第10話 執着
ここはレザールが経営する悪魔狩り専門請負事務所 Crash the Cold Heart だ。そしてレザールに仕事があると書類を持ち込んだのは、悪魔討伐依頼を斡旋している民間企業ライラック魔狩り局の営業部コブラだ。互いに二十五歳という年齢で側に控えさせているのは十九歳の青年という偶然にしては出来すぎていると言っても過言では無い程に珍妙な光景がそこにある。しかし似ているという部分はそれだけで、十九歳の青年らの立場はそれぞれ違う。方や護衛として着き、方や弟子として着いている。
「で、今日の仕事は雑魚散らしってこと。こんなのジャックだけで十分だろ」
レザールは相変わらず仕事に意欲を見せない。
「俺らだけで済ませたいのはやまやまなんだがな、今回に限ってはそうもいかん」
そう言ってコブラはPCを立ち上げて画面を見せる。そこには入って来た依頼の全容が映っていた。どうやらレザールに仕事として持って来ていたのは依頼のほんの一部だった様だ。
「はあ? 四十? 数え間違いじゃねぇの」
「そう思うのも無理はねぇが、シルバークロウは一番デカい市だからな。それに加えこの状況だ、こんだけ出て来ても不思議じゃねぇ。で、場所も絶妙に二手に分かれてるんで手っ取り早くお前の力も借りようって訳だ」
四十体という数を一人で倒し回るよりは確かに効率的だ。手が空いてるならやって欲しいというのも納得出来る。
「分かった。その代わり近場の方を俺が担当するからな」
「ああ、頼んだ。だが、今回は下調べしてないからな。どっちが多いか少ないか将又同じなのか、強いやつが紛れてるか云々は分からんぞ」
「なんとかなるだろ。倒し方なんぞそう変わらーー……」
レザールが話している途中で騒音によって掻き消された。いつぞやのコブラと同じように扉が蹴破られたのだ。そして土煙に紛れてズカズカと何者かが侵入して来た。カコンカコンと木製の軽い音を響かせて。突然の事でこの場の全員が事務所入り口を凝視している。
「ちょっと! なにしてんの!? 」
入り口の向こうから聞き覚えのある少女の声が聞こえてくる。この声はつい先日も聞いた声だ。しかしその声は届いていない。
「貴様だな、俺のエリーを誑かした下劣な男は 」
怒気の籠もった声で殺気を放ちながら語りかけてくる。狐面の様なガスマスクをした大鎌を持った男。目は見えずともレザールを指して言っているのは明白だった。
「違うってば! あたしがお願いしたの! 」
必死に止めようとする声の主はピンク色の髪の少女、エリスだ。そんなエリスの言葉すら聞き入れないようだ。
「お前の可愛い可愛い妹の話くらい聞いてやったらどうだ? また拗ねて手に負えなくなるぞ」
レザールは溜息交じりに窘める。言葉の裏には早く帰れと言いたげだ。余程深く関わりたくない相手だと思っているのだろう。
「黙れ! 貴様をぶっ殺してやる! 」
何故怒っているのか見当も付かず呆れ返る。狐面はエリスを「誑かした」と言ったが、レザール含めこの場の全員にそんな覚えはない。事の深刻さを察してコブラはパンツの右ポケットから携帯電話を取り出す。
「おいおい、こいつはヤベーな。警察にでも通報するか? 」
「まっ待って! 何とか落ち着かせるから警察呼ばないで! 」
エリスは必死に場を収めようとする。暴走した狐面を止めるのは一筋縄ではいかないといった様子だ。そんなエリスを見るに見かねてジャックが動き出す。ジャックはスッと姿を消したかと思うと数秒の間に狐面の背後から現れた。どこから持ってきたのか、手にはロープが握られている。ジャックはそのまま狐面に近づき片膝を蹴る。
「ーーっ! 」
驚いた様子でバランスを崩し蹌踉めいた狐面の胴と腕を手際良くロープで巻いていく。
「ほいよ。これでゆっくり話せやすかね」
