14.ライブ
冷たい空気が肌を刺す夜。都会のネオンが遠くぼんやりと揺らめく。
だが、屋外ライブ会場は、熱気と興奮に満ちている。
ステージは色とりどりのライトに彩られ、まるで異世界に迷い込んだかのような雰囲気を醸し出していた。
ファンたちはペンライトを振りながら、鼓動の高鳴りを抑えきれずにいた。
誰もがステージを凝視し、まさに始まらんとする瞬間に息をのむ。
熱気が渦巻き、歓声にならないざわめきが波のように広がっていく。
突如、ステージのライトが輝きを増し、空間全体を包み込んだ。
イントロが鳴り響くと、会場に割れんばかりの歓声が響く。
ステージに五人の影が浮かび上がる。アイドルグループ<空色クローバー>だ。
一番人気でセンターポジションの古我藍は、堂々とした笑顔を浮かべながら観客を見渡した。
ステージの光を一身に浴びる感覚は、彼女にとって最も心地よい瞬間だ。
無数の視線が自分に集中していることを肌で感じ、その熱がさらなる自信へと変わる。
彼女はまるで舞台の女王のように、誇り高く手を振った。
その隣にいるのは、喜岡麻結。
スクリーンの中では僧侶を演じた彼女も、ここではアイドルだ。
彼女たちはカラフルな衣装をまとい、音楽と一体化するかのように踊る。
滑らかな動きと力強いステップが、観客の視線を釘付けにする。
サビに差し掛かると、一斉にジャンプ。
歓声が沸き起こる中、時間が一瞬止まったかのように思えた。
そして、彼女たちが地面に降り立つと、会場はひとつになる。
ダンスのフォーメーションが変わり、センターが交代する。
古我がサイドに移動すると、喜岡が前に出る。
彼女のソロパートが始まった。
心臓が強く脈打った。視線が一気に自分へと集まり、期待とプレッシャーが全身を包み込む。
しかし、彼女は深く息を吸い込み、迷いを振り払った。
――これは、自分の実力を証明するチャンスだ。
彼女は目を輝かせ、全身で音楽を表現するように力強く歌い上げた。
黒い影が音もなく落ち、次の瞬間――。
会場が悲鳴に包まれた。
誰かが叫んだが、それすらも混乱の渦にかき消された。
ステージには砕けたライトの破片が散らばっている。
高所に固定されていたライトが落下したのだ。
倒れている喜岡の頭から、赤黒い液体が流れ、床を濡らしていく。
メンバーは動くことすらできなかった。
さっきまで笑顔でパフォーマンスをしていた仲間が、血に染まり倒れている。
目の前の光景が現実だと脳が認識できない。
古我の指が震え、無意識に喜岡へと手を伸ばしかけるが、その指先が届く前に、彼女の顔は歪んだ。
曲が止まりライトが消灯すると、会場は静寂に包まれた。
スタッフが慌ただしくステージへ駆け寄り、喜岡の様子を確認する。
しばらくして、アナウンスが響いた。
「本日の公演は中止とさせていただきます」
先ほどまでの熱狂が嘘のように、会場を出る観客たちは誰も言葉を発しなかった。
ペンライトを持つ手が力なく下がり、鮮やかな光の列はゆっくりと出口へと向かっていく。
誰もが、心の奥底にぽっかりと空いた穴を抱えていた。
ライブの余韻ではなく、ただ重く沈んだ不安と心配だけが、胸を締めつけていた。
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翌朝、会場は静寂に包まれていた。
昨夜の熱狂的な歓声と興奮は嘘のように消えている。
警察車両が会場の前に列をなし、赤色灯がまだ淡く回転している。
制服姿の警察官たちが次々と車から降り、足早に建物の中へと消えていった。
ステージ中央に割れたライトの破片が散らばり、無数の細かいガラスが日光を受けて鈍く光っている。
床には黒ずみ始めた血の跡が広がり、昨夜の惨事を物語っていた。
鑑識班の一人がピンセットでライトの破片を拾い上げる。
別の隊員が血の付いた床を撮影する。
鉄柱がゆっくりと下がり、取り付け具やワイヤーがあらわになる。
隊員が写真を撮りながら指先で状態を確かめる。
ノートパソコンの画面に映るライブ映像が、行きつ戻りつする。
落下するライト。次の瞬間、喜岡が崩れ落ちる。
