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11.舞台挨拶

 ポスターに大きく記された<レジェンドファンタズム>のタイトルが、ネオンの光を浴びて輝いている。

 その下には、『監督 大束昭雄(おおつかあきお)』の文字。

 数々の名作を生み出してきた巨匠の新作に、人々は、その作品がどのような驚きをもたらすのか、胸を高鳴らせていた。

 その初回上映を観るため、映画館の前には長蛇の列ができていた。


 上映が始まった瞬間、館内のざわめきが、ふっと吸い込まれたように消えた。

 スクリーンいっぱいに広がるのは、まばゆい光と鮮烈な色彩。幻想的な城がそびえ、空には三つの月が浮いている。

 客席の最前列に座る少女が、思わずポップコーンを口に運ぶ手を止めた。

 隣の青年は目を瞬くのを忘れたように、スクリーンを凝視している。


 序盤、劇場内の空気は熱を帯びていた。食い入るように前のめりになる者、感嘆の吐息を漏らす者。

 だが、物語が中盤に差しかかると、様子が変わる。

 腕を組む者、眉をひそめる者、座り直して落ち着かない様子を見せる者が増えていく。


 エンドロールが流れ始めても、拍手は起こらなかった。

 客席のあちこちで立ち上がる音がし、誰かが小さくため息をつく。

 その音がやけに劇場に響いた。

 眉間にしわを寄せたまま立ち尽くす中年男性、唇をかみしめる若い女性、友人同士で顔を見合わせながら言葉を探す学生たち。

 その誰もが、今見たものをどう受け止めるべきか決めかねていた。

 出口へ向かう観客たちの足取りは重く、まるで劇場全体が粘つく空気に包まれたようだった。




 上映が終わるや否や、批評家たちは席を立ち、ロビーの片隅で小声で言葉を交わし始めた。

「映像は見事だった。ただ……」

「物語が、な」

「そう、観る者に響く何かが……足りない」

「結局のところ、この物語は既視感が拭えないんだよ……」

「語りの巧みさはある。だが、新しさが足りない――」

 ノートに素早くペンを走らせる者、腕を組みながら首をかしげる者。誰もが慎重な言葉を選びつつ、時折、肩を落とすように息を吐いた。


 後日、彼らの意見は新聞や雑誌に掲載され、読者たちに映画の評価を知らせた。


 テレビ番組ではコメンテーターたちがこの映画について討論を始めた。

「監督の技量には疑いの余地がないが、今回は期待外れだった」

「テーマの掘り下げが不十分で、視聴者に伝わりづらい」


 夜が更けるころには、SNSのタイムラインは映画の感想で埋め尽くされていた。

「期待外れだった」

「お金と時間の無駄だった」

「もう二度と観たくない」

 批評記事のリンクが次々とシェアされ、それに賛同する者、反論する者がコメントを重ねていく。


 数々の名作を世に送り出した巨匠の最新作。

 それが、ここまで手厳しく評価される日が来るとは、誰が想像しただろうか。






 映画の公開初日から数日が経過した週末の午後、映画館には多くの人々が集まり、舞台挨拶が始まるのを待っていた。

 しかし、観客たちは映画が酷評されていることを知っている。

 観客席のざわめきには、高揚と疑念が入り混じっていた。


 暗転した瞬間、観客席のざわめきが一層熱を帯びた。

 舞台に設置されたスポットライトが一点に集中する。

 黒いスーツ姿の司会者が舞台に姿を現した。

 抑揚のない動きでマイクを握ると、ゆっくりと観客に一礼する。

 その口元には、どこか場の空気を探るような微笑が浮かんでいた。


「皆様、本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。これより<レジェンドファンタズム>の舞台挨拶を始めさせていただきます」