ロープで縛り付けて動きを制限させてようやく話せる状態になった。しかし、頭に血が上っており未だに殺意が収まらない。
「貴様にエリーはやらん! あの子に関わるな! 」
「いや、いらねぇし。そもそも関わりを持ちたいって言ってんのはそこの小娘の方だろうが」
レザールの正直な見解を狐面に言うものの怒りは収まらず更に激昂する。
「俺の可愛いエリーを『いらない』だと!? ぶっ殺すぞ! 」
「面倒くせぇなお前! 」
そんな問答を繰り返し、あまりの話の通じなさに眉間を押さえる。いくら「エリスに興味が無い」「関わろうとしているのはエリスだ」と説明しようが「殺す」に帰結される始末である為、深い溜息が出る。怒りというよりも呆れが前面に出た顔色だ。周囲はロープで縛られていながらこの胆力はどこから来るんだといった視線が集まる。エリスは変わらずアワアワと動揺している。
意を決してエリスはレザールに近寄り半分に折りたたまれた紙を一枚差し出す。広げるとそれはいつぞやの契約書だった。そこにはバッチリとサインが書かれている。つまり正式にレザールの弟子になったという事だ。
「……最近の親はどうなってんだよ。だがまぁ、そういう訳だからお前の妹は俺の弟子になった」
狐面にヒラヒラと契約書を見せる。師弟関係の契約書なのだ、周囲がどう言おうがサインしたそれが契約元の手に渡れば契約が完了する。晴れて師弟関係となる。
「これで、あたしはレザールの弟子なのよね? あたしはエリス、姓はフォクシーよ。レッドコンドル市に住んでるわ。改めてよろしく」
「……レザールだ。よろしく」
二人は握手を交わした。狐面から見ればさぞ耐え難い光景だろうが、これに関しては静かに見ていた。真意は不明だが悔しがっているといった感じでは無いことだけは面越しにも分かる。
「ーー……俺はクリス。この子の兄だ」
不満たらたらな態度で自己紹介をする。言葉数は少ないものの普通の紹介だ。流石に正式な契約には逆らえないのだろう。口に出さなくとも実力の面では認めていないという空気は出ている。
重い空気の中、コブラがクリスに訊ねる。
「クリスって言ったな? お前、他人を殺す殺すって言ってっけど殺すだけのそれなりの実力はあるのか? 」
クリスは答える気は無いといった様子で無言を貫く。
「……お兄は普段から悪魔を狩っているから戦えるわよ」
クリスの代わりにエリスが答えるが、これに対して特に反発も訂正も弁明も無い。先程とは打って変わって大人しく、下手な物言いで逆鱗に触れることを避ける為にもこれ以上追及はしなかった。
「なんでそんな事を訊くんだ? 」
「いや、お前の実力を疑うなら今回の仕事に同行して見てもらった方が早いと思ってな。よくよく考えたら背後からザックリいかれる可能性もあるんだが」
この言葉にクリスはピクリと反応を見せる。クリスにとっても願ってもいない絶好の機会とでも言いたいのだろう。この提案に好意的な様子だ。
「……いいだろう。その仕事とやらに同行する。それで貴様を見極める」
「好きにしろ。お眼鏡に叶わなければ契約を破棄してもいい」
クリスは立ち上がり大鎌を蹴り上げて回転させた刃でロープを切る。刃が地に刺さる前に片手で柄を掴む。この職人技のような技量にコブラとジャックとレオンは驚きを見せる。ロープを切るだけでこの技術だ、相当の実力を持った人物であろう事はこの場の全員が思っただろう。
コブラに仕事の詳細を聞いたクリスはレザールとレオン、エリスと共に目的の場所へ向かう。コブラとジャックはシルバークロウ市の最東端へ向かう為四人より数分早く事務所を後にした。今回はクリスが居るからか、準備はいつもよりスムーズに済ませている。腰のベルトに刀を指して、太腿のホルスターに仕舞われている銃のチャンバーチェックをする。シルバーバレットの残弾数を確認してそのマガジンをコートの内ポケットに入れる。レオンは念には念をとシルバーバレットの予備マガジンを二つ持つ。レザールに指示されている訳では無く、レオンが自発的に持つようにしているのだ。四人で向かうのは南東側、メイズスターリング市より東側でインディゴカイト市より北側の場所だ。