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刑事は控室に入り、メンバーたちの前に座った。
彼女たちは互いに視線を交わしながら、不安げに肩を寄せ合っていた。
誰もが口を開きかけては躊躇し、沈黙が場を支配している。
友人が負傷すれば言葉にならない動揺が広がるのも無理はない。
今、必要なのは共感ではなく、真実を引き出すことだ。
「ライトが落ちる前に、何か異常なことや奇妙なことに気づきませんでしたか? ――例えば、ライトが揺れていたとか、不自然な音が聞こえたとか」
刑事は一拍置き、相手の些細な表情の変化を見逃さぬよう観察しながら問いを投げかけた。
刑事の問いかけに、メンバーたちは顔を見合わせ、静かな否定の仕草を見せた。
「いいえ、特に何も。いつも通りのライブだと思っていました」
古我が代表するように応じたが、その声にはかすかな震えが滲んでいた。
「リハーサルのとき、ライトは正常に機能していましたか?」
「リハーサルは昼でしたので、ライトがついていたかわかりません」
刑事は眉間にわずかな皺を寄せつつ、内心である仮説を組み立てていた。
設営ミスならば、調査はすぐに片付くだろう。
それならば、事情聴取も短時間で終わり、彼女たちの負担も減らせるだろうと考えていた。
だが、その予想はすぐに裏切られることになる。
鑑識班の一人が控室に入り、刑事に耳打ちをした。
一瞬、胸の奥を冷たい刃で撫でられたような感覚が走った。だが、それを表に出すほど未熟ではない。
「これから話すことは事件に関係しますので、他言無用でお願いします」
刑事の声は、これまで以上に低く、力を込めたものとなった。
古我は信じられない様子で目を見開き、震える声で、
「事件?」と、聞き返す。
「ライトを固定していた装置に、無線式の仕掛けが取り付けられていました。ライブ映像を確認したところ、喜岡さんがセンターポジションに移動したあとにライトが落下しています。今回の事故は喜岡さんを狙った傷害事件の可能性が高いと見ています」
言葉が落ちた瞬間、誰かが息を飲む音がした。
視線が一斉に刑事へと集まり、沈黙の圧が室内に満ちる。
――彼女たちの中に犯人がいるのか、それとも無関係なのか……。
刑事は一人ひとりの表情を、逃さぬように観察する。
動揺の質はどうか。目線の揺れはあるか。沈黙に耐える余裕は。
どの顔にも同じ感情が浮かんでいる。
事故ではなく、事件――。
これはもう、簡単な聴取では終わらせられない。
刑事は内心の渇きを意識しながらも、あくまで冷静さを装い言葉を紡いだ。
「これからお一人づつお話を伺います」
「えっ? もしかして私たちが疑われているんですか?」
刑事は思わず内心で答える。
『その通りです』と。だが、それを言うわけにはいかない。
「疑っているわけじゃありません。ただ、事実を知りたいだけです。そのためには、皆さん一人ひとりの視点から状況を整理する必要があります。どうぞ、ご協力をお願いします」
誠意を込めて頭を下げる。
沈黙に支配された彼女たちの顔に刻まれていたのは、単なる恐怖ではなく、信じてもらえないことへの焦燥だった
その沈黙を破ったのは、刑事の同僚だった。
同僚は、彼女たちの背中を軽く押しながら、
「ではこちらに」と、三人を控室から連れ出してしまう。
その刹那、残された古我のまぶたが微かに震えた。唇が開きかけるも、声にならない。
事情聴取は、被疑者の心を揺さぶるのが基本だ。
向かいの少女は、白い指をぎゅっと組んでいる。
その指先が震えているのを見て、胸の奥がざわついた。
――何を考えている。感傷は不要だ。。
「今回の事故について、あなたはどう感じていますか?」
「えっ? どう?」
答え方を測るため、敢えて輪郭のない質問をぶつける。
犯人は往々にして触れてほしくない話題から最も遠い感情を口にするものだ。
「もうショックで、何も考えられません」と、古我は視線を落として答える。
その声には確かな動揺がこもっている。
それが真実か、あるいは誤魔化しなのかはまだわからない。
