十七話︰正直に、誠実に
────クソすぎる!!あ゛あ゛あ゛嘘だろ!?やめてよ!こんなことが……こんなことが許されるのか!?
色々な問題が同時多発的に発生し、何がなんだかわからなくなってしまった俺は、脳内でこっそり幼児退行を起こす。
状況を整理しよう。現在発生している問題は5つ。
一つめ、ビティの発狂。一日大人しくしていただけでストレスが限界値に達したカスが、俺のことをぶち殺そうと息巻いている。
今はノンディアさんの出現に怯え立ち尽くしているが、『怒られるからやめておこう』なんて正常な判断ができる女ではない。一分もすれば恐怖を麻痺させ思考を放棄し俺に雷撃をぶち込みに来る。
それまでに何らかの対処が必要であるが、まあ、ビティの雑魚さゆえ危険度は低めだ。
二つめ、ビティの処刑。先程ビティが俺を殺そうとしたことは今も口伝で街中に広がっている。他人を魔法で殺そうとするのは普通に犯罪であるため、放っておけば討伐隊がクズを殺処分しにやって来る。ビティよりさらにか弱き方々ではあるものの、彼らは馬鹿ではない。実力差を認識し殺せる状況を整えてから処刑にあたるだろう。数でゴリ押せばビティは死ぬ。危険度はそこそこだ。
三つめ、一五〇〇万匹の魔物の進軍。野鳥からの報告によると、突如現れ猛進してきている魔物の群れは大体半径四〇キロくらいのところまで近づいているらしい。質は玉石混交だがsランクも結構な割合存在する。足はそこまで早くないが、一時間もすれば街まで辿り着くくらいのスピードはある。一匹でもたどり着けば五分とかからず住民全員皆殺しだろう。
平時なら遠距離から炎撃を打ち込むだけで駆除完了なのだが、今の俺はノンディアさん洗脳に多量の魔力を使っている絞りカス状態。ゴミクズと化した俺が一五〇〇万を一人で殺しきれるかは疑問が残る。危険度は中。
四つめ、キレてるノンディアさん。ビティの殺人未遂をはっきり目撃したらしい彼女は、俺を庇う形で立ち塞がり、ビティを汚らしい豚を見るような軽蔑の視線で見つめている。
仮に彼女を放置したとしよう。このまま行けばノンディアさんはビティをシメる。いくらノンディアさんが優しいといってもビティは殺人未遂の現行犯だ、体罰の一発くらいは飛ぶかもしれないし、無かったとしても言葉によるお説教は確実。どちらにせよ悪くて脆いメンタルには劇薬に等しい。間違いなく糞女は反射で自殺を選んで死ぬ。
仮にノンディアさんを止めたとしよう。彼女に『ビティはいい子』『ビティはいい子』を再び刷り込み、殺人未遂の記憶を消して今の印象値をリセットするのだ。
その場合『改竄』が必要な記憶が更に増え、ノンディアさんの『ダメージ遮断』が俺の魔力を今まで以上に削ることになる。これ以上使える魔力を減らせば俺は木偶と化し魔物に負ける。この街は滅び、ビティは死ぬ。
どちらにせよビティは死ぬ。危険度は高。
五つめ、ノンディアさんの記憶処理の制限時間。仮に四つめを上手くやり過ごしたとしても、魔力の限界が来ればノンディアさんの記憶は戻る。正気に戻った彼女が『あっ、よく考えたらビティって糞女じゃん!』と思い出した瞬間、同上の理由でビティは死ぬ。魔物の処理に魔力を使うほど制限時間は短くなり、ビティの余生はどんどん短くなっていくというシステムである。危険度は高。
総括。
今から俺は『ビティを無力化し住民の情報統制を行い魔物一五〇〇万匹を討伐しノンディアさんを誤魔化す』という作業を迅速に終わらせ、魔力の消費を最低限に抑え、その後チャックのコーディネートを考えなくてはならない。
もちろん今夜合コンが行えなくなる騒ぎは起こしてはならない。レストランが営業を見合わせるような事態を引き起こしてはならないのである。
どれか一つでも失敗すれば妹達は死ぬ。
