十五話︰絶望はきっと底知れず
第一案は言わば捨て駒。あんなので聖女を堕とせると考えるほど馬鹿ではない。
真の狙いは失敗が産む副産物。
ノンディアさんはあのときビティを制した。優しい彼女も無差別に万物を受け入れるわけではない、他人を害するだけの邪悪は普通に拒否するまっとうな正義感を有している。
そして、彼女にとって今の俺は『いじめ万歳を叫んだ人間の屑』。善人から軽蔑されるには十分すぎるほどの布石だ。
第二案は嫌悪の壁。予想成功率は八%。
「んんー?ねーダアスちゃん、私のリュックどこにあるか知らない?買い出し前はここに置いてあったはずなんだけど」
「はい!はいはいはい俺がやりました!ノンディアさんのリュックがなくなったのは俺のせいでぇす!やぁっと気づいてくれましたか!」
「────だ、ダアスちゃん!?」
ニコニコ笑顔で窃盗報告してくるサイコパスには、さすがの聖女も驚きを隠せない。
そう、現在の目標は『ノンディアさんにいじめを見てみぬふりさせること』であるが、あくまで『俺が被害者である時に』という枕詞が付くことを忘れてはならない。
極論『へぇ〜ダアスちゃんってゴミ屑なんだぁ〜!こいつばかりはいじめられても自業自得だね死ねゴミが!』と言わせれば文句なしに任務完了。むしろノンディアさんが俺以外への優しさを失わない点ではベストの結果といえるだろう。
であれば俺は彼女に嫌われるだけでいい。殺しに来られるとそれはそれで困るので『人類の害悪』までは行ってはならない。
『殺すほどではないが庇う理由はない倫理観ゼロのカス』レベルの絶妙な好感度が理想的だろう。
さあ、私物を盗み嫌がらせに心躍らせ反省ゼロの姿を晒すのだ。
ビティの糞みたいな振る舞いを思い出せ。
「ノンディアさんのリュックはねぇ、あなたが出かけてる間に街の外にポイですよぉ!お気に入りのリュックでしたかぁ!?残念でしたぁリュックさんとは二度と出会えませぇん!感想を述べよ!」
「た、ただの支給品だから別になんとも…………なんでわざわざ悪事を私に報告するの……!?ダアスちゃん大丈夫……!?ちゃんと寝てる……!?」
ガタガタ震えるノンディアさんは「あ」と小さく呟いた。
彼女は対面する俺の、さらに後ろのほうを見ていた。
「…………ねぇダアスちゃん、あの棚私が出かける前より一ミリほど開いてるよね?もしかしてあの中に隠したの?」
「────ひっ!?」
ご明察である。
なにせ目的が盗難そのものにない以上、本当に捨てる意味はないはずだった。彼女が俺を嫌いになった後、偶然を装い俺以外の奴が偶然見つけた体で返却すれば全く問題はないはずだった。
なのにばれた。『まあノーリスクならあとで返しておくか』と考えた俺の思考が甘かったのか。『もしかしたら家具の位置をミリ単位で覚えているかもしれない』でなんてことまで考慮して計画を練らないといけないのか。
ノンディアさんは取り出したリュックと俺を交互に見つめて考える。
「………………あぁ、そっか、寂しかったんだね。ごめんね一人で出かけちゃって」
そのまま手を引かれて夜の街のカフェテリアへ向かう。
「違う」「違う」「俺はほんとうに貴女を傷つけたくて」と弁明したが効果はない。
生まれてからずっと暮らしてきた街であるが、忙しくて立ち寄る暇が一度もなかった評判のお店にて、おしゃれなクレープがすごく美味しい。
そもそも第一印象が不味かったのだ。
ノンディアさんと出会った時、友好的にお喋りしようと心がけていたのがここに来て最悪の効力を発揮している。
彼女は俺をまっとうな人間だと思いこんでいて、奇行を目撃しても『常識人が変なことやりだしたな、調子悪いのかな』と好意的に処理されている節がある。
こうなると第二案は諦めるしかない。
極端な邪悪に振り切るわけにもいかないのは前述のとおり。
三日のタイムリミットがある以上、ちまちま悪事を積み重ねていく余裕はないのだから。
ならば次の行動はこうだ。
「あの……すいませんご馳走してもらってる身でなんなんですが、お代わり食べてもいいですか……?」
