4.夢みたいな夜は二度と戻らない
ガクンッと膝から力が抜けて崩れ落ちる。体が床に打ち付けられる前に、暖かい熱に包まれた。視界に映る褐色の肌、薄れた意識の中で体が持ち上がる。周りからどよめきが起こり、自分がとんでもないことをしでかしてしまっていることを知る。なのに、力の入らない体ではどうすることも出来ない。
「大丈夫だ」
耳元で囁く低い声が心地良くて、コクコクと何度も頷きながら目を閉じた。
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「こいつ背が高いし、顔が好きじゃない! 婚約者にするなら、姉の方がいい!」
そう言ったのは、今よりもっと小さなカール様。7歳の頃だったかしら?婚約者が決まったよ、とお父様に連れられて行ったお屋敷で細っこい彼は私を見るなり罵倒した。お父様は怒り、相手のご両親は息子を叱りつけ、私にちゃんと謝ってくれた。けれど、私の心にはバッサリ斬られた傷痕が残った。それまで、可愛い可愛いと甘やかされて育っていたもんだから、もう真っ赤になって大泣きしてしまったと思う。
それでも一緒にいれば情が芽生えると、諦めずにカール様に接した。彼はいつも冷たかったけど、将来は一緒に生きていかなくてはならないのだから、愛が無くても情があれば良いと思ったのだ。
「気持ち悪い!」
それも無理だと諦めたのは、私の背が彼を追い抜いた頃、膨らみ出した胸やお尻を嫌悪され、彼がエスコートもしてくれなくなった時だった。
私だってこんな身体大嫌いよ!リアお姉様みたいに華奢で小さかったら良かったのにと何度も思った。
それから彼と会う時はコルセットで胸もお尻もガチガチに締め付けるようになった。それでも、相手にされない自分が惨めで情け無くて大嫌いだった。
そんな時、私が出会ったのがアトラビの恋愛小説だった。書店でふと手に取ったそれは、私の世界を変えてくれた。ノール王国で主役になるのは決まって王子様みたいな人だった。筋肉質な逞ましい男性は、私の心を掴んだ。それに、ヒロインが自ら剣を持ち戦う勇敢な女性というのも衝撃で、大袈裟かもしれないけれど、救われた気持ちになった。
アトラビの小説を読むようになって、文化や歴史、言葉を知りたいと思って学んでいく内に、世界は広いことを知った。カール様の言うことなんかこれっぽっちも気にならなくなった。
かと言って、お父様とお姉様を困らせるのも辛くて……
どうせ将来はカール様と結婚をしなくてはならないのだから、せめて夢を見るくらい良いじゃないと騎士団の見学にも行くようになった。
夢くらい……
―――
ハッとして目を開けると、そこは見慣れない天井。横を向くと白くフワフワの枕。何だか嫌な夢を見た後のようにモヤモヤする。このまま二度寝してしまいたいと降りてくる瞼を何とか持ち上げて身を起こすと、たわわな膨らみが弾けるように揺れた。サァーッと血の気が引いた。スースーするのはドレスから胸が丸出しになっているからだ。
「え? え? ひゃあッ!」
シーツを持ち上げ、身体を隠す。キョロキャロと見渡すとコルセットが無惨にも引き千切られた姿でベッドの下に落ちていた。ドレスの前ボタンも毟り取られたようで、どれもまともにくっついていない。前ボタンが無くなり、開けたドレスから、こぼれ落ちる二つの胸。動く度ゆっさゆっさと揺れて、なんとも滑稽で、恥ずかしい。
ボタンが無事だったとしても、コルセットが無ければ閉まらないし……。
「どうしましょう……帰れないわ」
こんな姿で帰ったら、屋敷中大騒動だわ。マリーなんてビックリして泣いてしまうんじゃないかしら。心優しい幼馴染の顔が浮かび少しだけ心が落ち着く。
必死に記憶を整理する。確か、気分が悪くなってしまって、ローグ様が助けてくれて、それで、それで?ここに連れてきてくれたってこと?憧れのお姫様抱っこをしてもらったのかしら?どうにも思い出せないのが悔やまれる!