クソであるクソであるクソである。
しんどいとかいう段階の話ではない、もうだめだ何もかもおしまいだ。都合が悪いことが八つくらい連続で起こってパニックで脳みそが融けだしそうだ。なんだこの悪運は。ビティの性格が悪いせいか、俺の行いが悪いせいか、どちらか判別はつかないけれど、どちらかにブチ切れた神様がどこかで人知れずヒステリーを起こしているらしい。ここまで追い詰められたのは生まれて初めてだ。頭がおかしくなりそうだ。こんな辛い気持ちになるくらいなら二枚貝として生を受け海底で草を食んでいたかった。
と、そんなところまで考えたところで、俺はようやく正気に戻る。
『他人の助けを期待できない以上、クソみたいな状況でも独りで抗わねばならぬのでは……?』と思慮できるレベルにまで思考が回復し、ホモサピエンス並みの知性を取り戻した俺は、『どうしようどうしよう』とうんうん唸って考えた末、悩みに悩んで口を開く。
ノンディアさんが喋ってから既にコンマ三秒が経過している。彼女が行動を始める前にアクションを起こさなければならない関係上熟慮に浸る時間はないわけで、ぱっと思いついたおままごとレベルのこの策に、俺と妹達の命を賭ける。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!?魔物だあ゛!!誰か助けてぇぇぇぇえ゛え゛え゛!!」
「────────だ、ダアスちゃん!??」
空を指差して汚らしく叫ぶ俺に、ノンディアさんが驚きの視線を寄越してくる。
ビティも呆然と俺を見ている。
もちろん空に魔物はいない。
魔物の接近を目撃したのは街から四〇キロ遠方にいる野鳥。俺も鳥たちの連絡網を通じて襲撃を『知った』だけで、魔物の姿それ自体は目視できているわけではなく、そもそも目視できるような距離まで魔物を近づけてしまえば街は滅亡だ。
ゆえに、こんな街なかに魔物が飛んでいるはずもない。
俺は『魔物が飛んでいるよ〜』と、ノンディアさんに嘘をついたわけである。
「だ、ダアスちゃん…………パニックなの?あの子に殺されそうになったのが怖かったの?私がいるから怖くないよ、大丈夫だよ」
「違います見てくださいあそこですッッ!!」
けれども俺は空を指差した。
指の先には野鳥がいる。
俺が記憶を操っている鳥────先程魔物の接近を連絡してくれた個体である。
「………………ただの鳥だよ?魔物じゃないよ、大丈夫」
そのとおり。ただの野鳥であって魔物ではない。
ノンディアさんの発言は一〇〇%真実である。
しかしながら俺は嘘つきなのだ。
「違いますアレは魔物なんです!以前同じ姿の魔物がこの街を襲撃したんですぅ!ひぃぃいっ!」
「────ッッ!?」
ノンディアさんが驚いて空を見上げた瞬間、俺は魔法を行使して、掌握している街の全人口三万人を即座に眠らせる。
どさどさどさと、そこらじゅうから人の倒れる音が鳴る。街中の人間全員が一秒で眠りについた。ビティも勿論例外ではない。一瞬で気絶し倒れていく糞女の身体を抱きとめて地面に寝かせてやる。
これで『ビティの発狂』と『ビティの処刑』問題はクリア。
細かい記憶の調整を行っている時間の余裕はない。ならば街の人間全員まとめて眠らせておけば殺人も処刑も行えない。都合の悪いことは後で忘れてもらうことにする。
そしてこの罪を鳥に押し付ける。
「うあぁぁぁああみんな寝ちゃったぁ!もうだめだァあの鳥の魔法のせいだあああ!」
「だ、ダアスちゃんどういうこと!?」
「あの鳥は人の心を操るんですぅ!今ので街の全員が眠らされたみたいですぅ!ひぃぃぃぁ!!」
「!??」
噓である。
何度でも言うがあの鳥は俺に操られているだけの一般鳥。魔法も使えなければ殺人衝動もない正真正銘のただの鳥である。
