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13.聞き込み

 薄曇りの空が広がる中、静かな住宅街に、ひっそりと佇む二階建てのアパートが見える。

 くすんだアイボリーの外壁を持ち、年月を経た鉄製の手すりがわずかに赤茶けていた。

 木々の葉は赤や黄に染まり、風に乗って舞い散る音が耳に心地よい。


「ここですね」

 宇枝怜菜(うえだれいな)は手帳に書いてある住所とアパートの玄関を見比べる。


 古西勝之(こにしかつゆき)は無言のままドアベルを押した。

 アパートの中から控えめなチャイムが響く。


 ほどなくして、ドアの向こうで足音が近づく気配。

 小さなチェーンの音とともに、扉がわずかに開かれ、住人が顔をのぞかせた。


 古西は落ち着いた動作で警察手帳を掲げた。

「大崎署の古西です。こいつは宇枝。咲良彩寧(さくらあやね)さんで間違いありませんか」

「――はい」

 ドアの隙間からのぞく女性の顔が、わずかに強張るのがわかった。

「行方不明者についてお話を伺いたいのですが、プライベートな話ですので、できれば中でお聞かせ願えますか」


 咲良は一瞬ためらったようだった。

 視線が揺れ、唇がわずかに開きかけて、すぐに閉じる。

 しかし、ほんの短い間を置いて、彼女は小さく息を吸った。

「どうぞ」

 ドアチェーンが外れる音がし、扉が大きく開かれた。


 室内に足を踏み入れた途端、宇枝は焼き菓子のようなほのかな甘い香りを感じた。

 部屋の温かさが、外気との温度差を際立たせる。

 リビングへと続く床は磨かれており、壁際には観葉植物が並んでいた。

 大きな窓からは朝日が差し込み、光の筋がソファーとテーブルの上に柔らかな影を落としている。




 咲良は古西と宇枝をソファーへと促し、自らはその対面の席に静かに腰を下ろした。

 古西が写真をテーブルの上に置いた。

 目を落とすと、そこには神戸樹(こうべたつき)の姿があった。


「この人、ご存じですか?」と、古西が静かにたずねた。

「はい。神戸さんですよね、俳優の」

 声が少し震えている。

 警察の事情聴取を前にすれば、緊張するのも無理はない。

 だが、それ以上の何かが混じっているような気がして、宇枝は無意識に彼女の表情を観察する。


「彼が行方不明なのはご存じですか?」

「ええ。ニュースで知りました。まだ戻られていないのですか?」

 心配そうな表情。

 作り物か、それとも本心か。

 宇枝の目には、わずかに計算されたような動きにも見えた。


「はい、捜索中です。――彼とお会いになったことはありますか?」

「友人に誘われた食事会でご一緒しました」

 戸惑う様子もなく、素直に答える。

 どうやら、知人であることを隠すつもりはないらしい。


「それは、いつ頃?」

「半年ほど前だったと思います」

「彼はどんな人ですか?」

「知識が広く、深くて、会話は途切れることなく面白くて、周囲の人を楽しませてくれる明るい人でした」

 懐かしむような口調。優しささえ滲んでいる。

 まるで神戸が、ただの魅力的な人間だったかのように。


 宇枝は奥歯を噛んだ。

 ――違う。神戸は盗撮魔よ。少なくとも、あなたは被害者のはず。なのに、なぜそんな風に語れるの?


「最後に彼と会ったのは、いつですか?」

「その食事会の時だけです」


 宇枝の眉が一瞬、かすかに動いた。

 嘘だ。

 私は知っている。神戸のマンションで一夜を共にしたことを。

 ――なぜ嘘をつくの? 失踪事件に関与しているの? それとも、ただ知られたくないだけ?


 宇枝は古西を見た。

 しかし、彼は表情ひとつ変えずに質問を続ける。

「彼と交際されていましたよね?」

 慎重な問いかけ。探るような間の取り方。


 咲良の目がわずかに大きく開いた。

「いいえ、滅相もない」

 即答だった。首を振る動きに迷いはない。


 ――なら、あの動画は何?