依頼書の内容を確認しながら目的地へ向かう。ここはシルバークロウ市内ではあまり治安が良いとは言えない繁華街だ。十七時頃になると飲食店のキャッチが多く繁華街区域をうろつき、ナンパや夜遊びの不良が多く見られる場所となっている。過去にはここでキャッチと若い男女の客が悪魔に襲われたという話があるが、だからと言ってキャッチも夜遊びも無くならないというのが現状だ。店としては売上の為に仕方なくという面もあるだろう。
目的地付近になったところでイヤーカフ小型無線機を起動して周囲を見渡す。超音波索敵機の索敵範囲圏内であれば悪魔を探すのが容易だからだ。繁華街を歩くこと数分、ようやく反応を見つけた。超音波索敵機は道が左と正面と背後しか無い現在地のT字路を左に曲がった場所を指している。建物の陰に入り九時の方向を見るとそこには大量の悪魔が闊歩していた。人の形をした下級の悪魔だ。その悪魔は人型という割には擬態が下手ですぐに人では無いと気が付くレベルだ。B級ホラー映画で見かける所謂「屍人」と言えば誰もが容易く想像が出来るだろう。見た目はそういった感じのものだ。
「うぅ、気持ち悪い。あんな肌がドロドロでよく擬態した気でいられるわね。人間社会への冒涜よ冒涜」
「俺たちはここで様子を見ていましょう。足手纏いになりますから」
レオンの言葉にこくりと頷く。クリスもエリスのこの反応にホッとしている。がむしゃらに前へ出て行くのではないかと不安があったのだろう。悪魔の群れを観察しているレザールはぽつりと呟く。
「爬虫類型の蛇も居るな。体長は三十から五十センチメートルくらいだから下級悪魔だ。数は人型が十七、蛇が八。全部で二十五体か」
「俺も貴様を手伝ってやる。俺より多く倒せたらエリーの師として認めてやってもいい」
「そうかい。ま、たまにはそういう余興も良いんじゃねぇの」
そう言うとレザールに何かを投げ渡した。それをよく見ると口元を覆うタイプの黒いガスマスクだった。吸収缶が左右に付いているものだ。
「精々悪魔とは別の要因で死なない様にするんだな。エリーと眼鏡もここから動くな」
そう一言添えてそっぽを向く。腰に付いている飾りの尻尾に手を伸ばす。ファスナーを開けて中から一本の試験管を取り出す。どうやらその尻尾はポーチだったようだ。コルクで蓋がされた試験管には無色透明の液体が口から約一・五センチ下まで入っている。狐面をずらしてそれをグイッと一息で煽り飲み干す。そして付近に落ちている適当な石を拾い上げて握りしめる。握られた石は瞬く間に黒く禍々しい色に変貌する。そしてクリスは鎌で少し指先を切り、その場でしゃがみ込んで六芒星とその中に文字の様なものを書く。
「ここから半径三メートル圏内にいろ。ここまでは来ないだろうが万が一だ」
言い終えると踵を返して悪魔を見やる。準備は出来たという様子だ。
クリスは悪魔の群れの中に先程の石を投げ入れて勢いよく飛び出す。レザールもその後を追って走り出す。投げた石は地面に当たると毒々しく禍々しい霧が噴き出し周囲を包み込む。レザールは鯉口を切ってまずは一体の首を居合抜きで跳ね飛ばす。そしてその勢いのまま正面の二体目の人型の喉元に突き刺す。その悪魔を蹴り飛ばして刀を抜いて血振りの勢いで足下の蛇の頭を両断する。左に迫った蛇を左太腿のホルスターに入った銃を取り出して一発撃ち込む。魔力の銃弾は蛇の口を貫通する。左手側正面の人型を右下方から斜めに斬り上げる。そしてその右側の人型の首元へ刀を逆手に持って突き刺す。刺さったまま逆手から順手に握り直し、その奥の人型を左肩から袈裟斬りにする。