 フリーアナウンサーの聞き取りやすい声がマイクを通して流れ、ホールの隅々まで届く。

「まずは、本作で素晴らしい演技を見せてくださった俳優の皆さんをお呼びしたいと思います。役に対する情熱と努力が、この映画を素晴らしい作品に仕上げました」

 その言葉に、観客席からは、熱のこもった拍手と歓声が次々に巻き起こった。

 司会者は観客の反応に軽く頷きながら、最初の俳優の名前を呼び上げた。

「始めに、勇者ヒロシを演じた千羽翔哉(ちばしょうや)さんの登場です!」


 千羽は、背筋を伸ばして歩みを進める。

 その表情には誇りと、ほんのわずかな硬さが入り混じっていた。


 若手ナンバーワンともてはやされる千羽が登壇するや否や、会場は一段と熱気を帯び、歓声が更に大きくなった。

 彼は爽やかな笑顔で観客に応えると、待ち構えていたマスコミが一斉に撮影し無数のフラッシュが瞬く。


 主演俳優たちに用意された衣装は、それぞれ役のイメージカラーを象徴している。

 鮮やかな赤のジャケットが、舞台のライトを浴びてひときわ映える。

 黒のデニムパンツと白いスニーカーが、それを軽やかに引き締めていた。


 司会者は優しい笑顔を浮かべて次の名前を呼び上げた。

「続いて、僧侶ハルカを演じた喜岡麻結(よしおかまゆ)さんです!」


 喜岡は笑顔で手を振り、アイドルらしい親しみやすさを振りまいた。

 僧侶の純潔と神聖さを象徴する白いワンピースが揺れるたび、柔らかな光を反射する。


 彼女のファンらしき男性たちが声を揃えて、

「可愛い! 最高! 麻結が一番! 笑顔がキラリ! 心にビタミン! 麻~結! 麻~結! 俺たちの麻結!!」と、<麻結コール>をしたのである。

 彼女は自分のファンだけに伝わるレスポーズとよばれるジェスチャーで、その声援にこたえた。


「続くは、重戦士タケオを演じた丘元伸彦(おかもとのぶひこ)さん!」


 丘元は、銀色の甲冑をイメージしたメタリックな光沢を放つスーツに身を包んでいる。

 丘元は足取りこそしっかりしていたが、表情はこわばり、視線は正面の一点に固定されていた。

 観客へのアピールすら忘れているようで、そんな彼に観客たちの拍手もまばらであった。


「続きまして、狩人サリーを演じた石河優唯(いしかわゆい)さんですっ!!」

 司会者は、どうやら彼女のファンらしく、他の俳優の紹介よりも力が入っている。


 狩人の自然との調和を象徴した緑のドレスがゆるやかに波打つ。

 石河が動くたびに優雅な余韻が生まれる。

 男性ファンは息をのみ、女性ファンは羨望の眼差しを向けた。


「続いて、賢者ダイスケを演じた内山幸喜(うちやまこうき)さん!」


 内山は、賢者の知識と智慧を象徴した黒いロングスーツを着こなし、知的な雰囲気を醸し出す伊達メガネをかけている。

 ニヒルな役を演じ、不敵な笑みを浮かべながら手をあげると、ファンの女性たちが黄色い声援をあげた。


「最後に、本日登壇予定だった大束監督ですが、急な体調不良のため、残念ながら来られなくなりました。代役として、助監督の並川大助(なみかわだいすけ)さんがいらっしゃっています」


 会場の空気がわずかに揺れた。

 観客席のあちこちで小声が交わされ、マスコミの間からは落胆の息が漏れる。


 ラフなポロシャツ姿で登場した彼は、ファンサービスは行わず、神妙な面持ちで静かに佇んでいる。



「それでは順番にコメントを頂きたいと思います」



 司会者が合図をすると、千羽は軽く会釈をした。

「皆さん、今日はお越しいただきありがとうございます」

 千羽は穏やかな微笑みを浮かべ、まっすぐ前を向いた。

「この映画に出演することができ、本当に嬉しく思っています。ファンタジーという新しいジャンルに挑戦することは、僕にとって大きな冒険でした」

 彼はふっと息をつき、撮影現場での出来事を思い出すように、言葉を紡ぎ出す。

「撮影中はたくさんのチャレンジがありましたが、それ以上に楽しい瞬間がたくさんありました。共演者の皆さんやスタッフの方々と一緒に、この作品を作り上げたことを誇りに思います。――この映画を通じて、皆さんにも夢や希望を感じていただければ嬉しいです。そして、この素晴らしい原作小説を愛してくださる皆さんに、心から感謝しています」

 彼は少し微笑んで、

「これからも様々なジャンルに挑戦していきたいと思っています。皆さんの応援が僕の力になりますので、どうか引き続き応援よろしくお願いします」と締めくくった。


 観客席からは再び大きな拍手が起こる。

 彼は感謝の気持ちを込めて一礼した。

 その姿には、彼の真摯な姿勢と作品に対する熱い思いが感じられた。



 続いて喜岡が挨拶する。

 千羽が落ち着いた佇まいで観客の心を引き寄せたのに対し、喜岡は弾けるような笑顔と明るい声で、会場の雰囲気を一変させた。

「ファンの皆さん! 今日はお越しいただきありがとうございますっ!」

 まるでライブコンサートのような元気な挨拶から始まった。

「実は私、この原作の大ファンなんです。初めてこの小説を読んだとき、その素晴らしい世界観に一瞬で引き込まれました。何度も、何度も、繰り返し読んで、キャラクターの一人ひとりに感情移入しました。皆さんもご存じの通り、ハルカはとても魅力的で、演じることができたのは本当に光栄です」

