3.夜会は地獄
夜会は地獄。
「さぁっお嬢様いきますよ!」
「えぇ! 思いっきりお願い!」
「てゃあああっ!」
「……っ」
マリーのかけ声と共に私の上半身がぎゅううっと絞られる。知ってます?本当に苦しいと声が出ないのよ。私の大きな胸が潰されてぺったんこになる。
「お嬢様、これ以上は無理ですぅ。お嬢様が倒れてしまいます」
「けどっ、カール様は華奢なっ、女性がぁっ、お好きみたいなの! もっとっ、締めてちょうだい」
「息も絶え絶えじゃないですかぁ……! わ、私は、カール様もローザ様に相応しくないと思っております! 私から旦那様に婚約破棄を」
「駄目っ! マリー駄目っ! そんなことをしたら、お父様の顔に泥を塗ってしまうわ……」
マークス様が言っていたように、ノール王国で婚約は家同士の繋がり。婚約破棄には多額の慰謝料を支払わないといけないでしょうし、常識のない家だと私だけじゃなくて家族にまで迷惑をかけてしまう。それこそ、お嫁の貰い手も無くなってしまうだろう。そんなことになったら、マークス様に殺される。
だから、だから、少しでも気に入られるように頑張るしかないのよ!
―――
そう思っていても、エスコートも一言も無いのはやはり辛い。何事かと興味津々の周りの目が痛い。馬車を降りて一人立ち尽くす。ヤケクソの仁王立ちってやつよ!普通はここで婚約者か、家族がエスコートするものだけどカール様がいる手前、家族には頼めないし私には誰もいない。馬車の中から、マリーが泣き出しそうな目で私を見つめている。
「お嬢様……」
「大丈夫よ! じゃあ行ってくるわね〜」
マリーを心配させないようにと、何も気にしていないふりを装ってニっコリと笑って手を振った。
美しいデザインにインクの色まで選び抜かれた招待状、今日は王家主催の夜会なので、規模も大きく、人も多い。
一人で王城に入っているのなんて私くらいのものだった。
カール様を探してみると他ご令嬢と楽しそうにお話しをしている。カール様っていつも派手な服装をしていて目立つのよね……。未婚の男女が二人っきりで……これはつまり、そういうことなのだ。私が近寄ると、これ見よがしに嫌な顔をするのはどうかと思うのだけど……。
「ローザ! いたのか?」
「いますわよ」
「相変わらず男みたいな体型だな! どこの紳士かと思ったぞ」
彼と共にクスクス笑っているのは、彼が懇意にしているミア子爵令嬢だ。私より頭二つ分は小さくて、細くて、小動物のような黒目がちな瞳はいつも潤んでいる。
庇護欲を掻き立てる、つまりノール王国でモテる女性の部類に入るだろう。カール様の瞳の色、青色のドレスを纏っているのは、つまり、そういうことなのだ。
「婚約者様に挨拶するのは礼儀ですから」
婚約者と強調すれば、カール様と隣のご令嬢二人して嫌な顔をしている。カール様に至っては私より彼女と結婚したいと顔に書いてある。だったら家族を説得すればいいのに、悔しそうに睨みつけられても、知ったこっちゃないわ。
「じゃあ挨拶は終わっただろ! 俺はミアと踊る! お前の顔など見たくもない!」
「その強気、ご家族の前でも見せていただきたいですわ!」
あ……つい。彼は出来の良い弟にコンプレっクスを抱えているのを知っているのに。真っ赤になって震えるカール様が、かなりお怒りなのは分かる。売り言葉に買い言葉、つい言い返してしまうのが私の悪いところなのよ。
「生意気なっ! お前はデカいばかりでっ可愛げの欠片もないっ! 嫁の貰い手もないくせにっ」
「カール様が小さいのです」
あぁ、もう誰かこの口縫い付けて。
カール様の大声に周りからチラチラと視線を感じる。みんな女性が言い返すのなんてもっての外って顔をしている。
「挨拶はしましたので、私はこれで失礼します」
非難の眼差しから逃げるようにそそくさとカール様から離れる。私とカール様はいつもこう。気に入られるどころか、目の敵にされているのが正直なところ。私がいくら華奢な令嬢を装っても、骨格から違うのだから無理な話なのよね。彼好みのドレスもメイクもちっとも似合っていないのは分かっている。
苦しい思いをしてパーティーに来ても、壁の花になって人間観察という名の筋肉観察に勤しむのが常だ。
いつものように、逞しい殿方を探そうと見渡すと、人だかりができている。アトラビの戦士達、王太子殿下、その側近たちが見えた。王太子殿下自ら、アトラビの戦士達を歓待しているみたい。