七体の悪魔を殺して、ふとある事に気付く。人型の悪魔の動きが鈍いということを。蛇の悪魔は以前と変わらないが、人型だけそう感じるのだ。個体差だけの話では無い。原因はあの石から吹き出る禍々しい霧ではないかと想像出来る。以前と今回で明確に違うのはそれしか無いからだ。ガスマスクを渡された事からもそう考えつく。蛇の悪魔に効果が無いのは、恐らく体質的な要因だろう。
自分の疑問を自分で結論付けて勝手に納得するレザールの足元を蛇がうねりながら這い寄って来る。頭に近い胴を左へ横薙ぎに両断し、その目の前の人型を左上方に振り上げた刀で袈裟斬りにする。レザールの横を通り過ぎた一体の蛇はそのままレオンたちの方へ向かって行く。角で待機しているレオンたちに接触する前に蛇の後頭部を魔力弾で撃ち抜く。動きが鈍っていようがレザールのすぐ背後まで迫った人型を確認する。右足で顎を蹴り上げて右足を降ろす勢いを使って左足を軸に身体を捻り、腰の左側から右肩へかけて斬る。斬り伏せた人型から五歩後ろの人型を左手の銃で撃ち殺す。ゾンビ映画の様に沢山いた悪魔は、消えかかったその死体が目立つまでに減少した。あと少しといったところだ。
そして一方クリスは、石から吹き出た霧の只中で大鎌を振るっている。まずは試し斬りだと言わんばかりに正面の人型二体をその鎌の一振りで同時に屠る。刀やチェーンソーとは違う大鎌のリーチの長さと範囲の広さは、大量の敵を掃討するのに適していると言えるだろう。血で斬れなくならないように鎌を振り回し血を払う。すぐ近くの右手側の二体は左の肋骨下から肩右へかけて薙ぎ、胸から上が斬り落とされる。ブンッと風を切って力強く右手で鎌を回してその後ろの人型一体の首を落とす。足元の蛇は脹脛に噛み付こうと口を開けた。そんな蛇を鎌の柄の先で頭部を突く。地面と柄で挟まれ蛇の頭は醜く潰れる。奥の人型に目を向けようとした際に右脇に回り込んで来た蛇に気付く。鎌を振るには距離が近すぎたのだ。そんな中、焦りを感じさせない冷静な態度で一言発した。
「サルファリックアシッド」
そして左手を突き出すと手から水の様な透明の液体が噴射された。その液体が蛇に掛かると忽ちのうちに蛇の鱗や皮は溶けて爛れていく。苦しそうにくねくねと身を翻し暴れて、最期には部分的に骨だけが残り動かなくなる。同族が溶け死んだにも関わらず残り二体の蛇は怯むこと無く突っ込んでくる。右手に握られた鎌をクルッと回して体勢を落とし刃を左後方へ振り被ると、風を切る重い音と共に二体の蛇は真っ二つに斬り裂かれた。残りは人型四体となった。クリスは勢いを落とさずそのまま急接近する。そして右下方で構えられた鎌を左上方へ振り上げ一体の首を刎ねる。その左隣の人型を鎌を柄でバットの様に打ち、地面に突っ伏したところで額に刃を突き刺す。その後ろの人型の頭を左手で鷲掴みにし、先程と同じ一言を発する。手に触れている箇所から順番にジワジワと溶けて爛れていく。脳の露出と共に液体の量を増やし、脳が溶けていくとピクリとも動かなくなった。
最後の一体に向かって右後方に鎌を振り被った時、発砲音と共に目の前の悪魔は額から血を吹き出して倒れた。発砲音の方を向くとレザールが右手で銃を構えていた。銃口からは細く煙が立っている。
「これで終わりだ。で、結果はどうだ? 」
例の勝負の結果を聞いてくる。一旦はそれを無視して黒い石を鎌の柄の先で砕く。霧は消えて通常の景色に戻る。
「……白々しい。分かっていて最後の一体を撃ったんだろ」
相手が狙っている敵を横取りしてこその勝負だ。わざわざ聞いてくることの鬱陶しさを声色に出していても、そこに異論は無いといった様子だ。纏めるとレザールは十三体、クリスは十二体の撃破数になる。この一体が倒されればレザールが負けるのだ。そうはさせまいと撃ち殺した、負けず嫌いの意地の勝利だ。