が、ノンディアさんにそれを判別する方法はない。魔法で襲ってくる獣が魔物の定義であるならば、『見えない方法で攻撃してきている』と言われたそれを魔物と信じるしかないのだ。
ノンディアさんの魔法がダメージを『全自動で』弾く以上、『知らないうちに私達は鳥魔物から催眠を受け、私だけが無意識に弾いていた』と考えるのが最も自然な筋書きなのだから。
「そ。そうか、ビティもあの鳥に操られていたんだ!だから俺のことを殺そうとっ……!本当はすごく優しい子なのにッッ!」
「なっ……なるほどそういうことだったんだ……!事情はわかったよダアスちゃん……!」
嘘である。
ビティの性格に裏表などない。いじめが趣味のカス女は表層から性根まで満遍なく最低だ。
が、ノンディアさんはこれを信じてくれた。性格良い人は騙されやすくて助かる。もともとビティとの初対面の記憶を好印象に書き換えてあったのも大きいのかもしれない。
とにかくこれでビティの殺人未遂は一般鳥くんに押し付けられた。ノンディアさんがビティをシメる必要はなくなった。
『キレてるノンディアさん』問題は解決したわけだ。
残る問題は2つ。『魔物一五〇〇万匹』と『制限時間』。
これを解決するために必要なのはとにかく時間だ。魔物の討伐も魔力の節約も、時間の余裕が多いほど確保しやすいのは自明の理。
俺が自由に動ける時間をどれだけ確保できるかにかかっている。
ならば一刻も早くノンディアさんを引き剥がす。
「う……うぁぁああ!!とんでもない数の魔物鳥が集まってきている!」
「ッッ!?」
俺達の上空に現れたのは、天を覆い尽くさんばかりの大量の野鳥の群れ。
推定八万羽は超えるであろう魔物の群れを前にして、ノンディアさんがごくりと唾を飲む。
嘘である。全員が先程の鳥と同じ境遇、俺の制御下の一般鳥であり、魔物は一匹も混じってはいない。
彼らがここに来た理由だって俺が操って呼び出したからだ。『この時間は街の上空に集まる時間だ』という偽りの記憶を書き込むことで、鳥たちは悲しいほど迅速にここに訪れた。
けれどもノンディアさんは気づかない。彼女には噓に気づくだけの情報がないのだから、一度騙されればそれに気がつくことはできない。
「だ……誰か助けてぇ!このままじゃあの鳥たちに街が滅ぼされるぅぅぅ!みんな食べられちゃうよ誰かぁあ!」
「────!!!」
ノンディアさんの行動は早かった。
彼女が軽く腕を振るい、冷気がばっと空に広がる。
刹那に全ての鳥が凍りついた。彼らは地面に堕ちて叩きつけられ、砕けて地面に散らばっていく。
間髪入れずに俺は第二陣を投入。
遠方に待機させておいた群れを呼び寄せ、再びノンディアさんの視界に入れる。
今度は低空ギリギリを飛ばした。
駆除しようとも、ノンディアさんがこのまま冷気を放てば民家が巻き込まれる高度である。
「────く、そっ……!…………ダアスちゃん今すぐあそこの家に避難して!できるだけ安全な部屋で伏せてて!私はあの魔物を倒す!」
そう言ってノンディアさんは鳥たちを追い、とんでもない速さで街の中へと走っていった。
彼女の姿が見えなくなった瞬間、俺は大きくガッツポーズを作る。
「………………や、やった!YESッッ!ギャハハ騙されたなぁノンディアさん俺みたいなのを信じてるからこうなるんですよぉ!己の善良さを呪うがいい!」
面白いほど上手く策がハマって、俺は面白くてたまらなかった。
想定より遥かに迅速にノンディアさんの監視下から外れることができた。
鳥たちには『ノンディアさんを攻撃しろ』と命令を出してある。魔法無しの野鳥なんぞがノンディアさんにかすり傷をつけられる可能性はゼロ。安全に時間だけを稼ぐことができるというわけだ。
これで残り時間を丸々魔物討伐に使える。
