第14話 両生類型
レザールとジャックとクリスの三人はゲートを抜けて魔界へ訪れた。ゲートの先は薄暗くどこを見ても緑で満たされた森だった。肌に触れる外気は、じめっとした湿気で気持ち悪さを覚える。
草木に紛れて見え難いが、至る所に悪魔がいる。正に敵の根城に侵入したと言える雰囲気だ。不思議なのは、どの悪魔もこちらを襲う気配が無いというところだ。気兼ねなく爵位持ちの悪魔を探せるという意味では都合が良いが、誘い込まれている可能性という意味では不気味な光景だと言える。
「ダンナ、こっからは手分けして探しやすか? 」
「いや、ここで別れるのは危険だ。親玉となると最深部か中央大部屋に居るのがセオリーだろ。一先ずそこに向かおう」
「おい、あれはなんだ? 」
そう言ってクリスが指さしたのは一本の糸だ。キラキラした無色の糸が地上約三十センチの宙に浮いている。何かの意図があって設置してあるのは火を見るより明らかだ。これこそ罠である可能性が高いが、爵位持ちの悪魔の場所について情報が無い以上、この糸を追ってみる他無い。三人は顔を見合わせて慎重に糸を辿る。
ある分岐では角を曲がり、そして行き止まりかと思いきや草木で隠れている小さい抜け穴を潜る。未だ糸は途切れず続いていく。
「ダンナ、これ罠なんじゃないっすかね? 」
「そうかもしれんが、現にこうして案内が続いてる。情報が無い以上は行ってみるしかないだろ」
文句を垂れながらも、情報が無く三人が離れるのは危険であることは分かり切っている為、仕方なくといった様子でレザールに従う。効率だけで考えればバラバラに動いた方がいいのだが、ここは敵の本拠地だ。何が起きるか分かったものではない。
それなりに長い時間糸を辿って歩いていると糸は遂に途切れた。その糸の先はトンネルの様に丸く開かれた草木のゲートだ。三人は固唾を飲んでレザール、ジャック、クリスの順で一人ずつ潜り抜ける。
グチャグチャと水分を含んだ固形物をすり潰したような不快な音が響く。先程までの通路とは違って比較的明るくなっており、このだだっ広い空間の奥まで見渡せる様になっている。余計なものまでが鮮明に見えるくらいに。
地面の緑に混ざる赤。それは時間が経っていない新鮮な赤。嗚咽が出そうなのを呑み込むくらいに鼻を刺激する、塊に詰まっていたであろう赤が流れ出た内の臭い。形が無いそれは何だったのか最早誰にも分からない。悪魔以外には。
視線を上げると黒い背中に黄色の斑紋が付いた生命体がいる。
「ワシの食事中に入り込んで来るとはやれ躾のなっていない雑兵よ」
目の前の生命体は語りだす。言葉一つ一つから発せられるプレッシャーから、ただの悪魔では無いことが伺える。レザールは刀に手を添えていつでも抜刀出来るように、ジャックはスターターハンドルに指をかけ、クリスは大鎌を構えて三者三様に敵を警戒している。悪魔はこちらへ振り向く。口元と周辺の地面は血で塗れている。大きな赤い水溜りが出来る程に。
「ワシは両生類型の長、正式名など無いが『両生』と呼ばれておる。爵位は準男爵。貴様らを喰らい、現世はワシの狩場となろうぞ」
準男爵と言ったこの悪魔は毒々しい見た目でまっすぐとレザールたちを見据える。全身が真っ黒で黄色の斑紋、そして蛙のように飛び出た目とずんぐりとした体躯に長い身体から延長したように伸びた尻尾、これは生物界の「ファイアサラマンダー」に似ている。
準男爵は身一つ分後ろへ下がってから頭部から何かを発射する。三人ともそれぞれ左右へ散ってそれを避け、それを皮切りに攻撃へシフトする。最初の一振りが準男爵に届いたのはクリスの大鎌だ。地面スレスレに浮かせた刃を一息に振り上げる。その一振りは回避されるが、振り上げた刃を振り下ろし追撃を試みる。しかしそれも軽々と避けてクリスに向けて再び何かを発射させる。それがクリスの左腕を掠った。掠った腕がピリピリとひりつく。この感覚をクリスは知っている。
