色合いに包まれていた。

 目を引くのは、信号待ちの間にスマートフォンを操作する若者たち。

 視線を落としたままの彼らを見て、宇枝は小さく息をつく。

 こんな調子では、事故が減るどころか……。


 古西勝之(こにしかつゆき)の後について階段を上がる。

 二階の刑事課フロアに足を踏み入れると、がらんとしていた。

 ほとんどの刑事が現場に出ているのだろう。

 デスクには書類の山。その上に手書きのメモや写真が無造作に散らばっている。



 宇枝の前に現れたのは、ダルマのような丸顔で、くりっとした目が印象的な中年男性だった。

 彼は古西に向かって笑みを浮かべ、まるで舞台役者のように口を開く。

「やあやあ、これはこれは、数々の事件を解決し、将来有望と期待されていたのに、問題ばかりおこして島流しにあった古西が、まさか俺の前に顔を出すなんて、今日は雪でも降るのか?」

 その言葉に、宇枝は少し困惑する。

 なぜこんなにも楽しそうに古西をからかうのか。

 男の目に映る古西の表情は、確かに不快そのものだったが、それをまるで気にしていないかのように振る舞っている。


「暑苦しいやつだな。今日はおまえに用があって来たんじゃない。喜岡麻結の怪我について話を聞きに来たんだ」

「喜岡ってえと、アイドルの?」

「それだ」

「なんだよ、素直に俺に会いたくなったって言えよ、恥ずかしいのか? んん?」

 男は古西の肩を強めに拳で叩いた。

 中年男性特有の無駄に明るい雰囲気に、宇枝は思わず胸が圧迫されるような気がした。


「耳がもうろくしたのか? 俺は喜岡の話を聞きに来たんだ」

「俺がその子の担当だ。驚いたか? 驚いただろぉ~」

 男はケラケラと笑いながら、古西に楽しげに話しかける。

 古西はその笑いに一瞬苛立ちを見せる。

「だったら早く言え」


 しかし、男の表情は急に一変した。

 その口調も、先ほどの軽い調子から、低く、鋭いものに変わる。

「その前に、生活安全課のおまえが、なぜアイドルの事故を調べている? また無許可の独自捜査をしてるんじゃないだろうな?」

 その視線が宇枝に向けられ、思わず息を呑んだ。「後ろの子、まだ新人だろ? おまえのとばっちりでキャリアに傷がついたらどう責任取る気だ、ああっ?」

 鼻が当たりそうなほど、二人の顔が接近する。


 少し離れた場所からそのやり取りを見ていた宇枝は、急激に険悪な雰囲気が漂い始めたことに驚き、何が起こったのか理解できなかった。

 しかし、彼が悪意を持っているわけではないと、宇枝は微かな直感で感じ取った。


 古西は面倒くさそうに男の肩を掴み、力強く押し返す。

「落ちつけダルマ。喜岡は調査している行方不明者の関係者なんだ」

「ホントかぁ?」

「ほ、本当です」と、宇枝が慌ててフォローした。


 男はその視線を宇枝に向け、にっこりと微笑む。

「君、名前は?」

宇枝怜菜(うえだれいな)です! よろしくお願いします」

「俺は中猪一也(なかいかずや)、刑事課の強行犯係だ。――こいつには首輪つけとかねぇと勝手にどっか行くぞ」

「知っています」

 宇枝は冷静に返すと、中猪は満面の笑みを浮かべた。

「ほぉ~っ、いいコンビじゃねえか」

 そして、再び古西に視線を向け、「いいだろう、そっちが先に情報を出せ。納得出来たら教えてやる」


 宇枝は、孤島で行方不明になった二人の捜索について簡潔に説明した。


「……なるほどな、映画関係者か。ちょっと来い」

 中猪一也はデスクの上の資料を小脇にかかえると、二人を会議室に案内した。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 宇枝は、会議室に足を踏み入れた瞬間、思わず肩をすくめた。