 宇枝の胸の奥で、疑念が膨らむ。だが、それを表情には出さなかった。


「食事会では、何か変わった様子はありませんでしたか?」

「初めてお会いした人ですから、気づきませんでした」

「では、会話の中で、誰かに恨まれたりしている様子はありませんでしたか?」

「そういった話は特にしていません。神戸さんは芸能人ですし、なるべくプライベートな会話は避けました」

 咲良は淡々と答える。

 警察に対して無駄なことを言わないようにしているのか、それとも本当に何もないのか。


「最後に連絡を取ったのはいつですか?」

 古西がわずかに身を乗り出す。


「食事会の後に一度だけ。それから連絡は取り合っていません」

 神戸のスマートフォンの通話記録にも、彼女の履歴はなかった。

 だが、だからといって安心はできない。連絡手段などいくらでもある。


「何か、気になる事や、覚えていることはありませんか?」

「これといって特には」

 虚飾のない答え。その平静さが、むしろ疑わしかった。


「協力ありがとうございます。些細なことでも、後で思い出したら必ずご連絡ください。些細なことが、大事な手がかりになることも多いので」

 古西が名刺を差し出す。


 咲良はそれを受け取り、

「はい」とだけ答えた。


 古西が立ち上がると、咲良もそれに合わせて静かに立ち上がる。

 彼を見送るその姿は、穏やかで、何の屈託もないように見えた。




△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼




 車内に重い沈黙が垂れ込めていた。

 フロントガラスの向こうには、秋の日差しを受けて色づいた街路樹が流れていく。

 赤や橙に染まった葉が風に舞い、歩道を埋め尽くしている。

 その景色とは裏腹に、車内の空気は冷え切っていた。


 助手席の古西は、不愛想な顔のまま書類を睨みつけ、耳たぶをつまむ。

 その癖は考え込むときのものだと知ってはいるが、宇枝にとっては苛立ちを誘う仕草でもあった。

 ハンドルを握る手に、自然と力がこもる。


 神戸と関係のあった女性たちの聞き込みは、ほぼ終えている。

 しかし捜査に目立った進展はない。


 宇枝は、深く息を吐いた。

 アパートでの事情聴取。咲良彩寧の曖昧な態度。嘘をついたことは明白なのに、古西は何も追及しなかった。

「少なくても、食事会とマンション、二回は会ってますよね。どうして詰めないんですか?」

 抑えたつもりの声が、思ったより強く響いた。


「何が聞きたい」

 古西は書類から目を離さず、淡々と問い返す。その素っ気なさが、余計に苛立ちを募らせた。


「だからぁ、どうして嘘を見逃したのか理由を教えてくださいよ」

「違う」古西が静かに言った。その一言が妙に鋭く、宇枝の思考を止める。「おまえが、嘘の先にある何を知りたいのか質問したんだ」


「え? それは……」言われて、宇枝は戸惑った。

 何を知りたいのか、そんなの決まってる。「神戸と深い関係なのか裏撮りを……」

 言葉にしてみて、自分の考えがいかに曖昧だったかを自覚する。


「嘘つきは泥棒の始まりと言うからな」

 古西はぼそりと呟いた。「おまえは嘘に過剰反応したんだ。疚しいことがあるから嘘をついたのだと。そして彼女に容疑者のレッテルを貼った。するとどうなるか、彼女の言葉は全て嘘に聞こえる」