「お、おおぉ……!?いいよいいよなんでも頼んで!ほらほら、ダアスちゃんは何食べたいの!?」
「苺のパフェ……」
この発言に隠された真意とは、『パフェ食べたことねぇ食ってみてぇ』。
何を隠そう、第三案から先は全くのノープランなのである。
全ての策を封殺され一切の希望を失った俺は、血の気の引いた青白い顔で、ヤケクソにちっちゃなパフェを頼む。
アイディアが尽きているというわけではない。
立ち退きデモ、法的措置、セクハラ、ヤクザ、自殺未遂。まだまだ策は山のように残っているのだが、しかしそのどれもが予測成功率一桁未満、とても作戦とは呼べないクソガキのお遊戯しか残っていない。
というか、そもそも根本的なところに無理があるのだ。
嘘をつき続け七年半といえど、俺の嘘は十割が魔法頼り。話術で人の心理誘導を行ったことなど一度もない、人間性能だけを見れば詐欺師としては最低レベル。
実戦経験ゼロ、『記憶改竄』に依存しきった貧相なコミュニケーション能力で聖人君子を三日以内に堕とすなんて、成功する要素がどこにもない。
ノンディアさんにいじめを見逃してもらう他に、妹達が生き残る道はないというのに。
はじめから詰んでいたのだ。ノンディアさんにビティの性格を知られた時点でどうしようもない状況に陥っていて、俺がそれに遅れて気がついただけだ。
残り時間はあと二日。もうだめだ何もかもおしまいだ。
このまま無為に時間は過ぎてビティが死に、そのままチャックも道連れなのだ。
「美味しいなァ……あははァ……」
絶望感に蝕まれ、どうすればいいのかわからなくて、結局パフェを掬うしかなかった。
ノンディアさんが『なんか元気ないけどどうしたのかな……?』と言いたげな様子で、不思議そうに俺のことを覗き込んでいる。
と、そんな時である。
「だ、ダアスさんっ!ダアスさんですよね!?」
「────ぁ゛ひっ!?」
悪いことは重ねて起こった。
背後から突然かけられた声に全身が跳ねる。
振り返るまでもない。何度も聞いてきた妹の肉声──口調•時間帯から考えても間違いなくチャックの声だ。
二人の妹の中でも①道徳があるほう②常識があるほう③人間社会でまっとうにやっていけるほう④可愛いほう⑤天使なほうと名高いチャックさん。
ビティと違い素行に全く問題はなく、平時なら彼女に恐れることなど一つもない。
が、今の状況は色々とまずい。
「探しましたダアスさん!だ。ダアスさんっ……!わ、私、チャックって言います!ずっと昔にあなたに助けられて、その頃からあなたのファンで……!そ、それで、今日はお願いがあって来たんです!私とパーティを組んでほしいんです!私たくさん魔法を練習しましたあなたを支えられるだけの実力はついたはずですお願いします恩返しをさせてください絶対役に立ちます住居も生活も一生保証します!」
「ひぃぃ……!うぁぁ……!」
から回る口調、紅潮した頬、俺をまっすぐ見据える熱視線。
明らかに前ループと異なるチャックのテンションの原因は、ノンディアさんの存在にある。
ノンディアさんに『記憶改竄』は効かない。となると、視覚情報を改竄して起こす幻覚も効かない。
俺は普段、街の住民三万人全員に『ダアスは三十路のおっさんである』との記憶改竄、幻覚をかけているのだが、ノンディアさんの滞在している現在同じ処置をとるのは恐ろしい。万一容姿の認識の違いに気が付かれたら、そこから『記憶改竄』の存在を察知される可能性があるのだから。
故に、特例措置として『記憶改竄』を一部解除した。
現在のこの街の人間全員が俺の年齢、性別、容姿を正しく認識している。
無論、チャックとて例外ではない。
「………………だっ、駄目ですか……?…………じゃあもうパーティは組まなくていいです、なんでもいいから支えさせてください!私、一人でも魔物を狩れるようになりました!ダアスさんを養っていけるだけの収入はあります!料理もそこまで苦手じゃないですし、ダアスさんに絶対不自由はさせませんっ、だ、だからっ……!」