ベッドと小さなテーブルがあるだけの部屋に、コンコンとノックの音が響く。
「入っていいか?」
低い声は間違いなく思い浮かべていた彼のもので、
「は、はいッ!」
と、条件反射のように答えてしまってからマズイとシーツを持ち上げて揺れる胸を隠した。
彼がゆっくりと部屋に入ってくると、手には二つのグラスが乗った銀のサルヴァ。彼はそれをテーブルに置くと、ベッドの端にドンッと座った。彼の重みでフワッと体が浮く。彼は一つのグラスを私に渡すと、もう1つを自分で持った。
「水だ。飲め」
少し、不機嫌そうに見えるのはどうして?大勢の前で迷惑をかけてしまったからかしら?
「ありがとうございます」
お水をチビチビ飲みながらチラリと彼を見る。彼はごくごくと一気に飲み干していた。私と目が合うと、気まずそうに視線を泳がせた。
「すまない。胸、苦しい言うから、脱がせた」
脱がせた?破り捨てたじゃなくて?と思わなくもないが、助けてもらった手前、黙っているくらいの常識は私にだってある。
「ありがとうございます」
「何故? コレ? 小さい? わざと? じゃなくて、」
ローグ様は頭をガシガシとかくと、深呼吸して、諦めたように口を開いた。
『あー君の国の言葉は難しいな。もっと真面目に学んでおくんだった。君はどうしてサイズ違いの下着やドレスを着ているんだ? ……その、下も』
ラーグ様の視線が私のお尻に向けられる。お尻のガードルまで破り捨てられていなくて本当に良かった。
『……婚約者さまの趣味に合わせてみましたの。失敗しましたけど』
『君は、そんなにあの男が好きなのか? 君じゃない女にうつつを抜かしているような男だぞ!』
『好きではありませんけど、良好な関係を築けたらなと思っておりましたの。無駄でしたけど』
そう、全くの無駄だった。彼は王家主催の夜会で、私以外の令嬢とファーストダンスを踊ったのだ。しかも、彼の瞳の色のドレスを着せて。自分が愛するのはこの女性だと周囲にアピールしたようなもの。私はお飾りの妻になるってことをわざわざ発表したようなものなのよ。
『それでも、あの男の妻になるのか?』
言葉に詰まる。彼は信じられないという顔をしている。
『お父様、お姉様に迷惑かけたく……なくて』
『君の家族は君の幸せを望んでいないのか?』
「そんなのッ! ラーグ様には分かりません! ここはアトラビとは違うのですっ! なにもかも自由な貴方様には分からないでしょうけどっ!」
お父様もお姉様も、私が頼めばきっと婚約破棄の慰謝料を払ってくれるでしょうけど、けど、私は怖い。二人に迷惑をかけてしまって嫌われるのが怖い。
カッとなって母国語で捲し立ててしまった。彼には聞き取れなかったかもしれない。八つ当たりをしてしまった。育ってきた文化が違うのだから仕方ないことなのに。
ラーグ様はフッと笑う。その、余裕のある微笑みにホッと胸を撫で下ろす。
「子猫だな」
「……引っ掻いてさしあげましょうか?」
「よろこんで」
そう言って、ラーグ様は獲物を狙う肉食獣のように目を細めた。私が子猫なら彼は獅子?
彼に見つめられていると、心臓がバクバク煩くて身体が熱くなる。なのに目が離せない。変な汗がツーッと背中を滑り落ちていった。
ギシリとベッドが軋む。彼がゆっくりと近づいてくるのに、逃げることも、近づかないで、とも、口に出すことが出来ずにただ視界が潤んでいく。
こんな、こんなの、どうしたらいいの!?