 宇枝は、アパートでの事情聴取を思い返した。

 確かに、あのときの自分は、咲良の証言すべてを疑っていた。

 嘘をついた時点で、もう彼女の言葉に耳を貸す気をなくしていた。


「違うって言うんですか? 実際、彼女は嘘をつきました」

 いつの間にか、ハンドルを握る手に力がこもる。指先が白くなるほどに。


「例えば、だ。『昨夜、彼氏とラブホテルに行きましたか』と尋ねられて、おまえは素直に行ったと答えるか? 恥ずかしくてはぐらかすだろ」

「それは、まあ……」言葉に詰まる。「でも、神戸なんかを良いヤツだって嘘をついたじゃないですか!」

 思わず語気を強めると、古西は困ったようにため息をついた。

「なぜそんなに怒っている?」


「だって、女性を片っ端から毒牙にかけて、さらに盗撮するような変態ですよ? 地獄に叩き落としていいゲス野郎です!」

 込み上げる怒りに任せて、ハンドルを叩いた。ガツンと乾いた音が車内に響く。


 古西は手元の資料を指で弾くと、冷静に言った。

「リストアップした女性の殆どに聞き込みを終えたが、その誰もが交際は否定したが、神戸を貶す発言はいっさいしていない。むしろ、行方不明なのを心配していた」

 古西は書類を軽く持ち上げ「そんな男がゲス野郎か?」


 宇枝の中で、反発が沸き上がった。

「女性は自分を抱いた男は良いやつだ、私は捨てられてないって、嫌な記憶を美化してプライドを守るんです。惨めな感情に蓋をして見ないフリをしたんですよ」

 思わず口をついた言葉に、古西は呆れたような顔をした。

「小娘、おまえ恋愛経験乏しいだろ」

 瞬間、宇枝の中で何かが弾けた。

「セクハラで訴えますよ!」

 ハンドルを握る手に力が入り、思わず怒鳴る。


 古西はため息をついた。

「そう、それだ。馬鹿のひとつ覚えのようにセクハラだと騒ぐ」

 その言い方がまた癪に障る。

「事件の大半は怨恨だ。その中でも男女間の揉め事は多い。恋愛に対する異性の思考パターンを数多くプロファイリングするのは捜査の役に立つ」

「……だから何が言いたいんですか?」

「モテる男を好きになる女の思考パターンを考えたか?」

「はぁ?」


 古西は、書類から視線を上げることなく続ける。

「一夜限りの関係でも構わない、そう考える女はいるってことだ。彼女は一度しか会っていないと証言した。それは、食事会の後に神戸のマンションに行った可能性もあるだろ」

「そうでしょうかぁ、ソレ、男性の願望ですよね」

 そんな都合のいい女性がいるはずがない。

 信じられない、という気持ちがそのまま言葉になる。


 古西が書類から目を離し、ちらりとこちらを見た。その眼光は、相手の心を見透かすほど鋭い。

「嫌な記憶を美化してプライドを守るって話、おまえの恋愛経験だろ」


 ドキッとした。

「昔、男に酷いフラれかたをして、軽薄な男は信じられなくなった。それからは恋愛に臆病になり相手の懐に踏み込めずにいる」


 ――なぜ知っているの?

 宇枝の脳裏に、元カレの顔がよぎる。

 楽しそうに別の女と腕を組み、何も知らない自分に優しい言葉をかけていた、あの男……。

 その記憶がフラッシュバックし、吐き気がするような悔しさが胸を焼く。


 古西は、容赦なく続けた。

「神戸に対して、異常なまでの怒りを覚えるのは、男に対して潔癖な、オマエの恋愛経験からくる嫌悪感だ。神戸の自宅で、やけに手慣れていたのは、彼氏の家でも女の痕跡を探してたんだろ」


 宇枝は、背筋が冷えるのを感じた。

 自分でも整理しきれていない感情を、他人にあっさり言い当てられる。

 そんな古西の洞察力に、ぞっとするほどの恐怖を覚えた。


 古西は再び書類に視線を落とし、淡々と話を続ける。

「神戸は、一夜限りの恋愛を楽しむタイプの女性に狙いを絞り声をかけている。だから誰も奴を恨んでいない。彼女たちが捜査に非協力的と感じるのは、深い恋愛を望まないからこそ、誰も奴の行方を知らないだけだ」