「約束通り、貴様を認めてやる。だが、結婚を前提にと言われてもそれは認めないからな」
「なんでそうなるんだよ。嫁には要らねぇんだよ」
認められたのも束の間、クリスから急に結婚というワードが飛び出し、困ったように頭を掻く。
クリスは狐面を外す。目を瞑り大きく深呼吸をする。しかし、突然激しく咳をしたかと思えばその場で片膝を着いた。
「おい、大丈夫か? 」
レザールが肩に手を置くとクリスはレザールに顔を向ける。初めて見るクリスの素顔は女かと疑うくらいに睫毛が長く輪郭は曲線的だ。ガーネットの様に深く真っ赤な二つの瞳は、白い肌や髪に映えている。そんなクリスの口からは一筋の血が流れていた。
「煩い触るな。この程度なんてこと無い」
レザールの手を払い除けすぐに立ち上がる。本人が言うようになんてことも無さそうだ。
「……俺は御子だ。この程度で苦しんでいては真に御子などやっていけん」
自身は神の落とし子だとクリスは言う。戦いぶりからして納得だ。口元の血を右手の甲で乱暴に拭う。女の様な、中性的な容姿だが仕草の雑さは男そのものだ。
「あの石ころはお前のその能力の一つってことか」
「あれは御子の力ではない。フォクシー家親族間で伝わる妖術だ。御狐様の力の一端だと言われている」
妖術、御狐様などと聞いたこともない言葉をスラスラ述べられる。御狐様と敬称付けて呼ばれているところから、宗教的な神に匹敵する存在である可能性が高い。しかし、世間一般的に知れ渡っている神は四柱だ。その何れも御狐様と呼ばれる様な神々ではない。
他に聞きたいことを聞き出そうとする前にクリスは面を付け直し早々に退散して行ってしまう。フォクシー家親族間で伝わるという事は、妹であるエリスも当然知っているという事だ。
「石? ああ、殺生石のことね。毒を石に込める妖術よ。石から出る霧は神経毒だから身体を痺れさせたり出来るの。動きを鈍らせる? って言った方がいいのかしら。あたしたち親族が作れるのはあくまで『偽物』らしいけどね」
二人の元へ戻ったレザールは早速エリスに聞いた。流石親族の一人というだけあってよく知っている。
「妖術、ね。神の落とし子の力といい特異な力に矢鱈と縁があるんだな。戦う為に生まれたみたいな奴だ」
「そんな縁、ありがた迷惑よ。妖術は確かに戦いのサポートでは便利だと思うけど、妖術を使うには特殊な毒を飲まないといけないの」
毒と聞いて固まる。それは隣で聞いていたレオンも一緒だ。言われてみたら最初に何かを飲んでいたなと思い出す。試験管の毒を飲んだあとに使った妖術は殺生石だ。その後に結界の様なものを展開した。血文字で六芒星と文字を書いた事から、これも妖術由来の力だと推測出来る。想像して使う神の落とし子の力ならわざわざ血文字を書く必要は無いからだ。
「あたしたち親族は小さい頃から毒を飲んで身体に慣らしてきたから毒は効かないの。勿論薬もね」
毒が効かないという事は最初に飲んだ試験管の毒は影響して無いということだ。ならば何が原因で吐血をする羽目になったのか、自ずと答えが出てくる。
「帰るぞ。此処に長居するべきじゃない」
レザールはこれ以上追求しなかった。レオンやエリスに聞かせる訳にはいかないと判断したのだ。
「レザール、悪魔を倒すには何か特別な力が必要なんでしょうか? 」
レオンの質問に考えを巡らす。自身が戦っていてどうか、過去や現在の周りの人間がどうなのか。
「絶対に必要って訳じゃない。他の神の落とし子、例えばアズマも基本は武器で物理的に戦ってる。能力を使うにも色々大変だってことだ。結局のところ、基本的な戦闘技術が一番なんじゃねぇの」
レオンはスッと晴れた表情を見せる。レオンの邪眼は便利ではあるものの、その反動が命取りになるのだ。能力を使わないで倒せる見込みがあるのか心配になるのも頷ける。