「レザール、ジャック、こいつは毒だ! 即効性の神経毒を飛ばしてる! 」
クリスが被弾したことによって明らかになった射出攻撃に一層警戒することとなる。クリスは右手で患部を押さえる。そして数秒後に離すと左腕の麻痺は治まった。神の落とし子の力だ。クリスは毒を操る能力な為、毒による負傷を癒すことが出来るということだろう。
ジャックはスターターハンドルを引き準男爵へ突進する。ジャックの頭上を飛び越えて避けられるが、避けられるのを見越していたかのように右脚を踏み締める。
「影槍刺突」
ジャックの足下から伸びた影から一本の槍が飛び出し、空中で逃げ場の無い準男爵を突き刺す。惜しくも胴ではなく尻尾に当たるが、そのまま追撃を試みる。影の槍は尻尾の一振りで呆気なく壊されるが、構わずジャックは身体を捻って片腕でチェーンソーを持ち横薙ぎをする。それを後方に下がって避け、そのまま地面を蹴り突進でジャックを突き飛ばす。腹部に直撃を食らった衝撃で吐血し酷く咳き込む。そんなジャックに追撃をせんとばかりに目の前まで迫って口を開き六芒星の文様を浮かばせる。中央から紫の光が集まっていく。
パンッという発砲音の後に準男爵の胴に一発の銃弾が食い込む。レザールだ。レザールは左手に持ったハンドガンで何度も何度も準男爵を狙い撃つ。準男爵は攻撃を中断し銃弾を避けるのに徹する。縦横無尽にこの広い空間を這いまわる。
「くそっ、デカい図体で器用に避けやがる」
銀の銃弾が中々当たらないことに苛つきと焦りを覚えながらも様子を見る。神経毒を飛ばしてくる以上、下手に近づけば被弾して刀を握れなくなる可能性がある。そうすれば対抗手段が無くなり、いよいよ殺されるしかなくなる。そんな最悪の状況に陥らない為にもまずは毒を出す「毒腺」を潰す必要があるのだ。しかし、攻撃を与えなければ事態が好転する事もない。ハンドガンをホルスターに仕舞い刀を抜刀する。柄を両手で握り、刀身に魔力を纏わせる。隙を見て悪魔の機能を低下させる効果のあるシルバーバレットで毒腺を撃ち抜かなければならない。だからこそ隙を探るのだ。頭部の毒腺に注意を払いながら距離を詰める。一撃目の袈裟斬りで前足を斬り飛ばすが、瞬時に再生される。二撃目の左下方から右上方への斬り上げは避けられる。三撃目は瞬きの間に三回首を狙って突く。この速射三度の突きに準男爵はよろめく。レザールは左手でハンドガンを握り引き金を引く。しかし銃弾は悉く避けられてしまう。
「ジニトロクレゾール」
クリスが準男爵の背後に付き、刃先が僅かに黄色くなった鎌を振り被る。クリスの一撃目の振り上げた刃は避けられるが、二撃目の振り下ろした刃は背中を掠める。
「……神経毒か。だが残念だったな。ワシに毒は効かん。特に神経系はな」
余裕の笑みを浮かべた準男爵は尻尾でクリスをはたく。衝撃でガスマスクのベルトが壊れて顔から外れる。赤い目で準男爵を睨みつけると鎌で斜め上へ薙ぐ。準男爵の尻尾は切断されたが、未だ余裕そうな顔をしている。
「……クリス、ジャック作戦だ。一瞬耳を貸せ」
バラバラでいて勝てる相手ではないのはみんな理解している。クリスもジャックも無言で頷き、それを目視したレザールは口を開く。
魔界の中の湿気の多い森、両生類型準男爵位の悪魔の「城」と呼べるこの場所に見物をしている男がいた。大きな木の高所の太い枝から準男爵と人の子の戦いを見ているのだ。
「おや、貴女も観戦かな。貴女は人の子側なのだろう? 」
柔和な雰囲気を漂わせる声の男の言葉に眉を顰める。
「随分と余裕ね。大公と繋がりがあるからって図に乗り過ぎではなくて? 」
「繋がりなんて大層なものでは無いさ。ただ、過去に少しの助力を頂いただけだよ」