 それを聞いて、宇枝は観念した。

 古西の人を見る目は確かだ。この分析も、きっと当たっているのだろう。


「なら、どうして神戸は、女性との行為を盗撮なんてしたんですか?」

「奴の性癖だろう。おそらく撃墜マークのようなものだ」

「……は? 撃墜マーク?」

 恋愛と撃墜マーク。まるで結びつかない。

 そんな男がいることにも、納得ができない。

「私には、理解できません」

 そう呟くと、声が思いのほか拗ねた響きを帯びていた。


 古西は、ふっと鼻で笑った。

「俺だって理解なんぞしてねーよ。そんな男も世の中にはいるって、経験上知っただけだ」


 宇枝は、改めて古西を横目で見た。

 経験上、そう言い切るほど、どれだけの人間を見てきたのか。

 苛立ちが完全に消えたわけではない。

 だが、少なくとも今は、これ以上何を言っても無駄だと思えた。


 宇枝は、ちらりと古西の左手を見た。

 指輪はつけていない。たぶん独身なのだろう。

「古西さんは恋愛経験豊富なんですか?」と、嫌味を込めて聞いてみる。


「小娘と恋バナするわけないだろ」

 思ったとおりのつまらない返答だ。

「異性の思考パターンをプロファイリングしろと教えたのは古西さんですけど」

 宇枝は勝ち誇ったように口角を上げた。

 そう言われると、さすがの古西も無下にはできないだろう。


 古西はようやく書類から目を離し、窓の外に視線を向けた。

「俺は生涯ひとりの女性しか愛さない純愛派だ……」


 独身男の負け惜しみにしか聞こえない。

「へぇ~っ」

 と、鼻にかかった声をわざと出してやる。「だから独身なんですね。早く、そんな女性が見つかるといいですね」

 宇枝は内心、仕返し成功だとほくそ笑んだ。


 だが、古西は不思議なほど穏やかに微笑んだ。

「ああ、もう見つけたよ……。俺をおいて異世界へ転生したがな……」


 ――え?

 一瞬、言葉の意味がわからなかった。

「意外です、古西さんがファンタジー好きだなんて」

 軽く流すつもりで言ったのに、古西はわずかに目を細め、静かに続ける。

「いや、スタジオにいたアイドルに自分で調べろと言われただろ。その過程で、死んだ人間が異世界に行くことを知ったんだ」


 冗談ではなかったのだと、遅れて気づいた。

「ああ、麻結ちゃんの……」

 口に出した瞬間、理解する。

 古西が『異世界へ転生した』と言ったのは、愛した人が亡くなったということなのだと。

 宇枝は、ぞっとするほどの後悔に襲われた。

 嫌味のつもりで言った言葉が、彼の痛みをえぐることになるなんて。

 あんなに楽しんでいた自分が、急にひどく幼稚に思えた。

 宇枝は、言い訳がましいことを言うのが怖かった。でも、何も言わずにいるのはもっと嫌だった。

「異世界転生した人は、魔王を倒した後、元の世界に戻ってこれるらしいですよ」

 精一杯のジョークだった。


 古西は小さく笑う。でも、その目は、どこか遠い。

「あいつは体が弱いから……、魔王は倒せそうにないな……」

 穏やかな声。けれど、確かに滲んでいる悲しみ。


 ――もう二度と会えない人を想う声だ。

 宇枝の額から汗が流れる。

 何を言っても、この人の傷を抉ってしまう気がする。

 どうにか話をそらさなければ。

「え~っと――。女性たちから有益な話が聞けそうにないのは理解しました。じゃあ、何を調べたらいいでしょう」


 古西は視線を資料にもどし、数ページめくる。

「行方不明者はもうひとりいる。プロデューサーの磐田満夫(いわたみつお)。二人に関係性があるのだとしたら……」

 険しい表情になり、耳たぶをつまむ。また深く考え込むときの癖だ。


「私たちだけで二人の行方不明者を探すなんて無理ですよ。課長に増援を要請しましょう」


 古西は、悔しそうに眉をひそめる。

「既に断られた。事件性がない限り、芸能人だからといって特別待遇はしない、だとよ。規律を重んじるタヌキらしい言い分だ」

「じゃあどうしますか?」

「不本意だが、俺たちだけで調べるしかないだろう。とりあえず磐田のプロデューサー仲間に話を聞く。テレビ局へ向かえ」

「りょ~かいっ」


 エンジン音が一定のリズムを刻む。

 彼氏のいない若い女性と、小汚い寡夫を乗せた黒い乗用車は、制限速度を守りながらテレビ局へ向かうのだった。


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