 彼女は一息ついてから、原作への思いをさらに熱弁する。

「原作者の八ツ花千代先生が描く世界は、本当に繊細で美しく、心に響くものがあります。特にハルカの成長過程や内面的な葛藤には、涙なしでは読めませんでした。映画化にあたり、その魅力をどう表現するかを考えるのがとても楽しかったです」


 客席のあちこちで、ペンライトが小さく揺れた。

 彼女の一言一句に頷く者、食い入るように見つめる者。その熱気が、ステージにまで届いていた。


「撮影中も、共演者の皆さんと一緒に、原作のシーンを再現するのが本当に楽しかったです。特に原作三巻の名場面を演じる時は、まるで夢のようでした!」と興奮気味に語った。


 司会者がそろそろ時間のことを気にし始めるが、彼女の早口は止まらない。


「そして、あの名場面での台詞、本当に感動しました! 先生がどのようにしてあの言葉を思いついたのか、ずっと考えていました。実は、撮影の合間に先生にお会いする機会があったんです。そのときに直接伺ったのですが――」

「すみませんが、そろそろ次に移りましょうか」

 と、司会者が慌てて制止する。

 それでも彼女は笑顔を浮かべ、

「あ、すみません。つい興奮してしまって。でも、本当にこの原作が大好きなので、皆さんもぜひ映画と一緒に原作も楽しんでください!」


 喜岡の言葉には、原作への深い愛情がひしひしと感じられ、彼女がどれほどその世界に心を奪われていたのかが伝わってきた。

 口調は熱を帯び、興奮が抑えきれない様子が言葉の端々に表れていた。

 観客は彼女の情熱的な姿勢に共鳴し、ただのアイドルではなく、一人の真摯な俳優として彼女を見つめていた。

 その誠実さと情熱が、彼女への好感を倍増させた。



 次は売れない俳優の丘元の番だ。

「皆さん、今日はお越しいただきありがとうございます」

 前の二人と違い、彼の感情はとても沈んでいた。

「この映画に出演することができ、本当に嬉しく思っています。初めての映画出演であり、しかもタケオを演じることができたのは、私にとって大きな挑戦でした」

 観客が首をかしげるほど、彼から感謝の気持ちは伝わってこない。

「撮影中は一度も兜を外すことがなかったため、表情の演技が求められませんでした。その代わりに、身体の動きや声のトーンでキャラクターを表現することに集中しました。最初は戸惑いましたが、次第にその役に馴染んでいくことができました。皆さんにもタケオの強さと心の葛藤を感じていただければ嬉しいです」

 丘元の声は淡々としていた。

 言葉は前の二人と同じように感謝を述べているはずなのに、その響きには、何かが欠けていた。

「これからも様々な役に挑戦していきたいと思っています」と淡泊に締めくくった。


 会場からの拍手も、前の二人に比べるとかなり静かだった。



 次に、司会者が石河を紹介すると、歓声が弾けるように湧き上がった。

 その勢いに、司会者が思わず微笑むほどだった。


 彼女は冷静な表情で観客に向かって手を振り、マイクを握りしめた。

「皆さん、今日はお越しいただきありがとうございます」

 彼女は良く通る澄んだ声で話し始めた。

「正直に言いますと、この映画には満足していません。これが大束監督の作品だとは思えませんでした。しかし、監督は悪くありません。むしろ、彼は一生懸命努力していました」

 彼女の言葉に観客たちは驚きながらも、静かに耳を傾けた。

「撮影中、たくさんの問題がありましたが、それは主に外部の要因によるものでした。全力を尽くしたにもかかわらず、うまくいかないこともあるのが現実です。それでも、監督の才能と情熱には敬意を表します」

 一息ついてから、さらに続けた。

「私は監督のビジョンを信じていますし、彼が本来の力を発揮すれば、もっと素晴らしい作品を作れると確信しています。次回作では、その才能を存分に発揮してほしいと思います」