「なんにせよ、先ずは体力と筋力を付ける事からだろうよ」
「そうですよね。基礎は大事だと言いますし」
そんな会話を横から聞いていたエリスは驚きの声を上げる。二人はどこに驚く要素があったのか分からずエリスの声にビクリと肩を鳴らす。
「えぇ!? 素振りとかしないの? 剣術といえば素振りでしょ⁉ 」
「体力の無い奴が戦い続けられるとでも思ってんのか」
エリスに左腕を下方向に引っ張られ、鬱陶しそうに剥がそうとする。
「まあまあ、素振りは追々やっていくって事ですし、当分は基礎を頑張りましょう? 」
レオンが宥めてようやく腕から離れる。「基礎とかつまんない」というあからさまな表情で拗ねている。レオンは何もしていないのにも関わらずドッと疲れた顔をしている。戦ったレザールと同じ表情だ。エリスが弟子として加わったが、苦労が絶えないだろうと二人は溜息を吐く。
ここはシルバークロウ市最東端。海が広がる港地区だ。ここから北北東へ海を渡るとアザレアタウロス県のブラックファルコン市に着く。クルーで約一時間程になるだろう。そんな港地区へ来たのはコブラとジャックだった。件の仕事でレザールと二分割した際の一箇所にあたる。依頼書には全部で四十体と記されているが、分割したおかげで半分くらいの数で済んでいる。四十の半分でも多くはあるが。
コブラはPCを立ち上げて衛星通信から悪魔の位置情報を取得する。情報取得の間、ジャックは潮風でソーチェンが錆びないか心配な様でソワソワしている。
「潮風ってこんなにべたべたするんすね。いやーダンナと場所代われば良かったや」
「アイツは遠出が嫌いだからな。場所を選ばせるとまぁ、こうなる。お前が言っても代わらなかっただろうよ。それよりターゲットを見つけた」
コブラがそう言うと画面を覗き込む。位置情報が示す方向に目を向けると住宅街が広がっていた。家々は都心程密集している訳ではない。海が近いことから魚屋や魚料理店といった魚に因んだ個人経営らしき店がちらほら見える。
「十五体っすね。建築物に囲まれてるなら潮風は多少はマシっすかね。そんじゃ、行って来やす」
チェーンソーを担いで後ろ手に手を振る。余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)に足取り軽く現場に向かう。
現場に着くと目の前の悪魔の群れを観察する。体長二十五センチ程の動物界の蛙にしては大きく、間違いなく悪魔だと視覚で分かる両生類型の下級悪魔がそこに居る。蛙に紛れて地面でビチビチと明らかに場所選びを間違えたであろうオタマジャクシの見た目の悪魔が四体程転がっている。体長十センチの下級悪魔だが何とも気味の悪い光景だ。
「うげー、コブラさんがこれ見たら吐いてやしたぜ。蛙も蛇も見た目のキモさに大差ねぇっすけど」
ゴリゴリと頸を鳴らしてチェーンソーのスターターハンドルに指を掛ける。勢い良く引くとスイッチが入ったかのように三日月状に口端が吊り上がる。瞳孔が開いた二つの目で悪魔を見据える。
「アッハハハ!! さぁて、仕事の時間だ! 」
ゲラゲラと笑いながらチェーンソーを振り回す。
「影針四伸」
そう発してジャックの影が視線上の悪魔に向かって影が伸びたかと思うと、影から針が伸び、オタマジャクシの悪魔を刺して浮かせる。胸の高さまで上がったオタマジャクシ四体をチェーンソーの一薙ぎで一掃する。高速で回転するソーチェンは肉を抉る。血は飛び散りジャックの顔や服にも付着する。ヘラヘラと笑いながら左足元の蛙に向かって振り被る。だがそこへ、正面から三体の蛙が飛び込んでくるのを視界の端で捉えた。咄嗟に足下の蛙を蹴り上げ宙に飛ばし、振り上げたチェーンソーを左肩側へ構え直し同時に薙ぐ。
「影移動三回行」