肩を竦めて過去に耽る様に目を細める。それでも口元は笑っており、何でもないことだと言いたげに微笑む。
柔和な男はパンッと手を叩く。足を組み直して腕を小さく広げる。変わらず微笑んでいるものの、本心を見透かす様な鋭い目をしている。しかしその目は決して女の顔を映すことは無い。そんな柔和な男を女は怪訝な顔をして見つめた。
「さて、答え合わせといこうじゃないか。貴女が魔界に来た目的のね」
「は、何を言い出すかと思えば下らない」
女は鼻で嗤い、この場を立ち去ろうとする。興が冷めたのだろう、準男爵と神の落とし子たちの戦いにも目もくれない。柔和な男はそんな女の様子に構わず話を続ける。人差し指と中指の二本を伸ばし手の甲を女へ向けてヒラヒラとさせる。指先は横を向いている。
「僕が考え得る中では、二つは確実に目的があると思っていてね。でなければ貴女という者がわざわざ足を運んだりしない」
「まずは一つ」と人差し指を立てる。女は立ったまま男の方に振り向き静かに話を聞く。
「貴女のお気に入りを探すという目的。確か数年前に神の落とし子である少年が魔界に行ったという話があったね。教会の人間が動いていない以上、どこかで生きているのは確実。魔界に入った事によって監視の目から外れた為に探すのに困難を極めただろう。現世の様子を自由に観ることが出来る貴女にとって、今回の人間が立てた作戦は僥倖だった。神の落とし子の殆どが一箇所に集まるからね。戸籍謄本の出生年月から見て、今回集まらなかった二人は選択から除外出来るのも大きい」
女は一言も発さず男を見る。眉を寄せて不機嫌そうな表情から心中は察することが出来る。女の無言を肯定と受け取った柔和な男はクスリと笑う。
「……あの中に居たかい? これまで貴女が探していた、貴女の『子供』が」
「人間を『己の子』と称するのはテスカンテのすることよ」
「そうだね。だが、貴女が一人に執着しているのも事実ではないかな。それが何故なのか教えて貰えると僕の溜飲も下がるというもの」
女は黙っている。刺さる視線から答える気は無いと理解するとフッと笑う。男が楽しそうなのが面白くないのか拗ねた様に女は顔を逸らす。
柔和な男は再び足を組み直す。目は依然と準男爵と神の落とし子たちの戦いに向けている。柔和な男は「ではもう一つ」と人差し指と中指を立てる。
「貴女が授けた片目を探す目的。あんなにも見事な瞳はなかなか無いからね。片目とはいえ羨ましく思うよ。彼には同情してしまうけどね。彼が現世に出なくなったから回収しに来たのだろう? 残念ながら魔界では貴女の思い通りに力が発揮されないみたいだからね」
沈黙が流れる。怒っているのか、将又憶測だと呆れているのか判断のつかない沈黙だ。女は何も言わず準男爵たちの戦いを一瞥してからその場から消える。柔和な男はようやく女が居た方向を見て困った顔で嘆息をする。
「……まぁ、知っているんだけどね。貴女が探している『子供』も『瞳』も」
柔和な男は聞こえないくらいの小さい声で呟くとそのまま観戦を続ける。
手を耳に当てて通信に応じる。女と会話している間にも何度も着ていた部下からの連絡だ。溜息交じりに「どうしたんだい? 」と部下に訊ねる。通信先の部下は物怖じせず淡々と簡潔に状況を説明し男に指示を仰ぐ。柔和な男は考える間もなくすぐに答えを出す。口元は少しだけ笑っている。
「殺してはいけないよ。そのまま泳がせておきなさい」
通信越しの部下の返事を聞いた後に切る。そして別の部下に男の方から連絡をする。立ち上がりポケットに手を入れながら先程の話を基に現状の把握に努める。聞きたいことだけ聞いて通信を切ると慣れた様子で木から飛び降りた。
三種それぞれの刃がぶつかる音と血が飛び交う戦場で息も絶え絶えに交戦が続いている。何度も攻撃し、何度も被弾する内にボロボロになっていた。
