十四話︰気高き論客
ノンディアさんの記憶を操れないというのは嘘である。
ギルド本部でのやりとりからわかるように、ノンディアさんの記憶もほんの一瞬だけなら操れる。
一秒足らずで正しい記憶が復活するため、いつものように催眠頼りで万事解決とはいかないが、工夫して使えば時間稼ぎにはなる。
そんなわけで、ノンディアさんにお願いして握手してもらう。
「『ビティはいい子』『ビティはいい子』『ビティはいい子』『ビティはいい子』『ビティはいい子』!はい復唱してくださいノンディアさん!!」
「えっ……えっ……?そ、そりゃあビティちゃんはいい子だよね……ダアスちゃんのこといじめたりしないし……」
「しゃあっ!ですよね!」
思わずガッツポーズを作る俺、首を傾げるノンディアさん。
簡単な話だ。一秒足らずで記憶が直るなら、半秒間隔で常に記憶を書き換え続ければいい。
俺が書き込んだ偽りのエピソードに『ダメージ遮断』が反応する前に、また別のエピソードへと記憶を書き換えれば、彼女はずっと騙されたままだ。
全てのストーリーに共通するのは『時間』と『印象』。
『ビティが糞以下の本性をさらけ出した、ギルド本部で過ごしたあの時間』を『ビティが色々と立派なことをした記憶』へと置き換えている。
ビティの精神は激弱だ。
自分より圧倒的に強いノンディアさんにいじめについてお説教でもされようものならストレスで五秒で発狂し自害するだろう。
イレギュラーの排除のため、ノンディアさんにはビティの糞さを一時的に忘れてもらう必要がある。
しかしあくまでも応急処置だ。
この状態を長期的に維持することは絶対にできない。
何しろ、『一五分程度の動作、会話、見た光景を矛盾なく組み立てビティに好感が持てるストーリーになっていることを確認し、その情報を入力する』という面倒極まりない作業を半秒おきに行っているのだ。それも『ダメージ遮断』に魔法を乱され続けている状態で。
魔力の余裕もゼロだが、それより俺の脳みそがやばい。頭を使いすぎて嫌な熱を帯びてきている。吐きそう。気持ち悪い。とてもじゃないがこんな状態が長続きするとは思えない。
保って三日。それを過ぎれば洗脳は解ける。
そして『改竄中の記憶にさらなる改竄を加える』ことと、『まっさらな記憶に新しく改竄を加える』ことでは必要な魔力がまるで違う。
いったん正気に戻ってしまえば、直接触れないと再洗脳は不可能。
もとの記憶を取り戻し警戒しているノンディアさんにワンタッチ。できるわけがない。その状況に追い込まれた時点で詰みだ。
だから、ノンディアさんを抑えておける三日間が勝負だ。
嘘をつき続けて七年半。鍛え抜かれた話術と謀略を一六の小娘に叩きつけ、大天使をいじめ肯定派に堕とすのである。
第一案、論理攻撃。
「いじめっていじめられるほうに責任がありますよねぇ!」
「────!?ダアスちゃん急にどうしたの食事中だよ……!?」
「すみません何故だか急にいじめられっこに対する殺意が湧いてきたのでつい!でも事実じゃないですかだっていじめられるような奴って大抵性格が腐ってるんですよまともな人格してたら抵抗くらいしますよそれができないってことは生物として当たり前の能力が欠けているってことでそんな気色悪いの迫害されて当たり前じゃないですかむしろいじめてる側に罪を押し付けてるといっても過言ではありませんあぁ許せませんキレそうですいつ魔物に襲われてもおかしくないこの時代に甘ったれてるゴミは公益のために自ら命を断つべきなのですよ!」
「だ、ダアスちゃんどうしてそんなに早口なの……!?」
「おやおや反論になっていませんよぉ反論がないなら俺の勝ちですがいじめられてるやつが悪いって認めるわけですねぇ!」
「えっ……えぇっ……?」
ノンディアさんは困惑を隠せないご様子。俺のあまりの論理展開っぷりに言葉に詰まっているようである。
大前提となるが、勝負の基本は時と相手を選ぶこと。
本気で勝利を求めているのであれば、自分が相手より精通している言い切れる分野にて、確実にイニシアチブを取れる範囲内でのみ戦うべき。
では、俺がノンディアさんより明確に優れている点とは何か。
暴言のレパートリーである。
ノンディアさんは優しい。ひどく大雑把な傾向ではあるが、優しい奴は汚い言葉に苦手があることが多い。
現に、俺を庇ってくれた時に去り際にビティに凄んでいたが、そのとき出てきた言葉すら『潰す』の一言。脅しとしてはあまりに上品。絶望的にヘイトの才能が足りていない。
これがビティだったらまず人格否定から入り親族の侮辱を吐き捨て身体的特徴を貶め殺害予告をちらつかせて締めとしていたというのに。
では俺はどうだろう。
あまり性格がいいとは言えず、この点からでもノンディアさんに有利を取れるが、何よりのアドバンテージは経験値。
なにせ俺は毎日ビティと会っているのだ。『ビティだったらどう言うだろう』と考えるだけで、無限に罵倒のアイディアが湧いてくる。
そして日常で起こる議論というものは、大抵が単なる罵詈雑言のぶつけ合いなのである。
『強い言葉、大きな声、早口で議論を制し、論破を積み重ね洗脳する』。
これが俺の第一案、論理攻撃。
予測成功率は四%である。
「なるほどノンディアさんも本心ではいじめられるほうに責任があると考えているわけですねぇそうですよねいじめられるほうが悪いですねそう思うんだったら明確に言葉にしてくれないと困りますよ自分の過ちくらいは認められる人間でありたいものですよねぇ知的生物としてねぇ!」
対面に座るノンディアさんがすっと立ち上がった。
彼女は何も言わずに、まっすぐ俺のほうに歩き出す。
「ひぃっ!?…………な、なんですかやろうってんですか暴力で黙らせる気ですか怖くない怖くない怖くないですよいじめられるほうが悪いんだいじめられるほうが悪いんだいじめられるほうが悪っ」
俺の口は物理的に閉ざされた。
ノンディアさんの掌がそっと俺の口を塞いだのだ。
殺されると思って慌てて暴れるが、優しく触れられているはずなのに押しのけようとしても力が働かない。『ダメージ遮断』が彼女を引き剥がそうとする力そのものを拒絶しているのか。
「………………ダアスちゃんがそう思うならそのままでもいいよ。でも私以外に言うのは駄目。乱暴な子は嫌われちゃうし、人から嫌われるのは辛くなっちゃうから」
「こういうのは私と二人きりのとき、食事中以外に留めること。約束してね」
そう言って掌を口から外し、そっと頭を撫でてきて、聖母のように微笑んでくる。
「………………わかりましたぁ」
『いやそのままでいいわけないだろ……?』とか『常識的にノンディアさんの前でも駄目なのでは……?』とか『ビティのときより対応甘くない……?』とか、色々思うところはあるが、第一案は失敗である。
反論してこないやつを論破することはできない。