「ひっ……ァぁ……!」
必死に頭を下げるチャックの姿が、今はただただ恐ろしい。
七年半で学んだ法則だった。
『俺の情報を正確に覚えているほど、チャックからの好感度は跳ね上がる』。
俺が普段容姿を偽っている理由は、チャックからの好感度を削ぎ落とすためなのである。
いや、本来妹から好かれることは嬉しいことだし、実際昔は『うおおおおおお!!お姉ちゃんも大好きだよちゅっちゅっ♡』くらいポジティブに捉えられていたのだが、すぐに問題が露見した。
俺のことを好きであるほど、裏人格を自覚した時のチャックの遂行スピードは跳ね上がる。
彼女が自殺を決行する前にビティの記憶を消せなければ、チャックは雷撃で自分自身の脳を焼く。
もうおわかりだろう、チャックが俺に無言のラブコールを送ってきているこの状況は、極めて極めて危険なのである。
この状況で万が一にもビティの存在がバレたら、コンマ1秒後にはチャックは死ぬ。『ビティって誰だろう?』とか思われるだけでも十分にやばい。
ここから先は一言一句を慎重に選ばなければ、チャックはいとも容易く死んでしまうのだ。
「………………!…………………!!!」
俺が何も言えずにあわあわしていると、ノンディアさんが口を開いた。
「………………ね、ねぇ、君たち二人ってどういう関係なの?前会ったときそんな感じじゃなかったよね、ビテ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!??なんてこと言うんだッッ!!」
「────だ、ダアスちゃん!?」
軽々『ビティ』の名を出そうとしたノンディアさんを必死に制する。
第二の問題はこれだ。
ビティとチャックの体が同じであるがゆえに、何も知らない他者からは同一人物と認識されるのは当然。
街の住民は記憶を改竄し、昼にチャック、夜にビティのことを忘れてもらっているから問題ないが、ノンディアさんの記憶はこれ以上触れられない。
こちらの事情を話すわけにもいかないのに、彼女の無自覚な失言一つで妹の首が飛ぶ。
頭がおかしくなりそうだ。
「ぐっ……ぐぅぅっ……!……すいませんノンディアさん大変失礼なことと承知のうえで言いますがお願いです黙っててください!今から三〇秒だけ口を閉じていただけないでしょうか!?」
「えっ、えっ、あっ、うん、よくわからないけど静かにするね……」
ノンディアさんを黙らせてからチャックに向き直る。
「よーしチャックさんの気持ちはよくわかった!俺のファンなんだね嬉しいよ!うーん今はちょっと手が離せないから……そうだ三日後からお願い!三日後の夜から生活のこと何から何まで全部お世話してもらいに行くからそれまで待ってて!このとおり!」
「…………………ッ!」
頭を下げてお願いすると、チャックは大きく息を呑み──思わずといった様子で頬を緩ませた。
「う、嬉しいです!私一生懸命尽くします!それでは三日後に、また!」
そうしてチャックは無事に去り、夜の街へと消えていった。
『危ねえ危ねえ素直な子でよかった』とほっと胸を撫で下ろす。
そんな辺りで三〇秒が経過し、律儀なノンディアさんが口を開く。
「………………だ、ダアスちゃん、よくわかんないけど、あんな小さな子に面倒見てもらっちゃ駄目だよ…………確かにいい子そうだけどさ、断ろう?生活が不安なら私がなんとかしてあげるからさ……」
「──────ッッ!!!」
思わず俺は殺意を抱いた。
『何も知らない癖に偉そうに』『貴女のほうが小さいだろうが』と、腹の内側で業火を燃やした。嘘である。
彼女の発言に衝撃は受けたが、抱いた感情の方向性は真逆。
『もしかしてワンチャンあるのでは……!?』と俺の脳みそはすくみあがっていた。
ノンディアさんは、軽く引きながらではあるものの、チャックを指して『いい子そうだから』と言った。
やっと見つけた唯一の勝機。
ノンディアさんとチャックを仲良くすればいい。
聖女が記憶を取り戻し真実を知ったとき、人類の害悪と知って尚、ビティを見捨てられなくなるように。