三人の作戦はこうだ。接近戦に持ち込み逃げる隙をなるべく与えない。そして毒腺からの神経毒の射出を防ぐ為に一人は毒腺を狙って攻撃をする。間合いと隙が出来たらシルバーバレットで撃ち抜く。内訳としては、レザールが準男爵の基本ターゲットを取り兎に角刀で攻める。クリスの神の落とし子の能力は回復に回し、鎌での物理斬撃で乗り切る。神の落とし子の能力でいつでも死角に回れるジャックが毒の射出を防ぐ。避けられない状況が出来たらシルバーバレットをレザールが撃つ。相手は悪魔の中でも強いとされる爵位を持つ悪魔。いずれの攻撃も殺す気でいかなければこちらが死ぬ。
レザールは刀で攻め続ける。魔力を纏わせて斬り味が増した刀を両手で振う。尻尾での足払いや前足でのはたく攻撃を躱しては斬り落とすということを何十回と繰り返した。それでも即時再生で一瞬の隙も生まれない。切断では意味が無い。
準男爵は一瞬だけ立ち止まり、地面に食い込む程に前足に力を込めるとレザール、クリス、ジャックそれぞれの足元に六芒星の文様を出現させる。ハッとして各々が避け易い方向に退避する。が、文様から噴出した紫の液体を完全に避けることが叶わず部分的に当たってしまう。レザールは左腕、ジャックは右足が麻痺して動かなくなる。クリスが回復の為に近づこうとするも、準男爵の猛攻によって阻まれる。鎌の柄を使って受け流しているうちに二人から離れることになる。
ジャックはコンバットナイフを取り出し右足に突き刺す。麻痺しているお陰か、刺した時の痛みは無い。足に刺激を与えた事によって痺れが多少引いたのか、立って歩ける程度にはなった。そして影へ潜り込み準男爵の死角へ飛び出てチェーンソーを思いっ切り振り下ろす。脳天へ落ちたソーチェンは、回転しながらガリガリと皮膚を抉っていく。準男爵は喚き叫ぶ。そして血や肉片が飛び散る中、手に痺れが襲って来る。毒腺に刃が届いた事により毒も一緒に飛んでいるのだ。チェーンソーを握る手の力が入らなくなる。ジャックは影移動を使って準男爵の側から離脱する。
脳と毒腺に傷が入ったからか、これまでと比べて再生は遅い。好機と見るやレザールは右手で銃を構えて毒腺へ撃ち込む。発射された銀の弾は見事に命中する。
怒り狂う準男爵は口を開けて六芒星の文様を出す。レザールはそうはさせまいと銃を構える。
「どいて」
この空間に少女の声が響き渡る。声の方向に向くとエリスと同じくらいの年齢の少女が槍を構えている。神の落とし子のアイラだ。コブラが開けたゲートを潜ってここに来たのだ。アイラは槍を地面から水平に持ち上げ、穂は準男爵に向けている。石突には真っ黒な炎のエネルギーの様なものが集まっていっている。準男爵をレザールから離す為にジャックは一言発する。
「影踏み視見二間」
ジャックは毒で痺れた両手と両膝で地面を踏みしめ、約三・六四メートル圏内の視界の敵、準男爵の影を抑える。
「ーー小賢しい小僧め! 」
身体の自由を失った準男爵は藻掻く。そして、標的をレザールからジャックに切り替え六芒星の文様をジャックに向ける。文様からいよいよ発射されるその瞬間、急激に熱気が立ち込める。アイラの方からだが、離れていても感じる程の強い熱だ。
「吹き飛べ! 」
少女は一言発すると槍を力強く投げる。石突から出る炎が一回、二回と小さく爆発した勢いで槍の投擲速度が増す。真っ直ぐに一直線を描く様に飛ぶ槍は準男爵の尻尾の付け根から口内へ貫いた。口元に出ていた六芒星の文様も槍の穂で貫かれ穴が開き崩れ去る。
アイラは槍へ右手を伸ばす。煙が出て手先は少しずつ皮膚が爛れてきており、顔にも部分的に赤黒い傷が出来る。
「爆ぜろ」
言葉と共に右手を握りしめる。すると、槍を起点として爆発を起こす。黒い炎は準男爵を内部から焼く。緑に囲まれた森の中での火など正気の沙汰ではないが、不思議とこの火は燃え広がらず準男爵とその周囲だけを燃やしている。燃焼の最中、着火剤のような役目で刺さっていた槍はひとりでにアイラの手元へ戻っていく。