最高の条件で一五〇〇万匹と戦えるわけだ。邪悪な笑いも浮かぶというもの。
『記憶改竄』抜きでどうなることかと思っていたら、まさかここまで上手く事が進むなんて。もしかすると俺は頭脳が少々天才なのかもしれない。
『…………そういえば鳥の催眠で俺だけが眠らない理由考えてなかったな』『ノンディアさんにそこツッコまれたら一瞬で噓バレしたのでは?』と、自身の間抜けぶりに思い至ったのは、それから一秒ほど後のことである。
恥ずかしくなりながら空を飛ぶ。俺は空を飛べるのだ。
別に羽が生えているというわけでない。風魔法を自分に使いぶっとばされることで宙でもある程度自由に動けるということ。
人体の強度上、急制動をかけると全身がぐちゃぐちゃになるが、周囲の大気を操ることで最高速度はある程度確保できる。
が、ノンディアさんに多量の魔力を割く現在、俺の飛行性能は平時より著しく劣化している。
魔物の群れは街から四〇キロ離れた場所にいる。俺が現場に辿り着くまで丸々一分が必要だった。
「………………ッッ……!?」
そんなわけで現在、俺は上空一〇〇メートルくらいを飛びながら、地平線から顔を覗かせた目的地の光景に絶句している。
野鳥から聞いた『一五〇〇万匹の魔物』という文言から薄々察しはついていたが、それでも心が折れそうになるほど悍ましい光景だった。
蛇、百足、蚯蚓、馬陸、蛆虫、蛞蝓、蛭、名前もわからない虫の数々。一匹一匹が細長く、最低でも二メートル、最長で八〇メートルを超える異様な体躯が絡み合っている。間違いなく全てが魔物だろう。
魔物は隙間なく寄り集まり、めるめると蠢く一つの塊となって、街のほうに真っ直ぐ押し寄せてきている。
遠目から見ていると、まるで雄大な丘みたいだ。
「………………………き、気色わりぃ……!」
『なんだこれは』『なんだこれは』『ひょっとしてビジュアルで精神面を攻撃する作戦なのか』『一刻も早くこのグロテスク群生物を処理せねば』と、予定の一割増しに魔力を込める。
触れて幻覚を流し込む処理落ち攻撃は使わない。
一五〇〇万匹全員にハイタッチして回るなんて最初から考えていなかったし、あんなのに触れたら間違いなく嘔吐する。
蠢く『丘』を消し飛ばすべく、魔力を純粋な熱量へ変換。
八年毎日繰り返してきたように、慣れた手順で魔法を放ち────
──────なのに、『炎撃』は出てこなかった。
『炎撃』がどうこうどころではなく、俺の中から一切の魔力が消えた。
「…………は!!?」
高速で飛行していた俺は、当然風魔法の支えを失い、重力に引かれて落下が始まる。
突然の変化に思考は追いつかず、抗う手段はどこにもない。
俺は地面に叩きつけられた。
「あ゛ッッ!!」
水平方向に速度があったことが逆に良かったのか、衝撃で即死するということはなかった。
地面の上をこするように滑り、10秒ほど転げまわったあと静止する。
「……………………ぅ゛…………ぁ………」
俺の全身はめちゃくちゃになっていた。
頬の皮が擦り切れて肉が露出していた。
全身に変な痛みが走っていた。肌が削がれた痛みと骨が折れた痛みだ、悲鳴をあげることもできなかった。なぜか片目が見えていなかった。肘から先が真逆に曲がっていた。腰から下が全く動かなかった。今まで感じたこともないような強烈な吐き気がこみ上げてきていた。
回復魔法を使おうとしても、魔力は一切戻ってこない。
「やあ、こんにちはダアス」
片目の視界に映る顔。俺の目の前には男がいた。
白い肌、白い髪、白い眼、白い爪、白い服────どこまでも真っ白な青年が、柔和な笑みを浮かべている。
「はじめまして、俺は『人間の魔物』だよ。得意な魔法は『魔力の消失』。調子に乗ってる君をぶっ殺しに来たんだ」