「最近誰かから脅迫を受けたことはありますか? 例えば、ファンや関係者からの不審なメッセージなど」
「いいえ、特にそういったことはありませんでした。私たちは普段からファンとの交流を大切にしていて、嫌がらせを受けたことはありません」
刑事は舌打ちしたい衝動を抑えた。
こういう場面で『嫌がらせなどない』と断言する受け答えは、マニュアル対応の証拠だ。
情報が遮断されている。……いや、遮断されているのを彼女自身が自覚していない可能性もある。
「事故前後に舞台装置に触れた人物や、不自然な動きをしていた人はいましたか?」
古我は考え込んだ末に答えた。
「いいえ、特に誰も見かけませんでした。私たちはリハーサルに集中していて、周りの動きには気づかなかったかもしれません」
「喜岡さんの交友関係について教えてください。最近、誰かと揉め事があったり、トラブルに巻き込まれたりしたなどを相談されていませんか?」
「悩みを抱えている様子はありませんでした。それに、麻結はとても真面目で努力家です。誰かとトラブルを起こしたこともありません」
悩みのない人間などいるものか。
この子は相談相手ではなかった、ということか。
「恋人はいなかったでしょうか。その方と最近、何か問題があったとか」
「あの……。事務所に所属するときに念書を書かされています。三十歳まではカレシを作るなって。契約を破ると一億円賠償請求されるので誰もカレシは作らないと思います」
刑事の表情が一瞬強張ったが、即座に平静を装った。
いくら契約書に書かれていても、実際に一億円もの賠償金を支払うことなどあり得ないだろう。
事務所の対応が過剰で、どこか不穏だと感じたが、それを口に出すことはなかった。
「では、グループ内で最近、誰かが不満を漏らしているのを聞きましたか?」
「ライブの練習がキツイね、くらいなら皆で話しますけど、本気の不満は誰も口に出していません」
「彼女と特に親しかった、あるいは距離を置いているように見えた人はいますか?」
「私たちはみんな同じくらい仲が良かったと思います。マネージャーや事務所の人たちとも親しくしてました」
刑事は黙って聞き流しながら、脳裏で違和感を反芻した。
仲が良いアイドルグループが本当に存在するなら、事務所は苦労しない、と。
「最近、彼女の態度に変化はありませんでしたか?」
「変化……」古我は少し考え込んだ後、答えた。「もうすぐ異世界に行けるって話してました」
「異世界?」その言葉に耳を疑った。聴き慣れない言葉が、刑事の思考を乱す。「それはいったい?」
「麻結はファンタジー小説が好きなんです。私も詳しくは知らないんですけど、異世界転生というジャンルだとか」
――異世界? それは隠語か?
刑事は手帳に『異世界に行ける』とメモを残す。
ヘブン、エンジェル、パラダイス。過去に何度も聞いた言葉と似ている……。
麻薬の隠語として<異世界>が新たに増えた可能性がある。
「薬に手を出していたりしませんよね?」
「してません! してません!」
古我は驚愕し、首を振る。「彼女はとても冷静で頭も良いです。おかしな発言をしているわけじゃなくて、その、説明が難しぃんですけど、サンタクロースを信じている感じに近いと思います。いないと知っているけど夢は忘れない、みたいな。わかります?」
「あ~なるほどぉ? 少しはわかります」
頬をわずかに緩めた。だが、喉の奥で違和感がこびりつく。「では、異世界に行けるとは?」
「ピーターパンのネバーランドだと思っています。童心を忘れなければ、夢の世界へ行けるみたいな?」
「なるほど、ロマンチックな話ですね」
刑事は手帳に書いた『異世界に行ける』の文字に横線を引き、『白モノ』と書き加えた。それは、覚せい剤を示す隠語だった。
刑事は優しく頷き、
「分かりました。引き続き調査を進めますので、何か気づいたことがあればすぐに連絡してください」と伝えた。
数日後、喜岡の所属する事務所のホームページに、怪我の回復およびリハビリテーションにより長期の休養が必要である旨の情報が掲載され、本人の意向もあり、芸能活動を引退すると発表された。