誰もが終わったと肩を撫で下ろしていると、黒い炎の中から細い光線がレザールを目掛けて飛んでくる。レザールは咄嗟に刀で弾いて軌道を逸らした。しかし、これが飛んで来たということはまだ生きているということになる。レザールは刀を構え炎へ飛び込む。そして、炎の中で何かを刺した感覚を頼りに発する。
「爆光」
その一言で炎の中から強い光が漏れ出てくる。一瞬のうちに周囲は白い光に包まれる。数十秒間続き、ようやく光が引いたと目を開けると、準男爵の身体は跡形も無く消えていた。
ジャックは疲れた様子で地面に横たわる。目を閉じ、少し青い顔で口元を押さえている。
「……吐き気か? 」
クリスはジャックを見て無表情のまま尋ねる。クリスの口元と衣服の首から胸元には血が着いている。乱暴に拭ったであろう、ジャケットの右袖にも付着している。他にも目立つ怪我はあるが、これらは戦いで負った傷から出た血ではないことが明確だ。
「吐き気と頭痛っすね。クリスくんが治してくれるんすか? 」
「馬鹿言うな。俺がどうこう出来るのは毒に限った話だ。それに『治す』じゃなく『無効化する』だからな。勘違いするなよ」
クリスの冷たい口調の指摘にジャックは「ちぇっ」と拗ねた態度を見せる。そんなジャックの足にクリスはそっと触れる。
「ほら、痺れは無くなっただろ」
ジャックはクリスの行動に少し驚いた様子を見せたが、すぐおちょくるようなニヤニヤとした顔をする。
アイラはレザールの方へ歩いて行く。槍の穂を地面に向けて敵意が無いことを示し話しかける。
「……お疲れ様。挨拶無しに加勢に入った事を謝罪する。申し訳ない。私は炎を操る神の落とし子。名を」
アイラが名乗ろうとしたところでレザールが静止する。
「名乗るのはここを出てからだ。どこで誰が聞いてるか分からんからな」
それを聞いて何も言わず頷く。今居るのは倒した敵の本拠地だが、それ以前にここは魔界だ。ここで名乗って陰に隠れた悪魔に名前が知られる可能性もあるのだ。アイラは意図に理解を示したものの、別のことを気にしている様子だ。
「……どうして目を合わせないの? 」
「合ってないか? だとしたら悪いな。わざとじゃないんだ」
明確な理由は言わないが、受け答えで察した様子で「構わない」と言い残す。自分より年下であろう少女に気を遣わせたようでバツが悪そうに顔を逸らす。頭を掻きながら短くため息を吐いた。
このだだっ広い空間に拍手の音が鳴り響く。草を踏みしめる小さな足音に単調なリズムの手を叩く音。その音の方向に全員が向く。
「お見事。いやはや、素晴らしい実力だね。まさかあの爵位を持った悪魔を倒してしまうなんて」
柔和な声色で微笑んで出て来た男は白いラインの入った黒いスーツを着ており見た目は人そのものだが、この場の全員が警戒態勢に入った。この状況を愉しんでいるのか、クスリと笑って言葉を続ける。
「そんなに警戒しないでほしいな。勝者を労うのは当然のことだからね。それにほら、聞いた事無いかな? 魔界に出入りしていた人間がいることを。そういう旅人に憧れているんだよ」
「……貴方がその人間だって言いたいの? 」
柔和な男はレザールに目を向ける。相変わらず口元は笑っていて掴みどころが無い。
「付いてきなさい。君たちが来たゲートまで送ってあげるよ」
柔和な男は歩いていく。疑惑の視線をものともせず堂々と背中を向けて歩く。その様子を見て警戒をしながらもアイラを筆頭に付いて行くことにする。レザールはジャックの肩に手を置いて最後尾を歩く。柔和な男の数歩後ろを歩いていくと、最初に見た糸のようなものが浮かんでいる道をそのまま進んでいることが分かる。ゲートに向かっているのは本当のようだ。
