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1.序章

 行楽シーズンを終え、初秋の気配が漂う海岸には、穏やかな波音が響いている。

 高く澄んだ青空とやわらかな日差しが、もはや夏の暑さを感じさせない。

 貝殻や流木が砂浜に散らばり、海藻は波にさらわれるたびに砂に絡みついている。


 普段なら静寂に包まれるこの場所も、映画の撮影スタッフにより、その平穏が破られていた。



 <レジェンドファンタズム>それが映画のタイトル――。



 ファンタジー小説が原作の実写化で、今まさに三つ首の海竜と、勇者一行の戦闘シーンを撮影している最中だ。


 カメラマンはファインダー越しに画角を調整し、照明スタッフはライトの角度と強さを微調整する。

 それぞれが、熱演している俳優たちに、全神経を集中させていた。


 甲高い風切り音とともに、三台の撮影ドローンが生き物のように空を舞う。

 それらのドローンは海竜の首を模しており、スタッフが巧みに動きを制御しているのだ。

 監督の前に置かれたモニターには、ドローンが送る俯瞰映像がリアルタイムで映し出されていた。


 海辺の背後には、緑豊かな木々が広がっている。

 近代的な建造物は一切なく、中世ファンタジーの物語には格好のロケーションだ。



 勇者一行は、勇者、重戦士、僧侶、賢者、狩人のオーソドックスな五人パーティー。

 俳優たちは、空中のドローンを睨みつけるように視線を向け、緊迫した表情で演技を続ける。


「ヘイ! ヘイ! ヘイ! どこを見ているミミズ野郎! テメエの相手は超クールでベリーハードな俺様だ!!」


 全身を堅牢な甲冑で武装した重戦士が、雄叫びを上げながら巨大な盾を手斧でガンガンと殴りつける。

 盾が激しく揺れるたび、光が甲冑に反射し、金属同士がぶつかる鋭い音が海岸に響く。

 重戦士の独特な口調こそが、キャラクターの魅力だった。


 敵の注意を惹き付け、攻撃を一身に受け止め、仲間を守る。

 ファンタジー小説では王道の<タンク>と呼ばれる重要な役割だ。


 仲間たちに注意をそらしていた海竜は、盾の奏でる金属音に反応し、不気味な瞳を重戦士に向ける。

 その視線は鋭く、獲物を狙う猛獣のように、重戦士を捕らえた。


 三つの首が一斉に動き出し、彼に向かって攻撃の態勢を整える。

 鞭のように伸びる首が、盾を横殴りする。


 台本に則った通り、重戦士は強烈な攻撃を耐える演技をする。

 ドローンが急激に近寄ると重戦士は盾を激しく揺らし、

「グッ!!」と悶絶した声を零す。


 そこにいるはずのない海竜の、臭い息遣いまで感じ取れるような迫真の演技に、撮影スタッフたちは固唾を飲んで注視している。


「大丈夫かタケオ!」

 そう呼ばれた重戦士の十メートルほど後方に、勇者が心配そうな表情を浮かべている。

「オイ、オイ、オイ、世界を救う勇者様がぁそんな弱気でどうするよぉ? 攻撃はナイスガイな俺様が全て受けてやるぜっ、お前は物理アタッカーだろ、ミミズ野郎をぶっ倒すことだけ考えてろ!!」

