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ユイ36

何年か水商売をやっていると昼夜が完全に逆転する。


冬は生活している時間の中で、陽の光を見ることは全く無い。

私達の言う朝は夕方であり、その時間が暗いとまず陽に当たらない。

まだ初夏のこの時期は、辛うじて夕日が見える。


彼より早く起きた私は、顔を洗って歯を磨いていた。

「もうそろそろ7月か…ん!」

急いでうがいをする。

明日、彼の誕生日だった。

店の段取りに忙殺され、すっかり忘れていたのだった。

前日に思い出したの幸いだった。


ベッドに戻ると彼にイタズラをした。

キスしたり、頬を突いたり、抱きついたり。

これだけ執拗にすると、否が応でも目を覚ます。

「ん?おはよ」

「おはよ」

彼がテレビをつけると、私も彼の横に転がった。

寝起きが悪い彼は、起きてからしばらくはまどろむ。


しかし今日に限って、何か違う。

彼の表情や仕草にいつもと違うものを感じていた。

「ねえ。今日何かあるの?」

「ん?特に無いよ。何かあんの?」

「ううん。女の勘ってやつかな」

もちろん彼の全てを知っている訳ではない。

誰もが気がつかない微妙な違いに気がついた。


「どっか行くか?」

「キレイな夜景でも見たいな」

「夜景って、まだ昼だよ?暗くなるまで何するよ?」

「うーん…ゴロゴロ」

ベッドの中で2人は布団に包まった。

2人はいちゃいちゃしながら案の定、えっちへと移行した。

私の場合、彼と他愛ない絡みが大好きだ。

その多くは、私から彼を求めてしまう。

今からセックスをするぞというシチュエーションではない。

何となくその延長線にセックスがあるというのが好きだった。


その日は完全オフということもあり、事は2回戦に及んだ。

いつの間にか寝てしまった私達が起きたのは、夕方だった。

「おはよ。寝ちゃったね」

「風呂入って出掛けるか」

「一緒に入っちゃおう」

「風呂で始まっちゃうんじゃないの?」

お風呂が3回戦目の会場だった。


車に乗り込んだ私達は、行き先を決めていなかった。

「夜景のキレイなところってどこ?横浜辺りか?山下か桜木町とか」

「たまにはあっち方面も良いね。ご飯は中華街でも行こう」

横浜へ向かう道中、彼はよく横浜で遊んでいたことを話してくれた。

「横浜Mでも行こうか」

「ディスコ?踊れないよ」

「飯を食いにね。俺あの店大好きなんだよ」

関内で車を停めると、相生通りにあるビルの6階に横浜Mへ行った。


私はディスコに来るのは初めてだった。

階を登って行く毎に音楽が聞こえて来た。

「ここから音が聞こえるんだ」

「ホールはすごい大音量だよ」

エレベーターを降りるとフロントの黒服が立っていた。

「マイカワさん?久しぶりじゃないですか!」

「お久しぶりです。VIP空いてます?」

「1組も居ません。今案内します」

彼は何度も来ていたような感じの扱われ方だった。


ホテルマンのような男に連れられて行くと、大理石の廊下が広がった。

絢爛な内装が視界に入るとそこにダンスホールがあった。

「…!ユイ!ユイ!」

「あ、ごめん。聞こえなかった」

「こっちだよ」

その空間に広がる別世界に圧倒されていた。

私は彼の手を握って後を歩いた。

黒服の男がドアを開けると、私達はガラス張りのVIPルームに入った。

「ユイ、うちの店のVIPルームはこの作りをヒントにしてるんだよ」

「本当だ。少し似てるね」


「支配人、おはよう」

「マイカワさん、すごく出世されたようで。キムラさんとコダマさんに聞きましたよ」

「まだオープンはしてないけどね。オープンしたらお知らせしますよ」

彼が勧めてくれたカクテルとフードメニューは絶賛だった。


「ユイ、少し踊るか?」

「踊ったことないよ」

「いいから来てごらん」

彼が私の手を引くとダンスホールに向かった。

ライブホール並みの贅沢な音響効果に特殊照明。

まさにカルチャーショックだった。


ユーロービートに聞き覚えがあったが、ここまで良い音で聞いたのは初めてだ。

彼のリードもあり、自然と体を動かすことが出来た。

スローバラードの曲になると、VIPルームへと戻った。

「お疲れ様です」

「ありがとう」

支配人がオシボリを持って出迎えた。

「男子スタッフの制服の色が何種類かあったのに気がついた?」

「そうなの?」

実は楽しくて周囲が見えていなかった。

ここでは黒服が従業員の最上級職であり、以降、赤服、緑服、青服だという。

彼はイシハラくんやコマツくん、その他のスタッフに着せるという。

「良いかもね。いろんなところでアイディアを集めてくるね」

「今はオーナーとなった目線で、また何か得られるかなって思って来てみたのよ」

「マイカワさんの観察力は半端じゃないですからね」

「支配人、ありがと」


彼と出会う前の彼を知る支配人が、彼の昔話をしてくれた。

刺繍がバリバリ入ったスーツを着ていたこと。

来る度に連れてくる女の子が違っていたこと。

黒服が真っ青になるくらいお酒が強いこと。

酔うと彼とコダマくんとキムラくんの内の2人がケンカしだすこと。


腕時計を何度か見ていた彼がチェックをする。

「支配人また来ますよ」

「連絡絶対下さいね。店としても義理欠くことは出来ませんから」

「分かりましたよ」


エレベーターまで黒服が見送りに来た。

ドアが閉まるまでお辞儀をしていた。

「接客も良い勉強になるだろ?」

「なるほどねって感じ」

実際のところは、接客に感心するより耳鳴りの方が気になった。

あれだけの大音量のところに居たのだ。

『キーン』という音がしばらく耳から離れなかったのは言うまでもない。

「楽しかった?」

「うん!すごく楽しかった。また連れて来て」

「あはは。相当楽しかったみたいだな」


車に乗ると、彼は夜景が見に行きたいというセリフを覚えていてくれた。

「とりあえず桜木町でも行くか」

「まだ24時前なんだね」

彼に誘導され、ランドマークタワーが見えるところで車を停めた。

「ここだと夜景が良く見えるね」

「ちょっとFMつけて」

ラジオから音楽が流れる。

彼はタバコに火を着け、燻らせた。


私はこの後、人生で最高の瞬間を迎えることになる。


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