 暖房が入っていない。冷えた空気が肌を刺す。

 中央には長方形のテーブルが置かれ、ウォルナット柄の落ち着いた色合いが、部屋にわずかな重みを加えていた。

 テーブルを囲むパイプ椅子は傷だらけで、金属部分には擦り傷が目立つ。

 壁のホワイトボードには、消しきれなかったマーカーの跡が薄く残っている。


 中猪はテーブルの上に資料を置く。

「ライブ会場の事故は、喜岡を狙った障害事件だと睨んでいる」

 資料の中から一枚の写真を二人に見せた。そこには小さな黒い箱が映っている。

「この遠隔装置でワイヤーが外れライトが落下した。通信可能距離は約二十メートル。犯人はライブ会場にいたことになる」


 宇枝の目がキランと輝く。

「古西さん! やっぱり連続殺人事件ですよっ!」

 推測が当たったことへの興奮か、それとも事件が一歩前進したことへの高揚か。

 どちらにせよ、思考よりも先に拳に力が入った。


 そんな宇枝に、古西は反応しない。

「指紋は?」と、淡々と質問する。


 宇枝の昂りは、不意に熱を奪われたようにしぼんだ。

 喜びを共有してくれると思ったわけではないが、それでも、何かしらの反応を期待していた自分に気づく。


「残念ながら検出されなかった」

「犯人の目星は?」


 中猪一也は、伸び始めたあごひげをジョリジョリと触りながら、

「今のところアイドルグループのメンバーが被疑者(ホシ)候補だが、聞き取りした刑事の話では仲は良かったらしい。被害者(まるがい)は、事務所、ファン、親族、ともに良好。カレシなし」