「い、石河さん?」

 司会者が慌てて制止しようとするが、彼女は構わず話を続けた。


「皆さんには、今回の作品だけでなく、監督のこれまでの業績にも目を向けてほしいと思います。そして、これからも監督を応援していただければ幸いです」

 観客席からは微妙な拍手が起こる。

 彼女は感謝の気持ちを込めて一礼した。その姿からは、作品に対する強い憤りが感じられた。



 司会者はやりづらそうな表情を隠しつつ、

「内山さん、お願いします」と、先に進むよう促す。


「皆さん、今日はお越しいただきありがとうございます」

 舞台上は彼のホームグラウンド。とても柔らかい表情で話し始める。

「私はこれまで舞台での演技を中心に活動してきましたが、今回初めて映画に出演することができ、本当に嬉しく思っています。舞台と映画の違いについて、少しお話しさせていただきたいと思います」

 彼は一息ついてから、熱心に語り始めた。

「舞台では、観客の反応を直に感じながら演じることができます。その場の空気やエネルギーが俳優に伝わり、演技に反映されるのです。しかし、映画ではカメラの前での演技が求められ、一瞬一瞬が重要になります。細かな表情や動きを通じて、キャラクターを表現する必要があります。不慣れな分、スタッフの皆さんにはご迷惑をかけたと思っています」

 観客たちは静かに耳を傾ける。

「今回の撮影は、不慣れながらも精一杯努力したつもりです。共演者やスタッフの皆さんと共に、一つ一つのシーンに全力を注ぎました。しかし、映画の評判が悪いことは非常に残念です。それは私たち俳優の責任だと感じています。それでも、皆さんに楽しんでいただける作品を作るために、これからも努力を続けます。どうか引き続き応援よろしくお願いします」

 観客席からは、彼の真摯な姿勢と作品に対する熱い思いやりに、大きな拍手が起こる。

 彼は喝采を浴びながら最高の笑顔で手を振った。



 最後に並川が紹介されると、大きな拍手が湧き上がった。

 彼は緊張した面持ちでマイクを握りしめ、観客に向かって話し始めた。

「皆さん、今日はお集まりいただきありがとうございます。監督に代わり、私がご挨拶させていただきます」

 まるで、裁判の証言台に上るような真剣な表情だ。

「まず初めに、お詫びの言葉を申し上げたいと思います。この映画は、本来であれば監督の素晴らしい作品であるべきでした。しかし、私が無理を承知でお願いしてメガホンを握らせていただいた結果、作品が監督の意図通りに仕上がらず、監督の名前に泥を塗ってしまったことを深く反省しています」

 彼は大きな深呼吸をしてから、さらに続けた。

「監督は素晴らしい方であり、その才能と情熱に私は深く感銘を受けています。しかし、私の力不足でその素晴らしさを皆さんに十分に伝えることができなかったことを悔やんでいます」


 並川の声は震え、まるで心の中に溜まった深い後悔が彼を押し潰すかのようだった。

 瞳に浮かぶ涙は、無力感と自責の念が絡み合って生まれたものだった。

 彼が言葉を続けるたびに、その沈痛な表情に会場の空気が凍りつくような感覚を覚えた。


「スタッフの皆さん、本当に申し訳ありませんでした。私の未熟さと至らなさのために、皆さんには多大な苦労をおかけしました。皆さんの努力と献身に感謝していますが、それを十分に活かすことができなかったことを心から悔やんでいます。今回の経験を通じて、自分の未熟さを痛感しました。私は、二度と、映画を撮らないことを決意しました」

 彼の告白に会場がざわめきたつ。

「そして何より、監督のファンの皆さんを裏切ってしまったことを心からお詫び申し上げます。皆さんの寛大な心と理解に感謝しつつ、今後の監督の作品に期待を寄せてください」

 彼は深々と、そして永遠とも感じられるほど長く、頭を下げ続けた。


 その姿を見た大束作品のファンたちは、今回の作品が何かトラブルを抱えていたのだと知る。

 そして、自分たちが追い求めている大束監督は悪くないのだと改めて認識し、次回作への期待を込めて力強く拍手したのだった。





 映画のおススメポイントや、撮影時の苦労話など、司会者の質問に俳優たちが答えていく。

 けれど、並川と丘元のテンションが異常に低いため、空気を読んだ司会者は二人に回答を求めることはしなかった。


 しばらくして、予定していたプログラムが全て終わる。


「それでは、素晴らしい演技で私たちを楽しませてくれた俳優の皆さんに、もう一度大きな拍手をお送りください」

 雨のような拍手と声援が会場を震えさせる。

 その至福のひと時は、世間の酷評など忘れさせてくれるほど、俳優たちの心を温めたのだった。


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