ジャックはその場からフッと消える。そして奥側の蛙の背後に出て斬り付ける。再びその場からは消え、斜め右側の蛙の背後に出て蹴り飛ばし正面の悪魔に当て、再度消えると今度はその二体の悪魔の前に瞬間移動の様に現れる。チェーンソーを振り上げ、勢い良く振り下ろす。ビチャビチャと血が飛び散り二体分の血溜まりが出来る。右腕に何かが絡まりグイッと引っ張られる感覚が伝わる。腕を見るとロープの様なものが巻きついている。その先を目で追うと蛙の悪魔だ。そう、これは蛙の舌だ。右腕を引っ張ろうとしてもピクリともしない。
ジャックの目前に広がったのはかつての幼いジャックと父親とそして祖父の姿だ。幼いジャックの右腕は父親が強く握っていた。痣が出来る程に。父親と祖父は鬼の形相でジャックにたたみ掛けていた。
「戦いの最中に笑うとは何事だ、気持ち悪い! あの女、さては悪魔とまぐわったな!俺の子供だと偽って! あの詐欺師め! 」
「いいか、ジャック。お前は形式上家の人間として過ごさせているが、我々はお前の様な殺人鬼予備群を認めないからな! 」
ジャックの顔には両親双方それぞれの特徴がある。正真正銘二人の血縁の子である。しかし、それが認められない程に人格を疑わざるを得ない事があった。神の落とし子であるジャックは戦わなくてはならない。そうして実験的に下級悪魔一体を相手に交えた日に父親と祖父は垣間見たのだ。ジャックの異常性を。戦いながら笑い叫び、ナイフで何度も何度も心臓や頭、首を刺してグチャグチャにかき混ぜる姿を。身体は返り血で汚れてその場は宛ら殺人現場の様になった。以前は優しく手を引いて一緒に歩いた父親も、この惨劇以降はジャックを待たずに帰るようになり、祖父も小言ばかり言うようになった。ジャックは幼いながらも何故こうなったのかを理解していた。
「……だから、余計に苦しかった」
ジャックはぼんやりと前を見据えている。あの頃の愚かな自分を見て嘲笑する考えにすら至らないまま、ただ見ていた。
近くで誰かがジャックを呼ぶ声が聞こえてくる。ハッと顔を上げて声のする方へ向くとそこにはコブラが居た。
「おい、大丈夫か? 悪魔を倒し終わってもお前が一向に戻らねぇから見に来たんだ」
何のことか分からず辺りを見渡すとあちこちに蛙の消えかかった残骸が転がっていた。腕に巻きついた舌も外れている。状況を把握しきれていない様子のジャックは突然目を見開き、口元を抑えてしゃがみ込む。その様子を見てコブラは背中を摩った。
「うぅっ……おえ……っ! 」
「おいおい、本当に大丈夫かよ? 兎に角移動するぞ、立てるか? 」
一応立ててはいるものの、生まれたての小鹿のようにガクガクしているところを見るに、まともに歩くことは出来ないだろう。コブラは自分の肩にジャックの腕を回して腰を支える。
「だからお前、能力は使い過ぎんなよって言ってんだろうが」
説教が嫌いなジャックには耳が痛い話だ。以前から何度も注意を受けてる分、少しは気を付けようという気概はあった様だが、そういえばとぼんやり今日の戦いを振り返る。
「っ……メイズスターリングの時よりは使ってないんすがね」
「能力ってよりは魔力だな。影踏みを使うのを止めた方がいいんじゃねぇか? 」
「ーー……影、踏み……? 」
コブラが言っているのは、「影踏み視見十間」の事だ。これは視界に入った約十八メートル(十間)圏内の敵の影を踏んで足止めする力だ。十間の部分は調整可能で、敵との距離が近い場合は二間(約三・六メートル)や三間(約五・四メートル)と言い換えることもある。捉える範囲が広ければ広い程魔力は消費される。残り四体の蛙の悪魔を倒すにしても、影を踏んで動きを止める程の事では無かった筈だ。意識が飛んでいる時に無意識下で使ったのだとしたら末恐ろしいことこの上ない。ジャックは自身の奇怪さに自覚をしているが、今日程自身を恐ろしいと感じたことは無いだろう。