 密閉された兜の中から聞こえてくる声は、少しくぐもってはいるが、仲間を守るという気迫に溢れていた。


 攻撃担当の勇者はスピード重視のため装備は軽い布製だ。

 彼は二本の剣を両手にしっかりと握りしめ、その指には汗が滲んでいる。


 原作者は、武器や防具などのアイテムに、数えきれないほどの設定を積み上げている。

 名称、起源、素材、意匠、伝説、能力。

 その細部に至るまでの計算と精緻さは、まさに圧巻であり、原作小説を手にした多くの読者を惹きつけている。


 勇者が必殺技を使うには、一定の溜め時間が必要。

 その間、重戦士はたったひとりで攻撃に耐え続けなければならない。


「すまない、タケオ……」と、勇者は小さく呟く。

 幼さの残る端正な顔立ちに苦悶の表情を浮かべる。

 仲間に辛い思いをさせてまで世界を救わねばならない。

 その葛藤が、彼の演技から伝わってくる。


 深く息を吸い込み、

「神の息吹よ、仲間の傷を癒したまえ」

 と、力強く呪文を詠唱したのは、勇者の斜め後ろに立つ僧侶の女性。

 彼女は、神代の素材オリハルコンで作られているロッドを振る。

 すると、ロッドから光が放たれ、神聖な光が重戦士を包み込む。

 その光は天使の羽のように、重戦士の傷ついた体に染み込み、瞬く間に癒しの力を発揮する。


「効っくぅ~っ! サンキューハルカ! 君の愛があれば、一億年くらい余裕で戦えるぜっ!!」

 僧侶ハルカの回復呪文を受けた重戦士タケオは、歓喜の声をあげながら片手斧を元気よく振り回す。


「バカッ!」

 戦闘中に不謹慎だと思いつつも、彼の冗談に照れながら笑ってしまう。


「タケオ、注意しろ! 鱗が輝いている! 解析結果は三つ首同時の極大ブレス攻撃だ! 仕掛けてくるぞっ!!」

 そう叫んだのは賢者だ。

 つばの広いとんがり帽子に黒いローブを纏っている。それに、金色のモノクルがトレードマークだ。

 モノクルは古代秘宝(アーティファクト)なので敵の攻撃が予測できる。

 彼は、聖なる森の中心にそびえる『聖霊樹』から授かった杖を握りしめ、敵の攻撃に備える。





 俳優たちの熱演の裏側では、撮影スタッフも静かな戦いを続けている。


「撮り直しは許されない。――最終チェック、タケオの位置」

 助監督が技術ディレクターにインカムで確認する。


「位置、オッケー」

 と、即答が返ってきた。


「カメラ、フォーカスしっかり合わせろ」

「カメラ了解」

「照明、影を作るなよ」

「オッケーっす」


 撮影スタッフたちは、呼吸をすることさえ忘れたかのように、瞬きひとつせず、俳優たちに全神経を集中させていた。

 助監督の眉間に皺が寄り、カメラマンの手は微かに震えている。





 海竜の三つ首が一斉に動き出し、その口を大きく開けた。

 空気が張り詰め、周囲の温度が急激に上昇し、空間が歪む。

 次の瞬間、海竜の口から極大級のブレスが放たれた。

 炎は真っ赤に燃え上がり、苛烈を極めるほど激しく燃え盛る。


「うおおぉぉっ、来いやぁぁぁ!!」

 重戦士が全身に力を込め、防御に集中する。





「――爆破、3秒前!」

 周囲の空気が張り詰め、撮影スタッフたちは、その緊張感を肌で感じ取っていた。


「3、2、1」

 技術ディレクターがスイッチを押した瞬間、轟音とともに砂浜が爆ぜた。


 炎が勢いよく巻き上がり、土煙と砂が空中に舞う。

 爆風に負けまいと、カメラマンは必死にカメラを押さえつけ、フォーカスがぶれないよう必死に耐えた。

 三台のドローンは爆風に煽られ、二台は海面へ、残りは砂浜に墜落した。

 監督と助監督はモニター越しに映像を確認していた。


 僧侶は思わず悲鳴をあげてしまう。

 台本通りの仕掛けではあったものの、予想を超える爆音と衝撃に、驚いた俳優たちは演技を忘れ、無意識に身をかがめて頭を守ろうとした。




 飛び散った砂粒が俳優たちの頭上にパラパラと降りそそぐ。




「大変だ!」

神戸(こうべ)さんが埋まった!」

「早く助けるんだ」

「急げ」

 耳鳴りが続いているなか、撮影スタッフたちは慌てた様子で爆発地点に駆け寄る。

 その目には焦りの色が濃く浮かぶ。

 スコップを手に取り、必死の形相で砂を掘り始めた。

 砂を掘り返す音が静かな海辺に響き渡る。


 撮影の本番とは違う、重苦しい緊張感で周囲の空気が暗く塗りつぶされていく。


 俳優たちは皆、放心状態で砂浜に座り込んでいる。

 勇者は茫然自失の表情で、ただ一点を見つめ、賢者は冷静な瞳で事態を観察している。

 僧侶は震える手を胸の前で組み、

「大丈夫、大丈夫」と、震える声で繰り返している。


 マネージャーたちは不安を隠せない表情で所属俳優のそばに立ち尽くす。

 プロデューサーは、ただ無言で現場の状況を見守り、ヘアメイクや衣装などを担当する女性スタッフたちは今にも泣き出しそうに瞳を潤ませていた。


「神戸さんどこ、返事をして!」

「神戸さん! 神戸さん!」

「どこだ!」

 撮影スタッフは砂を掘りながら懸命に声をかける。



 砂浜に残された重戦士の巨大な盾は、まるで墓標のように静かに佇んでいた。



 撮影スタッフたちの額から汗が滴り落ち、呼吸は荒くなる。

「兜だ!」

 彼らはスコップを置き、丁寧に手で掘り進める。


 離れた場所から見ていた俳優たちは、緊張の糸が切れたのか安堵の息が漏れる。


「えっ? 神戸さんが、いない……」

 そう言いながら撮影スタッフは空虚な兜を皆に見せた。


 俳優たちは危険な状況から脱していないのだと悟り、思わず唾を飲み込む。


「兜が爆風で外れたのかもしれない、もっと掘るんだ!」

 撮影スタッフたちは焦燥感に駆られ、一層力強くスコップを握り直す。


 次々に掘り出される甲冑。

 そのいずれもが中身を失い、無機質な外殻だけが冷たく地面に横たわっていた。


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