 ふうと一息つくと、「怨恨の線じゃあないのかもしれん。関係者は口を揃えて良い子だと褒めていたそうだ。――やってられんよ、そんな子が狙われるなんてよぉ」

「いい奴だから嫉妬される。そんな世の中だ」


 胸の奥に鈍い棘が刺さったような感覚が広がった。

 ――理不尽だ。麻結ちゃんは何も悪くないのに。

 悪意がなくても、世の中は簡単に人を傷つける。そんな現実に、わずかでも慣れかけていた自分が、ひどく嫌になった。


「喜岡の保険金は?」

「事務所受取の保険に入っているが、事務所の経営は順調。金に困っている様子はない。それに、人気アイドルに怪我をさせてまで受け取るほどの金額じゃあなかった」

「怨恨、嫉妬、金、どれも該当なしか……」

 古西は耳たぶをつまみながら深く考え込む。


「ただな、マル害はクスリをやっていた可能性があるらしい」


 宇枝の鼓動が、一拍だけ不規則に跳ねた。何かの聞き間違いだと思いたかった。

 でも、そうではない。

 頭の中で麻結の笑顔を思い浮かべようとするが、それと『クスリ』という言葉がどうしても結びつかない。


「検査結果か?」

「いや、聞き取りした刑事の見立てだ。今、売人に当たっている」


「麻結ちゃんがクスリに手を出しているなんて信じられません」

 宇枝は自信なさげに呟いた。


「ピュアだねぇ~っ」

 宇枝は、中猪に女の子扱いされていると思い、苛立つ。

「おじさんさぁ、小学校に入る前の子供がクスリ打ってるのを見て価値観壊れてるの。――宇枝君も壊れないでね」

 鋭い痛みが胸を指す。

 ――この人は私を貶したわけじゃない。心構えをしておけと釘を刺したのだ。

 迂闊な発言をした自分を押し殺すように、奥歯を噛みしめた。

 ふと彼を見ると、くりっとした目をこちらに向け、どこか優しげに微笑んでいた。


 中猪はテーブルの上の資料をバンバンと叩く。

「さて、本題だが、会場の設営などを含めると百人以上のスタッフが出入りしていた。それが、この、履歴書の山だ」

 彼はニタリとほほ笑む。「映画関係者はデータベースにアップしてあるんだろ? 印刷してこいよ」

「はいっ!」と、宇枝は元気よく返事した。

「若いってのはいいねえ」

 遠い記憶に浸っているような中猪一也に、古西は、

「おまえ、老けたなあ」と嫌味を言ったのだった。


 宇枝は会議室から駆け足で出ていった。






 宇枝は印刷してきた映画関係者のリストを二人に渡す。

 百枚以上ある履歴書のコピーを三人で分担しリストと照合する。


 中年男性たちは、目をシバシバさせながら履歴書に書かれた名前を覚えると、リストを一行一行なぞって名前が一致しないか確認する。


 宇枝はリストの名前を目で追いながら、無意識に息を詰めていた。

 指の先でリズムを刻むように、一行ずつなぞる。

 もし、この中に犯人がいるなら……。

 そう思うたび、鼓動が速まる。

 でも、次の瞬間には何も手がかりを得られない現実が押し寄せてくる。

 期待と不安が交互に胸を締めつける中、それでも手を止めるわけにはいかなかった。




 静寂に包まれた会議室に、紙をめくる微かな音が広がる。




 壁の時計が静かに針を進める。徐々に肩がこわばり、空気が沈んでいくのを感じた。


 最後の一枚をめくるとき、指先がわずかに震えていた。

 何もない。手応えもない。ただ、時間だけが無慈悲に流れていく。

 宇枝は、喉の奥がカラカラに乾いていることに気づいた。


「空振りかぁ」と、中猪は目頭を押しながら、凝り固まった首をほぐすように回す。


 宇枝の両手は、掴む力さえも失われたかのように開き、天井に向いている。

「正直、もっと簡単に見つかると思ってたんです。ほら、映画とかドラマみたいに、ピタッと一致する名前があって、『これだ!』って」

 声が震える。「自分でも、少しは役に立てるって、信じてたんです。――なのに……結局、何も見つけられなくて。こんな簡単な照合作業ですら、私にはできないんですね……」

 言葉が喉で詰まりかける。でも、止めたくなかった。吐き出さなければ、もっと惨めになる気がした。

「思い上がってたんですね……。現場に立って、デスクに座って、ちょっと資料に目を通せば、何か掴めるって、そんなふうに思ってた。――でも、現実はこんなに静かで、何も答えなんてくれない。――バカみたいですよね、私」

 そう言った途端、喉の奥がひくりと痙攣した。

 目を伏せると、涙が滲みそうになる。

 こんなことで泣いてはいけない。でも、悔しさが胸の奥で暴れている。


 沈黙の中、古西が低く鼻で笑う。

「小娘の脳みそは砂糖菓子か? 何が『役に立てる』だ。現実舐めてるのか?」

 その言葉は鋭く、切りつけるように響く。

 でも、彼は続ける。声のトーンは冷たいまま、けれどその奥に、ほんのわずかに別のものが滲んでいる。

「お前が欲しがってるのは、手柄か? カッコつけたいだけか? ――なら、今すぐ辞めろ。そんなもん刑事(デカ)に不要だ」


 手柄なんて欲しくない。でも、否定しようとすると喉が詰まった。

 叱責の言葉すら、本当は彼なりの教えなのかもしれない。

 そう気づくほど、惨めな自分が嫌になった。


 そんな彼女を横目に、古西は面倒くさそうに溜息をつく。

「答えなんて、すぐに見つかるわけがない。見つけるまで、泥水啜って這いずり回る、それが刑事(デカ)だ。――でも、まあ、最初にぶち当たる壁としては、悪くない」


 丸顔の中猪は、それはもう嬉しそうにニタリと笑うと、

「不器用だねぇ。素直に慰められないもんかよ。――まあ、中年オヤジにお嬢ちゃんの相手はハードル高けえよな」

「うるせえぞ」


 ケタケタと笑う中猪。

「お嬢ちゃん、目の付け所は間違えてねえよ。犯人が偽名を使うなんてあたりまえなんだからよ」

「偽名……」

 その言葉を口にした瞬間、宇枝の中で何か芽生えた。

 まるで霧が晴れるように、頭の中が冴えていく。

「でも、面接はしてるんですよね!」

 次の瞬間、自分の中の迷いが薄れていくのを感じた。

 やるべきことが見えてきた。


「どうした?」


 彼女は再び履歴書のコピーを手に取ると、一枚づつ確認していく。

「収録スタジオで見た人がいないか探しています」


 その言葉に古西はピクリと反応する。

「そう言えば、人の顔を覚えるのが得意だったな」


 自分に分配されていた履歴書のコピーを見終えた宇枝は、古西の前に置かれていた束を引き寄せチェックを続ける。

 記憶を辿るように、丁寧に、一枚、一枚、顔写真と向き合う。

「この人……。たぶん見たことあります」


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