どの方も逞しい体格に戦士の正装姿が圧巻だわ。褐色の筋肉にピタっと貼りつく黒い服は丈が短く、割れたお腹がチラリと見えている。アトラビ国は気温が高いので室内では薄着で過ごし、外出する時に日焼けの布を体に巻くと書物で読んだわ。
あのお腹……割れて板チョコレートみたい。甘いのかしら?……って私ったら変態ね。
そこで、私は見てしまった。
ラーグ様がどこかのご令嬢と歓談しているのを。優しい笑顔、こう見るとお顔も素敵ね。やっぱり……アトラビの方だし、女性の扱いに慣れてらっしゃるのね。あの女性にも付き合って欲しいと言っているのかしら……チクリと痛む胸をさすり、気にしないように努める。分かっていた筈なのに変ね。
何だか急に苦しくて、不思議とお父様やお姉様、マリーの顔が浮かぶ。みんなに会いたくて堪らない。カール様に何を言われても少しも傷まない胸が、今はチクチクと痛い。
帰ろう……
煌びやかな会場で、みんなが楽しそうな中、私一人貼り付けたように浮いている。そんな惨めな気持ち……。
背中を丸めてトボトボ歩く。優雅な生演奏もどこか虚しく悲しい。鼻の奥がツンと痛む。
周囲が一瞬、ざわついた。
「もう帰るか?」
掴まれた腕に驚いて見上げると、信じられないことにラーグ様が立っていた。驚きと戸惑い、その中に埋もれたちょっぴりの喜び。
私の腕を掴む大きな手、そして腕を飾る黄金のアクセサリー、よく見ると、二の腕や、太い首も繊細な彫刻を施した金細工で飾られていた。
まるで、彼が一つの美術作品のような美しさだった。
思わず、ハァ、と感嘆の息が漏れる。
ノール王国では男性はほとんどアクセサリーをつけないけれど、アトラビ国では、それらは権力の象徴で身分の高い人程ゴージャスに着飾っているのよね。ん……あの胸元に光る紋章、どこかで見た気がする。
「ラ、ラーグ様?」
「お前いるの、見えた。婚約者どこ?」
たどたどしい言葉が可愛らしい。ノール王国の言葉を使ってくれているのが嬉しい。婚約者、と言われて姿を探すと先程のご令嬢とダンスを楽しんでいる。私には見せたことのない笑顔を浮かべている。無意識についたため息に、ラーグ様の片方の眉がピクリと上がった。
「婚約者がいる。他の女と踊る、いいのか?」
「女性は駄目ですが、男性は許されるのです。ましてや、私は煩い女なので、カール様に同情している方も多いのです」
「煩い?」
「ついつい一言多いのです」
「それは楽しいです。違う?」
うぅ。弱った心にラーグ様の言葉が沁みる。下を向いて必死顔を隠したのは、泣き出してしまいそうだったから。そんな風に言ってくれたのなんて、今まで家族以外一人もいなかった。この人だけだわ。
「一生、あの男を愛する? 出来る?」
できるわけないじゃない。
でも、そんなこと……言えるわけないでしょう?
「貴族の婚約は家同士の繋がりなのです」
精一杯、平静を装ってそう答えた。
本音なんて一欠片も入ってない。
入れたらきっと、子供みたいに泣いてしまうわ。
「俺を求めろ」
顔を上げると、ラーグ様の真剣な瞳がまっすぐ私を見つめていた。甘い声。真剣な瞳。勘違いしそうになるから、やめて欲しい。叶わない夢を見せないで。
「ラーグ様、いけません。そのようなこと、簡単に言ってはいけません」
「簡単じゃない。言葉、練習した。俺、本気」
言葉にならない声がこぼれる。胸がズキズキする。
嬉しいの? 苦しいの? 分からない。でも、身体が熱い。息がうまくできない。
「……ラーグ様、駄目です。そんな……簡単に……」
「俺はローザがいい。好き。口説くのは当然。奪う。何、悪い?」
ドクンっと心臓が跳ね、カァっと熱が昇ってくる。顔が熱く、思わず頬に手を当てた。冷静にならなくっちゃ!と頭では分かっているのに、心が悦んでいる。こんなの、本当に物語みたい。
『そんな顔をして、期待してもいいのか?』
「だめです! だめ……」
「ローザ」
ラーグ様の指がサラリと私の腕を撫でる。その熱い眼差しに体が熱を持つ。
はぁんっ!その厚い胸板に身を任せてしまいたい!……っじゃなくてっ!本気にしては駄目だってば!!
分かっていても、この胸が高鳴るのをどうやって止めればいいか分からない。生理的な涙が浮かび、喉が渇く。カーっとなって頭がクラクラして息苦しい。
あら? なにかおかしい?
そういえば、今日はいつもよりずっと気合を入れて身体を締め付けていたんだっけ?
ハァハァと呼吸が荒くなり、目の前が真っ白に変わっていく―――
「ローザっ!」
焦った声まで素敵だなんて狡いっ―――