暫く歩き、突き当りまで来ると正面にゲートが見えてくる。真っ黒で不気味そのものな空間が浮かんでいるそれは正に入ってくる時に見たゲートそのものだ。魔界にいくつゲートがあるかは不明だが、場所は最初に見たところと一致するため間違いはない。
「ここを潜ると君たちが入って来た場所に出られる筈だよ。ほら、早く行きなさい」
柔和な男の言葉に顔を見合わせながらアイラから順にクリス、ジャックとゆっくりゲートに歩を進める。そして最後にレザールがゲートへ向かって行くと柔和な男が耳元で囁く。
「また会おう、ーーーー」
柔和な男の方へ振り向こうとするが、ゲートの光が身体を包み込む。柔和な男はレザールを見て笑っている。ゲートの光が消えるまで。すぐにフッと真顔になり、ポケットから一つの魔力石を取り出す。
「……自己強化能力ね。生物由来の再生能力の再生速度を上げた力、どうやら君には過ぎた力だったみたいだね。安心して、これは僕が貰っておいてあげるから。それに、もう両生類型に爵位は不要だろう? 」
柔和な男は踵を返す。手から地面に落としたのは、直径五センチ程の赤く小さい、ドクドクと脈打つ塊。それを足で踏み躙り城から去って行く。満足気に口端を上げて。
ゲートを潜った先には木々と砂利道。見上げると広がる空。空も辺りも暗く、すっかり夜になっている。空に浮かぶ月と星々が現世に戻って来れたのだと実感させる。
「レザール! 」
そう安堵の声と共に一人抱きついて来た。突然の衝撃と驚きに倒れそうになるが、なんとか耐える。
「……レオン? 無事だったのか。エリスはどうした? 」
レザールは見下ろす。ボロボロの格好で弱い力で背中を擦る。しかし、レザールの言葉に一向に返事が無い。再び「どうした? 」と聞くとレオンが震え声でゆっくりと言葉にする。
「……レザール、目が見えてないんですか? 」
レザールは一瞬何を問われているか分からなかった。声は正面から、抱きついてきているのも正面から。だからこの声と今抱きついてきているのは紛れもなくレオン一人なのだと。少しの間の後にレオンが口を開く。
「レザールにくっついているのはエリスです。今、貴方が顔を向けているのはエリスなんです」
レオンの言葉にレザールは目を見開く。こんな形でバレてしまうのかと苦虫を噛み潰すような表情で手を握り締める。そんな様子に見かねたジャックが口を挟む。
「あーあ、ダンナ言ってなかったんすか? 神の落とし子の能力に反動があること」
ジャックの一言にレオンはレザールの目を見つめる。自身も邪眼を持っているからか、大きく驚きはしなかったものの、何故黙っていたのかという悔しさと心配の色が顔に出ている。しかしそれをレザールが知ることは無い。
「……そんな些末なこと責めてどうするの? 今は休息を取るべき。怪我の治療も含めてね」
「今、エルダーベラ教会からトレーラーが来てるわ。神父とアズマさんは先に乗り込んでる。あたしたちも急ごう」
エリスの言葉にアイラとジャック、クリスは頷きトレーラーの方へ向かう。クリスはレザールからエリスを剥がし、エリスの腕を引っ張って引き摺っていく。殺気は無いが、妹が成人男性にくっついているのが許せないといった感じだ。レザールはレオンに手を引かれてゆっくり歩き出す。複雑な心境でいながらも、今は休息の為に歩かなければならない。目が開いているのか閉じているのか分からないくらいに白で満たされた視界で引く手に導かれながら歩を進める。コートの内ポケットに手を伸ばすが、躊躇しすぐに手を下ろす。溜息交じりに想い耽るのは神の落とし子の能力の説明責任か、今後の戦い方の見直しか。倒木された森に情けない男の背中が徐々に背景に溶けていく。
第一章完結
ご愛読ありがとうございました。
次回15話より第二章開始します。
今後とも「Ut. Cold Heart」をよろしくお願い致します。




